13-3
珊瑚は俯き、ぎゅっと唇を噛み締めた。それからの母はどんな思いで一悟と二胡を産み、珊瑚を育ててきたのだろう。珊瑚の前ではよく笑う優しい母だったが、本当はあんな田舎の邸に籠って生きるような人ではなかったはずだ。弘樹と共にあの診療所を継いでいたら、もっと自由に、もっと幸せに暮らせただろうに。
「僕は、あの時何も出来なかった。澪が去って、藤原に行方を聞こうと思ったけど、あいつは澪と一緒に姿を消した。国の研究に携わっていたし、家柄のせいもあって、僕なんかが所在を聞けるような相手でもなかったんだ」
弘樹と珊瑚は俯き、どちらも口を引き結んだままじっと黙り込んだ。
「珊瑚君て……やっぱりお母さんに似てるんだね」
陽一がふっと息を漏らして、珊瑚を見つめた。
「そうでしょうか?」
「うん。叔父さんみたいに見た目がどうかは僕には分からないけど。興味を惹かれると夢中になったり、誰かの役に立ちたいところとか。気になることがあったら急に走り出すような突飛なところとかね」
珊瑚は陽一を見つめて目を瞬いた。肩の力が自然に抜けて、口元に小さく笑みが浮かぶ。
「……母が聞いたら、きっと喜びます」
目を細めて珊瑚を見つめたまま、弘樹が口を開く。
「そうやって笑ったところもよく似ているよ。きっとお母さんは、君をとても大切に育てたんだろうね」
「はい」
先ほどまでの重い空気が消え、暖かな気配に変わる。
「それから弘樹先生は、無事お医者様になられたんですよね?」
「そうだね。あの診療所を継いで、父が引退したころに陽一がきた」
珊瑚はふと受付で陽一の言っていた『息子』という言葉が気になり始めた。聞いていい話か分からず逡巡していると、弘樹が陽一に向かって困ったような顔をした。
「それにしても、陽一はいつまで僕を叔父さんって呼ぶんだ」
陽一は肩を竦めて口を尖らせる。
「父さんなんて呼び慣れないからね。大体父親ってものにあまりいい印象もないし」
「でも僕は呼んでほしいのにな」
その言葉に珊瑚は目を瞬いた。それに気付いた陽一が「あっ」と声を上げる。
「そう言えば、珊瑚君に言い忘れてたね。僕は叔父さんの養子だから、戸籍上は親子なんだ」
「そうだったんですか。あっ、そう言えば名字が……」
「そう。平良は叔父さんの名字だよ。母の旧姓を名乗ってるのは、珊瑚君と同じだね」
確かに、弘樹は母方の叔父だと聞いていた。名字のことに今更気付いて納得した。珊瑚が母の旧姓を名乗っていたと分かった時、何も言わなかったのはこのせいかと思い至る。珊瑚が父方の姓を名乗りたくないのだという気持ちを、陽一は自身の経験からすんなり受け入れてくれたのだろう。
「ところで、叔父さんはなんだってこんな中心から遠く離れた病院に居るの?」
「それに、表の名前も違う方のものでしたが……」
疑問を投げかける二人に、弘樹は頭を軽く摩る。
「それが、実際のところは僕にもよくわからないんだ」
「緑丘さんと会ってマラカイトを預かったんだよね?」
「ああ、そうだった。まずは涼介君に手紙を書いて……それから西野さんに会って、鑑定を頼んだんだ」
「涼介宛の手紙を病院に預けなかったの?」
「ああ。涼介君宛に出したと分かれば、巻き込むかも知れないと思ったんだ。ポストに入れてしまえば誰に出したか分からないと思って」
「西野さんと会った後はどこへ?」
額に手を当ててしばらく考え込んだ弘樹は、何かを思い出したように顔を上げる。
「……そうだ。そうだった。西野さんと別れて細い路地を歩いていたら、後ろから誰かに突然殴られたんだ。意識が遠くなっていく中で、ポケットや荷物を探られて。目的の物が見つからなかったようで、舌打ちして悪態を吐いてる声が聞こえたよ」
「相手の顔は見なかった?」
「後ろから突然だったからね。顔は見えなかったが……いや、待てよ」
しばらく下を向いて目を瞑った弘樹は、記憶を探るようにぶつぶつと何かを呟いた。
「そうだ」
顔を上げた弘樹が少し上ずった声で続ける。
「体を仰向けにされたとき、少しだけ顔が見えた気がする。……そうだ。足で転がされて、月の明かりが眩しくて。舌打ちしながら見下ろしてきたのは男だ。……ああ、思い出した。右目の下に特徴的な痣のある男だった」
陽一と珊瑚は目を見開き、視線を合わせて深く頷き合った。
「……それから、この病院で目を覚ますまでのことはわからない。僕が見つかったのは、この町の路地裏だった。ポケットに入っていた身分証は他人の物で、意識がないからそのままの名前で警察に届けられたんだ」
「なるほど。それで僕が不明者届を出しても、一向に連絡がこなかったわけだ」
「しかも、本来の持ち主は天涯孤独だったようだ」
「……発見を遅らせるためにそんな小細工をしたのかな?」
「死んでも別人として処理されるようにしたのかも知れない。意識が戻った時医者に最初に言われたのが、奇跡だって一言だったから」
少し間を開けて弘樹が続ける。
「顔を隠してなかったからね。見られてもいいと思ってたなら、そういう事じゃないかな」
珊瑚は顔を青くしてぶるりと震えた。人一人の命を何とも思っていない。統司は確かに母以外の人間がどうなろうと興味が無いのだろう。それとも相手が弘樹だったからかも知れない。実際に手を下したのは統司ではないが、関わっているのは確実だ。
「そうだ! あのマラカイトはどうなった?」
陽一と珊瑚は顔を見合わせ、肩を落とした。
「西野さんが神殿に保管してたけど、盗まれてしまった」
「鑑定結果は出たのか?」
「うん。神殿に保管されてる古の魔石と同質だった」
「……やはりそうか」
弘樹は大きく溜息を吐き、珊瑚の方を窺うように視線をさ迷わせた。
「叔父さん、珊瑚君はもう大体のことは分かってるよ。一緒に魔石の事も調べてる」
「……そうか」
「先生のことも、他の症例の方のことも、すべてはあの人……藤原統司が関わっているという事ですよね」
弘樹は考え込むようにして頷いた。
「叔父さん、あともう一つあるんだ」
「なんだ?」
陽一は珊瑚に視線を向ける。珊瑚はゆっくり頷き、弘樹にまっすぐ視線を合わせた。
「私が帝都に来た目的は、母に導かれた事もありますが、診てほしいものがあるからです」
「僕に?」
「はい」
珊瑚はゆっくり眼鏡を外し、ガーネットの魔石が埋め込まれた左目を弘樹に見せる。弘樹は目を見開き、顔を歪めて額に手を当てた。
「なんてことだ。これは……藤原がやったことなんだね?」
「そうです」
三つの時に魔石を埋め込まれた事や、感情が流れ込んでくること、それからどのように暮らし帝都に来ることになったのか。また、帝都に来てから新たに分かった事などの全てを、陽一と二人で弘樹に話した。
「叔父さん、これを使って僕も診せて貰ったけど、完全に融合して体の一部として機能してるってことまでしか分からなかった」
陽一が鞄から取り出したのは、最初に診察を受けた時に使った、弘樹の作った特殊な魔道具だ。
「……測った数値は?」
陽一が珊瑚のカルテを弘樹に手渡す。しばらく考え込みながら内容に目を通していた弘樹は、珊瑚に向き直った。
「僕も診せてもらっていいかな?」
「はい。お願いします」
魔道具を手にした弘樹は、かちゃかちゃと動かし形を変える。
「……そんな使い方するものだったんだ」
「このレンズを使って拡大しないと、詳細まで見えないからね」
魔道具にはレンズが収納されており、そこで倍率を変えながら対象物の細かなところまで観察するのだという。
「光を当てるけど、特殊なものだから眩しくはないと思う。でも、小さな違和感でも構わないから、何かあったらすぐに教えて」
弘樹は陽一と同じように丁寧に説明をしながら珊瑚の目を覗き込む。
しばらく角度を変えながらじっくりと珊瑚の目を診察した弘樹は、結果をカルテに書き込むと大きく息を吐きだしてベッドの背もたれに深く沈み込んだ。
「叔父さんっ!」
「弘樹先生っ!」
陽一と珊瑚の声が重なり、弘樹は二人を交互に見比べながら小さく笑う。
「大丈夫。思ってた以上に複雑で、驚いただけだから」
「……それで、何か分かったの?」
陽一が弘樹の様子を窺うように口を開く。
「……そうだね」
珊瑚の方に目を向けた弘樹は、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「君の目の魔石は、古の魔石だという事はほぼ確実だ。……それと、その魔石を埋め込まれてから、気分が悪くなることがあるって言ってたね?」
「はい」
「普段感情を受け取って気分が悪くなるのは、君がそれを不快だと感じる事での拒否反応だと思う。だから、喜びみたいに受け入れてもいいものには反応しない」
珊瑚はゆっくり頷いた。
「もうひとつの、定期的に来る酷い頭痛の方だけど。……君の魔石には、やっかいな効果が仕込まれているみたいだね」
珊瑚はごくりと喉を鳴らす。弘樹をじっと見据えて小さく頷き、続きを促した。
「僕が見てわかる効果は二つ。まず一つ目は、その魔石によって感情を引き寄せる力が込められてる。これによって触れた人の感情が流れてくるんだと思う。もう一つの方は……君の魔力を吸い取る力が組み込まれてる。おそらくその力は、他のリンクした魔石に影響してるんだろう」
予想していたこととは言え、やはり珊瑚が人の感情を奪う原因の一端を担っていた。そのことに、胸がずきずきと痛む。
「つまり、珊瑚君の魔力を吸って、感情を引き寄せる力と共に他の魔石に送られてるってこと?」
「そういう事だね」
陽一が少しの間考え込んでから、弘樹に問いかけた。
「叔父さん。珊瑚君の目の魔石の力を無効化する事って出来ないかな?」
「ああ……。まだ具体的にはわからないけど、もう少し調べを進めれば、見つかる可能性はある」
弘樹はすぐに「けれど」と続ける。
「僕は魔石の専門家じゃないからね。古の魔石には、鑑定士でもわからない効果が秘められていたりするし。絶対にとは言えない」
陽一は少し躊躇うように珊瑚を見てから、口を開いた。
「珊瑚君に会ってから、僕は感情が湧き出るようになったんだ。これって珊瑚君の魔石と関係あるのかな?」
陽一の問いに、弘樹は静かに頷き、考えをまとめるように答えた。
「そうだな……。恐らく、感情を引き寄せる効果が作用してるんだろう」
「僕の場合は、亜真音が生きてて、拘束が緩いから?」
「それもあるが、オパールの魔石に込められた効果が完全じゃないのもあるかも知れない」
「どういう事?」
「陽一だけ感情の種類が限定されずに奪われた。これは、意図してなのか違うのかはわからないが……ある意味、試されたのかも知れない」
「僕は実験だったってこと?」
その言葉に珊瑚はゴクリと喉を鳴らした。あの人ならやりかねないと思うが、母と弘樹の話を聞いた後だと、尚更そう思えた。
「そうだ。その不完全な効果と、亜真音が生きてる事。その二つが重なって、陽一の感情は完全に奪われてはいないのだろう。ほかの人は根っこから奪われた。でも陽一の場合は湧き上がる度にオパールに吸い込まれる」
「だから、珊瑚君のガーネットに引っ張られて湧き出たものが吸い取られずに留まる時間があるのかな」
「そうだと思う。全て今まで集めた情報と、二人がさっき話してくれた事を総合して考えた結果の推論だけどね」
病室を訪れた時にはゆっくりと話していた弘樹が、いつの間にか陽一と変わらぬ速さで話していることに珊瑚は気付いた。やはり、強く頭を殴られたことと、長く意識を失くしていた事が影響していたのかも知れない。そう考えるとこんなに長く難しい話をしていて大丈夫なのだろうかと不安が過る。
その時、扉を叩く音が響く。陽一の返事とともに開いた隙間から、看護の女性が顔を覗かせる。
「杉本さん……じゃなくて、平良さんっ! 今日は特別に時間外の面会を許可しましたけど、流石に長すぎですよ。お話しできるようなってまだ一週間くらいなんですから、無理させないでくださいな」
陽一と珊瑚は顔を見合わせ、慌てて頭を下げた。取りなそうとした弘樹も叱られ、二人は病室を後にすることとなった。
診療所への帰り道、夕食がまだだった事に気付いた二人は、いつもの食堂に寄った。女将と主人、常連さんたちに弘樹の無事と、しばらくは入院生活が続くことを報告する。皆弘樹の無事をとても喜び、ほっと安堵の空気が流れた。
診療所に到着した二人は、いつも通り発明品置き場の部屋でゆっくり紅茶を飲みながら体を休めた。
「先生、弘樹先生が見つかってよかったですね」
「うん。ほっとしたよ……。でも、まだ珊瑚君のお母さんが……」
「そうですね。でも、きっと母はあの人と一緒なんだと思います」
「……そうかも知れないね」
「今日は、母の昔の話が聞けてよかったです。ちゃんと母を大切に思ってくれてる人が居たってわかりましたから」
「そう」
「私、帝都に来て……ここに置いて貰ってからずっと楽しくて。でも、そう思う事に少し罪悪感もあったんです」
「どうして?」
「母がどうしているのか分からないのに、辛い目にあってるかも知れないのに。自分だけこんな風に過ごしていいのかなって」
「珊瑚君……」
珊瑚は胸元からネックレスの鍵を取り出し、見つめながら続けた。
「でも、母がこの鍵を持って、一人でもいいから帝都に行くようにって言ってくれたんです。幸せに導く魔石だって知ってて、私に託してくれた」
鍵を両手で包んだ珊瑚は、淡く笑みを浮かべて口を開いた。
「きっと、ここに来れば大丈夫ってことだったんじゃないかと思うんです」
「残念ながら叔父さんは居なかったけどね……」
陽一が眉を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべた。珊瑚はすかさず首を左右に振る。
「残念なんかじゃありません。先生が居てくれてよかったです。弘樹先生も母の事を話せばきっとよくしてくれたと思います。でも……先生は母を知らなかったでしょう?」
「そうだけど……」
「先生は、昔縁があったから私を助けてくれたんじゃない。ただの田舎から出てきた世間知らずな私を助けてくれたんです」
例えそれが、特殊な魔石を持っているからという理由だったとしても。その言葉を珊瑚は飲み込んだ。
「昔助けることが出来なかった人の娘じゃなくて、ただの私を助けてくれたのは、先生ですよ」
陽一は目を見開き、珊瑚の顔をじっと見つめた。ふっと目を細め、穏やかに笑う顔は、初めて会った頃のように感情の読めない静かなものではなくなっていた。




