第30章
花々に囲まれた東屋で、王子とアリアは、じっと肩を寄せ合っていた。美しく、互いを慈しむような彼らの姿は、さながら誤って地上に落ちた、二人の天使のようであった。幾重もの花々に囲まれた東屋が、彼等を母胎のように守り、不安げに瞬く星もまた、彼等をじっと見守っていた。
「王子様」
アリアの愛らしい唇が動いた。彼女は、碧玉のようなその瞳で、王子をじっと見上げた。
「私が王子様に、お名前を差し上げますわ。『私の愛しい人』というのは、どうかしら?」
そう言うと、アリアの頬は、皿に注がれた白い乳に紅い血が広がるように紅潮した。王子はじっと、アリアを見つめた。彼の青い切れ長の瞳は、限りない安堵と慈しみを映し、まるで穏やかな空のようであった。
「とても素敵だ。ありがとう」
王子は優しく答え、アリアの円く愛らしい、白い額にそっと口付けした。彼女は滑らかな腕を広げて王子をかき抱き、その広い胸に再び顔を埋めた。彼女の艶やかな栗色の髪と背を、満月のように微笑む王子が、静かに撫でていた。
美しい王子とアリアは、幸福だった。彼らはこの狭い宮殿以外の世界を知らず、彼らの安息の地は、この東屋以外になかったが、それでも彼らは幸福であった。彼らは、自分の名前すら持たない王子の心に潜む、孤独と悲しみを分かち合う唯一の仲間同士であり、秘密を共有しあう者同士であった。彼らには、この世の中で意味があるのは、自分たちだけであるように思えた。二人は甘美な孤独と感傷に浸り、それに陶酔しきっていた。
この日以来王子とアリアは、その絆を一層強めることとなった。彼らは毎日、夕暮れの東屋で共に過ごした。二人は花を愛で、群れ飛ぶ鳥を見上げ、決して見ることも、足を踏み入れることもない異郷の地に思いを馳せ、他愛ない空想に耽った。
空想の中の彼らは自由で、力に溢れていた。王子は名ばかりの王子ではなく、アリアの「愛しい人」であり、空想の中の彼女を囚われの身から救う勇者であった。また、アリアは宮殿の使用人の娘ではなく、異国の美しい衣装に身を包んだ国王の娘であった。二人の空想は幼く、他愛がなかったが、彼らにとっての現実は、最早その空想の世界だといってよかった。東屋は最早彼らだけの小さな世界であり、彼らにとって、外の現実など何の価値もなかった。花々に囲まれ、外界から彼らを優しく覆い隠す東屋は、二人にとって世界の全てであったのだ。彼らにとっての日常は、空想のなかの勇者としての日常であり、異国の姫君としての日常にほかならなかった。
王子の十六歳の誕生日が近い、ある夜のことであった。毎晩花園に出かけ、夜が更けてから帰ってくる娘アリアを、母ノンナは遂に問い質した。
「アリア、おまえは一体、毎晩どこへ行っているのだね?若い娘が夜な夜な出歩くなど、尋常なことではない。アリア、一体おまえは、何を考えているのだね?もうおまえも十三になる、そのくらいの分別は、十分ついてもよい頃だろうよ。さあ、一体誰と、どこで何をしているのか、私にお話し」
ノンナのやや皺のある、いつもは優しい目は、険しく吊り上っていた。アリアは、いつになく厳しく、咎めるような母の様子に困惑したものの、一方では彼女自身、心のどこかでこの時が来るのを予感してもいた。彼女は従順な娘であったが、今回ばかりは愛らしい口元をぎゅっと結んだまま、何も言おうとはしなかった。自分と王子のことは、彼らだけの秘密であり、それを共有することが、自分たちの拙く、幼い愛にとって重要なのだということを、彼女は知っていた。アリアは覚えず、反抗するような眼差しを母親に向けた。
ノンナは、自分の娘の碧玉のような瞳が、これまで見たことのない色を帯びるのを目の当たりにし、異様な胸騒ぎを覚えた。彼女は声を震わせ、娘に尋ねた。
「おまえ、まさか・・・・・・、今までずっと、王子様と一緒にいたのではないだろうね?」




