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14-3

 馬車を降りた珊瑚と一馬は、石畳の敷かれた急な坂道の上にある屋敷に視線を向ける。小さな森を抜けた先に佇むのは見るからに不気味な建物だ。元々研究者である統司は、屋敷兼研究所を持っていると聞いていた。


 研究棟があることから、周囲に何もない場所を選んだようだ。実験で何かあっても他の家に被害が及ばない様にと、国に指定された場所がここだ。


 ほかに家もなく、藤原の屋敷に用事がある者以外はこれより先に立ち入る事はない。


 珊瑚は息を大きく吐き出して、真っすぐ屋敷を見上げる。あそこに、陽一がいる。きっと母もいる。


 覚悟を決めた珊瑚は、一馬を振り返った。


「いち君、私は行きます。いち君は……出来れば戻って欲しいけど」

「俺は珊瑚と行くぜ」

「……そうですか」


 珊瑚は一つ頷き、口を開く。


「私、走るのだけは速いんです。いち君はきっと追いつけないくらい。だから、ゆっくり来て下さい。それと、あの屋敷の者に見つかればどうなるか分かりません。いち君は、見つからないように用心して、先生を見つけたら助け出してください」

「わかった」

「それと、もし私に何かあっても、絶対に何とかしようなんて思わないでください」

「なんでだよ! そんな事出来るわけないだろっ」

「駄目です。とにかく、自分と先生を優先してください。お願いします」


 珊瑚は小さく微笑み、一馬の返事を聞かずに踵を返して走り出す。


「珊瑚っ!」


 一馬の声が追いかけてくるが、振り向かずに勢いよく駆け出した。一馬は大きな鞄を抱えているから、珊瑚に追い付くことはないだろう。あの中身を思い浮かべて、こんなときなのに珊瑚の口元が微かに緩む。

 

 走り出したはいいが、急な坂道が珊瑚の息を乱していく。冷えた石畳にブーツの硬い足音だけが響く。その音すら霞む程ずっと心臓の音がドクドクと耳を打った。


(苦しい……。でも、こんな所で立ち止まってる場合じゃない!)


 呼吸が乱れて喉が焼けるように熱くなる。何とか足を前に出すだけで精一杯だけれど、立ち止まる訳には行かない。とっくに限界を迎えた足を気力だけで前へ前へと蹴り出して行く。


 肩で切り揃えられた濃茶の髪が靡いて乱れるが、今は気にしている余裕もない。


 あっと思った時には既に遅くて、冷たい石畳に叩きつけられるように滑り込んでしまう。着物も袴も泥にまみれて、冷たい石の感触が体に染みて涙が滲む。


(先生、今度は絶対私が助けるから。だから……待ってて)


 手に力を込めて立ち上がろうとするが、限界を迎えた身体が言うことを聞かず再び崩れ落ちた。涙の一滴落ちた石畳が目に入り、あの日帝都に着いたばかりの駅の光景が頭の中に浮かぶ。


(そう、あの時も躓く所から始まったんだ)


 頭の中にあの日の駅の喧騒が蘇る。初めて帝都に足を踏み入れたあの日、サンゴはあの場所でも躓いていた。駅のホームは到着したばかりの汽車から降りた人たちでごった返していて、耳をつんざく様な汽笛が鳴り響いていた。そんな喧噪の中で、あの日のサンゴも派手に転んで蹲っていた。


(あの時は、いち君が助けてくれた。転びそうになる度、先生が手を差し伸べてくれた)


 まだ思った以上に遠く構える屋敷を見上げながら珊瑚は歯を食いしばる。転んだ珊瑚を嘲笑うかのように聳え立つ屋敷は、なお遥か上にある。


 あそこに陽一がいる。きっと母もいる。二人とも、珊瑚をいつも助けてくれた。それ以外にも、帝都に来てからの珊瑚は沢山の人たちに支えられて生きてきた。


 今ここに珊瑚を支えてくれる人は誰も居ない。でも、だからこそ珊瑚は一人で立ち上がらなければと手足に力を籠める。


(絶対二人を助けなきゃ!)


 ふらつきながらどうにか立ち上がった珊瑚は、乱れた息のまま両手で膝を払った。その音に背中を押されるようにして、珊瑚は再び足を前に進めた。


 果てしなく遠くに思えた屋敷が徐々に大きくなってくる。遂に辿り着いた屋敷を前に、珊瑚の心臓はより一層どくどくと鳴り響く。


(先生は、どこだろう。お母さんは?)

 

 しばらく屋敷を眺めた珊瑚は、ふと田舎の屋敷と、見た目は違うが構造が似ている事に気付く。きっと右手に回れば使用人の出入り口があるだろう。陽一が居るとすれば、昔珊瑚が忍び込んだ地下室のようなところかも知れない。


 そうあたりを付けた珊瑚は、屋敷の右手へ回り、簡素な出入り口を見つける。心臓が早鐘を打ち、微かに震える手でそっと扉の取っ手を押してみる。キィという音が微かに響き、ゆっくりと扉は開いていく。恐る恐る足を踏み入れると、中は厨房のようだ。使われている様子はなく、調理器具や調理台には埃が積もっている。田舎の屋敷と同じ構造なら、ここを抜ければ地下に繋がる階段がきっとある。


 珊瑚は足音を立てないようにそっと足を進める。果たして目当ての場所に下りの階段を見つけ、珊瑚はほっと胸を撫で下ろす。やはり、ほぼ変わらない構造になっているようだ。


 ゆっくり階段に足を下すと、キイキイと音が鳴る。珊瑚はそれにびくびくしながらも、陽一を探してそのまま下へと進んで行く。


 地下に辿り着くと、うっすら明りの漏れる部屋を見つけた。ドクドクと鳴り響く心臓が煩く、膝が震えそうになる。そっと近付き、中の様子を窺うが何の音もしない。躊躇したのは一瞬で、珊瑚はゆっくりその扉を開いて中を覗き見る。部屋の隅々にまで視線を巡らせるが、陽一の姿はない。しかし、部屋の隅に大きな麻袋が落ちている。


 嫌な予感に背筋が凍り、青ざめた顔で珊瑚は一歩ずつ麻袋に近寄る。震えそうになる両手をぎゅっと握りしめ、そっと袋に手を掛ける。慎重に袋を押し下げると、人の頭が見えてきた。


 ゴクリと唾を飲み込み、そのまま顔の見えるところまで引っ張ると、目を閉じた陽一の顔が現れた。


「せ、先生っ!」

 

 珊瑚は思わず声を上げ、陽一の顔を慌てて覗き込む。目を閉じたままの陽一は、小さく唸り声を上げた。陽一の無事を確認した珊瑚は、ほっと胸を撫で下ろす――その途端、背後で鳴り響く轟音に肩が跳ねる。


「手間かけさせやがって」


 立っているのは顔に痣のある男だ。歪んだ笑みを浮かべ、どこか落ち着きなく足を踏み鳴らしている。先ほどの音は、扉を足で蹴り開けた音のようで、足跡の残る扉がキイと音を立てて軋んでいる。


「あ、あなたはっ!」

「うるさい、騒ぐな実験体っ」


 男はイライラした様子で珊瑚を怒鳴りつけた。ビクリと体を震わせるも、珊瑚は陽一の前から一歩も引かない。


「……うるさいのは、あんたの方だよ」


 背後から聞こえるどこかのんびりとした声に、珊瑚は思わず振り返った。


「やあ、珊瑚君。駄目じゃないか、こんな危ない場所に一人で来るなんて」


 ずるずると麻袋から出てきた陽一は、両手両足を紐で縛られた状態だ。


「これじゃあ、僕はイモムシみたいで格好つかないね」


 器用に麻袋から這い出した陽一は、壁に寄りかかり鋭い視線で男を射抜く。


「あんたさっき、珊瑚君を何て呼んだ?」

「実験体は実験体だ。それがどうした?」

「……その呼び方は許しがたいな。口に出すのも汚らわしい。藤原統司に良い様に使われてるだけの人間が、何を偉そうに騒いでるんだろうね?」


 陽一の挑発に、男は怒りで顔を赤く染め、押し殺すように歯噛みする。

 

「……お前に、何が分かる」

「さあね、僕にはあんたの事情なんて知らないし、知りたくもない。ただ顎で使われて卑怯な手しか使えない情けない奴だって思うだけだね」


 両手の拳を握りしめた男は、小さく呻き声を漏らす。


「……俺だって。俺だって好きでこんなことやってる訳じゃないっ!」


 肩を竦めた陽一は、「別に知りたくないって言ってるのに」と呟く。

 珊瑚は男を見上げ、静かに口を開く。


「あの人に……なぜ藤原統司に従うんですか?」

「……俺は、あいつの……共(・)犯(・)に(・)仕(・)立(・)て(・)上(・)げ(・)ら(・)れ(・)た(・)からだ」

「どういうことですか?」


 顔を歪めた男は、踏み鳴らしていた足を止めて、珊瑚を見下ろした。やがて目を細めて俯きがちになった男が語りだす。


「そもそも俺はそこそこ期待された神官だったんだ……」


 男が神官になったのは、大学の神学部を卒業してすぐのことだった。神学部であることが必ずしも神殿に入る為の条件ではないのだが、神殿へ行く人間が多くいる。その為、学生時代からの縁で早くに役職に就ける者も少なくなかった。


 男もご多聞に漏れず、その伝手に期待して奉仕の道を選んだ。学生時代の成績もよく、先輩方の覚えも目出度い。順調に行けば、すぐに良い役職に就くことも出来るだろう。


 男の実家は、神殿に出入りする古くからの商会で、両親からは後を継ぐことを期待されていた。しかし男は、それをつまらない事だと思っていた。決められた商会長の道より、他人に評価されて上り詰める。男はそちらの方に価値を感じていた。


 男が神官になって五年が過ぎたころ、監督官補佐から監督官へと昇進した。神殿の中でも限られた者にしか許されない地位だ。五年でこの地位を授かるのは、自分が思うよりずっと早かった。将来を期待されていると実感が湧き、娶った妻には子供も生まれ、順調な日々を過ごしていた。しかしそれは、男にとってひと時の平穏だった。


「明日から、国の研究を補佐するように」


 上役からそう告げられたのは、監督官になってほどなくしてからだ。


「……なぜですか?」


 納得いかずに思わず抗議するような声が出る。


「お前は期待されてるんだ。今回の研究は、稀代の天才が主導する国の肝入りだ。神殿から派遣する神官も、それなりの地位と能力がなければ務まらない。お前なら出来ると期待されてのことだ」


 男はその言葉に内心小躍りした。やはり自分は期待されている。神殿のからは一部の人間しか携わる事が出来ない研究に、自分が選ばれたのだ。じわじわと胸の奥が熱くなり、更なる欲も湧いてくる。もっと上り詰めて、もっと名声を浴びて、実家にも家族にも誇れる日が来る。早くも上り詰めた自分を想像して、男はほくそ笑んだ。


 研究が始まると、藤原統司という男の異才ぶりは周囲を圧倒した。能力はもちろんのこと、その思考には誰も及ばないどころか着いてさえいけない。たかが学生であるはずなのに、助手の大人達は誰もが理解の範疇を超えた統司の言動にすっかり翻弄されていた。


 男も当然その内の一人で、早くも自信を喪失していた。それでも少しは役に立たなければ、神殿に戻ってからの地位がどうなるかと不安が過る。少しでも目に留まろうと、統司の言いつける雑用を、文句も言わずにこなしていた。


 失敗を繰り返した研究も、二年経過したところで中止の沙汰が下る。国からの命令は絶対だ。男はこの役目から解放されることにほっとすると共に、何も残せなかったことへの口惜しさを感じた。何も残せず、統司に重宝された訳でもない。このままでは上り詰めるという夢は叶わないかも知れない。


 そんな風にもやもやとした気持ちを抱えた男に、統司から声が掛かる。


「おい、そこのお前。神殿から俺の荷物を運んでこい」


 横柄な物言いは、旧華族出身で、稀代の天才だからこそ許される事なのだが、年上相手に随分な態度だ。それでもぐっと堪えて、男に否やはない。


 神殿の一角に置かれた箱を持って藤原の屋敷へ向かった男は、なんの疑問も持たずにその箱を渡した。


 すぐに代わりの箱と書類を渡され、今度はそれを同じ場所に置いてくるように言われる。訳も分からずその箱を置き、書類の中身も確認せずに言われた通り提出した。

 

「言われた通りに箱は置いてきたか?」

「はい」

「お前の名前で書類の提出も済ませたな?」

「おっしゃる通りに」


 今までこんな風に念押しされた事もなく、不思議に思い眉を顰める。その視線に気付いた統司が、男に告げる。


「これでお前は共犯だ」


 意味が分からず目を瞬く男に、統司は楽し気に口元を歪めて笑う。


「あれは、魔石のレプリカだ。お前は古の魔石を俺の家に持ち込み、偽物とすり替えて神殿に戻した。お前は俺の共犯者だ」

「なっ、そんな馬鹿なっ! 俺は、何も知らない……そ、そんなこと、許されるわけが……」


 ガクガクと体が震え、冷や汗が一気に噴き出す。震える拳を握りしめ、狭くなった喉から声を絞りだす。


「ま、まさか、俺を嵌めたのかっ」

「物騒なことを言うな。お前はお前の名前で古の魔石を持ち出し、すり替えたんだ。すべてお前の責任だろう。……今更誰かに打ち明けようなんて思うなよ。お前の親や家族……子供が知ったらどう思うだろうな? ……それに」


 統司は口元に笑みを浮かべながら、男を見下ろし低い声で続ける。


「俺に手に入れられないものはない。お前の親や家族をどうするかは、俺の気分次第だ。よく覚えておけよ?」


 その言葉に頭を殴られたような気分に陥る。目の前が暗くなり、呼吸が荒くなる。耳に響く鼓動が煩く、統司の声が遠く霞む。そのあとどのようにして家に帰ったのかは覚えていない。



 珊瑚は口を引き結び、言葉を発することも出来ずに男を見つめる。


「あの日以来、神殿に居る間は毎日怯えて過ごした。だが、親父が死んで、商会を継ぐことになったとき、もうどうでもいいと思うようになった。神殿で上り詰める夢は散った。魔石をすり替えた時点でもう俺は犯罪者だ。どう犯罪者なら、もう何をしても同じだろ」


 その言葉に陽一がギリっと歯を食いしばる音が響く。


「……人を殺しても同じだと?」

「はっ。平良弘樹はしくじったな。始末したと思ったのに」


 陽一が口を開き声を発しようとした刹那、低い声が響き渡る。


「いつまで無駄話をするつもりだ。相変わらず使えん奴だな」


 男の後ろから姿を現したのは、不気味な空気を纏い、鋭い目つきの男だ。


 珊瑚はその男の姿に、くらりと眩暈を感じる。ただ目の前に立っているだけなのに、なぜか体が震えてガチガチと歯が鳴る音がする。


 後ろから陽一が「珊瑚君っ」と呼び掛けているが、珊瑚の耳には微かな音として響くのみで、視線を動かす事すらできなかった。

 

明日は2話更新です

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