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13-1

 神殿を訪れてからひと月近くが過ぎ、窓から流れ込む風に最早夏の名残さえ残っていない。あれから何の進展もなく、ただ静かに変わらぬ日々が過ぎていった。

 

 西野と神殿長は、商会長と統司の関係を慎重に探っているようで、結果が出るまでにはまだ時間が掛かりそうだ。母や弘樹の行方も未だ分からず、そのことを考えると珊瑚の胸は重く沈む。


 その日の夕方、いつものように診療時間を終えて片付けをしていると、電話のベルが鳴り響く。陽一が発明品置き場の電話を取り、少しすると「本当ですか?」と普段より大きな声を出した。不思議に思った珊瑚は部屋へ入り様子を窺う。

 

 しばらく電話の相手と話をしていた陽一が、何かメモを取ってから受話器を置いた。


「珊瑚君、見つかった!」


 陽一がぱっと振り向き、顔を輝かせた。その勢いに気圧された珊瑚は肩を跳ねさせ一歩下がる。大きな歩幅で珊瑚の方へと歩み寄った陽一は、珊瑚の肩に両手を置いて一気にまくしたてた。


「叔父さんが見つかったよ! 帝都のはずれにある病院に入院してるって。運び込まれたときから意識がなかったらしいんだけど――とにかく無事だって!」

「ほっ、本当ですか?」

「うん。ちゃんと本人がここの連絡先を伝えたそうだから、間違いないよ」

「よ、よかった。本当によかったです」


 一先ず弘樹の行方が知れて、珊瑚はほっと胸を撫で下ろした。とは言え、今まで意識不明だったという事は、それ程深刻な怪我を負っているのかも知れない。


「すぐに病院に向かおうと思うんだけど」

「はい。すぐに支度して向かいましょう」


 陽一は西野にも慌てて連絡を入れ、そのまま弘樹の荷物をまとめ始めた。その間に珊瑚は戸締りに走りまわる。

 

 急いで支度を終えた二人は、中心街から乗合馬車で帝都の外れまで移動した。その地区は中央とはかけ離れた静かな街並みだ。中央から馬車で一時間程走った場所だった。


「どうしてこんな遠いところにいらっしゃったんでしょうか」

「そうだね。それも叔父さんに聞けばわかるかもしれない」

「はい」


 目指す病院はこの地域唯一のものだった。その為、初めて訪れた二人でもすぐに辿り着く事が出来た。

 

 中心街の病院より規模は小さいが、それでも中々立派な建物だ。


 陽一と珊瑚は正面から中へ入り、受付に声を掛ける。


「こちらに入院している、平良弘樹の息(・)子(・)ですが、病室を教えて頂けますか?」


 珊瑚はその言葉に首を傾げた。叔父だと言っていたが、今陽一は息子と言わなかっただろうか。


「ああ、今日お電話に出られた息子さんですか?  それなら三階の三〇六号室になりますから、あちらの階段から行ってください」

「わかりました。ありがとうございます」


 珊瑚の疑問に答えは出ぬまま、二人で足早に階段を上る。教えられた病室は個室のようで、名札には全く覚えのない人間の氏名が書かれていた。


 陽一と珊瑚は顔を見合わせ、同時に首を傾げた。陽一が控えめに扉を叩くと、中から男の声が聞こえてくる。その声に陽一が頷いた。


 扉を開き病室へ入ると、一人の中年の男がベッドに横になっていた。ゆっくり上半身を起こした男は、口を開くが掠れ声だ。


「陽一。……すまんな、心配をかけた」

「叔父さん……無事で、なによりです」


 幾分やつれた様子の弘樹は、どこか陽一に似た風貌だ。陽一が息子だと名乗っていたが、そう言われても違和感はない。


 ほっとした様子で弘樹の様子をじっくり眺めた陽一は、すぐに珊瑚を振り返る。

 

「珊瑚君、この人が僕の叔父さんで、君の尋ね人の平良弘樹だよ」


 鼓動が大きく跳ね、期待と緊張に顔を強張らせながら一歩ずつ足を進める。陽一の少し後ろで足を止めると、ゆっくり息を吸い込んだ。


「神崎珊瑚と申します。母に言われて平良弘樹先生を訪ね、帝都に出てきました」


 弘樹のひゅっと息を呑む音が響く。目を見開き珊瑚を凝視したまま固まった。しばらくそのまま見つめていた弘樹は、途端に表情を歪めて言葉を絞り出す。


「神崎……珊瑚。そうか、澪の……娘だね?」

「はい」


 頷く珊瑚に弘樹は手を伸ばした。


「顔をよく見せてくれないか」


 戸惑いつつも陽一の横へ並んだ珊瑚は、弘樹の手をそっと取る。ぶわりと流れてくるのは、喜び、愛情、後悔、怒り、悲しみ、驚きと、今まで珊瑚の感じたことのない複雑な感情だ。その複雑さと熱量に珊瑚は思わずふらりとよろけ、弘樹と手が離れた。咄嗟に支えた陽一が、そっとベッド横の椅子へと珊瑚を座らせる。


「珊瑚君、大丈夫?」


 陽一に触れられた事で弘樹の感情が霧散した珊瑚はゆっくり頷いた。


「すまない。驚かせたみたいだね」


 仄かに笑うその笑顔が、珊瑚には哀しげに映った。


「いいえ、こちらこそまだ調子が戻られていないところに、突然すみません」

「いいや、大丈夫だよ。実際目を覚ましてからふた月くらいは過ぎてるんだ。……その間にリハビリをして、こうやって話せるようになったところなんだよ」


 のんびりとした口調なのは、元々なのか意識を失っていたせいなのか、珊瑚には判断がつかない。


「叔父さんと珊瑚君のお母さんって、何か関係あるの?」


 珊瑚と陽一の顔をゆっくり見比べた弘樹は、少しの間逡巡する。


「……どう話したらいいのかな」


 困ったように眉を下げた弘樹に、珊瑚は胸元から引き出したネックレスの鍵を掲げて見せた。


「弘樹先生。母は、この鍵を私に託しました。この鍵で開けた箱の中に、弘樹先生の連絡先を書いた紙が入っていました。いつか一緒に、もし無理なら私一人でも訪ねるようにと言われました。先生と母は、もしかしたら昔の……」

 

 布団の上に置かれた弘樹の手がぴくりと震える。


「澪は……君のお母さんは何て?」

「母は何も語らず姿を消しました」

「……姿を消した?」

「恐らく、父親に無理矢理連れ去られたんだと思います」

「……そう……そうか」


 両手で顔を覆った弘樹は、数回深呼吸をしてゆっくりと顔を上げた。


「その鍵は……その鍵の掛かる箱を君のお母さんに贈ったのは僕だよ」


 珊瑚の持つ鍵に視線を向けた弘樹は、目を細めて続けた。


「少し長い話になるけど。もし、聞きたくなかったら途中で止めて欲しい。君のお母さんと父親でもない男の話なんて、聞きたくないこともあるだろう?」


 珊瑚は小さく首を振る。


「いいえ。恋人と無理に別れさせられたという話は知ってます。それに、私は母と二人だけで暮らしていました。ずっと両親の仲がいいようには見えませんでした。だから……聞かせてください」

 

 弘樹は淡く微笑み、頷いた。陽一が整えたベッドの背もたれに寄りかかり、少し遠くを見るような目をした弘樹は、ゆっくりと語り始める。



 弘樹と澪が出会ったのは、中等学校でのことだった。どちらの家もそれなりに裕福で、周囲の子供たちも皆同じようなものだった。毎日変わらぬ日々の繰り返しで、弘樹は面白いとも退屈だとも思わず、ただ医者を目指して勉学に励んでいた。


 そんなある日、中庭で蹲る少女を見つける。気分でも悪いのかと心配になった弘樹は、少女に駆け寄り声を掛けた。


「君、そんなところで何をしてるの?」

「ちょっと、今話しかけないでくれる?」


 驚いた弘樹は、一体何をしているのかと少女の手元を覗き込む。少女は手にした小さな魔石を花に向かって掲げていた。何をしているのか不思議に思うが、話しかけるなと言われた手前それ以上声をかける事は出来ない。かといって立ち去るには惜しく思えて、弘樹は少女の隣にしゃがみ込んだ。


 しばらくそのまま黙って手元を見つめていると、少女が大きな溜息を吐きながら肩を落として「やっぱり駄目ね……。少しくらい反応すると思ったのに」と呟いた。


「何が駄目だったの?」


 少女はびくりと肩を震わせ、驚いたようによろけて弘樹と反対側に手をついた。


「大丈夫?」


 弘樹が続けて声を掛けると、少女は目を皿のようにして弘樹を見つめる。


「あなた、まだ居たの?」

「何をしてるのか気になって、ずっと隣で見てたよ」

「嘘でしょう?」

「……君が話しかけるなっていうから待ってたんだけど、迷惑だった?」


 ぽかんと弘樹を見つめる少女は、よく見ると大変整った容姿をしている。見つめられた弘樹は、居たたまれない気分になって立ち去ろうと腰を上げた。


「邪魔してごめんね。じゃあ、僕はこれで……」


 言いかけた弘樹の着物の袂を、慌てた様子で少女が軽く掴む。


「待って! 迷惑だったわけじゃないの。ただ……こういう事してると変な子だってからかわれる事が多くて。まさか、ずっと見てる人が居るなんて思わなかったから、驚いただけなの」


 決まり悪そうに一気に話す少女に、弘樹は目を瞬いた。少し間を置いて小さく笑い、再び少女の横にしゃがみ込んだ。


「それで、いったい何をしていたの?」

「あのね、この魔石を使って花の成長が速くならないか試してたのよ」

「魔石で花を?」

「そう。私、ちょっと人より魔力が多くて、簡単な効果の付与なら出来るから」

「ええ? そんな事が出来るなんて凄いね。そんな人、滅多にいないのに」

「ふふっ。私、魔石のことならちょっと詳しいの」

「魔石が好きなの?」

「ええ、そうよ。だから沢山本を読んで、色々試してるところ」

「そんなに色々試したら、負担が掛かって大変じゃない?」

「そうね、使いすぎると駄目だけど。ちゃんとその辺は調整してるから」


 弘樹は感心したように頷いた。見た目の可憐さとは裏腹に、随分研究熱心で好奇心旺盛な性格のようだ。もう少し話を聞こうと思ったところで、昼休憩が終わる鐘の音が響き渡る。


「あっ、もうこんな時間。授業に遅れちゃう」


 慌てて立ち上がり、少女はそのまま立ち去ろうとする。


「あっ! 君、名前は? またここに来る?」


 振り返った少女は、花が綻ぶような笑顔を浮かべて軽やかに答えた。


「私は神崎澪。一年二組の神崎澪よ。魔石を作り直したらまた来るわ」


 笑顔で手を振り走り去ろうとする澪に、弘樹は大きな声で話しかける。


「僕は平良弘樹。三年一組の、平良弘樹! またここで待ってるよ」


 一瞬振り返った顔は、弘樹が上級生であったことに気付いて少し驚いたような様子だ。その表情に思わず小さく噴き出した弘樹は、軽やかな足取りで自分の教室へ戻っていった。

 

 

 一息に話した弘樹は、少し姿勢を崩して一息吐く。陽一が水差しから注いだ水を一口飲み、少し間を置いてから飲み干した。


「君のお母さんと僕の出会いはそんな感じだった」

「母は、魔石が好きだったんですね」

「そうだね」

「血は争えないね。珊瑚君も魔石や魔道具のこととなると夢中だもんね?」

「ふふっ、そうですね。私のそういう所は、母譲りなんですね」

「そうだね。君は、面差しや雰囲気も、お母さんによく似ているよ。とても懐かしい気持ちになる」


 そう言って目を細めて珊瑚を見る弘樹に、ふわりと心が温かくなる。本来父親とはこういうものなのかも知れない。珊瑚は自分の容姿が母に似ていることは理解しているが、色合いは父親似だ。そのことに少しも触れず、ただ母の面影を懐かしむ弘樹に、じんわり胸が熱くなる。きっと本当に母を大切に思っていて、その娘である珊瑚のことも気遣ってくれている。触れなくてもわかるその優しさに、珊瑚の口元に自然と柔らかな笑みが浮かんだ。


「その後、どうなったんですか? 母とはまた会えたんですよね?」

「うん。会えたけど……すぐじゃなかった。僕は毎日中庭に通ったけど、新しい魔石がなかなかできなかったみたいで。とうとうひと月経った頃、僕の方から訪ねていった」


 少し照れたように笑いながら、弘樹が続きを話し始めた。



「神崎澪君、居ますか?」


 あれ以来一向に中庭に現れない澪に痺れを切らした弘樹は、聞いていた澪の教室を訪ねる事にした。近くにいた生徒に話し掛け、澪の名前を告げると、ぎょっとしたような顔をされた。


「えっ? か、神崎ですか? い、いますけど、用があるならご自身でどうぞ」


 そう言って指さす先には、難しい顔をして本を読み耽る澪の姿があった。人の教室に足を踏み入れることに躊躇したが、迷ったのは一瞬だ。覚悟を決めて澪の席に歩み寄る。


「何の本を読んでるの?」


 澪は弘樹を無視して本を読み続ける。弘樹は首を傾げながら、後ろに立って本を覗き込んだ。それは魔石とその効果付与の仕方に関する本だった。


「……随分難しい本を読んでるね」


 その言葉にピクリと反応した澪が、怪訝な顔で振り返る。視線を向けた先に居るのが弘樹だと気付くと、はっとしたように肩を震わせ、勢いよく本を閉じた。


「た、平良先輩っ」

「久しぶりだね」

「ど、どうしてここに?」

「中庭で待ってたけど、中々来ないからどうしたのかと思って」


 気まずそうに俯いた澪は、視線を周囲にさ迷わせて顔を青くする。同じ教室の生徒が、澪と弘樹に注目して何やらひそひそ囁きあっていた。


「平良先輩、すみません。私のせいで……」

「上級生の男がいきなり訪ねてきたら、誰でも注目されるよ。僕の方こそ考えなしに来てごめん。また今度、本の話を聞かせてよ」

「いいんですか?」


 澪が小さな声で尋ねてくる。


「何が?」

「私、見ての通り浮いてるんです。私に関わると先輩も……」

「ふっ、あはは。見てのとおり僕も浮いてるから気にしないで。でも、友人は多いから、もし君が何か困ったことになったら、遠慮なく相談してね」


 優等生で友人は多いが変わり者の弘樹は、確かに少し浮いた存在だった。それとなく澪の級友に釘を刺し、気が済んだ弘樹はそのまま教室を後にした。


「じゃあ、またね、神崎君」


 その様子を澪はぽかんとした顔で見送った。

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