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14-7

 珊瑚の帯から飛び出した魔石は、空に浮かび上がり、それぞれの色に強く輝く。中から飛び出した魂の靄は、本来あるべき場所へと昇っていく。魔石はそれぞれの元居た場所へ、珊瑚の魔力を頼りに戻っていく。



 その日、人形師の藍島徹は、例年通り妻の人形を慎重に取り出し眺めていた。茉莉そっくりな人形を見つめ、悲しみの湧かない自分に苦しさを覚えた。

 

(また、いつも通りだ。……僕はこのまま一生、茉莉の死を悲しむこともできないのか)


 人形の頬にそっと手を寄せる。その瞬間、魔石を失いぽっかりと空いた穴が淡く光り、ほんのり温かくなる。

 

 気のせいかと思い、目を擦って人形を見つめると、ふっと魔石が現れた。

 

 その瞬間、突然の深い悲しみに襲われた藍島は、その場で声を上げて泣き崩れた。


「ああ、あああ、茉莉っ! 茉莉……。僕が悪かったんだ! なぜもっと君を大切にしなかったんだ……」


 深い悲しみと後悔に襲われて、藍島は胸が潰れそうで苦しくなる。

 

 それでも、ようやく悲しみを取り戻した。深く悲しむことができなければ、先に進むこともままならない。

 

 藍島は人形を抱きしめ、その日一日泣き続けた。




 黄瀬光は、母の墓前にしゃがみ込んでいた。例年通り、掃除を終えて花を飾り、そっと手を合わせる。


(お母さん、いつも見守ってくれてありがとう。また来るわね)


 そう心の中で呟き、魔石の抜けた簪を両手に乗せて墓前に掲げた。立ち上がり帰ろうと思ったその時、突然声を掛けられる。


「光っ!」


 振り向くとそこにいたのは、同じ新聞社の同僚だ。


「どうしたの?」


 驚く風でもない様子の光の手の中で、簪がほんのり熱を持つ。


「お母さんの前でちゃんと言いたかったんだ。……僕と結婚してくださいっ!」


 突然の言葉に、光は驚き目を瞠る。


(あらっ? 私……今、びっくりしてる?)


 光はドキドキと高鳴る胸に手を当て、笑顔で同僚に返事をした。




 

 桜井直人は、妻の梓に貰った懐中時計をいつもどおりに磨いていた。梓を疑ったまま失った悲しみは未だ癒えず、娘の成長に喜びも訪れない。

 

 懐中時計を眺めていると、娘の結花(ゆいか)と義両親が買い物から帰ってきた。


「お父さんっ! ただいまっ」

「おかえり、結花」

「きょうはね、お母さんもすきだったおかし、かってきた!」


 結花が手にしていたのは、以前訪ねてきた平良診療所の二人が持ってきたものと同じ菓子だ。この菓子は、梓と結花の好物だ。


「そうか。じゃあ、後で一緒に食べよう」


 嬉しそうに見えるような笑顔を心掛け、結花の頭をそっと撫でる。その時、手にした懐中時計の空洞が、ほんのり温かくなったような気がした。


「あのね、ゆいか、さきにお母さんにあげるのっ!」


 綻ぶような笑顔で、梓の遺影の前に菓子を並べる娘を見て、その成長ぶりに温かな気持ちがこみ上げた。


(ああ、結花はちゃんと母親を思いやれる……梓みたいに……)


 思わず涙が溢れ出て、結花が眉を下げて抱き着いてくる。


「おとうさん、かなしいの?」

「……いいや……いいや、違うよ。お父さんは、結花がお母さんみたいに優しくて……嬉しいんだ」


 結花の笑い声が優しく耳元をくすぐった。





 黒田智は、授業参観を終えて帰路につく生徒たちを見送っていた。いつも怒らず穏やかな人間だと思われているが、ただ怒れないだけだ。今年教師になりたてで、どこまで踏み込んでいいかもよく分からず、迷うことばかりだ。こんな時、才谷がいれば相談もできただろうに。

 

 帰っていく生徒の中に、前から少し気になっている親子を見つけた。また父親が子供を叱っているようだ。少しの間迷ったが、どうしても気になり足を向けた。


「お前はっ、どうしていつもそうなんだっ!」

「ご、ごめんなさい」

「もっと積極的に手を挙げて、答えなくちゃだめだろう!」


 まるで昔の自分を見ているようで、心臓がギュッと握りつぶされるような気になる。才谷ならこんなとき、どうするだろうか。

 

 不快感は覚えるが、それでも怒りが湧くわけでもない。いつものように、穏やかに諭そうと一歩ずつ近付きながら、無意識に胸元の万年筆を触る。


「どうしてお前はいつもそうなんだっ」

「つぎ……次は、……ちゃんと頑張るから」

「まったく、お前には失望したっ」

 

 その瞬間、万年筆が熱を持ち、ふつふつと智の胸に怒りの炎が燃え滾る。


「やめてくださいっ!」


 普段は穏やかな智の荒々しい口調に、周囲のすべてが凍り付いた。


「僕も昔、父に同じことを言われました。子供はっ。子供は、親の思いどおりに生きる操り人形じゃないんです!」

 

 怒りを吐き出しながら、智は悲痛な表情で生徒の父親を見つめた。智は生徒と父親を促し、再び教室へ戻っていった。





 柴村雅は、初めて向き合う手術の下調べに没頭していた。この病は、亡くなった恋人が患ったのと同じものだ。あの時はどうすることもできなかった命が、今なら救えるかもしれない。


(もっと早くにこの術式があれば、彼は救われたかもしれない……。考えても仕方ないのに)


 寂しさや無念な気持ちは湧き上がるが、やはり不安は感じない。

 

 術式を何度も確認し、手順をしっかり頭に叩き込む。以前なら不安に感じる部分を特に念入りに準備したのだが、今はそれがどこなのかわからない。最善と最悪を考えて、できる限りの下準備をするのみだ。

 

 資料を読み込むことに没頭していると、扉を叩く音がする。「どうぞ」と声をかけると、後輩の医師が資料を持って部屋に入ってきた。


「柴村先生、少し休憩しませんか?」


 そう言って、雅の横の机に重そうな資料をドサリと置く。


「この資料は?」

「以前、この病院に入院していた同じ症例の患者さんの資料です」


 雅はその言葉に小さく息を呑んだ。


「それじゃ、僕はまた資料集めにいってきますよ」

「……ええ、よろしくね」


 出ていく後輩の後姿を眺めながら、無意識に恋人から貰った石の無いペンダントに触れる。

 

 ゆっくり資料を開き、指で辿りながら記録を読む。文字で見るだけでも悲しみは過るが、やはりあの時感じていた不安は思い出せない。

 

 読み進めながらペンダントを触っていると、ほんのり指先に温かさを感じた。

 

 その時、恋人の亡くなった日の記録に差し掛かった。あの日の光景が頭の中に蘇り、急に胸が苦しくなる。

 

 恋人の元にいきたくて、でも急患の手術に向かわなければならなくて――。


(私は……怖くて怖くて、不安で溜まらなかった。……そう、こんな風に、不安で胸が潰れそうだったわ)


 涙が一筋頬を伝い、それをそっと拭った雅は、再び資料に目を落とした。





 緑丘瑞穂は、今まさに本番中の舞台の袖に立っていた。演じるのは、最後に裏切られた恋人に殺される役だ。稽古の時から恐怖の演技に納得できず、本番を迎えるのが不安でたまらなかった。

 

(どうしよう、もうすぐ殺されるシーンなのに、どうしても恐怖が分からない)


 演技としては無難に演じているが、舞台監督や目の肥えた客を誤魔化すことは難しいだろう。このままでは、恐怖ではなく不安を抱えて命を落とす場面になってしまう。

 

「何? あなたもしかして緊張してるの?」


 役者仲間であり、ライバルの女優が話しかけてきた。


「……そうね、ちょっと緊張してる」

「ふーん。まあ、うまくやれなくても大丈夫よ。私がフォローしてあげるから」

「……うまくやるわ」


 フォローなんて言葉だけで、詰まるところ失敗すれば自分が代わってやると言いたいのだ。


「ほら、もうすぐ出番よ」


 くすりと笑うその目の奥に、失敗を期待するような色が見えて、瑞穂はますます身体が固くなる。

 

 ついに出番が来て、瑞穂は舞台の中央へ歩み出る。台詞は滑らかに口から流れ、滞りなく進んでいく。

 

 もうすぐ恐怖を演じなければならない。震える指先で、衣装のポケットに入れた石の無いブローチにそっと触れる。本番の少し前、突然現れた涼介に、絶対に持っているようにと渡された物だ。触れていると、なぜだか少し温かくなって、指先の震えが止まった。

 

 恋人役の男が、きらりと光る小道具の剣を構えて、瑞穂に向ける。その瞬間、あの夜の光景が頭を掠めた。静人の声が脳裏に響く。


『瑞穂、僕はずっと君の側に居るよ』


 突然、あのときの絶望と恐怖が蘇る。心の底から溢れ出る恐怖に身体中が震え、喉がギュッと狭くなる。


「い、いやっ。……や、やめて。……どうして? ……お、お願い……いやあああああああ」


 瑞穂の迫真の演技に、幕が下りても拍手は鳴りやまない。

 

 全身が汗でびっしょりと濡れたまま、瑞穂は役者たちと共に、舞台に立って観客に挨拶をした。

 

 あふれる拍手の中、瑞穂を見て目を細める男と目が合った。


(……あれは、もしかして!)


 舞台から裏に戻り、監督や共演者たちに最後の演技を絶賛される。しかし、その言葉に答える余裕はない。急いであのキーホルダーを手にして、観客席へと降りていく。

 

 そこに男の姿はなく、慌てて劇場から飛び出した。


 懐かしい面影を残す後ろ姿を見つけて、瑞穂は周囲の視線も気にせず大声でその人を呼び止めた。振り向いた顔は、在りし日の初恋の面影を残している。瑞穂はキーホルダーを掲げて、子供のころと同じ眩い笑顔で彼に向かって駆けていった。

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