12-5
「それで、俺は怒られ損だな」
腕を組んで二人のやり取りを見ていた涼介が、呆れたように言った。
「し、篠塚さん、すみませんでした」
慌てて頭を下げる珊瑚に、陽一が待ったを掛ける。
「珊瑚君、涼介にも謝らなくていいよ」
「え? でも、篠塚さんには一方的にご迷惑を……」
「いや、最初から話に乗った時点で同罪だからね」
「ぐっ、確かにそうとも言うな」
「だから三人とも、この件でお互いに謝るのはやめよう」
「いや待て。珊瑚ちゃんはいいとして、お前は俺に謝ってない。俺は謝ったのにおかしいだろ」
「涼介、しつこい男は嫌われるぞ」
二人の応酬に、いつもの様子に戻ったようだと珊瑚は安堵を覚えた。楽しそうに眺める珊瑚に、涼介が口を開いた。
「珊瑚ちゃん、笑って見てないでなんとか言ってくれよ」
「お前、珊瑚君を巻き込むな」
「おい、巻き込まれたのは俺の方だ」
その言葉に珊瑚は「あっ」と思わず声を上げた。
「珊瑚君、どうしたの?」
「あの、確かにそのとおりです」
「どういうこと?」
「今日、篠塚さんと買い物をしている時に、あの男の人を見かけたんです」
珊瑚と涼介は顔を見合わせて頷きあう。
「顔に目立つ痣のある男だったな。そいつの後を二人で追った」
「ちょっと待った。涼介、どうしてそんな危ないことを珊瑚君にさせたんだ」
「先生っ。私、一人で走りませんでした!」
その言葉に陽一はぎょっとしたような顔をした。
「ちゃんと篠塚さんに声を掛けて歩いて追いかけました!」
ぐっと言葉を詰まらせた陽一は、額に手を当てて大きく息を吐く。
「……そう。珊瑚君、ちゃんと僕の言ったことを覚えててくれたんだね」
「はいっ」
「……これからも忘れずにね」
陽一が少し遠い目をしているような気がするが、珊瑚は神妙な顔でしっかりと頷いた。
「……それで、男はどこへ?」
「神殿に入っていったな」
「そうか。それなら西野さんに話した方がいいね」
「そう言えば、思い出したんですけど」
陽一と涼介は珊瑚に視線を向けて続きを促す。
「ずっと気になってたんですが。今日、神殿に入るのを見てふと思い出したんです」
「何を思い出したの?」
「あの人、お正月明けに会った人だと思います」
「……正月明けに、僕も一緒に?」
「はい。先生と歩いてる時にぶつかって来た人です」
「……西野さんが走って追いかけてた男かな?」
「そうですっ! あの時の人です。ぶつかったときに布が少しずれて、痣を見たのを思い出したんです」
珊瑚は両手の拳を体の前で握りしめる。
「つまり、どういうこった?」
「西野さんからマラカイトを盗んだ男が、珊瑚君の言う痣の男だね。黄瀬さんのお母さんが魔石入りの簪を買ったのが、神殿に出入りしてる商人だった。そして、桜井さんが見かけた妻の梓さんと歩いてたのが痣のある男だった」
「きっと、全部同じ人ですよね?」
「いや、まだ断定はできない。桜井さんに今日の男を見て貰えれば、確率は上がるけど。やっぱり充分じゃない」
「そうだな。桜井さんの見た男が必ずしも魔石を売ったとは限らんからな」
「……確かに、そうですね」
珊瑚は握った拳を下ろして肩を落とす。
「そうがっかりするなって」
「少なくとも神殿に出入りしてる男なんだとしたら、西野さんに伝えれば何かわかるかも知れない」
「……そうですね」
「断定できないとは言ったけど、僕も同じ男の可能性は高いと思うよ」
「それなら、早く西野さんに知らせないと!」
「うん。ただ、電話で軽く話せる内容でもないから、また約束を取り付けなきゃだね」
「もどかしいですね」
「まずは西野さんに連絡を取ってみよう」
言うや否や陽一が西野に電話を掛ける。運よく今から時間が取れるという事で、三人揃って神殿に向かう事になった。
神殿にいくことに不安はあるが、西野が大丈夫だと言うのならきっとそうなのだろう。珊瑚は西野に母の話を聞いて以来、陽一ほどではないがある程度西野も信用出来ると思えるようになった。失くした時の辛さは経験済みだが、自分の事情を知っている西野なら、そんなことにはならないだろう。
それに、陽一と涼介が居ればきっと大丈夫だろう。以前なら、どうなっても仕方ないと思っていたのに。自分の変化に少し戸惑いもあるが、嬉しくも思う。怖がるばかりだった頃の自分より、少しは強くなれた気がした。
神殿に着くと、すでに話が通っていたようで、普段では入れない入口へ案内された。以前、招待があっても入るのは難しいと西野は話していたが、書類に署名をした三人はあっけなく中へ通された。
「随分簡単に通されたもんだな」
「そうですね。かなり精査されると聞いてたんですけど」
「もしかしたら、会うのは西野さんだけじゃないのかも知れないね」
「どういうことですか?」
小声で話しながら案内役の神官の後ろを歩いていると、精緻な細工を施された扉の前に案内される。神官が控えめに扉叩くと、中から入室許可の声が響いた。
「失礼します。お客様をお連れしました」
恭しく扉を開いた神官が、三人を奥へと導く。
陽一を先頭に、珊瑚と涼介が続いた。珊瑚は緊張の面持ちで、毛足の長い絨毯の上を一歩一歩進んで行く。
広い部屋の中には背の高い本棚があり、分厚い本で埋め尽くされている。正面の大きな執務机には誰も座っておらず、書類の山が積まれていた。右手に見えるローテーブルとソファに視線を移すと、西野と共に知らない人物が立っている。
案内役の神官が扉をしっかり閉めたことを確認してから西野が口を開いた。
「陽一君と珊瑚さん。それから涼介君も。こっちに来て紹介させてくれ」
西野の横に立っているのは厳しい面立ちの熟年の女だ。
珊瑚は陽一の後ろを恐る恐る付いていった。二人の前で距離を置いて立ち止まった陽一がお辞儀をしながら口を開いた。
「平良陽一です。診療所の医師を務めております」
「か、神崎珊瑚です。診療所の助手を務めております」
「篠塚涼介です。帝都大学病院の医師です」
陽一に続いて珊瑚と涼介も挨拶を終え、ゆっくり西野と女に視線を向ける。
「初めまして。私はこの神殿の長を務めております大和藤緒と申します」
珊瑚はその言葉に一歩後退り、陽一と涼介は庇うように珊瑚の前に出た。その様子に苦笑を浮かべる西野の横で、神殿長は厳しい顔つきをふっと緩めた。
「ご安心なさい。私は神崎珊瑚さんを拘束するつもりはございません」
「三人とも、それは私も保証するから安心してくれ」
少しだけ警戒を解いた三人は、促されるままにソファへ腰を下ろした。
「突然引き合わせて悪かった。だが、早い方が珊瑚さんも安心するだろうと思ってな。それから、内密な話ならこの部屋以外では安心ならんのだ」
「この部屋は安心出来るって事ですか?」
陽一の問いに、西野も神殿長も深く頷く。
「この部屋は特殊な魔石で守られております。外に会話が漏れることも、外部から人が勝手に入り込む事もできません」
「今日やけに簡単に通されたのは、神殿長自らのお招きだったからって事ですか?」
涼介の言葉に神殿長が頷いた。
「そうです。私が特別に許可を出しました。そうでなければこちらに入るまでに煩雑な手続きが必要となります」
「ちゃんと自由に外に出られるんですよね?」
陽一が神殿長を見据えて尋ねる。
「もちろんです。私が神と古の魔石に誓って保証いたします」
珊瑚の目を見つめながら神殿長が続ける。
「あなたの手を取りながら誓いましょうか?」
視線を合わせた珊瑚は、ごくりと喉を鳴らして口を結ぶ。じっと見つめる先にあるのは、酷く真っすぐに珊瑚を見返す眼差しだ。その瞳は、少しも揺れずに珊瑚を射抜く。
「いいえ、その必要はありません」
「なぜ?」
「神殿長様が私を拘束したいなら、簡単に出来るのでしょう。私たちを騙す必要もありません。それに、手に触れていいという事は、すでに私の秘密をご存じだという事ですよね?」
「そのとおりです」
「それを知りながら拘束しないと嘘を吐く理由が思いつきません。ですから、触れる必要はありません」
珊瑚を見つめる神殿長の視線がふっと緩み、同時に口角を少し上げる。
「あなたは、賢く素直な人なのですね。藤原の娘と聞いて少し警戒はしておりましたが……。今の返答で安心いたしました」
「……珊瑚君を試したんですか?」
陽一は鋭い視線を神殿長に向けながら問いかけた。神殿長は一瞬目を伏せるが、すぐに陽一に視線を戻して口を開く。
「申し訳ありません。そのとおりです」
「陽一君、そう怒らんでくれよ。神殿としても内部まで疑う状況だ。いくら私が信用出来ると言っても、慎重に対処したいと思う気持ちも理解してくれ」
「あの、私は大丈夫です。気にしてません」
陽一は不服そうな態度を崩しはしないが、渋々頷いた。
「あまり気分のいいやりとりじゃないが、そちらの立場も理解しました」
涼介が口を開き、陽一に視線を向けてさらに続けた。
「さっさと情報交換して帰るぞ」
珊瑚はハラハラとした気分で、四人の顔を見比べた。それに気付いた陽一が、大きく溜息を吐く。
「では、こちらから。今日、珊瑚君と涼介がここに入ってくる男を見ました。顔に特徴的な痣のある男です」
その言葉に西野と神殿長がはっと息を呑む音が響く。
「心当たりがあるご様子ですね。その男は、西野さんからマラカイトを盗んだ男です。一度目の盗みに失敗した日、珊瑚君がぶつかった拍子に顔の痣を見たそうです」
陽一は少しの間を置いてから続けた。
「僕の症例と似た人たちを訪ねて話を聞きましたが、その中の一人が、痣のある人物を見かけていました。同一人物かはわかりませんが、魔石を手に入れた者が接触していた男です」
手巾を取り出して額の汗を拭う西野の横で、神殿長は表情こそ変えないが顔色を悪くしている。
大きく息を吐いた西野が、三人に向けて躊躇いがちに言葉を絞り出す。
「……その男には、心当たりがある」
頭をガシガシを搔きむしった後に、西野は一度深くソファに座り直してから続けた。
「神殿に出入りしている商会は前にも言った通り三つだ。そのうち一つの商会長は、顔に目立つ痣がある。そいつは、昔ここの神官だった男だ」
「元神官の商会長ですか?」
「そうだ。ある時から何かに怯えたようになって、しばらく経って父親を亡くした。その亡くなった父親が営んでいたのが商会だ」
「なぜ様子がおかしくなったんですか?」
「わからん。だが、そいつは昔藤原の研究に助手として参加してたという事が最近になって判明した」
「今まで分からなかったんですか?」
「ああ。前の神殿長の時の記録がいい加減でな。昔助手をしてた全ての人間が最近になってやっとわかったところだ」
西野は額に手を当てて軽く頭を左右に振った。珊瑚と涼介は口を挟まず二人のやり取りにじっと見守る。
「あの人は私が神殿に来た頃、既に様子がおかしかった。常に何かに怯えているようでな。辞めてからしばらくして戻ってきた時には、特におかしな様子はなかった。だから、その時余程何か心配なことでもあったんだろうと気にも留めなかった。何代も前から出入りしてる商会でもあるし、信用して備品や鍵の管理を任せてたんだ」
「鍵の管理?」
「そうだ。古くなった鍵や重要な扉の鍵のメンテナンスを担ってた。……つまり、私の執務室の引き出しから、気付かれずにマラカイトを盗めたってことだな。しかも、そこにあることを知っていたというわけだ」
「最初から狙って神殿に出入りしてたってことですか?」
「わからん。だが、商会を継ぐ前に藤原と関りがあったのは事実だ」
珊瑚は膝の上で拳をぎゅっと握りしめる。統司が関わっているのは、感情を奪われた人たちだけではなかった。もしその男が統司に命じられて動いているなら、ある意味被害者でもある。一体どれだけの人間を巻き込んでいるのだろう。そして、珊瑚は紛れもなくその娘なのだ。
考えれば考えるほど恐ろしくなり、背筋がぞくりとして珊瑚は身震いした。
「マラカイトが手に入る前から商会長だったんですよね?」
涼介の問いに西野は頷いた。
「そうだ。だから、マラカイト自体を狙う為に出入りしていたわけでは無いだろうが、何かあった時の保険か。もしくは、神殿内部を探るのに出入りしている可能性はある」
「例えば、古の魔石がレプリカになったことが発覚していないかどうかとか?」
「そういうことだ」
続けて陽一が口を開いた。
「その商人には、盗難が発覚した情報は伝わってないんですか?」
「そのはずだ。だが、他にも藤原に繋がる人間がいたらどうだかわからん。それに……。昔馴染みの奴らは、あいつを疑ってないだろうからな。情報が漏れる可能性も否めない」
シンと静まった部屋に重い空気が流れる。口を噤んでいた神殿長が、深く息を吐いた。
「……どちらにせよ、神殿の責任も重いと考えています。いくら長の交代前のことから起因しているとはいえ、今起きている問題は神殿の……私の管理責任でもあるのです。神崎珊瑚さん。あなたが責任を感じる必要はありません。親の罪は親のものです。あなたが自ら加担しているのでなければ、子供には関係のないものです」
神殿長の言葉に、珊瑚は目を瞬いた。
「神殿があなたを拘束しないと決めたのは、そういうわけです。藤原統司に関しては罪を償わせるつもりですが」
珊瑚は神殿長を見つめてゆっくりと頷いた。
「よし、これで互いの情報交換も一旦の区切りがついたな」
涼介の言葉に、他の四人が頷いた。
神殿長が最初に宣言した通り、三人はすんなり帰路に着く。足を踏み入れた時の緊張はすっかり解け、今後神殿からの拘束に怯える必要もなくなった。それでも珊瑚の気持ちは重い。
途中で涼介とは別れ、診療所への帰り道を二人でゆっくり歩く。
「珊瑚君、神殿の方は心配がなくなってよかったね」
「はい」
「涼介と出掛けたこと、危ないからダメだって怒ったのが無駄になっちゃったよ」
珊瑚は出掛ける前に、危ないから外出は必要最低限だったと怒られたことを思い出す。
「これからは、もう少し気軽に出掛けられるね」
「そうですね」
珊瑚は淡く笑うが、心は重い。
「珊瑚君。神殿長の言ったこと、忘れないでね」
「え?」
「親の罪は親の罪。子供には関係ないって」
「……はい」
「僕や涼介だけじゃなくて、他人から見てもそうなんだよ」
「……それでいいのでしょうか」
「珊瑚君がすぐに割り切れないのは分かってるよ。だから、覚えておいてね」
珊瑚は小さく頷いた。いつか心からそれでいいと思える日が来るのだろうか。
秋の少し冷たい風が、今はほんのり暖かく頬を撫でたような気がした。
明日、明後日は2話ずつ更新です




