14-1
珊瑚が倒れてから、一ヶ月ほど経過した。今日は西野と話をするために、以前訪れた隠れ家的な喫茶店に来ている。西野は神殿で話すことも考えたようだ。しかし、神殿長の部屋に特例で頻繁に客を招くのはあまりいい事ではないし、まだ商会長が神殿に出入りしている。珊瑚と陽一が顔を合わせれば危険かも知れない。何せ、商会長は弘樹を襲った犯人である可能性が濃厚なのだから。
「陽一君に、珊瑚さん。足を運んで貰ってすまんな」
「いいえ。その後何か進展はあったんですか?」
「ああ。概ね証拠が固まった」
「それは、商会長の方ですか?」
「ああ、商会長もだが藤原の方もだ」
珊瑚はごくりと喉を鳴らす。一悟と二胡の言っていたとおり、あの人に会う日は近いようだ。
「商会長は元々神殿の人なんですよね?」
「そうだ。国の予算が出ていた研究で、藤原の助手の一人だった」
「神殿から助手が出ていたんですか?」
「古の魔石を使うからには、管理している神殿が携わるのは当然だからな」
陽一は深く頷いた。
「そもそもの始まりは、国が古の魔石を使った研究をしようとした事からだ。未だにどんな力が隠されているのか、安全に使う方法があるのかすら解明されていない。今までも何度か解析を検討されてきたが、実現はしなかった」
「なぜですか?」
「そんなことが出来るほどの頭脳を持った人間がいなかったからだ。だが、藤原は他に類を見ない程の天才だ。こと魔石に関しては、国内外問わず誰も奴には及ばない。今まで実現できなかったことが出来るかも知れないと期待されたんだ」
西野は珊瑚をちらりと見て、逡巡してから口を開いた。
「……そもそも藤原は、旧華族出身で金も人脈もある。だから、元々独自に魔石の研究をしてた。そこで挙げた成果もあって、学生の身分でありながら国の研究を主導するまでになった。奴の発表した論文は、実用性のみならず、新たな発見も多かったからだ」
「……あの人は、そんなにすごい人なのですか?」
珊瑚は統司のことを何も知らないが、世の中の役に立つような人物だという事に違和感を覚えた。今まで数回しか見たことの無い統司の姿を思い浮かべると、背筋にぞくりと寒気が走る。
「そうだな、身近な例で言えば……大学病院で使われてる職員の呼び出し用ベルがあるだろう? 離れた場所でも呼び出せたり、持っている人間がどこにいるのか管理したり。ああいう仕組みを作ったのは藤原の研究の成果だ」
「……そうだったんですか」
「あいつの場合は人の役に立ちたいなんて殊勝な気持ちはないがな。それでも、世の中の役に立つ研究はほかにも色々ある」
陽一が納得したように頷いた。
「つまり、それらの成果によって国が藤原統司に目を付けたって事ですね」
「そうだ」
「その研究はどんな内容だったんですか?」
「詳細は研究に携わった人間にしか明かされていない。神殿側もごく一部しか知らない事だ。ただ、中止になった理由だけは神殿側の記録にも残されている」
「……前に西野さんが言っていた、人の感情を左右する効果のことですね?」
「そうだ。それだけは後世に残し、二度と古の魔石を使わぬようにと戒める為の記録だ」
「それなのに、藤原統司は古の魔石を秘密裏に持ち出した」
「ああ。それに協力したと思われるのが、商会長だ」
珊瑚はごくりと唾を飲み込み、膝の上で掌をぐっと握りしめた。
「商会長さんは……あの人に、利用されているのでしょうか?」
「それはまだわからん。自ら協力しているのか、弱味を握られているのか。どちらにせよ、古の魔石を持ち出したのは商会長に違いない」
「証拠が見つかったんですか?」
「確たる証拠とはいかんのが痛いがな。魔石の持ち出し記録を照合すると、それ以外に考えられない」
「証拠が固まった訳ではないのでしょうか?」
「概ね、と言った通りだ。古の魔石が藤原の家に持ち出され、返却されたという記録はある。しかし、前に言った通り複数の魔石がレプリカになっていた。つまり、藤原の家から戻された時点で既にすり替えられていたことになる」
陽一が考え込みながら問いかけた。
「ほかにも何か分かったことが?」
「君たちが話を聞いた相手に、こっちでも聞き取りをした。その中で、桜井直人氏の見た男と、野村蔦子が黄瀬氏の母親に紹介した男が、商会長だったことが確定した」
「その二件だけですか?」
「……いや。他の人たちが受け取った物に魔石を嵌め込む加工をした店に、聞き出した。すべて商会長自らが依頼していた事が判明している」
「では、そろそろ神殿も動くんですか?」
西野はため息を吐きながらガシガシと後頭部を掻く。
「それが……そう簡単にはいかんのだ」
珊瑚は前のめりになり、西野に詰め寄る勢いで口を開いた。
「どうしてですかっ?」
「私としても一刻も早く捕えたいところだが……。どうにも役所というのは手続きがいろいろと必要でな。神殿だけじゃない。あいつは重要な研究に携わるような存在だ。旧華族出身という身分もある。国としてもそう簡単に逮捕の許可を出すわけにはいかんのだ」
珊瑚は俯き、ぎゅっと口を引き結ぶ。
「悪いが、もう少しだけ待ってほしい。その間、商会長と藤原の監視は怠らない。手筈が整えばすぐに知らせる」
「……はい」
気を落とした珊瑚の肩を、陽一がそっと叩く。
「珊瑚君、僕も早く動きたいけど……ここはじっくり腰を据えよう。焦ってもきっといい結果は生まないと思う」
珊瑚はこくりと頷いた。
「待たせて済まない。ちゃんと神崎のことも考えている。前にも言ったとおり、出来る限りのことはする」
珊瑚は西野の言葉にはっとして顔を上げた。西野も珊瑚の母を気に掛けてくれていたのだと思い出し、逸る気持ちが落ち着いていく。
「ありがとうございます。西野さんを信じて待ちます」
珊瑚の言葉にほっとした様子の西野は、視線を合わせてしっかり頷いた。
「前にも話したが、私は学生時代に弘樹と神崎の力になれなかったことを今でも悔やんでいる」
西野はテーブルに置いた両手をぎゅっと握りしめて、俯き顔を歪めた。一寸の間の後、顔を上げて珊瑚を真っすぐ見つめる。
「藤原が姿を消し、君が帝都に現れるまで、どこで何をしているのかも知らなかった。神殿である程度の地位を得てからも、探すことすらしていなかった。そのせいで、神崎やその子供がどんな目にあっているのか、考えもしなかった。神崎にも、君たちにも、本当にすまないことをしたと思っている」
珊瑚は小さく首を振る。
「だが、今は違う。奴ほどとは言わないが、多少なりとも対抗出来るだけの力は付けた」
西野は逡巡するように少し下を見た後、ゆっくりと珊瑚に視線を合わせる。
「神崎珊瑚君。君は……君が存在しないことを知っているのか?」
珊瑚は目を見開き、ひゅっと息を呑んだ。顔が青褪め、膝の上で握った両手が微かに震える。
自分がこの世に存在しないこと、それはずっと昔から薄々感じていた事だ。『神崎珊瑚』を名乗る理由の一つは、父親の姓を名乗ることへの拒否感。もう一つの理由がこれだ。だが、予想していたとはいえ、実際他人からその事実を突きつけられることに、珊瑚は酷く動揺した。
「西野さん、どういう意味ですか? 珊瑚君が存在しないなんて。ここにこうして居るじゃないですかっ!」
珊瑚は陽一を見上げて、小さく横に首を振る。
「先生、西野さんの言ってることは本当のことです。私は、ちゃんと知ってたわけじゃありません。でも、そうじゃないかと思ったんです」
「珊瑚君、どういうこと?」
眉を顰めた陽一が、珊瑚を見つめる。大きく息を吐いた西野が静かに口を開いた。
「陽一君、落ち着いてくれ。この国では父親が出生届を出すのが決まりなのは知ってるな?」
「はい……いや、まさか……」
「そのまさかだ。藤原統司は子供の出生届を一人も出していない」
陽一は、はっと息を呑む。一瞬後に、テーブルを両手で叩いて西野に詰め寄る。
「そんな馬鹿なっ! だって、珊瑚君の他にも、双子だって産まれてるんですよっ?」
「その双子についての記録もない。つまり、届けは出されていなかった」
「……っそんなことが、許されるはずないっ!」
珊瑚は陽一を見上げて、瞬きをする。自分のためにこんな風に怒ってくれる人が母以外に居るなんて、ここにくるまでしらなかった。
自分が無戸籍であることは、何となく察していた。ずっと自分はこの世に存在してはいけない、どこか異物のように感じていた。いつか利用価値がなくなったら捨てられてしまうただのモノのようだと思っていた。
帝都に来て『神崎珊瑚』でいれば、ここに居ることを許されるような気がしていた。皆が名前を呼んでくれると、その数だけここに居ていいと言われているように感じた。
少しずつ欲が出て、ずっと『神崎珊瑚』として生きてみたいと思うようになった。でも、心のどこかでやっぱり自分は存在してはいけないのだという思いも拭えなかった。
陽一が視線に気付いて目を合わせると、珊瑚はふわりと微笑んだ。陽一が息を呑む音がする。
「先生、怒ってくれてありがとうございます。私、母以外に私の為に怒ってくれる人がいるなんて、思ってませんでした」
珊瑚は西野に視線を合わせ、落ち着いた声で続けた。
「西野さん、気遣ってくれてありがとうございます。こんな風に心配してくれる大人がいることも、私は知りませんでした」
陽一は呆気に取られた顔をし、西野は眉を下げる。珊瑚は二人を交互に見比べ、淡く微笑みながら続けた。
「私、なんとなくそうじゃないかと思ってました。ずっと中途半端な気持ちもありました。今日、西野さんに聞けてよかったです」
「神崎珊瑚君」
西野の声は今までになく柔らかに、珊瑚の胸に響いた。
「今の私は、君の力になれる。戸籍のことは任せてほしい。大丈夫だ、君はちゃんとここに居る。これからも胸を張って『神崎珊瑚』を名乗っていいんだ」
珊瑚は一瞬目を瞠り、少し震えた掠れ声で西野に尋ねた。
「……そんなことが……出来るんですか?」
「安心しなさい。神殿長も事情はご存じだ。特殊な例だから少し時間はかかるかもしれんが。だが、必ず『神崎珊瑚』がいる証をこの世に刻む」
珊瑚は眉を下げて、力が抜けたように呆けた表情を浮かべた。その隣で陽一は「珊瑚君っ!」と明るい声を出す。陽一と目を合わせた珊瑚は小さく頷き、西野に視線を戻した。
「西野さん……私を『神崎珊瑚』にしてくれて……ありがとうございます」
西野は頷きながら口を引き結んだ。すぐにテーブルに置かれたカップに手を伸ばすと、一口紅茶を飲み下してから口を開く。
「礼を言うのはこちらもだ。君たちの協力もあって、あいつらを捕えるまであと一歩だ」
陽一と珊瑚は同時に頷いた。
「だが、まだ気を抜くわけにはいかない。特に珊瑚君と弘樹は、藤原に狙われる可能性もある。神殿の方から気付かれんように警護もつけるが、用心は続けてくれ」
「はい」
「それと、陽一君」
「なんですか?」
「弘樹はそろそろ大学病院へ転院するんだろう?」
「ええ、まだ詳しい日程は決まってませんけど」
「その時の手配はこちらに任せて貰えるか?」
「そうして頂けると助かります。僕にはそういう伝手はないですから」
「そうか。それならまた詳細が決まり次第連絡してほしい」
「わかりました」
話がひと段落したところで、部屋の扉を控えめに叩く音がする。西野が応えると、店員がそっと入室した。
「西野様にお電話が入っております」
「ああ、わかった。――では、陽一君、珊瑚君。また何かあれば連絡する」
「はい、ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
珊瑚と陽一に片手を挙げて、西野は部屋を後にした。部屋に残された二人も、診療所への帰路に着いた。
珊瑚は地に足がついたような、逆にふわふわと浮足立っているような、自分でもよく分からない心地だ。
「珊瑚君、よかったね」
「はい。でも……まだ実感が湧きません」
「そっか」
「本当は、一悟にいと二胡ねえの戸籍も貰えたらよかったんですけど」
「……うん」
「流石に亡くなった人の分まで頼むのは出来ませんでした」
「……うん。でも、珊瑚君もお母さんも、ちゃんと二人のことを知ってる」
「……そうですね」
「僕も、珊瑚君に聞いた二人の話を忘れないよ」
珊瑚はその言葉に足を止め、陽一を見上げて目を瞠る。
「お母さんも、珊瑚君も僕も、皆が忘れなければ二人が居たことは無くならないよね?」
「……先生」
「珊瑚君に戸籍が無くても、僕はずっと一緒に居たでしょう。その事実は変わらない。それと同じじゃない?」
珊瑚は涙が滲みそうになって、慌てて下を向いて何度も瞬きをする。
「戸籍があってもなくても、珊瑚君はここにいる。双子のお兄さんとお姉さんだって、ちゃんとこの世に存在してた。珊瑚君とお母さんだけじゃなくて、僕も、西野さんもそのことをちゃんと知ってる」
俯く珊瑚の頭に軽く手を置いた陽一が続ける。
「珊瑚君はもう、一人じゃないよ」
手から流れてくる感情は、珊瑚を包み込むように温かだった。




