13-4
翌日、午前のみの診療時間が終わり、陽一と昼食を食べ終えた珊瑚は、一人自室に籠っていた。先日買い物に行って以来、珊瑚が内緒で何かを作っていることは陽一には知られている。それが食器洗い機であることはまだ伝えていないのだが。今まで図面を引くのもこっそり空いた時間に進めていたが、今は時間があれば堂々と部屋で作業を進める事が出来る。
しかし、今日の珊瑚が頬を緩めて見つめているのは、同じ日に買ったタイピンだ。珊瑚はこの魔石に、弘樹が母に贈ったのと同じように、幸せに導かれるような効果を付与しようと思っている。
珊瑚が母にもらった鍵で陽一に出会い、診療所で幸せな日々を送れたように、陽一にもそんな日々を送って欲しい。その時きっと珊瑚はもう居ないだろうけれど。そう考えると胸がズキンと痛むが、小さく首を振って頭を切り替えた。
魔石に効果を付与するのに使うのは、自作の魔道具だ。箱型のそれに、慎重にタイピンをセットする。魔石に直接魔力を流し込んでもいいのだが、魔道具を使った方が効率も成功率も高い。
両手で挟み込んでゆっくりと魔力を流し込み、付与したい効果を思い浮かべる。掌から少しずつ力が流れる感触があり、細く慎重にタンザナイトの魔石へ効果を書き込んでいく。集中力を高め、今までで一番丁寧に進めた。魔道具が淡く光り、無事に作業が完了したことを知らせる。完璧な形で効果を付与できた。魔道具から手を離した珊瑚は、今までに無いほどの疲労感に襲われた。
(おかしいな。いつもだったらこんなに疲れないのに。ちょっと気合を入れて頑張りすぎたのかな?)
気付けば額に汗が浮き、手巾で慌てて拭い去る。初めて誰かに贈る物だったので、少し力が入りすぎたのかも知れない。何にせよ、無事に満足いくものが出来てよかったと、ほっと胸を撫でおろした。
そのまましばらく食器洗い機を作り、気付けば夕方になっていた。
「珊瑚君、お茶淹れるからよかったら休憩にしない?」
控え目に扉を叩く音と共に、陽一の声が聞こえてきた。手を止めた珊瑚は、少し疲れを感じてふるふると首を振る。
「はい。今いきます」
珊瑚の返事を聞いた陽一は、二階の台所へ移動したようだ。珊瑚も部屋を出てそちらへ向かう。部屋に入ると陽一はすでに紅茶を蒸らしていて、奥のソファで座って待つように促された。珊瑚は頷いてソファへ向かう。
「珊瑚君、少し疲れてる?」
「そうですね。いつもより集中しすぎたのかも知れません」
「明日は休みだけど、無理して作業しないようにね」
「ありがとうございます、気を付けます」
陽一が二人分の紅茶を持ってソファへと歩いてくる。それぞれの前にカップを置き、ゆっくり腰を下ろした。
立ち上る湯気を見ながら、珊瑚はほっと息を吐いた。紅茶を手に取って一口飲み下すと、さっきまでの疲れが抜けていくような気がする。
「珊瑚君はすぐに無理をし過ぎるからね。今日はもう作業はやめて、のんびり休んでよ。夕食も何か配達してもらおう」
「大丈夫です、お夕飯くらい作れますよ」
そう言って立ち上がった珊瑚は、軽い眩暈を覚えて額に手を当てた。
「珊瑚くんっ! 無理しないで、ゆっくり座って」
「……はい、すみません」
何かがおかしい気がするが、それが何なのか珊瑚にもわからない。ソファに腰を下ろして息を吐き出したところで、突然酷い頭痛に見舞われる。
呻き声を上げながら頭を抱えて蹲る珊瑚に、陽一は慌てて駆け寄った。
「珊瑚君っ!」
「……せ、せん……せい」
珊瑚の声は掠れた震え声で、それ以上言葉を発することも出来ない。
(っ! 痛い……頭が……割れそう……。前より酷い……。何が起きてるの……?)
全身から汗が吹き出し、視界が揺れて全てがぼやけていく。何もかもが遠く感じて、陽一が何を言っているのかも分からない。頭を殴られるような激痛と耳鳴りで、呼吸も荒れて息をするのもやっとだ。いつものように背を擦ってくれているのかも知れないが、それすらも分からない。
強く頭を押さえた手が震え出し、徐々に指先が痺れてくる。それと共に手足の先端から熱が奪われていく。寒さなのか恐怖なのかも分からない震えが襲い、珊瑚はそのまま目をぎゅっと閉じ、荒い呼吸のまま意識を失った。
ゆっくり瞼を開けた珊瑚は、暗い部屋の様子に何があったのか一瞬分からず目を瞬いた。自分がまた気を失ったことに気付き、ゆっくり体を起こす。上掛けのずれる音がすると、横たわったソファの足元からごそりと人の動く気配がした。
「珊瑚君?」
部屋が薄暗くて気付かなかったが、そこには陽一が座り込んでいた。
「先生……私、また……」
「うん。今水を持ってくるから、ちょっと待ってて」
どうやら紅茶を飲んでいたソファの上に寝かされていたようだ。頭痛は引いたが、全身の疲労感はまだ抜けきっていない。
陽一に手渡されたコップを両手で受け取り、ゆっくり一口飲み下す。小さく息を吐いて、残りをごくごくと飲み干した。
「今回は……何の感情ですか?」
「……驚愕だと思う。黄色の混じった明るい色になってたから」
「先生……この目の魔石は、私の魔力をほかの魔石にリンクさせてるって弘樹先生が言ってましたよね?」
「うん」
「今年に入ってから、頭痛がどんどん酷くなってるのは……私の魔力が残り少ないからかもしれません」
「……」
「このまま、魔力を全て吸われたら、私はどうなるのでしょう」
「そうなる前に、力を無効化する方法を見つけるしかない」
「……そんな方法、本当に見つかるんでしょうか?」
「絶対に、見つけよう」
珊瑚は俯いて口を引き結んだ。
帝都に来るまでの珊瑚は全てを諦めていた。母と一日一日を穏やかに過ごして、きっと最後は統司に利用されて終わるのだ。それまでの間は平穏に、母に甘えて過ごそうと思っていた。
帝都に来てからつい最近までも、自分がどうなっても仕方ないと諦めていた。産まれた時からそれが自分に定められた道なのだと思っていた。
でも、陽一と過ごすうちに、諦めたくないと思うようになってしまった。誰かが自分のために何かをしてくれる、自分の気持ちを理解しようとしてくれるなんて、考えたこともなかった。諦めていた他人との関わりは、思っていたよりずっと、珊瑚の乾いた心を潤した。気付いてすら居なかった穴が埋まり、今度は欲が出てきた。ここにずっと居ることは出来なくても、珊瑚も普通に人に紛れて暮らす事が出来るのではないか、そうしてみたいと思うようになっていた。
(こんな気持ち、知らない方がよかった。やっぱり、期待なんてしちゃいけなかった)
違う、そうじゃない。ここの人達と出会えて、沢山の優しさを知れてよかった。嬉しかった。
(何も知らずに、田舎の邸に籠っていれば、こんな風に悩まなかった)
自分で選ぶことすら出来なかったあの頃のままで、本当によかったのだろうか。
(知ってしまったせいで、今がこんなに苦しい。帝都になんて来なければよかった)
――そうじゃない。お母さんの鍵が幸運に導いてくれたって、思ったばっかりじゃない。
頭の中で否定と肯定を繰り返す。ぎゅっと握りしめた珊瑚の拳を、ふわりと大きな手が包み込んだ。
「珊瑚君、僕は諦めない。だから、珊瑚君も最後まで諦めないで」
手から伝わる強い気持ちに、珊瑚は顔を上げて目を見開いた。
「もし、最悪のことが起きても、その時は僕もまた一緒に考えるから。だから、最後まで諦めないで」
陽一は珊瑚を見上げて柔らかな笑みを浮かべた。
「珊瑚君はもう、一人じゃないでしょう?」
陽一のその言葉に、珊瑚の脳裏に帝都で出会った人たちの顔が鮮やかに浮かび上がる。
駅で声を掛けてくれた一馬と、訪れた診療所でいつもの部屋から眠そうな顔で出てきた陽一。最初は珊瑚を怪しんで不遜な態度だった涼介に、いつも温かく迎えてくれる食堂の女将と主人。初対面で怒鳴りつけてきたのに、今では祖父のように心配してくる忠蔵に、食堂の常連さんたち。母を妹のように可愛がっていた西野に、これからは頼っていいと言ってくれた雅。それから、母を心から大切に想ってくれていた弘樹も。
顔が浮かぶ度に、珊瑚の視界は滲んでいく。瞬きをするとぽろりと涙が一筋零れるが、そのまま珊瑚は口を開いた。
「怖い……。私、怖いです」
小さく息を吐いた珊瑚は、少し間を開けて続ける。
「でも、諦めたくありません」
「うん」
珊瑚は、きっとこの薄暗い部屋では自分の顔など見えないだろうと言い訳をして、そのまましばらく涙を零した。
その夜、珊瑚は夢を見た。
『珊瑚っ』
『珊瑚ちゃん……』
一悟と二胡の心配そうな声が響く。
「一悟にい、二胡ねえ。いつも心配掛けてごめんね」
『謝るなよ』
『そうよ、珊瑚ちゃん』
「うん……ありがとう」
一悟と二胡は顔を見合わせて頷き合い、珊瑚の手を片方ずつそっと取る。
『いいか、珊瑚。よく聞けよ』
『珊瑚ちゃん、私たちは珊瑚ちゃんを守るわ』
『先生の言うとおり、最後まで諦めるな』
『私と一悟も最後まで絶対に諦めないわ』
「どういうこと?」
珊瑚は首を傾げて二人を見比べた。
「二人は魔石に宿る魂でしょう? 効果を無効にすることは出来ないんだよね?」
『そうだな。俺たちにそんな力はない』
『あったらとっくの昔にやってるものね』
「じゃあ、どういう意味?」
二人は俯き、少しの間を置いてから静かに口を開いた。
『今はまだ言えない』
『やってみないとわからない事でもあるから』
『でも、俺たちにはきっと出来ると思ってる』
『そうね、きっとこの魔石に私たちが宿ったのは、そのためだと思ってるわ』
「……それって、二人は大丈夫なの?」
二人は顔を見合わせて、柔らかな笑みを浮かべた。
『大丈夫だ。俺たちはただの魂だから』
『生身の人間みたいに、傷ついたりはしないわ』
「本当に?」
『本当だ』
『本当よ』
珊瑚はわけも分からず不安がこみ上げる。一悟と二胡は、真剣な眼差しでじっと珊瑚を見つめた。
『いいか、珊瑚。きっともうすぐあいつに会う事になる』
『そうね、珊瑚ちゃん。お母さんも一緒にいると思うわ』
『あいつに会っても、忘れるなよ』
『あの人に会っても、惑わされないで』
『俺たちもついてる』
『私たちも諦めないわ』
一悟と二胡は、両側から珊瑚をそっと抱き締めた。
『何があっても、珊瑚はずっと俺たちの大切な妹だ』
『どんな結末を迎えても、珊瑚ちゃんは私たちの唯一の妹よ』
二人はとても優しいのに、なぜかとても悲しくなる。それがなぜなのか珊瑚には分からない。初めて二人に夢で会った時のことを思い出し、その時と同じように珊瑚は二人に縋り付いた。一悟がそっと珊瑚の頭を撫でて、『またな』と言いながら消えていく。続けて二胡も同じように頭を撫でて、『またね』と淡く微笑み消えていく。珊瑚はなぜだか涙が止まらない。
そっと瞼を開くと、見慣れた天井がぼやけて見えた。自分が泣きながら目を覚ました事に気付き、慌てて涙を拭う。
そのまま起き上がれずに、一悟と二胡に初めて会った夢の中を思い起こした。
夢の中でしゃがみ込んで泣いていた珊瑚に、いつの間にか現れた一悟と二胡が声を掛けてきた。
『おい、珊瑚っ』
『ねえ、珊瑚ちゃん』
『泣くな、珊瑚』
『泣かないで、珊瑚ちゃん』
珊瑚は視界が滲んだまま声の方に視線を上げる。
『俺は一悟だ』
『私は二胡よ』
『俺はお前のにいちゃんで』
『私はあなたのおねえちゃんよ』
今より大分幼い二人は、珊瑚より二つ年上の双子だと言う。
『お前が悲しいと俺も悲しい』
『珊瑚ちゃんが辛いと、私も辛いわ』
「おにいちゃんと、おねえちゃん?」
ふわりと笑った二人が交互に答えた。
『そうだ、珊瑚。おにいちゃんだ』
『そうよ、珊瑚ちゃん、おねえちゃんよ』
『お前が泣いてる理由はちゃんとわかってる』
『私たちも同じなのよ』
「同じなの?」
悲しげに頷いた二人は、両側から珊瑚をそっと抱きしめた。
『珊瑚は珊瑚だ』
『お母さんもそう言ってくれたでしょう?』
「うん……でも……」
『俺も二胡も母さんも、珊瑚のことが大好きだ』
『私も一悟もお母さんも、珊瑚ちゃんの名前を呼ぶわ』
『どんな時でも一緒にいるからな』
『いつも珊瑚ちゃんを見守ってるわ』
なぜ今頃、あの時のことを思い出すのだろう。もすうぐあの人に会うかも知れないからだろうか。会って嫌な記憶が蘇るからだろうか。それとも、まだ知らない何かを知ることが怖いのだろうか。あるいは、一悟と二胡の諦めないという言葉に、何か大切な物を失いそうな予感がするからだろうか。本当にこの目の魔石の効果を無効にできるのだろうか。それは、あの人が目的を達成するまでに間に合うのだろうか。
不安に押し潰されそうな気持ちと、陽一や一悟と二胡を信じたい気持ちが交錯する。
自分に何が出来るのだろうか。考えても分からない。それでも諦めずにいたい。陽一と、一悟と二胡の言葉を何度も思い出しては胸に刻んだ。




