第22章
アーロンはヨアンナを残し、独り宮殿の中へと戻った。宮殿の床という床には血がこびりつき、千切れた人間の手足や頭、胴体が散乱していた。血の臭いが彼の鼻を突いたが、もうそれは、彼を復讐の怒りと興奮に燃え上がらせることも、残虐な快感へと導くこともなかった。散乱する死体は、既に完全な物体と化し、それがつい先ほどまで生きた人間だったのだとは、信じられないほどだった。それらは、全てがもう終わったことを物語っていた。祭りのあとのような虚しさをひしひしと感じ、眩暈に襲われたアーロンは、思わず目を閉じてリュートを抱きしめた。
「アーロン」
ヨアンナが彼を追って、宮殿の中へ入ってきた。彼は振り返り、微かな笑みを浮かべた。そしてそのまま、彼は宮殿の奥の一室に入り、重い扉を閉ざしてしまった。
ヨアンナはその扉に駆け寄り、思わずそれを叩こうと拳を挙げた。だが、その拳は扉を叩くことなく、ゆっくりとおろされた。彼女は暫し俯き、再び顔を上げて、扉のほうをじっと見た。そして、深い悲しみとともに、そっとそこを離れた。
ヨアンナはそれから子供が生まれるまでの半年以上もの間、独りで城の中を取り仕切った。人を雇い、城内を清めさせ、神官に葬儀を執り行わせた。もといた廷臣や宮女の縁続きの者を呼び寄せ、彼等を廷臣として登用した。宮殿で起こった出来事が噂となって広まっていたため、アーロンを恐れて出仕を拒むものも大勢いたが、ヨアンナが彼等をうまく説得して重用したため、宮殿は何とか以前の活気を取り戻した。
だが、ヨアンナが城内を忙しく取り仕切る一方で、アーロンは殆どあの部屋に閉じ篭ったきりであった。ヨアンナは、時折部屋から出てくる彼と顔を合わせることもあったが、彼はぎこちない微笑みを見せるだけで、彼女と目を合わせようともしなかった。
アーロンは明らかに、ヨアンナを避けていた。彼は確かに彼女のそばにいるには違いなかったが、彼女には、彼がもう自分の手の届かない、どこか遠くへ行ってしまったような気がしていた。自分には愛する者の悲しみを癒してやることすらできないのだということが、彼女をひどく悲しませた。だが、彼女は最早絶望してはいなかったし、孤独でもなかった。自分のなかには新しい命が芽吹いていて、しかもしれが他でもない、愛するアーロンの子であるという事実が、彼女に活力を与えていた。子供が生まれてくるまでに、何もかもきちんとしておかなければならないと考え、城の中のあれこれを取り仕切ることで、彼女はアーロンの不在という、心の中にぽっかりと開いた穴を何とか繕っていた。
ヨアンナはそうして、子供が生まれるまでの半年余りを、忙しく過ごしていたが、やがて月が満ち、彼女が子を産むときが巡ってきた。扉の外で忙しく立ち働く宮女や宮廷医師らの落ち着きの無い様子から、部屋に閉じ篭ったままのアーロンにも、難産なのであろうことがわかった。しかしそれでも、子供の父親であり、この国の王でもあるはずの彼は、部屋から出ようとはしなかった。彼は独り、頭を抱えていた。これから生まれてくる子が自分の子供だなどと、彼は今でも信じられないような気がしていた。しかもそれが、あれほど愛したジーナとの子ではなく、愛してもいない女との間に出来た子であるなどとは、とても考えられないことのように思えた。この半年余りというもの、アーロンはジーナを失ってから彼女の復讐を遂げるまでのことを、幾度も思い返してきた。あれから幾らも経たないのに、ジーナを失ったことも、自分が残虐な復讐を遂げたことも、これから自分の子が生まれるのだということも、自分は今やこの国の王であるということも、そして何より、ジーナという娘が存在していたことさえも、全て夢のように思われた。




