14-4
その男は、顔つきこそ整っているが、目付きは鋭く酷く冷たい。すべてのものを見下すようなその目は、珊瑚の胸に深く突き刺さる。髪や瞳の色合いは、珊瑚とそっくりだ。
「平良の小倅まで運んでくるとはな。こいつのオパールは使い物にならんのに無駄なことを」
冷たく見下ろす男に、痣の男はさっきまでの威勢をなくす。
「む、娘をおびき出すのに必要になって……」
「言い訳するな。聞き苦しい」
どこか平坦なその口調は、聞くも者の心を凍らせる。熱のこもらないこの話し方は、幼い頃に聞いたものと一つも変わっていない。あの人に体温を感じた事など一度もなかった。
「まあいい。目的の物は揃ったな。おい、三号を運んで来い」
その言葉に珊瑚はひゅっと息を呑む。その後ろで陽一が訝し気に「三号?」と呟く声がする。
(誰にも……。先生には、知られたくなかったな)
「ぐずぐずするな、さっさと運べ」
痣の男――商会長が珊瑚に手を伸ばした。手足を拘束された陽一は、ずるずると這いながら珊瑚の前に移動する。
「待てっ、珊瑚君をどうするつもりだっ!」
その言葉に統司はピクリと肩を震わせる。ゆっくり振り向き見下ろす瞳に、一瞬苛立ちを滲ませた。
「……お前は実験体の癖に、まだ人のように名乗っているのか。まさか俺が言ったことを忘れたわけではあるまいな?」
珊瑚はその言葉に、ガタガタと全身を震わせる。煩い鼓動が耳を打ち、周囲が黒く染まっていくような気がした。座り込んだ地面がなくなって、ぽっかり空いた穴に落ちてしまいそうだ。呼吸が荒くなり、冷や汗が背筋を流れる。もはや視線を上げる事すら叶わない。
「珊瑚君っ」
陽一の声がかすかに聞こえるが、声を出すこともできずにただ俯き震える。それを冷たく見下ろした統司が、小さく舌打ちをした。
「三号、お前は一号と二号の失敗を学んでようやく成功した実験体だ。今から有効に使ってやるから感謝するがいい」
珊瑚はその言葉にゆっくりと顔を上げた。まだ震えは止まらないが、一悟と二胡の名前に思わず呟きを漏らす。
「い、一悟にいと、二胡ねえの……失敗?」
「まだその下らん呼び名を使うのか。まあいい。そうだ、一号と二号は失敗した。お前のガーネットの魔石は、一号と二号で失敗したものを、お前にそのまま使ったんだ」
珊瑚は言葉を失い、目の前が暗くなる。
「失敗? 人の命を、なんだと思ってるんだっ!」
陽一の声が珊瑚の耳を掠めた。
珊瑚は頭を殴られたようなショックに、目の前が霞む。視界が揺れて、座っていることすらできずに崩れ落ちた。床についた両手をギュッと握りしめ、わなわなと震えだす。
(そうだったんだ。あれはそういう意味だったんだ……)
珊瑚は幼いころ、初めて一悟と二胡に夢の中で会った日の事を思い返す。
その日珊瑚は絶望した。
目を魔石に変えられて以来会っていなかった父親が、気まぐれに邸を訪れた。あんな酷い目に合ったのに、まだ父親というものに期待と憧れを抱いていた。自分がどう思われているのか理解していなかった珊瑚は、母同様とまではいかずとも、何かしら声を掛けて貰えるのではないかと期待して、そっと近くに寄っていった。
慌てた使用人が片腕を引っ張り連れ戻そうとするが、大きな声で父親の後ろ姿に声を掛けた。
「おっ、お父さんっ!」
その声にぴたりと足を止めた父親は、ゆっくり振り返った。少しの笑みを浮かべることもなく、まるで汚らわしいものを見るかのような目つきで冷たく珊瑚を見下ろす。周囲の使用人が顔色を青くして頭を下げるが、なぜそんな事態に陥っているか理解することができなかった。
「お父さんっ、珊瑚ですっ!」
無邪気に声を弾ませる珊瑚の言葉に、父親の片眉がピクリと動く。
「サンゴ……だと?」
予想外の低く、怒りの滲むその声に、珊瑚はぴたりと動きを止めた。使用人が抱えて連れ去ろうとするが、父親がそれを止めた。
「一度はっきり分からせなければならんな」
目の前まで歩いてきた父親は、憎々しげに珊瑚を見下ろした。
「いいか、お前の呼び名は三号だ。サンゴなどと人間のような名前を名乗る価値はない。お前は、実験体の三号だ。よく覚えておけ」
騒ぎに気付いた母に連れられ、珊瑚はそのまま母の部屋で過ごしたはずだ。珊瑚にはその記憶があまりない。
泣き疲れていつの間にか眠ってしまい、夢の中でも泣いていた。しゃがみ込んで泣いていると、いつの間にか現れた一悟と二胡が声を掛けてきた。
『おい、珊瑚っ』
『ねえ、珊瑚ちゃん』
『泣くな、珊瑚』
『泣かないで、珊瑚ちゃん』
珊瑚は滲んだままの視界で声の方を見上げた。
『俺は一悟だ』
『私は二胡よ』
『俺はお前のにいちゃんで』
『私はあなたのおねえちゃんよ』
今より大分幼い二人は、珊瑚より二つ年上の双子だと言う。
『お前が悲しいと俺も悲しい』
『珊瑚ちゃんが辛いと、私も辛いわ』
「おにいちゃんと、おねえちゃん?」
ふわりと笑った二人が交互に答える。
『そうだ、珊瑚。おにいちゃんだ』
『そうよ、珊瑚ちゃん、おねえちゃんよ』
『お前が泣いてる理由は、ちゃんとわかってる』
『私たちも同じなのよ』
「同じなの?」
悲しげに頷く二人は、両側から珊瑚をそっと抱きしめる。
『珊瑚は珊瑚だ』
『お母さんもそう言ってくれたでしょう?』
「うん。でも……」
『俺も二胡も母さんも、珊瑚のことが大好きだ』
『私も一悟もお母さんも、珊瑚ちゃんの名前を呼ぶわ』
『どんな時でも一緒にいるからな』
『いつも珊瑚ちゃんを見守ってるわ』
同じと言ったのは、一号二号という呼び名のことだけではなかった。母に貰った一悟、二胡、珊瑚の名前のことでもなかった。二人も同じ、『実験体』だった。失敗して命を落としたから、二人の魂はガーネットの魔石に宿った。珊瑚が命を落とさなかったのは――もしかしたら、二人が命を繋いでくれたのかも知れない。それからずっと、夢の中で珊瑚を助けてくれた。何も言わずに寄り添ってくれた。
珊瑚の頬を涙がぽろぽろ伝って落ちる。二人のことをただの夢だと思っていた。魂なのだと知ったのは、少し前だ。魔石に宿る理由を、二胡は珊瑚に話したがらなかった。その理由が、やっとわかった。二人は珊瑚より前に、あの恐怖と苦しみを味わっていた。同じ目にあったと知った珊瑚が、どれほど悲しみ傷つくかをわかっていた。だから何も言わなかったのだ。珊瑚より前の犠牲者だった二人は、それでも魔石に宿って珊瑚を見守っていてくれた。ずっと、ずっと、珊瑚の味方だった。
「珊瑚君っ、しっかりして。珊瑚君は珊瑚君でしょう!」
陽一の呼ぶ声がようやく耳に届き、珊瑚はびくりと肩を揺らす。拘束されたまま守るように自分の前に居る陽一は、何度も珊瑚の名前を呼ぶ。
(ああ、まだ珊瑚って呼んでくれるんだ。私は三号じゃなくて、お母さんが名付けてくれた『珊瑚』でいていいのかな。神崎珊瑚で……いいのかな)
珊瑚が『神崎珊瑚』を名乗る一番の理由がこれだった。統司を父親として認めていない、それも本当のことだ。統司が出生届を出しているのかもあやふやで、まともな名前すら与えられなかった。母がくれた名前だから、『神崎』珊瑚にしかなれなかった。珊瑚が父親を認めていないのではなく、認められていないのは珊瑚の方だった。
でも、今は違う。『なれなかった』自分ではない。帝都で出会った人たちが、西野が、陽一が、珊瑚を『神崎珊瑚』にしてくれた。人はきっと誰かに認められて初めてそこに存在する。母と二人の狭い世界で、それは分からなかった。帝都に来て珊瑚の世界は少しだけ広がり、そこでやっと自分自身を手に入れた。
珊瑚はごしごしと袖で涙を拭い、統司にまっすぐ視線を向けた。
「私は……私は珊瑚です。あなたが何と呼ぼうが、『神崎珊瑚』です」
目を細めた陽一は、「珊瑚君……」と小さく呟いた。
統司は二人の様子に一瞬眉を寄せ、しかしすぐに嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「ふん。まあいい。どうせその戯言を聞くのもあと少しだ。計算通りこの十二月に全てを奪うことができる。どちらにせよ、すべては俺の思うがままだ……」
その言葉に、珊瑚と陽一は、はっとして統司を見上げた。やはり統司は十二月に拘っていたのだろうか。
浮かべた笑みを消し、統司は商会長に顎をしゃくって平坦な声で告げた。
「さっさと運べ」
商会長は邪魔になった陽一を容赦なく蹴り上げた。陽一の低い呻き声が響き、離れた場所へどかされる。
「先生っ!」
珊瑚が陽一に手を伸ばすが、届く前に頬に熱が走り倒れこんだ。その衝撃で、珊瑚の簪がカシャンと音を立てて床に落ちる。
殴られたのだと気付いた時には、商会長に担がれていた。視界が滲み声も出せず、担がれて圧迫された胃が苦しくなる。落とした簪はどこかに転がってしまったのか、倒れた場所には見当たらない。そこにあったのは、担がれた時に落ちた歪んで壊れた眼鏡だけだ。部屋を出る寸前、体を九の字に曲げ、顔を歪めながらこちらを見上げる陽一が視界に入る。無事であることに少しだけ安堵した。
(先生は、きっと大丈夫。いち君がいる。それに、きっと西野さんも篠塚さんも来てくれる。皆が先生を助けてくれるって、信じよう)
担がれ頭を下に向けたままの珊瑚には、どこを歩いているのかはっきりとは見えない。しかし、屋敷を出て移動しているのが分かる。恐らく併設された研究棟へ向かっているのだろう。そこにはきっと母が居る。
ガチャリと音が響き、キイと扉を開く音がする。研究棟の中に入ったのだろう。また鍵のかかる音がして、そのまましばらく運ばれた。突然どさりと床に落とされ、珊瑚はその衝撃に顔を顰める。痛みを堪えて見上げると、商会長が珊瑚を見下ろし「ついてこい」と顎をしゃくった。
示された先を見ると、二階へ続く階段が目に入る。手をついて立ち上がり辺りを見回すと、カーテンの引かれた一階には様々な魔石が並べられていた。珊瑚は左目が疼くような感覚に見舞われ、思わず手で覆う。
頭を軽く振って、階段へ足を進めた。さっきからずっと頬が熱を持っているのが、それ以上に左目の違和感が酷くて気分が悪くなる。それでも足を止めるわけにもいかず、そのまま二階まで登った。
「早く来い、三号」
統司の言葉が冷たく響き、珊瑚はびくりと肩を揺らす。それでも足を竦ませる事なく両手をきつく握りしめ、ゆっくり統司の方へ歩いていく。
いくつも並ぶ扉のうちの一つを開けて統司が中へ入っていった。その後ろについていくと、部屋は眩い日の光に満ちている。先ほどまでの薄暗さとの落差に、思わず珊瑚は目を瞑る。うすくめをあけ、瞬きしているうちに明るさに慣れてきた。細めた目で中を見回すと、窓際の椅子に一人の女が座っている。
まっすぐで腰まで伸びた艶やかな黒髪に、端正な顔立ちは珊瑚によく似ている。珊瑚の記憶にある、田舎の邸で穏やかにほほ笑むその女は、常に和装だった。一度も見たことのないドレス姿に、珊瑚は思わず走り寄ろうとした。
「お母さんっ!」
珊瑚が一歩を踏み出した瞬間――。大きな影が珊瑚の前に立ち塞がる。
「実験体風情が、澪を母と呼ぶな」
統司の刺すような視線と氷のように冷たい声に、珊瑚はぎゅっと唇を噛みしめた。そこから近寄れずにもどかしさを感じる珊瑚をその場に残し、統司はゆっくり澪の方へと歩み寄る。
「澪、ようやく三号が来た。これでやっと全てが終わる」
澪を見つめるその目に、珊瑚は違和感を覚えた。溺愛していると聞いていたが、これは本当にそうなのだろうか。
一方の澪は、統司の言葉にも、目の前の珊瑚にも何の反応も示さない。
「お母さん……お母さんに、何をしたんですかっ」
統司は澪から珊瑚に視線を移し、冷めた目をして平坦な声で答えた。
「お前の質問に答える価値はない」
珊瑚は握った両手を震わせて、統司に鋭い視線を向ける。
「そうやってお母さんの気持ちもちゃんと聞かずに、自分の都合だけで壊したんですか?」
統司が片方の眉をピクリと動かした。
「何を言っている」
珊瑚は鋭い視線を向けたまま、両足をぎゅっと踏みしめた。
「最初からずっとあなたは、お母さんの言葉も気持ちも何も聞いていない。一人よがりな自分の気持ちを押し付けてるだけですっ!」
「お前に何が分かるっ!」
地の底から響き渡るような怒鳴り声に、珊瑚はぎゅっと目を瞑るが、後ずさることなく再び視線を統司に向けた。
「お前ごときに何が分かるっ。お前は……お前も、双子も……ただ実験の為に生まれただけのくせに……」
ぶつぶつと呟き出した統司は、頭を抱えて膝をついた。目は血走り、先ほどまでの冷静さが嘘のように顔を歪めて俯いた。
「そうだ、澪が悪いんだ。澪があの時……」




