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異世界戦線  作者: Chira
第一部 新大陸編
10/36

中央戦線〔上〕

「…」


口から白い吐息が零れる。現在位置は中央高原の何処か。時間だけ見れば間もなくハーデル・ロンバルトが見えてきてもおかしくないのだが、曇天のせいでどうしても予測位置と多少なりともずれが生じてしまった。現在は旧街道らしき道を辿って南東方向へ移動して誤差を修正中。作戦に影響はないとしても、予定通りに物事が進まないという事実は人にどこか焦燥感を与える。


「エル、相変わらず司令部とは繋がらないのですか?」


「駄目です。少佐からも魔力を融通してもらってより正確性の高い魔力回廊を繋いだのですが、聞こえてくるのはノイズばかりで…」


エルは脂汗を滲ませながら真剣な面持ちで計器と向かい合っていた。ただし、顔は青白く、どう見ても魔力を無理をして使っているのが目に見えて分かる。


「魔力の使い過ぎです。目的地に到着する目途が立ったのですから回廊は一度切断してください」


「ですが…」


「無理は禁物です。あまり言いたくはありませんが、私の命令が聞けないと言いたいのですか?」


「…かしこまりました」


なので、私は心を鬼にして言いよどむエルにこれ以上通信に魔力を使わないように釘を刺すことにした。いくら非戦闘員とはいえ、それで無茶をしたせいで任務に支障を来してしまっては元も子もない。それに、今のエルの実年齢は分からないが、あんな幼女体型をしているのだ。年齢はよくて十歳といったところだろう。そんな子にそれ以上を求めるのは、まずこちらも同じレベルまで努力をしてから。少なくとも今の状況で無理をさせる道理はない。


エルの顔色が多少なりとも改善したのを確認し、今度は眼下に広がる針葉樹林を見下ろす。特段障害になりそうなものはない。私たちの任務は偵察ではないが一応報告できそうなものがあれば、と最初は思っていたのだが、こんなにも人間の生活の痕跡がないのではどうしようもない。なのでこの極寒の中を徒歩で進軍している普通科の兵士達には悪いが、私たちは優雅に空の旅に移る。快適な代わりにとてつもなく寒いこの移動方法を知れば、彼らも私たちへの愚痴を多少は減らしてくれるかもしれないけれど…


やっぱり、当事者にしか経験することができないということはこれもつまり、価値観の違いなのだろう。何が幸せで何が不幸かの物差しは自分にしか通用してくれない。でもそんなことを言っていては私の常識はより本来の常識から離れていくばかり。…いや、考えるのはこれぐらいにしておこう。


「…丘陵地帯、もうすぐだな。アレクトは今一度装備の確認、エルは索敵のために高度を上げろ。双眼鏡は持ったな?」


私が思案に暮れていると、いつの間にか薄い霧の遠くに人工物のようなものが見えてきた。少佐の鶴の一声でエルは編隊から離脱し、高度を上げる。私もいつでも魔動力機を切り離せるようにベルトを確認し、一切止む気配の無い体の震えは筋肉に力を入れて無理矢理抑える。


「上空である程度索敵してから突入する。上からはペイルーも可能な限り確保せよとのお達しだからな」


「裏切り者なのですよね?でしたら、即刻切り捨ててしまっても問題ないのではありませんか?」


「できるならば私もそうしたいが、上は戦果だけでは飽き足らず、情報すらもお望みのようだ。現実として、帝国にはにはこうすれば勝ちという目標がない。行き当たりばったりのこの状況をどうにかしたいのだろう。…私にとってもそちらの方が都合がいいからな」


少佐の表情は相変わらず無表情だったが、声は寂しそうに聞こえた。交戦相手がかつての部下ともなると、流石の少佐も何も思わない訳にはいかないらしい。


「でしたら、ペイルーさんでしたっけ?彼女の戦闘スタイルを教えて欲しいのですが」


「それはまた、唐突だな」


「いえ、少佐ならば弱点の一つや二つ知っているのでは、と思ったんですけど」


いるかもしれない、その言葉が示す信頼性はできるだけ噛み砕いて、それからオブラートに包んで言っても決して高いものではない。それでも、敵を知り己を知れば百戦危うからずとどこか遠い場所の軍事思想家さんも言っていた。だとしたら、もしもに備えておくのは悪いことではないはずだ。


「…いや、私には分からないな」


「…え?」


しかし、少し俯いて何か考え事をするような仕草をした少佐から放たれた言葉は、正直言って想定外のものだった。「いやいやいや、かつての部下だったんですよね?」そんな意味を孕んだ鋭い言葉が喉から飛び出そうになったが、それを咄嗟に胃袋に戻し、少佐の次の言葉を静かに待つ。


「アレクトが考えているような分からないとは少し意味が違うんだが、そうだな…お前のような頭の良い人間が満足することができるような情報がどれか分からないと言ったらいいだろうか」


白い吐息を吐きながら少佐は申し訳なさそうに首を振る。


「何でもいいんです。私はペイルーさんのことを何も知りませんので」


「彼女のことはペイルーと呼べ。私も不本意だが、一応奴は裏切り者なのでな。それと、何でもいいと言ったが、私は言葉にするのが苦手だ。長々と昔話をすることになってしまうと思うが、いいのか?」


「私は一向に構いません。カリン少佐と話すのは言葉の裏に隠された意図を考えなくていいので楽しいですからね」


勿論、レーリッヒ大将みたいな頭の良い人との会話は大歓迎だけれど、基本的に感情の機微から言葉の裏に隠された意図を読み取って話せる人間はそう多くはない。貴族という存在は上辺をどれだけ取り繕うと根本は我儘なのだ。貴族としてある程度の横暴が罷り通る環境で育ち、そしてその殆どがそのまま大人になるのだから…


私も愚かだったらなばと思ったことは数知れず。愚者は愚者なりに楽しいのだ。聡明であるならば、世界を知ることができる代わりに代償として重責を負わなければいけない。


「私と話すのは楽しいのか?」


「勿論です。私は貴族ですけど、これは本心ですからね?」


私の回答にカリン少佐は複雑そうな表情をする。そんなに変なことを言ってしまっただろうか。


「…彼女は大楯を使って戦う。近接戦闘で、しかも盾?と最初は思ったが、使っている姿を見ると案外有効な戦術と思えた。時に大楯に身を隠し、時に大楯で相手を押し潰す。こんな時代にも関わらず、彼女の戦術は旧石器時代のようだったな」


「ですが、それでそこまで上り詰めたということは、その戦術は現代でも有効だったということではないのですか?」


「察しろ。奴は例外だ。確かに、魔力によって刃も、爆発物ですら正面で受け止めることのできるペイルーは脅威と言えなくもない。だが、私ならば…いや、そうだったな。それについてはアレクトの言う通りだ。一度接近を許してしまえば後は撲殺か圧殺かの違いしかない。基本的に彼女を見つけても積極的に距離を詰めての攻撃は控えろ。…私が言えるのはこれぐらいだな」


「容姿はどんな感じですか?」


「黄金を織り込んだ金髪。これに尽きる」


「なるほど」


つまり、ペイルーは大楯を使って戦う金髪の女性…といったところだろうか。髪色が分かった以上大体の判別はつく。もし帽子やヘルメットを被っていたらとも考えたが、少佐がわざわざ金髪だということだけ分かればいいと言ったからにはそれほどまでに特徴的ということなのだろう。


「この程度で大丈夫か?」


「ありがとうございます。…まあ、本心を言えば出来る限り出会わない方がいいんですけどね」


「それについては私も同感だ」


未だ震える体に力を入れながら私はカリン少佐の同意に頷く。…けれど、私の中では未だ止むことのない不安が渦巻いている。それは今私の体を震わせている深海を覗いたときのような底知れぬ恐怖の正体ときっと同じで、考え方を変えると今私たちはそれを取り除くために戦っていると言ってもいいぐらいだ。


私たちは戦場で人間ではない何かと銃弾を交えて戦っている。彼らは文明人のように振る舞ってはいるが、一方で彼らは人間ではない…らしい。根拠の無いことだが、兵士の間ではそれが通説となっている。人間より一回り大きい図体、そして銃弾が身体を貫いた程度では動揺すらしない強靭な精神力。彼らは人間のように見せかけているが常に冷静で、異様なまでに団結している。


彼らは人間ではない。文面に起こしてみれば誤差のように感じ取れるかもしれないが、それは戦場のような極限の空間で経験すれば違和感は確かなものとなる。


もし、平時ならば異国の人間として別々の言語を用いて交流できたかもしれない。しかしそんなことは叶わず、現在行われているのは終わりの見えない戦争だった。歪な戦争。これまでに幾多の戦いに勝利した帝国だったが、今回はイデオロギー的勝利も強力な衝撃による勝利も手にすることはできない。どちらかがいなくなるまで繰り広げられる本当の絶滅戦争。もし、私たちがこちらの定義の勝利を得たとしても戦いが終わることは無いだろう。それは軍人からしたら歓迎するべき事態なのかもしれないが、残念なことに私は銃後の人間だ。それは魔導兵として最前線に立っている今でも変わらない。レーリッヒ大将やお父様のような軍人では決してないのだ。だから、死に対して病的なまでに敏感で、きっとそれはこれからも変わらない。


つまるところ、この恐怖は望んでいない自己の変化を自覚していることによるものなのだろう。さっきの少佐の姿を見てその思いははっきりとしたものになった。戦争に慣れてしまうことがが怖いのだ。日常に溶け込み、いつしか平穏に違和感を抱くようになってしまう。私だけではなく誰しもがそれに怯え、しかし、怯えながらもそれに順応してしまっている。


『市街地南西、強力な魔力反応です!』


だが、そんな後ろ向きな思考はエルからの通信によって遮られた。少佐は体を捻り、市街地の南西方向へと方向を転換する。


「…陽動だな、あからさますぎる」


少佐はそう言いつつも高度を下げる。上空で敵が現れるまで待機できるのならばそれ以上は無いが、魔力濃度が高くなりすぎてしまえば魔動力機は使えなくなってしまう。急に空中に放り出されるよりかは、リスクを取ってでもどこかに安全に着陸することを選んだのだろう。


「アレクト、最適な距離で魔動力機を切り離せ。それと、投棄場所を忘れるなよ?帰りもアレを使うことになるだろうからな」


「分かりました。流石に、前回のような徒歩での帰還は私もこりごりです」


速度を下ろしながら開けた場所に着地できるように魔動力機を切り離す。障害物がある中で無事に着陸できるか心配だったが、そんな懸念は杞憂に終わり、無事に市街地に降り立つことができた。そこは、私が想像していた以上に静かな場所だった。建物はそのほとんどが崩れ去っていて、勿論のことだが人の姿はない。レンガで舗装された道はハーデル・ロンバルトが古都であることを雄弁に語っていたが、今もそのほとんどが劣化していて、油断していると躓きそうになってしまう。


「エル、計器に反応はあるか?」


『少佐たちは降りられたのですね?でしたら、目視の方が早く、確実性も高いかと。こちらは一度計器の値を正常値に戻すために戦場を離脱します。…申し訳ありません』


「気にするな。…仕方がない。アレクト、ここからは徒歩で行くぞ」


少佐は抜刀し、一度振私に目配せすると歩き始めた。私も剣の柄に手をかけながら歩く。異様な静寂がこの場を支配している。聞こえるのは二つの足音だけ。きっととある思想家ならば二度目の世界大戦についての考察を始め、反戦主義者からは本の題材として扱われもしただろう。それくらい、ここの静けさは何かを人間に訴えているような気がした。


「三時の方向に敵四。アレクト、私の背後は任せた」


「え?は、はい!」


少佐が呟いた次の瞬間、遠くから銃声が轟いた。数はそう多くない。規律の取れた統制射撃だ。ライフル銃ならば命中率自体はあまり期待できないが、空間制圧としてはある程度の効果が認められるだろう。


少佐は神経を研ぎ澄ます。そして、一閃。複数の弾丸が一度に切り落とされ、破片が地面に転がった。


「少佐!」


「いや、まだだ!上から来るぞっ!」


少佐の声を脳が理解するよりも早く、私の体は咄嗟にバックステップを踏んだ。直後、空から巨大な岩が落ちてくる。いいや、違う。岩のようにも見えたが、その正体は大楯だ。衝撃によって粉砕されたレンガの破片が宙を舞い、煙たい視界の先には帝国の軍服に身を包んだ女性が立っているのが見える。そして彼女は右手で軽々と大楯を持ち上げ、黄金の髪を靡かせる。間違いない、彼女は…


「ペイルゥーッ!!」


少佐は目に見えぬ速度でペイルーにお間合いを詰めると、刹那、二人の間に紫電が走った。閃光が辺り一面を覆い、魔力がせめぎ合うことで生じた衝撃波は周囲の廃墟を倒壊させる。


視界が白色から戻ると、ペイルーが大楯で少佐の一撃をものともしない様子で受け切り、遠心力で少佐を吹き飛ばしたのが見えた。そしてこちらをふわりと一瞥し、優雅に微笑む。


「あなたがアレクトちゃんね。話は聞いているわ。自ら死神に近づいていく世間知らずのお嬢様」


「カリン少佐はリーベの戦姫という二つ名だったはずです。死神という言葉とは、大分意味が違うように感じますが」


「あら、あなたも分かっているでしょう?」


「アレクト、対話を試みるのは止めておけ。互いに譲れないものがあり、それが今正面でぶつかり合っている以上、それは時間を浪費するという無駄な行為だ」


吹き飛ばされたカリン少佐は涼しい顔で着地すると、剣先をペイルーに向ける。しかし、当のペイルーはさして大したことでは無いかのように肩を竦めた。


「それで、貴様一人で私らの相手をするつもりか?」


「まさか。本当に隊長が直接来るとは思わなかったからせっかくの準備は無駄に終わってしまったけれど…アレクトちゃんを引き剥がせるくらいの実力を持っているのがいるから、そんな心配は無用だわ。聞いているのでしょう?コソコソ隠れてのスパイごっこは終わり」


大楯を地面に突き刺し、パンとひとつ手を叩くペイルー。すると、私達を包囲するように存在していた人の気配は消え失せ、その代わりに私の背後からその邪悪な気配を隠そうともしない、みすぼらしい容姿の男が姿を現した。彼はまともに洗っていないであろう頭をがしがしと掻き、左手では慣れた手つきでナイフを遊ばせている。


「…なあ、思ったんだけどよ。俺の扱いが少し雑じゃあねえか?」


私は少佐の背後をカバーするように後ろに振り向いて剣を抜く。普段から少佐の指示に従って体を作ってきたおかげでもう剣を持っても重いとは思わない。そこからさらに魔力で身体強化をかけてやれば体は軽くなり、五感も研ぎ澄まされる。そんな私の姿を見たみすぼらしい恰好の彼は、気だるげに振る舞いながらも私を標的として認識したらしい。不敵に笑って口角を歪めながらも、鋭い視線は私を射抜かんとばかりに捉えている。


「アレクト、恐らくだが奴が『道化』だ。脅威度はE3だが、単純な戦闘力は低めだ。…やれるか?」


「もちろんです。少なくとも、少佐の足を引っ張らない程度には」


「それは大きく出たな」


少佐はフッと鼻で笑い、正面を向き改めて太刀を構えた。信頼されている。それがどれほどの信頼かは分からないが、とにかく、カリン少佐の期待に応えられるように頑張らなければ。


地面を蹴る。私の体は宙へ放り出されるが、何も恐れることは無い。何度も訓練した。魔導兵は個人技だ。多対一で囲んで殴るようなことが合ったとしても、魔導兵は本質的には一対一で戦う。軍隊という集団の中で唯一と言ってしまっていいほど孤独な存在。だから、魔導兵には決まった戦い方は存在しない。やりたいならば好きにすればいい。ただし、きちんと任務は完遂してきてもらう。それが、魔導兵に与えられた数少ない自由意志にして、最大の義務。


速度を剣に乗せ、まずは初撃をお見舞いする。金属がぶつかり合い甲高い音が響く。…受け流されたっ!?


「チッ、痛えぞ」


『道化』はこちらに向かって拳銃を向けると、乱雑に撃つ。私は命中弾になりそうなものを弾きながら、確実に距離を詰める。『道化』は拳銃内の弾丸が無くなったのか、はたまた拳銃程度では有効打を与えられないと理解したのかは分からないが、こちらにまで良く聞こえる舌打ちを景気よく一つ打つと、拳銃を投げ捨てナイフを逆手持ちに切り替えた。


「けっ、どうしてこうも人間は有能な人間をポンポンと発掘できるのか…」


「それはこっちの台詞です。どうしてあなた方はそうしぶといのですか。あまり乱暴な言葉は使いたくありませんが、とっとと死んでください」


「まったく、最近のお貴族は手厳しいねえ」


ナイフを投げ、その隙に肉薄してくる『道化』の左腕を縦に斬る。中指から外側がきれいな断面で斬れたが、それでもこちらに向けられた手刀の勢いは衰えない。体を左に捻って心臓を狙う手刀を避け、一歩後ろに下がって距離を取る。


「強いな」


「お世辞は結構です」


「いいや、本心からだよ」


投げナイフを使って応戦してくるようになった『道化』との戦いは継続しながら私は何故か彼と短い会話を交わしていた。攻撃の合間合間に挟まれる感嘆や褒め言葉。これがカリン少佐からの言葉だったらこれほどうれしいものはなかったであろうが、目の前にいる存在が清潔感と言う言葉の対義語のような存在なばっかりに嬉しいという感情は一切湧いてこない。


戦いは残念なことに拮抗状態が続いていた。戦況を見れば私が比較押していると言えるだろう。しかし、それだけだ。決定打が打てない。それにこの一応の優勢ですら『道化』がわざと手加減しているからに過ぎない場合もある。勿論こちらも魔力は有り余っているので一気に魔力を流して身体強化を行えば勝機はあるだろうが、体が負荷に耐えられなかった時のことを考えるとリスクが大きすぎる。戦場では贅沢なことかもしれないが、できることならば私は心身ともに五体満足帰りたいと思っている。こんなのでも、戦場に出て戦果を挙げたのだと、お茶会で他のご令嬢方にマウントを取れるぐらいには。


「さあて、こいつはどうかな?」


『道化』は手品のように何処からともなくナイフを三本取り出し、それを同時に私に投げる。速いが、身体強化によって強化された動体視力ならば捉えることができる。私はその隙をむしろ好機と捉え、空中でナイフを回避しながら距離を詰めようとした。


「爆ぜろっ!」


投げられたナイフがこちらに到達する寸前、『道化』は叫んだ。罠かもしれない。そう思いもしたが、すぐに顔を両腕で隠す。刹那、ナイフが爆ぜる。内部に火薬が仕込まれていたのか、それとも魔力を使ってなのかは分からない。だが、一つ確実なことがあるとすれば…


「もらったっ!!」


私は隙を晒してしまっている。煙によって視界が遮られている中、腹部に衝撃が走る。この世の終わりかと思うほどの脳を揺さぶる衝撃。そしてその後に続くのは異様な温かさ。


「…ぐっ、うおおっ!」


この痛みの正体を、私は知っている。だが、今はそれを認めてはいけない。気持ちで負けてしまっては本当に負けてしまう。痛みと、恐怖と、そして脳裏に浮かんだ死という単語を打ち消すために出来る限りの大声を出す。私はここでは貴族ではない。…だけど、一人の犠牲者として、統計に加えられるのも御免です!


「死ねっ!」


「は?がはっ、痛ってぇ…!」


貴族のお上品さを殴り捨て、腕に思いっきり力を入れて視界に入った『道化』の頭を殴り飛ばす。何か硬いものが砕ける感覚が拳を通して伝わってきた。『道化』は地面を豪快に転がると、死にかけの甲虫のように悶えている。私は腹部に突き刺さったナイフを引き抜き、出血していることを目で確認して左手で押さえる。大丈夫、ゆっくり魔力を流して、部位が修復していくイメージをするだけ…痛っ。


身体強化の応用で傷口を塞ぐ。筋肉が引き延ばされ、周囲の血が傷に無理矢理集められていく感覚に吐き気を覚えながらも、外見だけは元の白い肌に戻った。まだ痛むが、時期に痛みも鎮まるだろう。そこまで考えて、口から異様に湿度の高い息が零れた。空気が冷たい。体は戦闘をしていたせいで汗をかくほどに温まっていたというのに、いや、むしろそのせいでまるで熱を出した時のような寒気がする。


剣を引きずりながらみっともなく地面に伏せている『道化』のところまで歩みを進める。恐らく頭蓋を粉砕したはずなのに、いや、流石ネームドなだけはあると言っておこう。人間ならば即死したであろうに、こんな異様な風景にも違和感を覚えることがなくなってしまった己の感性に背筋が冷えるような思いがする。


「ちょ、ちょっと待った!降参、降参だ!」


爪が食い込み血が滲む左手でナイフを持ち、それを動脈に向かって投げようとしたその時、こちらに気がついた『道化』が真っ赤に染まる頭部を、哀れな姿で懇願してきた。さっきまでの余裕があった態度は何処へやら。今の彼はとってもやられ役が似合う小物になってしまった。


「降参?随分とおかしなことを言うのですね。こちらの調査によれば、避難に失敗した非戦闘員は救護兵から一般市民まで一人残らず浄化されているそうなのですけど。例え彼らがいかに誇り高き皇帝の臣民だったとしても、全員が最後の血の一滴になるまで抗戦したとは考えにくいと、そうは思いませんか?」


「お、おいおい。俺は、俺はそんな非人道的なことはしていねえよ!」


「人ではない癖に、よくそんなことが言えますね」


「ぐっ…」


『道化』の懇願を冷静に一蹴する。そもそも、今はこうしてみっともなく助命を懇願している『道化』だが、これでも彼はE3の一角なのだ。帝国に大きな損害をもたらした最悪といって差し支えないであろう存在の内の一人。私が慈悲深く手を差し伸べて助けてあげる必要もない。どの道彼は地獄なりそれに類する場所に送られることとなるのだ。それを認識しながら死ねるなんで、極悪人には贅沢過ぎる死に様だろう。そう思って剣を振り上げた時だった。


「そ、それじゃあ、俺と取引だ!」


『道化』はこちらに手を伸ばし口から血を吐きながら、またみっともなくそんなことを言ってきた。…取引など既に私との間では成り立たないとこぐらい、今の光景を少しでも客観的に見ることができたのならばすぐに理解することができたでしょうに。


「取り引きですか?しつこいですよ。こちらが何を欲していると思いますか?それはあなたの死、それだけです。分かったのなら素直死にを受け入れてください」


だから、私は心を鬼にしてその提案を一蹴する。そしてどうやっても納得することができないであろう提案をこちらから出し、有無を言わさず首を落とすと宣言する。


しかし、『道化』はどうにもまだこれからも生きれるつもりでいるようだった。彼は私の言葉を冷静に受け止めると、こちらの気持ちが少し落ち着いたのを見計らって言った。


「いいや、それともう一つ、欲しいというか、取り戻したいものがあるはずだ」


「…なんですか」


私は剣を下ろす。もし彼が何でも言うことを聞くなどとふざけたことを言っていたら、私はすぐさま正義の鉄槌を下していただろう。一方的な、勝者が行使することのできる特権的鉄槌を。けれど、今の彼には確信があるような気がしてならない。聞け、彼の話に耳を傾けろ。理性では無い何かが、私が抱いた疑問に根拠の無い自信を与え、そしてその選択をするように背中を押していた。


『道化』は私が剣を下ろしたのを確認すると頭部を押さえるては小刻みに震わせながらも、ニヤリと気色悪く笑って見せた。そして彼はこの言葉が聞きたかったのだろうとでも言いたげな表情で自信たっぷりに言い放つ。


「ペイルーを、裏切り者のペイルーを、取り戻したくはないか?」



今となっては廃墟群となったハーデル・ロンバルト市街地で両者は戦いを繰り広げていた。その身がすっぽりと隠してしまうほどの巨大な盾を持つペイルーと、冷たい鋼色の太刀をまるで体の一部かのように見事に操って戦うカリン。本来ならば帝国のために命を賭し、時に互いに背中を任せる運命にあったはずの彼女らは、生憎にも戦場にて再開していた。それも、考えうる限り最悪の形で。


「さっきの一撃は、なかなか堪えるものがあったな」


「…やっぱり、隊長は強い」


まだ、こんなことにはなってしまったが、素直に再会を喜ぼうとしたペイルーは、カリンの感嘆と殺意の混ざった呟きを聞き、会話を諦めて大楯を構えた。戦場では、ペイルーはかつての師からの教えを脳内で唱えながら独り寂しく感傷に浸る。あの頃の日々はもう帰ってこない。それがたとえ自分から出ていったとしても、一度手放してしまったものは緩やかな再生では取り戻すことができない。


「ねえ、隊長。あの子、アレクトって言うんだっけ?すごいね。あんな魔力量を持つ人間なんて見たことないよ。…また、死なせようというの?」


「黙れ」


ペイルーは紫電となったカリンを大楯で受け止め、むしろ体に魔力を目一杯流して力で押し潰そうとする。質量の暴力にカリンの太刀が軋む。軍靴が地面へとめり込み、煉瓦で舗装された道は圧力を加えられて砕け始める。


「隊長、どうして、そんなに醜くなってしまったの?あの時の隊長はもっと輝いていた。魔導兵として、英雄として生きていた隊長は清濁を併せ吞んで、そしてあんなにも強かったのに」


「私は、聖人君主でもないし、英雄となる器の人間でもない。ただ、時代の濁流に流されながら、藁を伝い伝い生きているだけの弱い人間だ」


その直後、カリンの体が押し潰される。地面と大楯の間からは紅い液体が広がり、骨が圧力によって潰れる感覚がペイルーの手には確かに伝わってきた。だが、これで終わりではない。ペイルーは直感で理解する。なぜなら、彼女の知る隊長はこの程度で終わるような人物では無いからだ。空気中にカリンの魔力が満ちている。ペイルーは体にまとわりつく耐えがたい不快感に、己が罠に嵌められたことを理解した。


「隊長…!」


「そうだ。本気でかかってこい。人ならざる存在に変貌しておいて、その程度だとは言わせないぞ?」


「あはっ、あはは!でも、隊長の方こそ油断は禁物だよ?」


ペイルーの背後からの飛ぶ斬撃が空間を切り裂き、彼女に襲い掛かる。しかし、ペイルーは器用にも体をのけぞらせて回避すると愉快そうに笑みを浮かべ、あろうことか右腕を肩から引き抜いた。肉が裂け、溢れ出す血の中に骨のような白色が見える。ペイルーは引き抜いた右手をごみを捨てるかのように地面に投げると、露出している骨を大楯に突き刺す。カリンは目の前の光景に絶句し、事が終わるのを呆然と眺めていることしかできないでいた。


「うぐっ、なかなか痛いね。だけど、こっちの方が断然扱いやすいや!」


傷口から皮膚が大楯を這うように広がり、ペイルーの腕と大楯は一体となった。何か血管のようなものが大楯の表面でどくどくと脈動し、見るからに不気味な気配を醸し出している。カリンはその光景を見て激しい嫌悪感を抱き、同時に胃から不快なものがこみ上げてくるのを感じた。


「へへっ、隊長、覚悟してねぇ!」


ペイルーの顎は魔力により強化され、あえなく歯をへし折った。そのせいで彼女の口からは血が滴る。そして、狂気に染まった瞳は決して逃すまいとカリンを捉えていた。ペイルーは勢い良く跳躍すると、カリンめがけて大楯を振りかざす。地面が割れ、衝撃波で建物が真っ二つに裂ける。


「…化け物め」


だが、ペイルーが醜く変貌していくその経過を冷静に観察していたカリンは眉ひとつ動かすことなく攻撃を最小限の動きで避けると、無防備となったペイルーの背中に向かって太刀を振るった。魔力によって強化されたその一撃はペイルーがいくらがむしゃらに肉体を強化したとはいえ、耐えられるものではなかった。カリンの魔力は空間を切り裂く。生身の人間では到底耐えられるものではない。


カリンは醜い姿に変貌していくペイルーを睥睨し、何とかそう一言口にした。当たれば即死であろう大楯を最小限の動きで躱し、無防備となったペイルーの背中に向かって太刀を振るう。極限まで研ぎ澄まされた一撃は、いくらペイルーが人ならざる存在へと変貌しているとしても、到底耐えられるようなものではなかった。太刀に込められた魔力が空気を裂いて進む。カリンの表情からは、既に容赦などという言葉は消え去っていた。


「…!」


「ゔゔっ!」


必殺の想いで放った一撃。だが、眼前に広がるのはカリンが思い描いていたような光景ではなかった。ペイルーが首を可動域を超えて後ろに回し、刃を口に銜えている。血が出ているのは刃によって口が斬れているのではなく、ペイルー自身が己の力の加減を間違えて歯茎を磨り潰したからだ。


「この、化け物がっ!」


カリンはナイフを咄嗟に取り出し、ペイルーの右目を突き刺す。血と血ではない体液が眼球から弾けるが、今はそんな細かいことを気にしている暇はない、カリンはもう片方の目も潰そうとしたが、ありえない角度に曲がったペイルーの右腕が自身の頭部を狙っているのを察知し、渋々距離を取った。


「隊長、痛いよう。容赦なく目を狙うなんて。だけど、懐かしいな。昔、私にも相手の目は狙えるなら狙えって教えてくれたよね。だけど、人間の常識はあの化け物たちには効果が薄かった」


ペイルーは潰れた眼球を右目から取り出し、潰れたそれを乱雑に投げ捨てる。そして体内に魔力を巡らせて欠損部位を再生させる。まもなく、彼女の右目はもとからそうだったかのように回復した。彼女の右目はしばらく自分勝手にキョロキョロと辺りを見渡すと、まるで自分の役目を思い出したかのように正面を向いた。


「だって、こんな風にすぐ回復されてしまうから」


「とことん、狂気に飲み込まれたものだな…」


大楯を振るった際の遠心力によって急速に接近してくるペイルーの体を切断しながら、カリンは不満をたれる。今の戦いは人間と戦っている気がしなくて堪らない。模擬戦闘と戦場での戦いは違うのだ。理性の働く人間と本能から襲いかかってくる化け物は違う。そして、今のペイルーは後者に当てはまる。残念なことに、今の彼女はカリンからすれば今のペイルーは言葉を話す怪物そのものだった。


「アレクトは無事だろうか…?」


そして、かつては師弟関係だったとはいえ、一度それを敵だと認識してしまうと不思議なことに彼女に対しての情は一切消え失せてしまっていた。贖罪をせぬままこのようなことになってしまったことに対する謝罪の気持ちはあるけれど、それ以上はない。むしろ、短い期間だっとはいえ、自分の下で訓練を受けたアレクトのことを今の彼女は心配する。


カリンはあの時大口を叩いたアレクトに感化されてつい送り出してしまったが、できることならば今すぐにでも援護に向かいたかった。自信たっぷりに任せてくださいといったアレクトには悪いが、確かに『道化』はE3の中ならもっとも簡単に倒せるだろう相手だとしても、やはり相手は新大陸でもっとも危険だと判断されたネームドの一柱。それに対してアレクトはまだ宝石の原石だ。やがてアレクトはカリンすらも霞んで見えてしまうほどの眩い輝きを放つだろうが、まだ磨ききれていない。『王子』と戦い生き残ったという実績はあるが、彼は気に入った人間に対し手加減をする傾向がある。アレクトが本気の彼と戦ったかと考えると…その可能性はあまり高くは無いだろうという結論に達する。


「くそっ、厄介な…!」


考えれば考えるほど、カリンには焦りと何に対してでもない怒りが溜まっていた。だが焦れば焦るほど自身の太刀も鈍っていく。最初はもっと急所を狙っていたはずの攻撃はいつの間にか乱雑になり、振り下ろした太刀はペイルーの右腕と一体化した太刀によって易々と受け止められてしまう。


「隊長…戦いはまだまだこれからだよ!」


そして、目の前に立ち塞がるかつての友は自分自身にそう易々と倒されてはくれないらしい。カリンは乱れた呼吸を深呼吸をして整え、終わりの見えない戦いに身を投じていく決意を固める。


「つくづく、恩を仇で返されたものだ」



気づけば、私は『道化』のことを許してしまっていた。私は罠にまんまと嵌ってしまっているのかも知れない。あの時『道化』に喋らせる隙を与えずに、首を切り落としてしまっていれば…


「…随分と大人しいですね。てっきり、もっとあれやこれら嘯いて私を騙そうとするのかとばかり思っていました」


『道化』はあぐらをかいて地面に座ってこちらを見上げている。さっきまであんなに無様に地面を転げていたとは思えないほど、今の彼は大人しくしていた。


「いや、俺もよ、もう少しこっちのことを疑って色々聞いてくるとばっかり思っていたんだ。それなのに、お前は…何に悩んでるんだ?」


フンと鼻を鳴らし、『道化』は私の言葉を待っている。純粋な疑問。そう言わんばかりの視線に当てられ、私は自然と口を動かす。


「一度、あなたによって無理矢理抱いた決意に綻びが生じてしまったから」


「何だそら」


「どうしてあんなにも、私の心を抉る言葉を選べるのですか?私は、あの時の私はできるだけ冷酷でいたつもりでいました。でも、あなたは本性を見抜いている。気持ち悪いほどに」


「あー、それは違うぜ。アレクト」


『道化』は額に手を乗せると、「仕方がない奴だ」と言わんばかりに肩をすくめた。


「言ってしまえばアレは偶然だ」


「はい?」


「確かに俺はペイルーを救えるかも知れない手立てはある。だけど、まさかお前もそう思っているとは思わなかったぜ。しかもそれがクリティカルだともな。へっ、どうやら俺は幸運らしい」


「つまり、私は適当な言葉に騙されたということですか?」


修復された傷が痛む。けれど、痛みは湧いてこない。自分は、己がこんなにも甘かったことに絶望しているのだ。私は貴族として生きてきた。聡明で、五大貴族の末席に連なるに相応しい存在だと表面上では謙遜しつつも確信していた。だけど、違う。今だからこそ言える。私はこんなにも弱い。もし私が弱くなかったのなら、あの時もこんなにも簡単に死ぬことはなかった。…こんなにも、弱くなって。結局、私は舞台から少しでも外れてしまえば何もすることはできない。


「おい、そう言うなよ。俺が言うのも何だが、お前は優しいじゃねえか。俺とは違ってな」


「代わりに、あなたには悪運がありますよね」


「…ああ、お前の言う通りさ」


『道化』は自嘲気味に笑うと、殴られた頭部を痛そうにさせながらよろよろと立ち上がった。そして大きく伸びをし、地面に突き刺さっていたナイフを抜く。


「…アイツは、騙されて…いや、操られているんだ」


「それは、ペイルーのことですか?」


「そうだ」


『道化』はナイフを丁寧にジャグリングしながら答える。


「…その様子だと信じちゃいねえな?だがよ、お前らはなんて言ってたっけか…魔法なんていう巫山戯たものが存在するんだぞ?あんなもがあると知っちゃあ、もう、何でもアリだ」


「そうだろう?」と聞かれ、私は首を縦に振った。…ここで意味もなく嘘をつく理由もありませんしね。


「さあ、そのためにもまずは作戦会議だ。」


「あなたが全てやってくれるのではないのですか?」


「お前にも負けた俺が、あの二人を相手に渡り合えると思うか?俺だけじゃあ何もできやしない。あっちを見てみろ。あの殺意の籠った魔力の応酬、俺だったら既に十回は死んでるな」


「どうしてそんなに自慢げなんですか」


「…」


戦闘によって激しく魔力が乱れている地点へ私と『道化』は周囲を警戒しながら進む。『道化』曰く、最初に攻撃を仕掛けた彼らはペイルーの手駒なのだそう。今は彼女が下がるように言ったので、こちらに動向を悟られないようにこそこそと動いているらしい。


「ペイルーはな、悪い魔女サンに思考を操られているんだ。彼女自身の自覚なしに奴の思い通りに動かす…分かりやすく言えば、洗脳とでも言えばいかな。ただし、それは一挙手一投足というわけじゃない。例えば、本来嫌いな食べ物を好きに思わせるような弱めな洗脳だ。今の所はな」


そんな彼らに聞こえないように、『道化』は正面を向きながらできる限り声を抑えながら言葉を溢す。


「で、その洗脳とやらはどうすれば解除することができるのですか?」


私も正面を向きながら独り言のように言うと、『道化』はわざとらしく人差し指を振り、自信たっぷりに言った。


「そんな面倒臭いもの、魔力で掻っ切ってしまえばいい。無論、お前らの雑な魔力の使い方じゃ無理だ。だから、そこで俺の出番って訳さ」


首をバッサリと切り落とすジェスチャーをする『道化』…曰く、『道化』はあんな見た目をしているが、かなりの長生きなのだそう。そして、彼は周りと比較すると力が弱かったため、その少ない魔力でどうにかやり繰りするために技術を磨いたのだそうだ。


「それなら、私もできるような気がしますが…」


と言われても、私だって魔力の扱いはそこそこできる自信がある。少佐ほど緻密ではないが、カリン少佐にも「なかなか見込みがある」と褒められたのでゆくゆくは…


「…おい、それじゃあ俺が生かされた意味がないじゃないかよ」


「あ、そういえばそうでしたね」


うっかりしていた。そもそもの話、私が体を張って前に出る謂れはない。『道化』が失敗したならば話は別だが、できることなら後方で、そして私が『道化』を説得してペイルーを救ったとなれば少佐も喜んでくれるだろう。


それからさらにもう少しだけ歩くと、地面に魔導力機が二つ落ちていた。勿論、少佐と私が放棄したものだ。私は二つとも拾い上げ、一つは『道化』に渡す。


「これは…どうやって使うんだ?」


「必要ありませんでしたら、返してください。そんなんでも、今の帝国は一日か二日は戦えるんですよ」


これだけのためにどれだけのリソースが割かれているかを考えれば、そこまで過大評価ではないだろう。理論が確立していない魔力に指向性を持たせて人間を飛ばすのだ。たったそれだけでも、頭のいい人たちが机の上でああでもないこうでもないと唸っていれば、いつしか名案が閃く。


「…いや、使えそうだ。折角だから貰っていくぜ」


きっと、彼はそんな深いことは考えていないのだろう。けれど、なぜか彼は真剣だった。『道化』は頭の傷が塞がったかを一度確認し、こちらに向き直る。


「いいか、俺は『善いもの』の味方だ。今まではお前らとは本来刃を交える仲でしかなかったが、俺もああなった人間を可哀想だと思うぐらいの感性は持っている。なに、心配すんな。こんなところでちんたらしているうちに、そっちの戦姫サマが死んでしまったら元も子もないからな」


何故か魔動力機を足の下に挟み、器用に空中に浮かんでみせる『道化』。


「それと、俺のことは『道化』じゃなくてアリバルボリって呼んでくれ。『道化』って呼ばれると、なんだかむず痒いんだよ」



カリン少佐とペイルーとの戦いはまさに死闘と呼ぶに相応しいものだった。少佐の太刀とペイルーの大楯がぶつかり合うと凄まじい衝撃波が生じるが、二人はそれをものともせず、涼しい顔をして互いの隙を探り合っている。


「わりぃ、やっぱ俺、ギブしていいか?」


『道化』…改めアリバルボリはその光景を至近距離で目の当たりにし怖気づきでもしたのか、今更ながら弱音を吐いた。


「何を言ってるんですか、殺しますよ?」


脅しでも何でもない。今はペイルーをどうにかしたいという共通目的を前にしているから矛を納めているが、本来は殺さなければならない相手だ。こちらは軍法裁判行きになるという一抹の不安を胸にしながらも、正義感を盾にしてここまで来たのだ、来てしまったのだ。


「じょ、冗談に決まってるだろ?そんな本気にするなって…」


魔動力機を両手で掴んで懸垂の時の形になったアリバルボリは冷や汗をかきながら言い訳と弁明の中間ぐらいなことを呟いた。


「アリバルボリ、私の合図で魔導力機を離してくださいね?うかうかしているとそれ、爆発しますから」


「え、マジなのか?」


「行きますよ、パージ!」


「ちょ、おまっ、早いっつうの!」


そして最小限の言葉を交わし、魔導力機を切り離す。突然空中に放り出された魔導力機は俄かに光ると、空中で爆ぜた。魔力が飽和したのだ。反応が遅れたアリバルボリは魔導力機に跨っていたせいで爆発に巻き込まれていたが、御愁傷様である。


「まだ死んでねえっつうの!俺のことはいいからアレクト、突撃しろ!」


「言われなくても…!」


身体強化を強め、二人の戦闘の間隙を縫って奇襲を仕掛ける。下手すれば二人の攻撃に巻き込まれて私の体はすり潰され、切り刻まれてしまうことだろう。少佐ならもしかしたら、とは思いつつも、油断は禁物だ。戦場には常にイレギュラーが蔓延っている。むしろ、セオリー通りに行く方が珍しい。少なくとも、戦争という行為が生死をかけた闘争である限り。


勢いよく抜剣し、大楯を振り回すペイルーに向かって剣を振るう。


「…!?」


「アレクトも戻ってきたんだねぇ!」


だが、奇襲に成功したしたかと思いかけたのも束の間、横っ腹をがら空きにしていたペイルーはノールックで盾をこちらに向けて私の攻撃を防いだ。そして獣ような目つきでこちらを一瞥し、獣のように舌なめずりをする。


「下がれ」


隙を見せた私をいい鴨と思ったのだろう。ペイルーはこちらに向かって大楯を振るう。凶悪な質量兵器だ。アレが当たれば私は骨が砕ける音を聞きながら死ぬのだろう。だが、そんな最悪の結末は少佐によって阻まれた。私を無造作に跳ね飛ばすと、一閃。次の瞬間には紫電が視界を覆った。


「戦いが終わったわけではなさそうだな。…何故、『道化』と共にいる?」


「私たちに協力してくれるからです」


訝しげな表情でこちらを眺める少佐のことは無視して、私は前を向いた。なんだか気まずくなってしまったのと、ペイルーがこちらを向いているからだ。


殺気、というか、好奇心じみた瞳でこちらを眺めるペイルー。ちゃっかり、アリバルボリはペイルーに胸倉を掴まれ、壁に打ち付けられていた。カリン少佐はその光景を眉をひそめながら眺め私の言葉に偽りがなかったこを確認すると、未だ脳内は混乱しているようだったが、一応は納得してくれたようだ。


「ひとまず、彼女の相手は私がする。その様子だと何か策があるのだろう?」


「いいのですか?」


「構わん。どうせ、私のやることは変わらないのだからな」


太刀にべっとりと付着した血糊を振り落とし、少佐は一歩前へ出る。まるで私を庇うかのように、そしてその気配は殺意に満ちている。


「…だが、お前の要求にすべて応えられるわけではないぞ?」


「構いません。私だって、魔導兵ですからね」


少佐は紫色の軌跡を放つと、次の瞬間もう一度衝撃波が発生した。私はひとまず、衝撃波によってみっともなく吹き飛ばされたアリバルボリの方へと向かう。そうするとアリバルボリは壁にめり込んだま気絶していたので頬を思いっきりグーで殴って起こす。


「っておい、痛えよ!」


私が殴ると、白目を向いて気絶していたアリバルボリは目を覚ました。元々ボロボロだった衣服は土埃にまみれたことにより、その姿はさらにみすぼらしくなっている。


「『王子』なら、あの戦闘にも堂々と混ざれたと思うんですけどね。人間からすれば『王子』もあなたも同格として扱われているんです。もう少し頑張ってください」


「なんだ、嫌味か?まあ、俺が弱いのは自分が一番わかってるけどよ…」


まさか、同じE3に分類されておいて、ここまでの実力差があるとは少し予想外だった。最初は私が強くなったのかとも思ったが、よく見れば戦い方に色々と脇が甘い所がある。てっきり、アリバルボリは『王子』と戦って一歩届かず負ける程度の実力だと思っていた。つまり、さっきの戦いの結果は偶然ではなかったのだ。自分の成長を素直に喜べばいいのか、はたまた味方が思いの外弱いことを悲しめばいいのか。


まさか、いや、確かにカリン少佐から少し訓練を受けるだけで勝てるようになる程甘い世界ではないことは理解していたつもりでいたけれど、ここまで実力差があるとは思いもしなかった。かたや戦闘狂、かたや破壊工作や諜報活動の何でも屋。確かに、明確に戦闘力に違いはあるのかも知れないけど…


「…お前、今何を考えているか当ててやろうか」


「まあまあ、いいじゃないですか。だって、私に手も足も出せずに無様に拘束されたのは事実でしょう?」


私は手をひらひらと振ってそんなことより、と話題を変える。


「奇襲は失敗しましたけど、どうしますか?これ以上介入する機会を作るのは難しいですよ?」


正直言って私が無理をしないように最善を尽くしても用意することができたのは魔動力機の提供と、ペイルーの興味を引くことだけだった。それなのに、よく見てはいなかったがアリバルボリはいともたやすくペイルーによって捕らえられた。少佐には殺さないでおいてくれとは伝えたので余裕のあるうちは私のお願いを尊重してはくれるだろうが、少佐が魔力に余裕がなくなったり、はたまたペイルーが死に物狂いで攻撃を仕掛けてくるようになれば少佐は私に対して申し訳ないという気持ちを抱きつつも勝負を決めにかかるはずだ。少佐は公私混同など絶対に行わない人だ。たとえ心残りはあれど、その時は容赦なく切り伏せるだろう。


「…俺がどうにかしてペイルーの体に接触できればいいんだがな。できれば、体を貫いておきたい」


「これ以上考えても良い案が浮かぶとは思えません。誠に遺憾ではありますが、私がどうにかして大楯を手放させるように立ち回ってみましょうか」


「あ、それは無理だと思うぜ」


ポンと手を叩き立ち上がろうとしたその時、アリバルボリはそんなことを言った。無理でも、たとえ不可能だとしても、やるしかない。いつまで弱気でいるのか、私は彼の顔を訝し気に眺めたが、どうやらそういうわけではないらしい。


「あのな?俺の感覚が間違ってなかったらの話なんだが…」


「とっとと話してください。時間がないことはさっき言いましたよね?」


「そんなに焦んなって。ペイルーの右腕なんだが、たぶんアレ、右手が無くなってるぜ。そして、右腕と大楯が一体化してる。ほんと、化け物だぜ…」


懐から取り出した短刀を口に銜え、リボルバーの弾丸を一発一発装填していくアリバルボリ。案外、この中だと一番人間らしい感性を持っているのは彼な気がしてきた。途方もない時を生きてきた人間ではない彼が一番人間らしいとは、いったいどんな皮肉だろうか。


「だが、言ったらからには実践してもらうぜ。あの大楯さえどうにかなれば、背後から一撃グサッとやれば解決するだろう」


アリバルボリはようやく準備ができたらしく、不敵な笑みを張り付けながらリボルバーを指で回していた。この後実際に体を張るのはこちらなのにもかかわらずだ。本当に、私は変な仲間を得てしまった。…本当にペイルーを救えるのかな。

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