↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/72

11-5

 鈍行を途中下車して今日は中継地点の宿で一泊する。夜行列車と違い、寝室は別々だ。ここでも陽一は奮発したらしく、部屋は特殊な作りになっている。扉を開けてすぐにソファやテーブルのある部屋で、この部分は共用スペースだ。その部屋には左右に扉がついており、そちらは個室になっている。

 

「先生、これはまるで集合住宅の一室ですね」

「そうだね。この方が珊瑚君も安心かと思ったけど、落ち着かない?」

「いいえ。完全に区切られた部屋より安心です」


 珊瑚は帝都へ出る時、安い宿の個室に泊まっていた。両隣や廊下の音が気になり、落ち着かなかったことを思い出す。世間知らずとはいえ、若い娘の一人旅が安全だとも思っていなかった。

 

 今回は陽一が一緒とは言え、同じように隣り合った個室だったら、不安が過ったかも知れない。何かあっても声が届かない距離は、今の珊瑚には心許なく感じる。


「珊瑚君が安心出来そうならよかった。僕も今夜はよく眠れそうだよ」

「朝早く目が覚めただけじゃなくて、夜もあまり眠れなかったんですか?」

「え? いや、どうだったかな……」


 陽一は首の後ろを搔きながら、視線を左右に揺らした。首を傾げた珊瑚は、きっと言い間違えたのだろうと一人納得する。


「それより、今日の夕食はここで食べる? それとも町の中で何か探す?」

「そうですね……少し町を散策したいです!」

「じゃあ、早速行ってみる?」

「はいっ」

「夕食の時間までまだ時間があるから、散歩してたらちょうどいいね」


 そう言って柔らかな笑顔を浮かべる陽一に、珊瑚は満面の笑みで返した。

 

 一旦それぞれの個室へ行き、簡単に身支度を整える。浮き立つ気持ちで部屋を出ようとしたその瞬間、珊瑚は頭痛に見舞われた。


 膝から崩れ落ち、両手で頭を抱える。いつもより酷い頭痛は、今年に入って回数が増えただけでなく、その痛みも増している。必死に頭を押さえるが、鈍器で殴られたような衝撃に視界が滲んだ。どうにか陽一に知らせようと、近場にあった椅子に手を掛けるが、バランスを崩して一緒に倒れこむ。

 

 ガタンと大きな音が響き、すぐに部屋の扉を叩く音が響いた。


「珊瑚君っ、何かあったの?」


 ドンドンと鳴り響く音に、珊瑚は返事をすることもままならない。「先生……」と漏れた珊瑚の声は、頼りなく掠れていた。


「珊瑚君っ、開けるよっ!」


 その言葉と共に扉が開き、陽一が飛び込んでくる。床に蹲る珊瑚に気付き、慌てて駆け寄ってきた。


「珊瑚君っ!」


 珊瑚は必死に陽一を見ようとするが、視界がぼやけてよく見えない。ガンガンと響く頭痛と共に、ドクドクと脈打つ音が耳に響く。声を出そうと口を開くが、喉が締め付けられたようになり、はくはくと息が漏れるばかりで声にならない。

 

 目を閉じ、頭を覆う手に無意識に力が籠る。珊瑚の意識は徐々に遠のき、最後に陽一の声が聞こえたような気がした。


 

 額に冷たいものが当たるのを感じ、珊瑚はゆっくりと目を開いた。眩しい光が入り、もう一度ぎゅっと閉じる。


「珊瑚君っ!」


 陽一の声に、一気に意識を取り戻した珊瑚は、慌てて起き上がろうとして止められる。


「急に起き上がっちゃダメだよ。大丈夫だから、落ち着いて」


 ゆっくり見回すと、宿の部屋にあったソファの上にいた。倒れてそのまま寝かされていたようだ。


「……すみません。私、どれくらいこうしてました?」

「そんなに長い時間じゃないよ。二十分くらいかな」


 珊瑚は、今度はゆっくりと身体を起こした。


「またご迷惑をお掛けして……」

「珊瑚君」


 咎めるような陽一の声に、ハッとして手で口を塞ぐ。


「あの、ありがとうございます」

「うん。完全に別の部屋にしなくて、本当によかった」


 珊瑚はそこで初めて陽一の意図に気付いた。神殿の動きを気にしているのかと思ったが、頭痛の心配もしてくれていたようだ。完全な個室だったら、珊瑚は一人部屋で蹲っていただろう。出てくるのが遅い珊瑚を心配して、そのうち陽一が気付くかも知れない。けれど、気付くまでどれほど時間が掛かるだろうか。その間、珊瑚は幼いあの日の様に、床に転がっていたのかもしれない。


「……今回は何色でしたか?」

「深い藍紫だったよ。……悲しみの色だ」

「……そうですか」


 また、誰かの悲しみが失われたに違いない。珊瑚の胸は締め付けられるようにキリキリと痛む。

 

「珊瑚君」


 陽一の声に珊瑚は顔を上げた。労るように眉を下げた陽一に、珊瑚は淡く微笑んだ。


「……大丈夫です」


 ぎこちない笑みで答えるが、珊瑚の胸の痛みは消えない。


「歩けそうなら、……町の散策に出ようか?」

「はいっ」


 無理やり明るく答えるが、珊瑚の手は僅かに震える。

 

 きっと陽一には見抜かれているだろう。それでも小さく笑った陽一は、すぐには変われない珊瑚を受け入れた。

 

 

 手を取り、町の賑わいへ足を踏み出す。帝都とは違い、人出はあるが親しみやすくのんびりとした空気が流れている。

 

 途中で見つけた名物の鰻屋に立ち寄りお腹を満たす。暑さの中歩いて回っていると、初めて見る緑茶アイスという食べ物に、目が釘付けになった。


「珊瑚君、暑いしアイスでも食べる?」

「アイスって、白いのじゃないんですか?」

「ああ、ここのはお茶を使ってるから緑なんじゃないかな」

「帝都にはありませんよね?」

「そうだね。僕も初めて見たよ」


 店先に座って一匙掬うと、恐る恐る口へと運ぶ。緑茶の苦みに甘みが合わさり、何とも言えない絶妙なバランスだ。最初は甘いお茶の味に首を傾げた珊瑚だが、食べ勧めると癖になる。


「おいしいですね」

「うん。止まらなくなるね」


 食べ終えた器をじっと見つめる珊瑚に、陽一がふっと息を漏らして笑う。


「珊瑚君、もっと食べたい?」

「ち、違います! 今はもうお腹いっぱいです。でも、また今度食べたいです」

「そうだね。またいつか食べに来よう」

「はいっ」


 ふと西野と行ったディナーの帰り道を思い出した。


『さっきのディナー、美味しかったね』

『はいっ。とっても美味しかったですし、初めての物ばかりで感動しました』

『今はまだ色々あるから落ち着かないけど、全部解決したら、また一緒に行こうね』


 あの時の珊瑚は答えを濁して、返事を避けた。けれど、今は素直に頷いた。珊瑚は道を一緒に探そうと言ってくれた、陽一の言葉を信じてみようと思ったからだ。

 

 陽一と歩きながら、珊瑚は小さく息を吸い込む。

 

 まだ完全に前を向ける訳ではない。けれど、一歩を踏み出す勇気がほんの少しだけ湧いてきた。一緒に歩いていくれる人が居る。それだけで、こんなにも心強いのだと思う。


 しばらく並んで歩いていると、前の方できょろきょろと辺りを見回す少女を見つけた。何かを探しているようで、何とも不安そうな表情だ。

 

 陽一を見上げるが、気付いた様子はない。珊瑚は一瞬迷うが、すぐに首を小さく振る。


「先生っ。ちょっと気になる事があるので一旦離れますね」


 以前男を一人で追いかけて、陽一に諭されたことを覚えていた珊瑚は、陽一に声を掛けた。しかし、返事を待たずに走り出す。陽一は慌てて珊瑚を追いかけた。


「さ、珊瑚君、そうじゃない! 声を掛けたら勝手に走っていい訳じゃないからねっ?」


 珊瑚は追いかけてくる陽一の声が耳に入るが、子供を見失いそうになって慌てて足を速めた。見つけた子供の背中から、そっと肩に手を乗せる。


「こんにちはっ。あの、何か探してるんですか?」


 少し息の上がった珊瑚が声を掛けると、少女は驚いたように振り返った。肩に置いた手から伝わるのは、驚きと不安だ。


「お姉さん、誰?」


 珊瑚は出来るだけ柔らかな声で、少女に答えた。


「私は、珊瑚と言います。帝都から来た、お医者様の助手です」


 少女は目を見開き、ほんのり頬を染めて珊瑚を見上げた。

 

「お医者様の助手さん? お姉さん、すごいねぇ!」


 少し不安の和らいだ少女の様子に、珊瑚はひとまずホッとする。そこに追いついた陽一が、膝に手をつき少女を覗き込んだ。


「こんにちはっ。はあ。僕はこのお姉さんと一緒に帝都から出てきたお医者さんだよ」

 

 軽く息の上がった陽一が、状況を察して声を掛けた。少女は目を瞬き、陽一と珊瑚を交互に見比べた。それから眉を下げて俯く。


「わたし、お母さんを探しとるんだよ。さっきまで一緒におったんだけど、いつの間にかいなくなっちゃったんだよね……」

「そうだったんですね」

「僕たちも一緒に探そうか」

「いいの?」


 少女は顔を上げて期待に目を輝かせる。


 珊瑚は少女の手をそっと取り、微笑みかけた。陽一も少女の反対側の手を取り、一緒に並んで歩き出す。

 

 少女の不安は伝わってくるが、懸命に堪えているのがわかる。母親と鈍行に乗って、買い物に来たそうだ。手を繋いで歩いていたはずが、気になる硝子細工を見ているうちに、気付いたら独りになっていたと言う。

 

 母親の特徴を聞きながら、人混みを縫ってしばらく歩くと、子供の名前を呼ぶ女の声が聞こえてきた。


「あっ、お母さんだっ!」


 すり抜けていきそうな少女の手を握り直し、珊瑚と陽一は一緒に走り出した。


「お母さんっ!」


 名前を呼んでいた女が振り向き、泣きそうな顔で少女に近寄り膝をついた。


「見つかってよかったなぁ……。無事でよかった」


 ほっと息を吐いた母親が、陽一と珊瑚を見上げた。すると少女は嬉しそうに母親に話しかける。


「お母さん、お姉さんは助手さんで、お兄さんは先生だよっ!」


 母親は驚いた様に珊瑚と陽一を見比べた後、困ったような表情を浮かべた。


「あの、ご迷惑をお掛けしたようで、すみませんでした」

「いいえ、迷惑だなんて」

「無事、お母さんと会えてよかったです」


 陽一と珊瑚は笑って答えた。


「先生って、学校の先生のことですかねえ?」


 互いに顔を見合わせ、目を瞬いた。


「いいえ、僕は医者です」

「ああ、先生っちゅうのはお医者様のことだったんですね。この子、将来は先生になりたいって言っとりますもんで、てっきり学校の先生かと思いました」

「そうだったんですか」


 陽一が頷き、珊瑚は少女に視線を合わせた。


「学校の先生になるのが夢なんですか?」

「うん。あのね、わたし、黒田先生みたいになりたいんだ」

「黒田先生? ……もしかして、黒田智先生ですか?」

「っ! そうっ、お姉さん、黒田先生知っとる?」

「はい、今日お会いしてきました」


 少女は目を輝かせ、頬を上気させて興奮気味に話しだす。


「黒田先生はね、私の担任の先生なのっ! 最初は怖い顔しとるなぁって思ったけど、笑うととっても優しくて、いろんなことを教えてくれるんだよ」

「そうですか。とても素敵な先生なんですね」

「うんっ! だから私、いつか先生みたいな先生になりたいんだっ」

「きっとなれますよ」

「うん、ありがとねっ!」


 何度も頭を下げる少女と母親を、陽一と珊瑚は小さく手を振って見送った。


「珊瑚君、声をかけてくれたのは成長した証だけど、返事を聞いてから走って欲しかった」

「す、すみません」

「まあ、今回は相手が子供だったからね。心配したのもよくわかる」

「……次はちゃんといいと言われてから走ります」

「あははっ。でもやっぱり走るんだよね。僕も追いつけるように頑張るよ」


 軽やかに笑った陽一が続ける。


「黒田さんは、才谷さんの言ってたように教師に向いてたみたいだね」

「そうですね。いい先生なんですね」

「うん。よかったね」

「はい」


 教壇に立った智を思い出すと、珊瑚の境遇を慮って掛けてくれた言葉が蘇る。


『大事なのは、自分でそれをどう活かすかです』

 

 学校に通ったことのない珊瑚は、学校で学ぶべきことも、学校でしか学べなかった事も知らない。それでも、母の授けてくれた知識は多くある。他人との関りは学べなかったが、今はかなりマシになったはずだ。

 

 帝都に出てきてから、陽一や涼介、一馬や食堂の女将と主人、そして診療所の患者さんたちとの関りで、少しずつ人との接し方にも慣れてきた。

 

 自分でうまく活かせているという実感はあまりない。でも、少しは成長出来たのではないかとも思う。人を信じる事を恐れ、心に高く聳え立っていた壁は、ほとんど見る影も無い。

 

 まだ罪悪感や加害者意識は消えていない。それでも、一人部屋の隅に蹲って、震えて過ごすこともない。


 人を傷つけているかも知れない自分も、これから先、傷つくかも知れない未来も、想像するだけで胸が苦しい。それでも、一緒に歩いてくれる人が居る。躓きそうになった時、何も言わずに手を差し伸べてくれる人が居る。すぐに変われなくても、何度も失敗しても、そのままの自分を見守ってくれる人が居る。

 

 それがこんなにも心強いのだと、帝都に来るまでの珊瑚は知らなかった。


「珊瑚君、まだ見てない所に行ってみよう」


 笑顔と共に差し出された陽一の手をしばらく見つめた。珊瑚は小さく息を吸い、しっかりと手を重ねる。


「次はどこを見て回りましょうか?」


 見上げる珊瑚に陽一は明るく真っすぐに答えた。


「まだ見たことのないところへ、一緒にいこう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。