第19章
「ジーナ・・・・・・」
アーロンは青く澄んだ空に向かって、祈るように語り続けた。雲ひとつない空は穏やかで、アーロンの激情も宮殿での残虐な殺戮も、何もかもなかったかのように悠々としていた。アーロンは、溢れる涙を拭うこともなく、空に向かって語り続けた。
「ジーナ・・・・・・、私を・・・・・・・、祝福してくれ・・・・・・。これは、私とおまえの儀式。私はおまえの仇を討った。おまえを苦しめた国王を、最も相応しい方法で死に至らしめ、その愛するものたちをも私は手にかけた。ジーナ、私は・・・・・・・」
彼は一瞬俯いたが、再び天を仰いで叫んだ。
「ジーナ!復讐の儀式は成功した!仇は死に、私は永遠におまえのものだ。私を祝福してくれ、ジーナ!」
彼は天に向かって叫んだ。だが、どこまでも青い空に、彼の声は虚しく吸い込まれるのみであった。
殺戮の儀式は、その祭司がいないままに、いつの間にかその幕を閉じていた。先ほどまでの騒乱が嘘のように、耳鳴りがするほどの静けさが、宮殿とアーロンを包んでいた。
静寂のなか、アーロンは独り天を仰いでいた。だが、彼が幾度も思い描いたように、ジーナが彼を祝福し、美しい姿で彼の元に舞い降りることは決してなかった。
「ジーナ・・・・・・」
アーロンは地に倒れ付し、幼子のように声を上げて泣いた。彼はジーナの復讐を誓い、長く厳しい魔術の修行にも耐えた。彼はその美しさで女たちを誘惑し、国王に毒を盛らせることにすら成功した。そして遂に今日、長い苦役のような年月の果てに彼は国王を殺し、その宮殿を地獄の底へ突き落とした。彼は完全に、復讐に成功したのだ。そこには、ひとかけらの手落ちすらなかった。だが、復讐が終わった今、彼に残されたものといえば、光り輝く衣に身を包んだジーナではなく、深い孤独の闇だけであった。ジーナは、もういない。アーロンがこの血の儀式を通して得たものは、ジーナの不在という、変更の余地すらない非情な事実に対する、実感と認識のみであった。
深い絶望の淵で嘆き悲しむアーロンに、そっと人影が忍び寄った。彼はその気配に気付き、力なく振り返った。それは、王女ヨアンナであった。空を映すように青く澄んだ目をして、ヨアンナはアーロンを見つめた。彼女は一歩一歩、ゆっくりと彼に近づいてきた。
この娘は、私を殺すだろうか?アーロンは咄嗟に思った。だがもう何もかも、自分の生死すらも、彼にはどうでもよいことだった。彼は蹲ったまま、ヨアンナに視線を向けた。
「殺せ」
彼は泣き腫らした目で、半ば懇願するようにヨアンナに言った。
「おまえは、私を殺しに来たのであろう。おまえの貞操を奪い、父も母も奪った私が憎いだろう。さあ、殺すがよい。殺してくれ・・・・・・」
アーロンは血に染まり、黒くなった真紅の衣の胸を肌蹴た。そして、今まで腰に帯びていた、王女から奪った宝剣を地面に置いた。
「さあ・・・・・・」
アーロンは、瞼を閉じた。王女ヨアンナは悲しげに、愛するものの姿をじっと見つめた。そして、ゆっくりと目を閉じた。アーロンの姿を初めて見たとき、彼に初めて抱かれたとき。そして、彼が自分を訪ねて来ず、独りで寝た夜・・・・・・。彼女は目を閉じ、アーロンと出会ってからの喜びや苦しみ、葛藤を、ひとつひとつ思い出した。それから彼女は、ゆっくりと目を開いた。その目の前にあったのは、彼女の知る、力に溢れた古代の楽神の姿ではなく、まるで幼子のように無力な一人の男の姿だった。だがそれはやはり、彼女の愛してやまないアーロンには違いなかった。彼女は彼に対し、憐れみにも似た感情を抱いた。
「アーロン・・・・・・」
長い沈黙の後、ヨアンナはとうとう口を開いた。
「アーロン、目を開けて私を見て」
彼女は優しく語りかけた。
「アーロン、落ち着いて。愛するあなたを、私は殺したりなどできないわ。それはあなた自身が、よく知っているはずでしょう。私はあなたを、この国の王とするため、こうしてやってきたのです」
彼女はそう言うと、手にした羊皮紙とペンをアーロンに差し出した。その様子は、先程まで怯えて蹲っていた少女とは思えないほど堂々として、畏怖の念を抱かせるような威厳すら漂わせていた。




