作戦成功
「ハーデル・ロンバルトは予定通り奪取に成功したか。…何か、恣意的だな」
レーリッヒ・フォン・ライレンは私室にて戦闘詳報を眺め、静かにそう呟いた。コーヒーはすっかり冷え、そして従兵代わりの魔導人形は死んだように動かない。夕暮れは孤独を際立たせ、彼の疑問を無条件に確信へと押し上げようとしていた。
今まで限りある兵士と、足りない砲門をやりくりしながら何とか国土を守り切っていたにも関わらず、まさか一押ししただけでこんなにも簡単に戦線が崩れた。その事実は長年戦場を見てきた老兵からすれば、眉を顰めずにはいられない事実だった。勿論、何とか戦力と兵站を保持できるようにはしていたが、それでも、どうにも違和感がある。
魔導兵による輝かしい活躍と、帝国の伝統的な大規模作戦による集中的な火力の投射。そこには何も疑るべき要素は存在しない。それらは帝国の誇りであり、彼自身が常に追い求めてきたもの。なにも憂うべきではないのにも関わらず、どうしてだろうか。レーリッヒは幾度も自問を繰り返したが、彼の満足するような答えは遂に見出すことができなかった。分厚い雲と、そして新大陸の山々との間に鎮座している輝きは雄大だが、それ故に矮小なる老人に一々手を差し伸べるほどの優しさは持ち合わせていなかった。
「なるほど。つまり私は無知に恐怖しているということか。何とも子供らしい。…いや、待てよ?だとしたら、非常に腹立たしくはあるが、奴か。奴の存在かっ!」
コードネーム『道化』。あの悪魔は、どこまでも人間性を詰め込んだ化け物らしい。あの四〇一特別魔導部隊を以ってしても奴の血潮を大地にぶちまけるには至らなかった。奴は参謀本部にとっての悪魔である。
ある時は兵站において重要な路線を爆破され輸送課が阿鼻叫喚となった。そしてまたある時は弾薬庫が爆破されたとの情報が入ってきたときは補給課は地獄の様相と化した。またある時は前線との連絡線が切断されて作戦課の面々は数日間コーヒーを啜りながらストレスで胃が溶けそうになった。
「今こそ帝国の戦いを世に知らしめる絶好の機会なのだが…私も随分と老いぼれたな。どうもギャンブルをする気になれん」
ハーデル・ロンバルトは交通の要衝である。つまり、そこを奪還する事に成功した帝国は、本来ならば敵の防備が整う前に浸透襲撃を行うべきなのである。だが、現在は帝国の主眼は旧大陸に置かれている。よって、今の新大陸はいわば孤立無縁。それなのになぜ、レーリッヒは攻勢に転ずる判断をしたのか。それは、彼の直感によるものだった。長年戦争に参加してきた彼が、無意識のうちに確信していた敵方の本格攻勢の予感。
帝国は上品な戦術でこれまで数多の敵を打ち破ってきた。それは、誘引と撃滅である。帝国陸軍は自らの軍隊の質を誇りとしている。一兵卒に至るまで規律は徹底され、作戦参謀が立案した作戦に則って軍隊は一糸乱れぬ行動を取る。しかし、そんな帝国軍にも唯一と言っていい弱点が存在していた。それは、量のなさである。
帝国は広大な領土を保有しているが、しかし、その領土の大半が高緯度に位置しているが為に人口は領土に反して非常に少なかった。徴兵制を導入し、最悪の場合は臣民の殆どの男性を徴兵することもできるが、そんな事態になれば帝国の崩壊は少し早いか、遅いかの違いしかない。よって、帝国は効率よく外敵を殲滅するための兵站と、そして火力を重視してきた。素早く軍隊を展開し、そして圧倒的な火力で敵に身動きさせる暇すら与えず殲滅する。これが、言わば帝国陸軍のお家芸であった。
そんな陸軍が至高とする戦術をよく知っているレーリッヒだからこそ、この新大陸での劇的な勝利を一人冷静に、そして悲観的に眺めることができていた。そして、そんな彼の直感はやはり間違いなかった。廊下からうっすらと聞こえてくる妙に軽快な軍靴の音に彼は眉を顰める。
「入れ」
そして小気味よいノックの音を聞き、レーリッヒは渋々入室の許可を出す。そしてすっかり冷たくなったコーヒーに手を伸ばし、そしてやっぱりその気はないとカップの取っ手を撫でるに留めた。
「閣下、空軍よりお手紙と航空写真です。何やら、こちら側の行動を待っていたかのように北部と南部の集積地帯に動きありとのことです」
ヴィシアは愉快そうに機密情報の塊である封筒をヒラヒラと遊ばせ、レーリッヒの机の上に置いた。レーリッヒは一度溜息を吐いてから報告書の内容と、そして写真を手早く確認し、勝手に休めの姿勢でいるヴィシアと視線を合わせた。
「いえ、私だって被害者なのですからね?大佐なのに、使いっ走りにされたんですよ?」
「日頃の行いというやつだろう。そして、その態度も気に食わん」
「そ、そんなにですか?」
レーリッヒも人の好き嫌いはしないでいるつもりでいたが、このヴィシア大佐という存在はどうしても腹が立つ。士官らしからぬ飄々な態度のせいか、はたまたただ相性が悪いだけかはわからないが、とにかく、レーリッヒにとってヴィシアというのは気の食わない存在として記録されていた。
レーリッヒは一度視線を下げ、再び報告書を眺める。そこにはやはり、ヴィシアが言った通りの内容が記されていた。彼の予感は彼の予想よりも早く起こらんとしていた。帝国に残された時間は少ない。しかし、今の彼の現状でできることは、その残されている時間よりも短い。
レーリッヒはヴィシアの姿を睥睨し、頭痛を覚える。そしてそんな気分を紛らわすためにも冷たいコーヒーについに口をつけ、重々しく口を開いた。
「…どうして、四〇一と接触した?あそこで歓待してやる必要がないことくらい、お前も分かっているだろうに」
「本題はそれですか。別に、大したことではありませんよ。興が乗っただけです。一応、面識がありますからね。英雄様御一行のお顔を拝見するべきだと判断したに過ぎません」
「私は、お前は随分と余計なところに顔を出し過ぎているように思えるが。情報収集、というより、スパイの真似事でもしているつもりか?」
ヴィシアはレーリッヒに鋭い視線を向けられ、ニヤリと笑ってみせる。
「まさか。閣下は『道化』を逃したことで神経質になっておられるのではないですか?そもそも、私が大佐なる不相応な身分でいるのも、情報を集め、中庸でいたからです。この様を怪しまれてしまうのでしたら、私はどうしようもありません。素直に降格でも、左遷でも受け入れましょう」
「そうかもしれんな。元々、お前は私が顔が広いからという一つの要素で重宝してきた。どうしようもなく怪しいのは、元々か」
「閣下?そ、それはあんまりでありますよ?」
レーリッヒは懐から秘蔵の葉巻を取り出し、穏やかな表情で煙を燻らせる。戦線は今の所こちらが主導権を握った状態で膠着状態になった。ならば、これ以上無理な攻勢を続ける必要はない。彼の主眼は新大陸の反対側にある共和国と国境を接することではなく、あくまでも次なる本格攻勢のために空間的余裕を確保することなのだから。
「ヴィシア。一応聞いておくが、ランカラ防衛司令部に伝手はあるか?」
「勿論でございます」
「ならば、杞憂に終わるかもしれないが、後でこの情報を流しておけ」
「それは構いませんが、そのようなことをしなくともすぐに情報は共有されるかと」
「確かにそうかもしれないが、それでは私の意図していることは伝わらない。私が送った。その事実が大事なのだ」
ヴィシアはレーリッヒの言葉にただ「左様ですか」と返事をした。残念なことにヴィシアにはレーリッヒの意図を理解することができなかった。よって何か儀礼的なものなのかな、と無理矢理納得することで思考を停止する。
「ネームドの動きも妙に鈍く、そして露骨に攻勢の気配がある、か。ヴィシア、今のこの事態をお前はどう判断する?」
「それは、大規模攻勢で延びた戦線を、今の疲弊したかつての機動防御用の戦力で守り切れるかについての助言を求めているということですか?」
「ふむ、意見があるのならば確かに耳に入れておきたい内容ではあるが、そういうわけではない。ぜひ、この戦争自体のことをどう思っているかが聞きたいという意味だ。ぜひ、忌憚の無い意見を聞かせてくれ」
「なるほど、そういうことでしたか…」
しかし、特に戦争を行うことについて特に疑問を持っていなかったヴィシアの思考はそこで止まってしまった。いや、彼の脳内の中では未だ何かしらの形ある答えを出そうとしていたのだが、レーリッヒからすれば答えがないということですら、それは十分に満足できる回答だった。
「この戦争は世界大戦で使われた総力戦という概念を根本から覆している。今だからこそ言えることだが、この現状を見るとあの頃はお遊びのようなものだった。重機で殴れば崩壊する納屋二つを吹き飛ばし、王国とは海の上に船を浮かべておけば自然と戦争は終わった。だが、今はどうか。恐らくあの得体の知れない軍勢は降伏と言うものを知らないだろう。相手が己より強靭ならば、我々もそれに順応するしかない。その結果がこれだ」
帝国は、いや、確かに世界中のどの国も多かれ少なかれ世界中に出現した謎の軍勢の被害を受けているが、その中でも特に帝国は本当の絶滅戦争を強いられていた。東西からの物量的な攻撃によって大地は蹂躙され、南方からの輸送路を守るにも海軍は消極的。そして北を見ればそこには氷の大地が広がっている。逃げ道は無かった。だからこそ、国民は帝国の歯車としてその身を粉にしながら奉仕していた。ある時は戦場で、ある時は工場で。男女の違いなど生きるという目的の前では些細なもので、相応の覚悟を持った女性は軍へ志願することを許されている。
「そして魔導兵こそが一番悲惨な存在だ。彼らは老若男女問わず帝国の最前線で命を散らす。無論、徴兵された兵士らが幸せであると言いたいわけではない。彼らがその中で特段悲惨な役回りであるというだけだ」
ホルツェは心の中で何か熱いものがこみあげてくる感覚に戸惑いを覚えていた。私は士官学校を卒業し、生きるために軍に奉仕しているが、彼らは、と。国のため。それはそうなのだ。ナショナリズムの終着先としてのこの偉大な帝国。三千年の帝国に誇りを持たない存在は少なからずいるが、それでも満足な暮らしはできていた。そこまで考え、ヴィシアは自分の感じる違和感の正体が分かった気がした。可哀想なのだ、と。
それはきっとレーリッヒが抱いている感情と同じ種類のもので、いくら自分が悪いわけではないと分かっていても、職業軍人でない限りは考えられずにはいられない一種の強迫観念なのだと、彼は結論づける。
勿論、ヴィシアはここで哲学的な自由について考えたいわけではなかった。そして、帝国憲法によって定められた自由について批判したいわけでもなかった。戦争とは人の精神を疲弊させる。そんなことすら自分は理解することができなかったのだと、ヴィシアは心の中で自省した。
「それでは、こんなもの、早く終わらせなければいけませんね」
「お前は、察しのいい奴だな」
なぜ、幸せであることを態度で示さなければならないのだろうか。それと同じように、地図に人の命を並べ、比較的安全な後方で眠気を誤魔化すために沸騰した湯で淹れたコーヒーを胃に流し込んでいる彼らが、どうして戦場で消えゆく命憂うことを咎められなければならないのだろうか。本質はみな同じ。いくら高い服に身を包んでも、いくら皇帝の寵愛を受けようとも、そして、一度死に、歪ながらも人として生きる彼女も。
ヴィシアは失意とも、決意とも感じられる感情を胸に、退出した。たとえ未来が暗く、そしてそこに希望がなかったとしても、どうしてそれが最善を尽くしてはいけない理由になるだろうか。
戦いは終わらない。戦争と呼ぶに相応しくない命を燃やして行われる生存競争は、まだ始まったばかりだ。




