第23章
「国王様!国王様!」
突如響いた衛兵の声が、宮殿の奥の一室で、独り苦悩に沈んでいたアーロンの物思いを妨げた。声の主は、荒々しく何度も扉を叩いた。
「陛下!お急ぎください!早く!」
アーロンは扉を開けたものの、ただならぬ胸騒ぎを覚え、思わず立ち竦んだ。彼の様子を見た衛兵は、一瞬躊躇したが、すぐに強引にアーロンの手を引っ掴み、王妃ヨアンナの部屋へと連れて行った。
部屋までの道のりは、アーロンにはとても長く感じられた。彼は今まで、子供が生まれることを強く実感したことも、ヨアンナを気遣ったこともなかった。そして何より、彼はヨアンナを愛してすらいなかったのだ。それなのに何故か心臓はが早鐘を打ち、彼は泣き叫びたいような気持ちであった。
アーロンは衛兵を押し退け、荒々しくヨアンナの部屋の扉を押し開けた。赤ん坊の元気な産声が、彼の耳に飛び込んできた。しかし、宮廷医師や宮女たちは、なぜか押し黙ったままであった。その様子から、アーロンは全てを悟った。彼はよろめきつつ、寝台に近づいた。そこにはヨアンナが、目を開けたまま息絶えていた。
「ヨアンナ・・・・・・」
アーロンは目を見開き、呟くように妻に呼びかけた。だが彼は、すぐに目を逸らした。彼がジーナのために血の復讐を行ったあの日の宮殿さながらに、ヨアンナと彼女の横たわる寝台は、紅い血にまみれていた。けれども、開かれた彼女の双眸は、まるで空のように青かった。そしてアーロンにとって、ヨアンナが息絶えて尚その澄んだ目で自分を見ることは、耐え難い苦痛であった。彼は、既に熱を失いつつあるヨアンナの瞼をそっと優しく撫で、その目を閉じてやった。
「陛下、王子様がお生まれになられました」
沈痛な面持ちのままの宮廷医師が、アーロンの腕に赤子を抱かせた。その子はただ、無心に泣き叫んでいた。まるで自分が生きていることを、父に対して主張するかのように。アーロンは眉間に皺を寄せ、その子をじっと見つめた。幾度彼は、この子が生まれなければよいのにと願ったことだろう。彼は途方にくれ、おそるおそる死んだヨアンナに再び目を遣った。
―この女は、自分を愛してもいない男の子を産み、そして死んだのだ。そして私は永遠に、この子供の父として、この宮殿に縛り付けられる・・・・・・。
アーロンは子供の顔を見た。子供の目は母親に似て青く、肌はアラバスタのように白かった。そして、その小さな頭にうっすらと生えた産毛も、母親と同じ金色をしていた。だが、子供の面立ちは、驚くほど父親であるアーロンに似ていた。そのことが、アーロンを酷く戸惑わせた。
―この子は私の子なのであろう。だが、ジーナの子ではない。これは誤謬の産物だ!
愛着とも嫌悪ともつかない複雑な感情が、アーロンの心に渦巻いた。彼が赤子を抱いたままずっと立ち竦んでいると、赤子は閉じていた目をうっすらと開け、彼のほうへ顔を向けた。彼は酷く動揺し、赤子から目を逸らした。そして、医師の腕に子供を押し付けると、ふらふらと部屋を出て行こうとした。
「陛下!」立ち会った神官が、アーロンを呼び止めた、「お世継ぎにお名前を!」
アーロンは振り返った。その目は、ぞっとするほど虚ろであった。
「何なりと・・・・・・、勝手につけるがよい」
彼はそう言うと、再びよろめくように歩き出し、奥の部屋へと引き篭もった。
廷臣たちは、アーロンの様子にすっかり戸惑っていた。ヨアンナ亡きあと、彼等はこの新しい国王にどう接したらよいものか、皆目見等がつかなかった。誰もがアーロンを恐れ、その部屋に近づくものはなかった。
やがて王であり、夫であるアーロンのいないまま、王妃ヨアンナの葬儀が執り行われた。香が焚かれ、人々は祈りの言葉を唱えた。神官が王妃ヨアンナの亡骸を白衣で包み終えたその時であった。リュートを抱え、白い装束を纏ったアーロンが現われた。
突然の国王の到来に、人々は驚き、ざわめき、また恐れ慄いた。だが、アーロンは彼等の様子には一向に構わなかった。彼は黙って目を伏せ、リュートを奏で始めた。




