8話
大永元年 1521年 9月 初旬 遠江国 高天神城
福島家主導による甲斐国への出兵は成功した。
武田家当主、武田信虎を打ち取り、甲斐国の大半を攻め取った。今回の出兵により武田信虎、今井信元、大井信達、諸角虎定、勝沼信友、板垣信方、室住玄蕃充、萩原昌勝 、小瀬道甲、栗原兵庫、油川信守、桜井信定等を打ち取った。重川での戦いでの此方の犠牲は1200程、武田軍の犠牲は1500程だ。武田信虎討死後武器を捨てた兵が多く出たが、それ以外にも狂乱した武田兵が多く出た。正面から本軍が、さらに美濃守と備中守の軍に左右から挟まれ、背後に俺が回り込み四方を完全に取り囲み退路を絶ったからだろうか?
狂った兵士が多く出た。
狂気が感染し武器を捨てた兵の中にも再び武器を取った兵も多くいた。この時、武田信虎の首をと功を焦っていたのか、俺と共に背後に回っていた朝比奈泰熙が突出していて、討死した。見張りとして来ていたくせに勝手に自分が連れて来た500の兵と共に突っ込んで散々に打ちのめされた。狂乱して死兵と化した兵に突撃するなど正気の沙汰じゃ無い。結局残った兵は100もいなく、軍を指揮できる侍大将クラスの者も手柄目当てで前に出ていたためこぞって討死し、朝比奈軍には軍勢を纏められる者がいなくなった。その為仕方なく俺の軍に編入している。
朝比奈泰熙討死について、今川が言ってくるだろうな。此方としては、邪魔な奴が死んでくれて助かるが。面倒だな。勝手な行動をした朝比奈氏が悪いのであって当家に責任は一切ない。逆に勝手な行動を取るような朝比奈氏を出兵に連れて行くように、命じた今川家の責任問題だ。そう言ってやれば良いんだ。
又、重川での戦い後、死体の処理や休息、兵の治療に数日時間を取り要害山城を目指した。
のだが、面倒ごとはその時に起きた。甲斐東部を収める小山田信有が武田氏に対して蜂起したのだ。勝沼信友の領地を奪い、現在は要害山城を攻撃していたのだ。重川での戦の時には勝沼氏の館等を抑えていたのは、乱波からの報告で聞いていたが、まさか、ここまでくるとはな。出兵前の調略で旗幟を鮮明にせず、言葉を濁していたくせに、勝敗が明白になると急に動き出す。こういった輩は本当に嫌いだ。結果、小山田信有の軍勢は本人含めて、殲滅した。味方だと思っていたのか、小山田軍は簡単に瓦解し、殲滅するのに1時間とかからなかった。
気を取り直して城攻めだが、
要害山城には兵は、500もいない。重川での戦いでは使えないであろうと残された老人兵やばかりである。なのでまず城を包囲し降伏勧告をだした。武田信虎の正妻の大井夫人と長男の竹松の2人の助命を約し、出家する事が条件だった。その他の者には何の条件も課さない緩い物だったが大井夫人は降伏を拒否し、要害山城に立てこもった。城中の兵も老い先短い老人ばかりとあって死を恐れていなかった。降伏勧告を拒否したとあって城攻めが行われた。
城攻めが、始まると武田勢は頑強に抵抗した。要害山城は名前の通り丸山城に築かれた山城だ。城攻め開始3日程は堅固な城とあって攻め手に欠けていた。しかし、この3日は、兵をいくつかに分け昼夜を徹して休まず城攻めを行なっていた。
その為、勢いを緩めずに攻勢を続けていた結果4日目には、疲労と一日中全く緩む事なく続く戦による、極度のストレスと、睡眠不足によって、武田兵はどんどんと撃たれていき、本丸を残し、要害山城は落とされた。又、要害山城攻めでは、それと並行して躑躅ヶ崎館や他の詰城を落とし、菩提寺である、大泉寺も焼いた。その際、住職である吸江英心等も殺害している。本丸内にいるのは大井夫人と武田竹松、それと大井夫人や武田竹松等の身の回りの世話をする女中たちで、武田兵は既に全滅していた。
ここでもう一度、前回と同じ条件で降伏勧告を出したのだが、向こうは拒否。仕方ない為、本丸を制圧した。その際、大井夫人や武田竹松を含め全ての者を殲滅した。女子供しかいなかった為、少し心苦しかったが、今は戦国の世だ。こちらは一度降伏勧告を出し、助命を約していた。それを蹴ったのは向こうだ。此方が非難されることはないだろう。
それに大井夫人は武家という物を理解していない。武家にとって大事なのは血筋を絶やさないことだ。これは公家も同じだな。ましてや武田は平安時代から続く500年以上の歴史を誇る名門中の名門だ。それの直系を絶やす事がどれだけの事か理解していなかったらしい。己れの意地などで絶やす何て、もってのほかだ。
大永元年 1521年 9月 中旬 高天神城
主家である、今川家への報告も終わり論功行賞が開かれた。
論功行賞では、報酬は大多数の者が銭による物だった。
遠江国の者にとって甲斐は飛び地になる。その為、領地ではなく、銭による報酬を殆どの者が望んだ。が、庵原郡の関口氏等、一部の者で甲斐への領地替えを望む者もいた。その為甲斐への領地替えをした者もいる。その結果、庵原郡の関口氏の領地は庵原氏が納め、庵原氏が庵原郡を統一した。
遠江の者でも一部、甲斐への領地替えを望んだ者がいた為、甲斐への領地替えを行なった。遠江の空いた領地は当家が納め、遠江国内での力を強めた。
又、出兵中に独断専行する、軍規違反をし自滅した、遠江朝比奈氏の朝比奈泰熙の領地は、当家の領地になった。此れは、かなり揉めたようだ。今川氏親や朝比奈泰熙の嫡男朝比奈泰能、駿河朝比奈氏の朝比奈俊永が、反対したからだ。しかし、軍規違反を犯し、出兵した我々に多大な迷惑を掛けた者の領地を其の儘、遠江朝比奈氏に相続させるのかと、父が言うと、皆が黙ったと言う。ならば今川家の、領地とすると、今川氏親が提案すると、朝比奈泰熙の出兵参加は今川氏親の命令で、今川家の名代であった。つまり今川家の失態でもあると言うと顔を真っ赤にして怒っていたそうだが何も言い返さなかったらしい。
結果、迷惑を掛けた遠江朝比奈氏は改易、領地は当家預かりとなった。その為元々の領地と朝比奈氏の領地、甲斐への領地替えを行なった者の領地と遠江の大半は当家の領地となっている。
又、もう一つ問題がある。此れは現在進行形の、問題だが、それは、今回の出兵のせいで手に入らなかった資金の2割を今川家が、保証すると言う件である。今は9月で本来なら田んぼの稲に花が咲き終わったくらいの時期だ。しかし、今回の出兵は今年始まって直ぐに始まった。そのせいで、田おこしから田植えまで、全て、女子供がやった。当家では、兵農分離が行われてる為一切の問題はなかったが、今回出兵に参加している者たちの領地は今年の収穫でまともな量の米が手に入らない。
遠江1国の石高は25万5千石。駿河1国は15万石程だ。今年の収穫が例年の半分以下という事が予測されている為遠江では、当家の領地以外では、悲惨な状態だろう。駿河でも出兵していた者達の収穫は酷く、実入りは少ないだろう。合計すると25万石近い米が収穫できない見込みだ。このうち2割の5万石を今川家に負担して貰うのだが、これが問題だった。
まず、今川家は出兵でかかる費用の2割の負担という認識であったことだ。出兵の所為で手に入らない費用という言い回しに気づかなかったらしい。
まぁ、これは此方が意図して出兵の所為で手に入らなかった費用の2割負担という分かりにくい言い回しをしたためだが、誓文にしっかりと書かれている為、今川家の言い分は通らない。しっかりと負担して貰った。
こうなると、問題となったのは、今川家に5万石を払う余裕などがない事だ。今川家には梅ヶ島金山という、金鉱があるのだが、戦国時代での金は現在とくらべるという価値がとても低い。後に出て来る、甲州金のように精錬されているならともかく、精錬方法等が、まだ南蛮から渡来していなく混ざり物が多いからだ。その為、大した足しにはならなかった。さらに今川家の直轄地は駿河の駿府、つまり安倍郡を中心に周辺で石高は10万石弱くらいだ。今川家の年貢の、割合は6公4民で、今川家の実入りは6万石いかない程度でしかない。しかも今は9月で未だ刈り入れ前だ。そんな大金払う余裕なんて一切ない。
前までは駿河湾での貿易で莫大な利益を揚げていたんだが、当家の伸長に伴い内政の一つとして当家による遠州灘の整備があった。その為御前崎や横須賀などの遠江の港が発展し駿河湾への西からの流通量が圧倒的に減った。椎茸や石鹸等、当家には特産品が多い。その為西からくる商人は態々駿河湾まで、行かなくなったのだ。又、東からの商船もあまり来ず、駿河湾を素通りするようになった。寄るだけでも関所で徴税されるからな。同盟相手の北条の御用商人くらいしか、大手の商人は行かないようだ。その為税収が減った為か、短絡的に船道前(港湾使用料)を上げた。
その為、余計に駿河湾を使う商人が減った。
その為当時は、清水港を納める庵原氏とも、一時的に不仲になったが、甲斐への出兵を匂わせ甲斐を手に入れれば富士川の水運での収入が莫大に増える。それを匂わせれば黙ってくれていた。
そのようなこともあり結果的に、今川家は徳政令を出した。徳政令とは、納屋や土倉などの債権者・金融業者に対して、債権放棄(債務免除)を命じた法令である。
今回の徳政令では、今川家の抱えた債務を帳消しとするための徳政令だ。
今川家は、5万石を用立てる事が出来ずに御用商人の友野氏や松木氏、北条家の御用商人小野屋等の商人を呼び、5万石を用立てさせた。その銭を我々に支払った後、徳政令を発令した。この徳政令によって、今川家は自分が抱えてしまった借金を全て帳消しにするという、超強権的行為に出た。この時代の借金というのは、現在と比べると利息が馬鹿みたいに高い。年利5割が普通にありふれている。この件に関わった者の中には破産する者も出た。御用商人の部下の部下とか、だ。又、破産はしなくとも大損失を出した者は多く、彼らの恨みは今川家に向かった。
本来大名家への金貸しはかなり有効な商売だ。普通これが、無効になるのは、その大名家が潰れた時くらいだからだ。今川家が返済までの数年で潰れる等そう簡単には考えられない。
御用商人の中には、今回のことで今川家の御用商人から、当家の御用商人になりたいという者もいた。
元々当家の開発には今川家側に一切口を挟ませなかった。開発で使う資材など全て当家の御用商人に任せ、駿府商人や今川家の御用商人は締め出した。それもあって今川家は妨害こそしていないが、一切の援助はして来なかった。当家は此れから甲斐国内の内政にも励む。川の治水や、鉱山開発など商人が活躍する機会も多い。この利権に少しでも食い込んできたいのだろう。金の切れ目が縁の切れ目。武家と違って商人には忠誠心何ていうものは欠けらも無い。今までは、今川家のせいで当家の商業に食い込む、事はできなかったが、今回のことで今川家から離れ当家側に付ける。今川家からの何の文句を言われない形で鞍替えが出来る。当家に御用商人になる事が出来た時の今後の利益を考えると、今回の不利益等気にしない位の莫大な儲けもでる。
当家としても、御用商人として、雇う事には前向きだ。当家の御用商人と違って今川家の御用商人には堺でのツテや公家へのツテもある。当家の御用商人は座の影響力を下げる為、既に力のある商人ではなく、新進気鋭の若手の商人を使っている。その為他所の所とのツテというものが少ない。今回今川家の御用商人を雇えば、それが解消される。
今川氏は足利宗家の継承権を有しており、他の足利一門諸家とは別格の地位がある名門家である。そういうこともあって、今川家の元御用商人ってのはかなり便利な駒ってわけだ。
まぁどの道今後、任官等、公家や幕府に対するツテは必要になる。向こうもそれが分かっているからこそ、当家の御用商人になりたいと言ってきているのだろう。
しかし、今川家内の商人だけなら兎も角、他所の商人にもこんなことやるなんて、今後今川家はどうなっちゃうのかねぇw。
朝比奈泰熙の参加は今川家からの命令という事に変更しました。




