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ネクタイピンと簪と

 あれから二日。珊瑚と陽一は無事診療所でいつもの日常に戻ろうとしていた。


 弘樹は大学病院への転院を取りやめた。警備の都合でそのほうがいいと西野が手配してくれていたのだが、その必要もなくなったからだ。



 あの日、崖下で宙ぶらりんになっていた珊瑚と陽一は、一馬と涼介だけでなく、西野と共にやってきた神殿関係者たちによって無事引き上げられた。研究棟は大部分が焼失し、無事だったのが奇跡のようだ。


 商会長は爆風で外に吹き飛ばされて、意識を失った状態のまま、西野たちとやってきた警察に無事逮捕された。

 

 澪と統司が落下した崖の先には、海が広がっていた。捜索は困難で、まず助からないだろうと言われた。ある意味統司は澪を手に入れたのかも知れない。それでも珊瑚は、魂になった母が今度こそ自由でありますようにと心から願った。


 涼介や西野とはその場で別れ、一馬と一緒に戻ることになった。荷馬車を貸してくれた青年に礼を言うと、自分が野菜を卸している店で買い物をしてくれればいいと笑っていた。一馬にも礼を伝えると、照れ臭そうに頭を掻いた。


 二人きりで診療所に辿り着き、扉の前で立ち止まると、中に電気が灯っていた。顔を見合わせて恐る恐る覗き込むと、奥から弘樹が出迎えた。「おかえり」と笑みを浮かべながら声を掛けられ、陽一がほっとしたように「ただいま」と答えた。珊瑚はなんと答えていいのか分からず、小さな声で「お邪魔します」と呟いた。


 夕食の席は、陽一と弘樹が楽しそうに話していた。珊瑚はただそれを見守り、居心地の悪さに笑みが強張るのを感じた。これまで二人だった場所が三人になり、また元の二人のものに戻ったような気がした。そもそも珊瑚はほんのひととき間借りしただけで、ここは自分の居場所ではない。珊瑚を気遣う二人の様子が、その気持ちを更に後押しした。


 それから二日経った今。やはり心はそわそわと落ち着かず、診療所がまるで別の場所のように思えていた。


 寝支度を整えはしたが、今日もよく眠れそうにないと思いながら、布団に潜り込んだ。


(もうお母さんには会えない。夢を見ても、一悟にいと二胡ねえにも会えないんだ)


 兄姉はもう一人じゃないと言ってくれたけれど、本当にそうだろうか。


 帝都にきてから、沢山の人たちと出会った。事情を知る人も、何も知らない人も、みんな珊瑚に優しかった。呪いのように思っていた魔石の目からも解放された。


 昨日西野が戸籍が取れたと証書も持ってきてくれた。両親の欄はどういうわけか母の名前しかなかったが、気付かないふりで受け取った。何も言わなかったのに、兄と姉の欄にも一悟と二胡の名前を見付けて、そこにだけは自分の居場所があるように思えた。


 一人にはなってしまったけれど、これだけのものを手に入れて、自分はこれ以上一体何を望むのだろう。そもそも陽一がここに置いてくれたのは、目の魔石のおかげだった。今はそれもない。陽一のカメオに埋め込まれていたオパールの魔石は消えて、感情も取り戻した。珊瑚が触れても何も流れてはこないのに、陽一の中には確かにある。


(弘樹先生も戻ってきて、魔石のことも解決した。それなのに私がここにいるのは、やっぱりおかしいよね)


 珊瑚は布団を抜け出し、書き物机に向かった。既に荷造りを終えたトランクの中から、便箋とペンを取り出す。考えながら文字を綴り、書き終えると丁寧に三つ折りにした。その横に小さな手提げの紙袋を添える。


 再び布団に戻ると、そっと目を閉じた。暗闇に落ちるように眠りについても、やはり一悟にも、二胡にも会えなかった。


 

 早朝に起き出した珊瑚は、音を立てぬように身支度を整えた。新しい門出に相応しく、誕生日に貰ったワンピースに袖を通す。


 食器洗い機は部屋に置いたままだが、使い方を書いたメモを用意した。これを見れば誰でも簡単に使えるだろう。使ったときの顔を見たかったが、想像するだけでも笑みが浮かぶ。


 昨日書いた手紙と小さな手提袋、それからトランクを抱えて発明品置き場へ滑り込む。陽一の発明品を眺めると、自然に顔が綻んだ。


(私に似てると思った発明品たち。完成したらちょっと楽しくて、だけど今は役に立たない未完成品。いつか誰かを笑わせる日がきますように)


 珊瑚にとっては重いトランクを持ち上げて、二人を起こさぬよう静かに出口の扉を潜った。ベルを鳴らさず開けるのは、コツが分かれば簡単だ。


 十二月の早朝の風が、珊瑚の頬を刺すように通り抜けた。まだ薄暗い道には街灯が灯っている。振り返って診療所を見上げると、初めてここを訪れた日のことが脳裏に蘇った。


 一馬について辿り着いた門柱には、今も変わらず平良診療所の看板が掲げられている。扉を開けるとあの部屋から、寝癖のついた陽一が欠伸をしながら出てきた。感情を失った陽一の静かな目が、珊瑚にとっては救いだった。


(まさか、こんなに大切に思える人に出会えるなんて。こんな風に誰かを思う日が来るなんて、想像してなかったな)


 看板の文字をそっと撫で、冷たくなった指先をぎゅっと握り締めた。三階にある陽一の部屋を一度見上げ、ゆっくり頭を下げた。


(先生、今までありがとうございました)


 こぼれそうな涙を瞬きで散らし、トランクの持ち手を握った。来たときより重くなったように感じるのは、きっと気のせいではないだろう。後ろ髪引かれる思いを振り切るように、くるりと向きを変えて真っ直ぐ足を踏み出した。


 いまだ眠りの中にある静かな街並みを、胸に刻みつけるようにゆっくり歩く。


 いつもの食堂も、朝の仕込みが始まる前だ。そこから大学病院の見える道を通り、最後は神殿の広場へ向かった。それぞれに心のなかで感謝と別れを告げながら、ゆっくり歩いた。


 珊瑚はふと手紙に書いた文句を思い出す。


(いつかまた帝都にきたら、なんて書いたけど。本当にそんな日がくるのかな)


 いつも陽一と手を繋いで歩いた町の中へ差し掛かると、少しずつ空が白み始めていた。あとちょっとで始発の時間だ。珊瑚は街並みを目に焼き付けるようにぐるりと眺めてから、再び駅への道を歩きだした。


 早朝の駅に人影はない。窓口に並ぶ人もなく、すぐに切符が買えそうだ。珊瑚はトランクを地面に置いて、肩に掛けたハンドバッグの留め具を外した。誕生日に貰った靴と揃いのあのバッグだ。蓋を開けて財布を出そうとしたところで、珊瑚の手元が暗くなる。


 急に灯りが消えたのかと思い、顔を上げようとしたそのとき。突然腕を引かれ、そのままそちらに振り向いた。


「珊瑚君っ」


 肩で息をしながら、白い塊を吐き出す陽一がいた。焦ったような顔つきで、珊瑚を見下ろし額の汗を拭っている。


「せ、先生っ?」


 ぜえぜえと息をして、片手を膝に当てて腰を落とした陽一は、珊瑚の腕を離さない。その手からは何の感情も伝わらず、珊瑚は陽一の顔を呆然と眺めた。


「はあ、はあ、ああ、まったく。珊瑚君はっ」


 息が続かず途切れ途切れに話す陽一は、それでも言葉を続けた。


「走るのが、速い。はあ。それだけじゃ、なくて……逃げ足も、速いっ!」


 珊瑚は目を皿のようにして動きを止めた。一瞬後に、はっとしたように言葉を返した。


「に、逃げ足って! 私、逃げたりなんかしてませんっ」


 多少息の整った陽一が、ぬっと片手を突き出した。手の中でくしゃりと音を立てたのは、珊瑚の書いた置き手紙だ。


「これの、どこが逃げてないの?」

「そ、そんなの持ってこないでくださいっ」


 頬を赤く染めて抗議した珊瑚に、陽一は少し怒ったような顔をした。


「朝目が覚めて、あの部屋に行ったらこれが置いてあって。それを見たときの僕の気持ちが、珊瑚君にはわからない?」


 怒ったような顔が徐々に歪み、珊瑚の胸がズキンと痛んだ。


「だ、だから、相談もせずにごめんなさいって書いたじゃないですか」

「はあ。もう全然分かってないね。それだけじゃないよ」


 ごほんと咳払いをした陽一は、あろうことか珊瑚の手紙を読み始めた。


「平良陽一様。先生、今までお世話になりました」

「せ、先生っ! や、やめてくださいっ。本人の前で、よりにもよってこんな場所でっ」


 どうにかそれを取り返そうとするが、背の高い陽一が腕を伸ばせばまったく届かない。珊瑚をじろりと睨んだ陽一は、無視してそのまま続きを読み始めた。


「先生が私をここに置いてくださったのは、目の魔石が理由だったことは分かっています」


 珊瑚は耳をふさぎたくなるが、それも出来ずに口をむずむずと動かした。


「それでも毎日が」

「うわあああ、もう止めてくださいってばっ」


 珊瑚は顔を真っ赤に染めて陽一の腕にしがみついた。むっとしたような顔で珊瑚を見下ろした陽一は、腕をおろして大きなため息を吐く。


「先生っ、これは一体何の罰ですか!」

「こんな手紙を残して、一人でさっさと逃げようとした罰に決まってるでしょう」


 珊瑚は唇を尖らせて、上目遣いで陽一を睨んだ。しがみついた腕からは、何の感情も伝わってこない。知りたくないと思っていたものは今までいくらでも流れてきたのに、肝心なときに一番知りたい人の気持ちがわからないなんて理不尽だ。珊瑚はそっと陽一の腕から手を離した。


「珊瑚君は、僕が君を助手にしたこと、魔石だけが理由だと思ってるの?」

「それだけとは思ってません。でも」

「でも?」

「前に先生と篠塚さんが話してるのを聞いたんです」

「涼介と?」


 陽一は本当に何も思い当たらないといった様子で、怪訝な表情を浮かべた。


「先生が私を側に置いたのは、感情絡みの特殊な魔石を持ってるからだって」


 陽一は腕を組んで斜め上を見ながら、唸り声を上げた。しばらくそうしているうちに何か思い当たった様子で、「あっ」と声を上げた。


「あのときか。何をどこまで聞いたの?」

「亜真音さんがいたから異性とは距離を置いてたけど、打算的な理由で置くことにしたっていうところです」

「その先は?」

「それ以上聞いちゃいけないと思って、いったん部屋に戻りました」


 陽一は納得したように頷いてから、決まり悪そうに首の後ろを掻いた。


「その後涼介に、随分珊瑚君を気に入ってるって言われたよ」

「どういう意味ですか?」


 期待と不安が入り混じり、鼓動が急に速くなる。それでも自分の思い過ごしという気持ちのほうが大きくて、眉を寄せて陽一を見上げた。


「正直僕もあのときはまだよく分かってなかったけど。前も言ったとおり、僕はずっと他人と距離を置いてた。誰かを心底思いやることも、知りたいと思うこともなかった」


 珊瑚は話の先が予想できずに、ただ黙って続きに耳を傾けた。


「大体他人と関わるなんて面倒じゃない。涼介だけで手一杯だよ。それなのに、珊瑚君は違ったんだ。どうしてって聞かれたら、今だってよくわからない。だけど、魔石だけが理由で引き止めたなんて、そんなことは絶対ないよ」


 珊瑚は目を瞬いて陽一を見上げた。けれど、やっぱり陽一の気持ちはわからない。こんなときに感情が流れ込んでくれば、なんとなくでも分かるのに。


「珊瑚君、行くよっ」


 言うやいなや、陽一が珊瑚のトランクを軽々と持ち上げた。「えっ?」と声を上げた珊瑚の手が、あっという間にさらわれた。そのまま引っ張られるようにして足を踏み出した珊瑚は、呆気にとられて陽一を見上げた。


「先生っ、どこに行くんですか? 私、診療所にはもう」


 居場所がないと言いそうになって慌てて口を噤んだ。


「いいからついてきて」


 陽一はずんずんと歩き続け、馬車乗り場までやってきた。珊瑚を客車に乗せると、自分もトランク片手に乗り込んだ。御者に合図を送ると、車輪の軋む音と共に馬車が走り出す。


 腕を組んでちょっとだけ不機嫌そうな陽一に、珊瑚は何も言えずにただ窓の外を眺めた。


 流れる景色を見つめながら、珊瑚は手紙の続きを思い返した。


 


 先生が私をここに置いてくださったのは、魔石が理由だったことは分かっています。それでも毎日が楽しくて、幸せでした。

 

 帝都に来て沢山の人たちに出会い、色々なことを学びました。これからそれを生かせるかどうかは自分次第。私は、平良診療所を去り、自分の足で歩いてみたいと思います。

 

 何も相談せずにごめんなさい。話せばきっと、気にせずここにいていいと言ってくれるような気がして。そんな風に気を使わせてしまうことは、今の私には少し辛かったのです。

 

 一度田舎に帰り、今まで見えなかったものを確かめてきたいと思います。

 

 いつか、また帝都に来ることがあれば、改めてご挨拶に伺います。今まで、本当にありがとうございました。


 追伸。

 内緒にしていたプレゼントは、食器洗い機です。少しでも食後の時間が楽になりますように。

 

 それから、ネクタイピンは先生へのお誕生日の贈り物です。簪、失くしてしまってごめんなさい。とても嬉しかったです。


 


 珊瑚は本当の気持ちを書くことができなかった。けれど、それでいいと思っていた。


 元いたあの邸に戻っても、使用人たちはきっと変わらないだろう。けれど、あのパン屋のおばさんや、花屋のおじさんが、本当に珊瑚を気味悪がっていたのか確かめてみようと思っていた。今はもう本当の気持ちはわからない。けれど、もしかしたら涼介のように珊瑚を傷つけまいとしただけなのかもしれない。それが分かれば、少しは前に進めると思っていたのだが。


 外の景色が見たことのない街並みに変わり、珊瑚の考え事が途切れたころ。馬のブルブルという鼻を鳴らす音が聞こえ、振動の後に馬車が止まった。外から扉が開かれて、陽一が先に降りていく。差し出された手に掴まり、続いて地面に降り立った。


 再び馬車が走り出すと、陽一が珊瑚の手を引き無言で歩き出した。少し行ったところで足を止め、右手にある建物をじっと見つめる。珊瑚はその横顔を見上げ、視線の先をゆっくり辿った。


 目に飛び込んできたのは、煉瓦造りに白い漆喰の塗られたモダンな建物だ。三階部分のカーブを描く庇の奥には、模様入りのガラスの入った窓があった。いつの間にか顔を出した朝日に照らされ、きらきらと輝いている。平良診療所とよく似たそれに、珊瑚は目を細めた。


「ここは僕の診療所だよ」

「えっ? 先生の、ですか?」

「うん。平良診療所の分院なんだ」


 珊瑚は建物と陽一を何度も見比べた。


「落ち着いてから話そうと思ってたんだけど。珊瑚君がその前に逃げ出すから」

「す、すみません」


 恨みがましそうな陽一の顔に、珊瑚は繋がれた手をぱっと離して思わず頭を下げた。


「あっ、それから。おめでとうございます」

「うん。ありがとう」


 陽一は一度大きく息を吐き、真剣な眼差しで珊瑚に向き直った。


「ときに珊瑚君」


 珊瑚はそのセリフに目を瞬いた。


「これから住む場所はもう決まっているのかな?」


 初めて診療所を訪れた日、陽一はこう言った。


『ときに珊瑚くん。今夜の宿はもう決まっているのかな?』


 珊瑚はふっと息を漏らし、「いいえ、まだです」と答えた。陽一が微かに口の端を上げる。


「僕はこれからここで分院をやるんだけど。何か足りないと思わない?」


 思わず声を立てて笑ってから、「助手がご入用ですか?」と尋ねた。


「いや、惜しいっ! ちょっと違う」


 意外な返答に息を呑み、もしかして勘違いをしてしまったのかと俯いた。すると陽一が慌てたように声を上げた。


「違うよ、珊瑚君。そうじゃないんだ」


 俯いていた顔を上げると、陽一がごほんと咳払いをしてから硬い表情で珊瑚を見つめた。


「足りないのは助手じゃない」



「珊瑚君だ」



 一瞬何を言われのか分からなかった珊瑚は、ぽかんと口を開けて陽一を見上げた。陽一は「あれ?」と頭を掻いて、気まずそうに続けた。


「珊瑚君、僕と一緒にこの分院にきてほしい」


 珊瑚は目を瞬いて、口をぱくぱくと動かした。今陽一は、助手ではなく珊瑚と言っただろうか。それは一体どういう意味だろう。


「……返事は?」


 自信なさげに珊瑚を見下ろした陽一を見ている内に、珊瑚の顔にじわじわと熱が集まる。徐々に滲む視界に唇を結んで、大きく頷いた。


「はいっ。よろしくお願い致します」


 言葉と共に深く頭を下げると、ぽろりと一雫の涙がこぼれ落ちた。そのとき、「はあ」という大きなため息が聞こえ、珊瑚はゆっくり顔を上げた。


 陽一はごそごそと上着の内ポケットを探り始めた。その拍子に開いた隙間から、ネクタイの上でキラリと光るものが覗いた。それが珊瑚の贈ったネクタイピンのタンザナイトだとわかり、再び頬が熱くなる。遂には、口をムズムズさせながら俯いた。


「これ、もう一度着けてくれる?」


 視線の先に差し出された掌の上には、あの簪が乗せられていた。ぱっと顔を上げた珊瑚は、前のめりになって陽一を見上げた。


「先生が持っててくれたんですか?」

「うん。あのあと一馬が来て助けてくれたんだけど。そのときに壊れてたから、直して貰ってたんだ」

「よかった……ありがとうございます」

「修理のおかげで渡すのが遅くなっちゃったけどね。……危うく逃げられるところだった」


 目を瞬いた珊瑚は、きまり悪くなって視線を彷徨わせた。ぷっと吹き出した陽一が、ゆっくり珊瑚の後ろに回った。恐る恐る不器用な手つきで、珊瑚の髪に再び簪が戻された。


 珊瑚はふと誕生日のことを思い出して「あっ」と声を上げて陽一を振り返った。


「どうしたの?」

「誕生日の日、篠塚さんに言われたことを思い出しました」

「涼介が? 一体なにを」

「簪を贈る意味を知ってるかって」


 黙り込んだ陽一は、不自然に視線を逸らした。なぜそんな顔をするのかわからず、珊瑚は首を傾げた。


「それで、珊瑚君はなんて?」

「知らないって答えたら教えてくれたんですけど」

「……そう」

「でも、意味がわからないんです」

「うん?」


 怪訝な表情を浮かべた陽一が、探るような目を向けてくる。珊瑚は眉を寄せながら、その時のことを思い起こした。


「簪を贈る意味は、球根って言われたんです」

「え、きゅうっ……こんっ。あ、あいつそんなことを……え。いや、意味がわからない?」


 耳まで真っ赤になりながら、両手を振って焦っていた陽一は、最後に訝しげな表情を浮かべた。珊瑚は顎に手を当て、唸り声を上げた。


「そうなんです。先生に頂いたのは切り花でしたから」

「えっ、切り花? なんで突然花の話が?」


 珊瑚は至極真面目な表情で深く頷いた。


「頂いたダリアは球根植物です。でも、切り花って球根は取ってありますよね? だから、やっぱり意味がわからなくて」


 そのまま悩み始めた珊瑚を、陽一がぽかんとした表情で見下ろした。すこし間を置いてから、今まで聞いたこともないような大きなため息を吐いた。


「珊瑚君、やっぱり惜しいね。涼介が言ったのはその球根じゃなくて」


 言い淀んだ陽一が、言いにくそうに「結婚のことだよ」と呟いた。


 その言葉に、珊瑚は目を丸くして息を止めた。一気に全身が熱くなり、何が恥ずかしいのかすら分からなくなる。頬に手を当てて下を向いた珊瑚に、陽一が更に続けた。


「落ち着いて、珊瑚君。僕があのとき込めた意味は、ちょっと違うから。簪には確かに求婚の意味もあるけど、『君を守りたい』って意味もあるんだよ」


 決まり悪そうに頭を掻いた陽一は、珊瑚と同じく首まで赤くなっている。少しだけほっとしたような、けれどそれ以上に残念なような気持ちになって、珊瑚は益々顔を赤らめた。


 本当はそれ以外にもう一つ、『ずっと一緒にいたい』という意味が込められていることを珊瑚が知るのは、もう少し先のことだ。


「ところで珊瑚君、ネクタイピンを贈る意味は知ってたの?」


 きょとんとした珊瑚に、陽一は少し呆れたようなため息を吐いた。それからちょっとだけ意地悪な、けれど今まで見た中で一番の笑みを浮かべてこう言った。


「ネクタイピンを贈る意味は——」



『あなたに首ったけ』



『あなたを支えたい』







 

最終話までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!


明日21時台から、『はじまりの樹』を【初回、プロローグ+5話投稿】する予定です。(時間差で1話ずつになります)

https://ncode.syosetu.com/n8377mr/

こちらも完結まで執筆済みとなっておりますので、よろしければぜひまたお付き合い頂けると嬉しいです!



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