14-6
伸ばした手も空しく、二人の姿はあっという間に見えなくなった。珊瑚は呆然としてその場にずるずると座り込む。
(やっと……やっと会えたのに。……手が届く距離に居たのに)
抱きしめられた感覚の残る身体を両腕でぎゅっと包み込む。
(生きなくちゃ。……お母さんが助けてくれた命、簡単に諦めるわけにはいかない)
ゆっくりと立ち上がった珊瑚は、バルコニーから部屋の中を見渡した。廊下から流れてきた煙は、部屋の天井を埋め尽くし、窓の方へと忍び寄る。
ふと、先ほど統司が手にしていた魔道具が目に入った。そこには六つの魔石が嵌め込まれている。珊瑚はそれを手に取り、どこか逃げられる場所はないかと周囲を見回した。
煙はすでに黒くなり、天井から横へと広がり始めている。このまま廊下に出ても、煙と火に巻かれて助からないかも知れない。パチパチと音が響き、廊下に赤い炎がちらつき始めた。
廊下へ出ることは諦めて、再びバルコニーへ戻り、手摺から下を覗き込んだ。二階とは言え、一歩間違えば澪と統司のように崖に落ちる位置だ。
懐から手巾を出した珊瑚は、魔石を丁寧に包み、帯の下にしっかり仕舞った。
(一か八か、飛び降りる? カーテンを使って紐を伸ばせば、何とかなるかも。でも、火が回るまでに間に合うかな……)
不安が過るが、とにかく出来ることをするまでだ。再び窓に近寄ろうと足を踏み出した瞬間、珊瑚の耳に思いもよらぬ声が飛び込んできた。
「珊瑚君っ!」
一瞬空耳かと思うが、廊下から覗く煙と炎の中から、くぐもった声が響いてくる。目を凝らして見ると、白い宇宙服のような何とも不格好なものが現れた。珊瑚は思わず、「鉄壁防御シェルター君!」と叫ぶ。
頭の部分を勢いよく外して、陽一が胸を張って答えた。
「珊瑚君っ、覚えててくれたんだね! ほらね、ずんぐりむっくりだけど役に立つでしょう?」
珊瑚は目を丸くして、口をぱくぱくと開け閉めした。胸を張って不格好な陽一が可笑しくて、無事な様子が嬉しくて。思わず口元に笑みが浮かぶ。
「くっ、ふふっ。先生は、どんな時も先生ですね」
「何それ、珊瑚君。いつも僕が不格好ってこと?」
「あははっ。違いますよ、いつも……いつも躓きそうな私を、助けてくれる」
珊瑚は急に気が抜けて、ふっと身体の力が抜ける。
(先生が来てくれた。きっともう大丈夫)
そう思った瞬間、足元がぐらりと大きく揺れた。
陽一が「珊瑚君っ!」と叫んで手を伸ばすが、珊瑚はそのまま横に倒れこむ。バキバキと大きな音を立てて、珊瑚のいるバルコニーが崩れ始める。珊瑚は手摺に掴まるが、今にも壊れて崖下に落ちてしまいそうだ。
珊瑚は落ちていった二人を思い出し、背筋がぞくりと寒くなる。
「珊瑚君っ。ゆっくり、こっちに来れる?」
焦った様子の陽一が、珊瑚に向って部屋の中から手を伸ばす。
少しずつ這いながら、陽一の方へ進もうとするが、足元ではミシミシと嫌な音が響いている。もう少しで手が届く。そう思った瞬間、ひと際大きなバキバキという音がして、そのまま珊瑚はバルコニーと共に落下した。
「珊瑚君っ!」
真剣な表情で必死に手を伸ばす陽一を見て、珊瑚は診療所の窓から落ちた時のことを思い出した。
(ああ、あの時の先生も、感情がないはずなのに、酷く焦った顔をして手を伸ばしてくれたっけ)
珊瑚の口元に穏やかな笑みが浮かんだ。
(間に合わなかったけど、必死に手を伸ばしてくれたことが……嬉しかったな)
珊瑚は覚悟を決めた。窓から落ちた時は、無事に済まなくてもいいと思った。だが、今は違う。それでも、最後まで諦めずにあがいた結果がこれなら、仕方ないと思えた。
そう思った瞬間、手を伸ばした陽一が勢いをつけて崩れかけた部屋の床を蹴り、珊瑚に向かって飛び出した。
「珊瑚君っ……リベンジだっ!」
そう叫んだ陽一は、一気に落ちて珊瑚に迫る。どうにか手が届く位置までくると、珊瑚の手を取り引き寄せた。腰に固定されたベルトから固定具を伸ばし、珊瑚の腰に素早く巻き付ける。それから何かを放り投げ、地面に向かって大声で叫んだ。
「一馬あああっ、頼んだっ!」
一馬はそれを転びそうになりながら受け取った。
「任せとけーーー!」
向かった先は、爆発に巻き込まれず無事に残った一本の木だ。全速力で木に駆け寄りロープを慌てて巻き付ける。固定具がうまくはまらず焦って、ますます手が滑って上手くいかない。
「うわあああ、もうっ。間に合えーーっ!」
苛立ちと共に叫ぶ一馬の後ろから、「貸せっ!」と焦ったような声がする。振り向くと、涼介が必死の形相で固定具を奪い取った。
「畜生っ、はまりやがれっ!」
涼介の叫びと共に、ガチャリと音がして固定具が無事嵌る。一馬は涼介と顔を見合わせ、ほっと息を吐いた。
ところが、ロープはまだ止まらない。しばらく待って、漸くロープが伸び切り、バチンと音がしてロックが掛かる。
「……なあ、涼介さん」
「……ああ、まったく」
「どこが安全第一だっ!」
重なった二人の声は、煙混じりの重い空気に溶けていった。
――ロープが止まる少し前。
珊瑚と陽一は、底の見えない崖下に向かって勢いよく落下していた。ぎゅっと陽一にしがみついた珊瑚は、落ちていく事が急に怖くなる。
「珊瑚君、大丈夫っ、僕たちを信じてっ!」
珊瑚はその言葉に陽一を見上げた。
「絶対一馬は間に合う、二人一緒に無事に帰ろう!」
(そうだ、今は一人じゃない。……きっと、皆も信じて待っててくれる)
珊瑚が陽一と視線を合わせてしっかり頷いた、その刹那。胸元のネックレスがふわりと浮き上がり、淡く光った。
すると珊瑚の左目が光を帯び、陽一の胸元からは七色の光が溢れ出す。珊瑚の目から赤色の光が放たれ、陽一の七色と交じり合った。
その光景に二人とも見惚れ、時間が止まって宙に浮いているような錯覚に陥った。
次の瞬間、ガクンと大きな衝撃を受けて落下が止まり、二人はうめき声を上げた。
一つになった光が二人を包み込み、珊瑚の頭の中でパチンと弾けるような音が響いて光が消える。続いて帯に挟んだ手巾から、六つの魔石が浮かび上がった。
魔石は一度それぞれの色に強く光り、中から飛び出した靄が空へと昇っていく。宙を漂っていた魔石は、そのままふっと姿を消した。
空を見上げて目を瞬いた二人は、ふと近くに気配を感じて視線を下げた。同時に息を呑み、目の前の人に視線を縫い留められた。
『珊瑚っ』
『珊瑚ちゃんっ』
「一悟にい、二胡ねえっ!」
珊瑚は信じられない思いで、目を瞬いた。
『珊瑚っ、よく頑張ったな』
『珊瑚ちゃん、ちゃんと最後まで諦めなかったわね』
珊瑚は不安が押し寄せて、陽一にしがみつく手にぎゅっと力を籠めた。
「……君たちが、珊瑚君のお兄さんと、お姉さん?」
珊瑚は、目を丸くして陽一を見上げた。触れる陽一からは何の感情も流れ込んでこない。
『そうだ。俺が珊瑚の兄、一悟だっ』
『そうよ。私は姉の二胡よ』
くすくすと笑う二人は、陽一と珊瑚を交互に見比べた。
「僕にも見えるなんて……」
見上げる陽一は心底驚いたような顔をしているが、やはり感情は流れ込んで来ない。
『これが最期だからな』
『神様からの、最初で最後の贈り物かしら』
「最後って……どういう意味?」
一悟と二胡は、顔を見合わせ眉を下げた。
『珊瑚、本当はもう気付いてるだろ?』
『もう、何も流れてこないわよね?』
二人の言葉に陽一が慌てて珊瑚の目を覗き込み、はっと息を呑んだ。
「先生……どうしたんですか?」
「珊瑚君……目が……」
「私の目が、どうしたんですか?」
珊瑚は頭では半分理解していたが、分かりたくないという気持ちが湧き上がる。
「珊瑚君の目の色が……両方同じになってる」
珊瑚は思わず左目に手を当てた。見えない自分にとっては、何が変わったのか触れても感じることはできない。
『珊瑚、もう魔石から解放されたんだ』
『珊瑚ちゃん、もう普通に生きていけるのよ』
珊瑚は嬉しいはずのことなのに、二人が目の前にいることに不安を感じる。
「解放されたって、どういうこと?」
陽一が眉を寄せて一悟と二胡に問いかけた。
『さっき、魔石が光っただろ?』
『お母さんの魔石が鍵になって、三つの魔石が反応したのよ』
陽一と珊瑚は、一悟と二胡の言葉に目を瞬いた。
『先生の魔石は、失敗作じゃなかったんだ』
『あの人は気付いてなかったけど、先生のオパールも珊瑚ちゃんの魔石とずっと繋がってたのよ』
陽一が首を捻って唸り声をあげた。
「僕の魔石はずっと珊瑚君の魔力を吸い取ってたってこと?」
『先生の感情が溢れるようになったのも、珊瑚の魔力が影響してただろ?』
『そうやって、珊瑚ちゃんの魔力が少しずつオパールの魔石に流れ込んでたのよ』
『さっきは、先生の言葉で珊瑚と先生の気持ちが重なった』
『その時珊瑚ちゃんから先生の魔石に魔力が流れた』
『母さんの鍵が最後のきっかけになって二つの魔石が共鳴した』
『それで全ての魔石に宿った魂と、縛られた感情が解放されたのよ』
考え込んでいた陽一が、再び口を開く。
「僕のオパールには、特別な力が?」
『あいつは失敗作だと思ってたけど』
『魔石の力を中和する魔石だったってことね』
珊瑚は目の前の二人の姿に胸がざわつき、核心を突くのが怖くなる。
「ね、ねえ、さっきお母さんの感情が奪われた時、二人の声がしたのはどうして?」
『あれは珊瑚の魔力が完全に搾り取られてそのままだと危なかったからな』
『私たちに残された魔力を、珊瑚ちゃんに全部渡したのよ』
「じゃあ、二人の魔力は?」
『すっからかんだな!』
『ふふっ、でも守れたわ』
それに、と二人の言葉が重なる。
『俺たちには』
『私たちには』
『もう必要ないから』
珊瑚は最後の夢で二人と話した事を思い出す。
『珊瑚ちゃん、私たちは珊瑚ちゃんを守るわ』
『先生の言う通り、最後まで諦めるな』
『私と一悟も最後まで絶対に諦めないわ』
『俺たちにはきっと出来ると思ってる』
『そうね、きっとこの魔石に私たちが宿ったのは、そのためだと思ってるわ』
あの時の言葉は、こういう意味だったのだろうか。二人はまた、珊瑚の命を救ってくれたのだろうか。そう問いかけても、もう二人に珊瑚の考えが届くことはない。
『そう言えば、母さんが全部持っていくって言ってただろ?』
『先生、あとでカメオをよく見てね』
二人は意味深に笑うが、足場のないこの場所でカメオを見ることのできない陽一は、ただ黙って頷いた。
珊瑚は二人に声を掛けたいが、何を話していいのかわからない。一悟と二胡を交互に見つめていると、夢の終わりと同じように二人の輪郭が光り始めた。
『ああ、そろそろ時間切れだ』
『そうね、そろそろお終いね』
珊瑚はひゅっと息を呑み、顔を歪めて二人に手を伸ばす。
「待って! ねえ、二人とも、また会えるよね?」
一悟と二胡は顔を見合わせ、いつものようにふっと柔らかな笑顔を浮かべた。
『ああ、また会えるぞ』
『そうね、ずっとずっと……長い時間の先にね』
珊瑚は視界が滲んで、二人の姿が霞んでいく。
「い、嫌だよっ! 一悟にい、二胡ねえ。ねえ……い、いかないでっ、お願いっ!」
一悟と二胡は困ったように眉を下げ、珊瑚の方へ近付いてくる。初めて会った時と同じように、両側から珊瑚をそっと抱きしめた。
『何があっても、珊瑚はずっと俺たちの大切な妹だ』
『どんなことがあっても、珊瑚ちゃんは私たちの唯一の妹よ』
「い、一悟にいっ……二胡ねえっ!」
『珊瑚はもう一人じゃないだろ』
『珊瑚ちゃんには、待っててくれる人たちがいるわ』
『俺たちは』
『私たちは』
『ずっと珊瑚を見守ってる』
『ずっと珊瑚ちゃんの心にいるわ』
その言葉を最後に、二人の姿はきらきら輝く砂になり、さらさらと流れていく。
「一悟にいっ! 二胡ねえっ!」
『幸せになれよ』
『幸せになってね』
『またな』
『またね』
夢の終わりと同じように、一悟と二胡の声が珊瑚の耳に余韻を残し、風に乗って消えていった。




