13-2
それからしばらく経って、中庭に姿を現した澪は、今度こそ魔石の実験を成功させた。と言っても、花の成長は微々たるものだったのだが。それでも成果が出たことに、澪は弾けるような笑顔を浮かべ、弘樹はひたすら感心した。
教室を訪れた日、澪は孤立していたが、実は友人はちゃんと居たらしい。あの日はたまたま休んでいたが、仲の良い友人はちゃんと居るのだと、あの後恥ずかしそうに告げられた。弘樹は教室の空気を思い出し、自分が卒業した後も支えてくれる友人が居るなら、一先ず安心だと胸を撫で下ろした。
その後も澪の実験は続き、弘樹は飽きもせずに隣で見守った。あっという間に時が過ぎて、とうとう弘樹の卒業する日がやってきた。
「卒業までの毎日、神崎君のお陰で楽しかったよ」
「……私も、こんな実験に付き合ってくれる人が居るなんて、思ってもみませんでした」
「どうしてだろうね? すごく興味深いのに」
「そんな事言ってくれるのは、平良先輩だけですよ。友達の由紀ちゃんだって、いつもあきれてますから」
そう言って俯く澪は、少し拗ねているような表情だ。
「神崎君、卒業してからもまた君の実験に付き合ってもいい?」
顔を上げた澪は、驚きに目を丸くする。
「えっ? 卒業後もですか?」
「迷惑かな?」
「い、いいえ。そうじゃなくて、本気ですか?」
「うん。君と実験するのが、僕は本当に楽しいんだ」
澪は数回目を瞬いた後に、初めての実験が成功した時のような笑顔を浮かべた。
「じゃあ、お休みの日にまた付き合ってください」
「わかった」
返事をした弘樹は、風呂敷包みの中からごそごそと小さな箱を取り出す。
「これ」
「なんですか?」
「神崎君にあげるよ」
首を傾げて受け取った澪は、不思議そうに弘樹を見上げた。
「それは、鍵付きの宝石箱だよ。あんまり大きくないけど、実験に成功した魔石を入れるのに使ってくれたら嬉しい」
澪は目を瞬き、箱と弘樹を見比べて口をぱくぱくと開いては閉じるが、言葉が出て来ない。
「鍵に付いてる魔石は、幸運に導いてくれる効果が付与されてるから、きっと君の役に立つと思う」
両手でそっと箱を包み込んだ澪は、胸の前に引き寄せ俯きがちに顔を寄せた。
「ありがとうございます。大切にします」
そう言って笑った澪は、目を細めてとても柔らかな表情を浮かべていた。
珊瑚は胸元の鍵をそっと握りしめて、静かに口を開く。
「その時の鍵が、これなんですね?」
「うん。鍵の意匠も少し変わったものだし、間違いないよ」
「……そうですか」
「澪はまだ持っててくれたんだね」
「はい。とても大切そうに仕舞ってありました」
「……幸運に導くなんて言ったけど、叶わなかったな」
珊瑚は小さく首を振る。
「いいえ。母が私にこれを託したのは、きっと幸運に導くためだと思います。だって、この鍵を持って行く先は、弘樹先生の所だったんですから」
目を見開いた弘樹は、顔を歪めて俯いた。
「母にとっての幸運は、きっと弘樹先生です。託された私にとっての幸運は、この帝都に導かれた事です」
珊瑚は陽一を見上げて、ふわりと微笑み続きを紡ぐ。
「私は帝都に来て、先生や、沢山の人たちに出会えて、生まれ育った町では知らなかったこと、わからなかったことを沢山知りました。最初は不安もありましたけど、今は母の言葉に従ってここに来て、よかったって思ってます」
陽一は珊瑚を見下ろし、ぽんと軽く頭を叩く。髪に刺した簪が、それに合わせて小さく揺れた。流れてくるのは温かな喜びの感情で、少し留まり余韻を残して消えていく。
二人の様子を見つめていた弘樹は、目を細めて小さく笑う。
「そうか。君が帝都に来て、幸運に導かれたと思ってくれるなら、その鍵にも意味があったと思えるよ。ありがとう」
珊瑚の隣にもう一脚椅子を据えた陽一が、少し間をおいて口を開いた。
「それで、その後どうなったの? まさかそれで終わりじゃないんでしょう?」
「……ああ。そうだな」
姿勢を正して弘樹をじっと見つめる珊瑚の様子に、弘樹はますます目を細め、遠くを見つめるように語り出した。
卒業後の弘樹と澪は、休日になると待ち合わせて魔石の実験をするようになった。弘樹は医学部を目指す為に勉学も忙しくはあったが、澪との実験が丁度いい気分転換にもなっていた。
成績は優秀だが、魔石に関しては澪ほど知識のない弘樹にとって、新しいことを教えてくれる年下の少女は、殊更特別な存在になっていった。澪の方も同じで、変わった趣味の域を逸脱した実験に、忍耐強く付き合ってくれる弘樹の存在が日に日に大きくなっていく。
澪の家は珍しく女子の教育に寛容で、高等学校に進む事も許してくれた。そのため、澪は弘樹と同じ学校へと進む事になった。それなりに難しい学校であったが、魔石以外の成績も優秀だった澪は、難なく合格した。
二人が出会ってから三年の月日が流れ、自然と二人は恋人同士になっていた。普通はすぐに婚約して、一年以内に女は家庭に入るものだ。しかし弘樹も澪も互いにまだ学びたいことがあると、婚約するには至らなかった。とはいえ、いつか二人は結婚するのだと、周囲も認めるほどの仲のよさだった。
さらに月日は流れ、弘樹は医学部へ進学し、もうすぐ三年を迎える頃。澪は自分の進学について、弘樹に相談を持ち掛けた。
「弘樹さん、私、同じ大学へいくことにする」
「そう。澪なら受かるだろうから心配要らないけど。魔石の研究だとどの科に進むのがいいんだろう」
「……ううん、私、看護学部へいこうと思う」
その言葉に弘樹は絶句する。目を見開き、信じられない物を見るような顔で固まった。
「……そんなに驚かなくてもいいじゃない。私だって、ずっと魔石のことだけ考えてるわけじゃないんだから」
「でも、澪。君は魔石の研究をするのがずっと夢だっただろ? どうして看護学部に……僕が医者になるからなのか?」
「もちろん、それもある。私は、弘樹さんを支える存在でありたいから」
「駄目だ。澪には自分の夢を叶えて欲しい。別に、看護を学ばなくても一緒に支え合っていけるだろ?」
「そうだけど。でも、魔石の研究は、医療に役立つものもあるでしょう? 好きな研究をしながら大切な人を支える事が出来れば、私にとってはそれが一番幸せだから」
弘樹は澪の言葉に目を瞠る。
「……でも、君の本当に研究したい分野は違うんじゃない?」
澪は目を細めて弘樹を見つめ、口元に悪戯を仕掛けるような笑みを浮かべた。
「弘樹さん、私と初めて会った日のこと、覚えてる?」
「ああ、覚えてるけど」
「あの時、私がしてたのは花の成長を促す効果の実験だったでしょう?」
「そうだね」
「それって、医学にも通じる話だと思わない?」
「……思わないとは言えないけど……」
「あのね、私の原点ってそういうことなの。初めて花の蕾が少しだけど膨らんだあの時、目に見えなくてもちゃんと力がそこにあるって感じた。ほんの少しの変化だけど、嬉しくてたまらなかった。それを、何か不自由を感じる人にも役立てられたらって。動かなくなった手足が動かせるようになったり、弱った身体が少しでも回復したり。私が感じた喜びみたいに、色んな人を笑顔に出来ないかなって思ったの」
笑みを浮かべる澪は、真っすぐ力強い視線を弘樹に向けた。
「お医者様みたいに、私が誰かの命を救う事は出来ない。でも、小さな花を咲かせるみたいに、それを見て細やかな幸せを感じるみたいに、誰かの助けになれるかも知れない。あのマツヨイグサを咲かせたかったのは、それを見た人を笑顔にしたかったから。私はずっと、そういうものを研究したいって思ってたの」
弘樹は澪の笑顔が眩しく見えて目を細めた。しばらく間を置いてゆっくり言葉を絞り出す。
「……そうか。僕の為だなんて思いあがったことを言ってごめん。そんな風に考えてたなんて、思いもよらなかった」
「ふふっ。弘樹さんの為じゃないなんて言ってない。私は欲張りだから、両方欲しいの」
「ははっ、凄いね。君は初めて会った時から、僕の思いも寄らないことばかり考えてるんだ」
「私にとっての弘樹さんだってそうよ。突然教室に訪ねてきて、浮いてる私を気にもしなかったんだから。それに、初めて実験が成功した日、隣で一緒に喜んでくれた弘樹さんのことも、ずっと忘れないわ」
二人顔を見合わせて笑い合う。
こんな日々がずっと続いて、遠くない未来に二人で診療所を営む。互いに支え合って、幸せな日々がずっと続くのだと。その時の弘樹は、その日が来ると信じて疑わなかった。
大学での弘樹は相変わらずの優等生で、同じ学部で一つ先輩の西野に可愛がられていた。恋人である澪を紹介するような仲でもあった。
澪が大学に入学すると、三人で昼食を共にすることも多かった。澪の控え目ではあるが芯の通った性格と、度々見せる無邪気な様子に、西野は弘樹同様澪を妹のように扱った。二人を見守る西野はいつも穏やかな眼差しで、しかし魔石の話になると澪と白熱した議論を交わす。それもまた、両者にとって楽しい時間となっていた。
そんなある日、三人でいつものように昼食を摂っていると、弘樹と同じ医学部の男がこちらに向かって歩いてきた。
その男は優等生の弘樹でさえ手の届かない程優秀な男で、学部始まって以来の天才だと持て囃されていた。当人は全くそういった事に興味は無いようで、周囲に関心を示すことは一度も無かった。聞くところによると、その才能を見込まれて、国が支援する研究を主導しているという。今は解体された旧華族の出身で、手に入らないものは何もない。しかし、当の本人は魔石の研究以外にさして興味を抱かないという噂だ。
そんな男がなぜこちらに向かってくるのか、和やかな雰囲気だった場の空気が一気に鎮まる。
「平良弘樹というのは、お前であってるか?」
なんとも平坦で面白くなさそうな声を出したその男は、藤原統司だ。
「……そうだけど、僕に何か用か?」
「俺にはない。教授がお前にこれを渡せと押し付けて来た」
迷惑そうに差し出してきたのは、弘樹が教授から借りる約束をしていた資料だ。
「ああ、悪いな。助かる」
返事もせずに踵を返そうとした統司が、視線を動かし澪のところで動きを止める。食い入るように見つめて立ち尽くした。
その様子に嫌な予感が過り、弘樹は澪を背にして立ち上がる。
「僕の恋人に何か用か?」
統司はちらりと弘樹に視線を送った後、何も答えずそのまま立ち去った。
嫌な予感は当たり、それから統司は澪の前によく姿を現すようになった。澪は最初は驚き戸惑ったが、迷惑であることをはっきり告げるようになっていた。会うたび統司は、おおよそ理解できない台詞を残していく。
「お前の魔力は俺にふさわしい」
「なんでも好きな物を与えてやる」
「旧華族の俺に、手に入らないものは何もない」
澪にとって、いや、ほとんどの人にとって到底魅力的な言葉では無いのだが、なぜか統司は澪を手に入れるのが当然のように振舞ってきた。
「お前の恋人とかいうやつは、大した金も持っていない」
「俺は国の研究をしている。才能もあいつよりずっと上だ」
「たかが商家の娘であるお前を貰ってやるんだ。親も喜ぶだろう」
統司は自分の家柄を誇っているようでいて、その実明らかに関心は澪にしかない。魔力や才能、家柄は統司にとって澪を手に入れるために並べたただの理屈だ。どうにかして澪を手に入れたいというその感情は、並々ならぬ執着心だ。
まったく話が通じず、澪も弘樹も神経をすり減らす日々を送った。二人を弟妹のように可愛がっている西野も、ことある毎に仲裁した。しかし、何の力も持たない学生であり、旧華族の権力が未だ色濃く残る当時では、先輩であっても西野の方が立場は弱かった。
そんな日が半年続き、西野は神殿へいくことになり、四年で学部を卒業していった。二人のことが心残りだと言っていたが、西野に出来ることは多くなかった。
それから二年の間、統司は徐々に澪を追い詰めていく。
最初は、実家の取引先が少しずつ減ることから始まった。徐々に澪の実家は経済的に苦しくなり、一年経つ頃には半分に減っていた。統司は澪の前に現れて「実家が大変なら、助けてやろう」と言ってくるが、澪が頷くことはなかった。
澪の両親は事情を知って、何とかなるから気にするなと澪の気持ちを尊重した。弘樹との将来も認めていたため、統司の妨害に負けることはないと励ましてくれさえした。
さらに一年経つ頃、とうとう取引先がなくなった。両親は生活を支えるために、日々奔走していた。澪は退学して働くと言ったが、せっかくもう少しで卒業なのだからと、両親は首を縦に振らなかった。
「弘樹さん、どうしよう。私、どうしたらいい?」
「澪……。もう限界だ。今すぐ結婚しよう」
「でも、そんなことしたら今度は弘樹さんが……」
「医師免許さえ取れれば何とかなるよ」
澪も限界を迎え、二人は手を取り合って街を歩いた。しばらくして辿り着いたのは、弘樹の父が営んでいた平良診療所だ。現在の平良診療所でもあるが、当時そこは住居として使っていなかったため、澪は初めて訪れた。
「いつか、僕がここを継ぐんだ。そうしたら、二人でこの診療所をやっていこう。それまで苦労を掛けると思うけど」
「……そう。ここで二人で」
「うん」
淡く笑った澪は、そんな日はきっと来ないとわかっていたに違いない。
それから少し経って、澪の両親が揃って事故で亡くなった。困窮した生活を立て直すための無理が祟り、ふらりと道に倒れこんだ所で揃って馬車に轢かれた。
澪はもう少しで卒業というところで大学を中退し、統司と結婚することになった。
澪が最後に統司に告げられたのは「次に断れば、平良弘樹の医師になる道はなくなる」という言葉だった。
澪は統司の言葉に頷くよりほかに選択肢は無かった。




