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11-4

『才谷が死んだ――』


 その言葉に智(さとし)は世界が凍り付いたような気がした。頭を殴られたようなショックで目の前が暗くなる。教師が嘘をついているのではないかと思い、一瞬ひきつった笑いが浮かぶ。


「……先生、何を言ってるんですか。才谷が死ぬわけないじゃありませんか。笑えない冗談は止してください」


 絞りだした声は自分でも驚くほど震え、掠れていた。


「黒田。信じたくないのは分かるが、嘘じゃない」

「そんな訳ありませんよ。あいつ、師範学校に通ってるんです。卒業したら念願の教師になるんですから」

「黒田、しっかりしろ。今日中にいかないと才谷には会えなくなる。俺はお前を迎えに来たんだ」

「……どういう事ですか?」

「とにかく急げ。話は後だ」


 気持ちの整理もつかぬまま、教師と共に急ぎ才谷の元へ向かう。一体何があったのか、まだ才谷の死を受け入れられない智は、夢の中に居るような気分だ。向かった先で、呆れた才谷が「そんなに急いで何しに来たんだ?」なんて言ってくれるのではないか。それとも「連絡も寄こさないなんて、薄情な奴だ」と笑うのかも知れない。とにかく、生きて自分の前に立つ才谷しか思い浮かばない。


 白い息を吐きながら走って辿り着いたのは、願いも空しく火葬場だった。本当に才谷がここに居るのだろうか、いやそんなはずはない。

 

 現実感が無く、地面を浮いて移動しているかのような錯覚に陥る。


「黒田、こっちだ」


 教師に促されて連れて来られた部屋には、ぽつんと棺が置かれていた。周囲には才谷の家族と思われる人たちが、泣きながら棺の中を覗き込んでいる。


「う、嘘だ」


 智は棺に近付くことが出来ずに立ち竦んだ。


「黒田、顔を見てやれ」


 智は真っ白な顔で両手の拳を握りしめたまま、足が縫い留められたかのようにそこから動くことが出来ない。

 

 そんな智の様子を認めた女が、そっと近付いてきた。


「黒田智君?」

「……はい」

「私は、太智(だいち)の母です。こんな時が初めましてだなんて、私も信じたくないのだけれど」

「……」

「智君のことは、太智から聞いて知ってたの。だから、先生にお願いして出来れば来て欲しいって、私がお願いしたんです」

「……どうしてこんなことに?」


 母親は手巾で涙を拭って、声を震わせながら話し出した。


「あの子は、子供を庇って事故に遭ったの。身体が綺麗なままでは無かったから、急いで火葬をしなくちゃいけなくて。冷やしていても傷んでしまうそうなのよ。……でも、顔は綺麗なままだから会ってあげて」

 

 智は顔を見たくは無かった。見たら、本当に才谷が死んでしまう。智の中で生き生きと動く才谷が、本当に死んでしまうのだ。


「黒田、俺がお前とあそこで会えたのも、きっと才谷の願いだ。最期にお前と会いたいって、きっと才谷も思ってる」


 その言葉は智の胸を抉る。どうして皆才谷の死を認めさせようとするのだろうか。そんなもの認めたくないのに。

 

 才谷と過ごした長くない濃密な日々が蘇る。屈託なく、褒めるのが上手い才谷に、少しずつ気持ちを溶かされた。夢を語る生き生きとした顔や、真剣な眼差しで智が教師に向いていると言った言葉。

 

 本当は智にも分かっている。ここで才谷の顔を見なければ、きっとずっと後悔する。どうして見送ってやらなかったのかと自分を責める事になるだろう。

 

 もっと向き合う時間が欲しかった。しかし、状況がそれを許さない。


 拳を握りしめて俯き、歯を食いしばった智は、覚悟を決めて顔を上げた。

 

 縫い留められていた重い足を、一歩一歩踏み出して、才谷の棺へと近付いていく。


 棺の反対側にいる才谷の父親に会釈して、深く息を吐きだした。

 

 そっと中を覗き込むと、ただ眠っているだけのように目を閉じた才谷が居た。けれど、白く冷たい顔をして、二度と目を開ける事はないのだとはっきりと分かる。

 

 じっと才谷の顔を見ていると、視界がほんのり滲んできた。気にも留めずに才谷の顔をしっかり脳裏に焼き付けようとそのまま見つめた。

 

 しばらくそうしていると、そっと差し出された手巾が目に入る。不思議に思い横を見ると、教師が手巾を差し出していた。意図が分からず教師の顔を見る智に、教師が顔を歪めた。


「お前、泣いてることに気付いてないのか」

 

 智は指先でそっと自分の頬に触れてみる。言われた通り、自分が泣いていたことに初めて気付いた。もう一度差し出された手巾を受け取り、じっと見つめる。手巾をぎゅっと握りしめた智は、涙を拭う事も忘れて泣き崩れた。

 

 止めどなく溢れる涙に、悔しさが込み上げる。才谷はもう戻ってこない。それを自分は認めなければならない。

 

 卒業を機に連絡を絶ってしまったことに、激しい後悔が押し寄せた。会っていたら何か変わったのだろうか。同じ結末を迎えても、何かが違ったのだろうか。智には分からなかった。


 火葬に立ち会わせて貰い、火葬場を後にしようとした時、才谷の母親に呼び止められた。


「智君、これ。あの子が出そうとしてたものみたいんだけど、受け取って貰える?」


 差し出されたのは一通の手紙だ。出そうとしたのか、それともその気がなかったのかは分からない。宛名は黒田智と書いてあるが、住所も切手も無い。


「僕が貰っていいんですか?」

「もちろんよ。封は切ってないから安心して」

「ありがとうございます。……大切にします」


 両手で受け取り、そっと内ポケットへ仕舞った。


「今日は来てくれてありがとう。きっと太智も喜んでると思うの。あの子、本当に智君のことをよく話してくれたから。教師になる夢を叶えたら、大きな顔して会いにいくんだって言ってたわ」

 

 深くお辞儀をして、才谷の家族に別れを告げる。墓の場所は聞いたが、きっと行くのは随分先になるだろう。

 

 教師にも礼を言って、そのまま火葬場で別れた。


 帰宅した智は、両親と何を話したのか覚えていない。部屋に籠って、才谷からの手紙をそっと机に置いた。

 

 しばらく手紙を見つめ、覚悟を決めて封を切った。中には、高等学校の頃より幾分整った文字が並んでいる。それに気付いて少しの笑みが漏れた。



『智へ

 拝啓

 冬の寒気が身にしみる頃となりました、なんて堅苦しい文章を書くのは性に合わない。そんな事を言ったら立派な教師になれないって言われるだろうか。

 

 智は今頃帝都大学でどう過ごしているだろう。俺は、師範学校で順調に教師の道へと進んでいる……とは言い難い。いろいろ躓く事もあって、実は結構苦労している。

 

 だけど高等学校時代、お前が教えてくれた事を日々思い出している。何かある度に、きっと智ならこう言うだろう、きっと智ならこうするだろう、と言った具合だ。

 

 智の方はどんなだ。役人になる以外、お前の夢を見つけたか。楽しめる日々を送っているか。お前はもっと笑えばいいと思う。皆お前を生真面目な堅物だと思ってるが、案外お前は面白い。

 

 それから、数学を教わった時、お前は「遠回りせず最適が見つけられれば、もっとうまく解けるようになる」と教えてくれた。だけど、数学には最適な答えがあるけどさ、人生は遠回りしたっていいんだぜ。俺は、卒業までにこれをお前に言えなかったことを後悔してる。でもきっと今でも遅くない。お前には、笑って生きていける、お前の道を見つけて欲しい。

 

 胸を張って教師になったと言えるようになったら、必ず会いに行く。その時に、お前の本当の夢を教えてほしい。その日を楽しみにしている。

 敬具』


 智は丁寧に手紙をたたみ、封筒に収めた。

 

 今は三回生の十二月だ。まだ間に合うだろうか。手紙をじっと見つめて胸のポケットへそっと仕舞う。

 

 その日一晩才谷の手紙を何度も思い返した。

 

 翌朝部屋を出た智は、父の元へ向かった。


「父さん、話があります」

「なんだ、こんな時間に」

「僕は、帝都大学を退学します」

「……何を突然言い出すかと思えば。寝言は寝てから言え」

「報告はしました。失礼します」

「……待て」


 重く響く声が智に突き刺さる。

 

「お前、親の金で大学に通わせてもらいながら、何を馬鹿なことを言い出すんだ」

「今後はここを出て、自分で働いて金を稼ぎながら師範学校に通います」


 その言葉に顔を真っ赤に染めた父は、智の胸倉を掴んで叫んだ。


「お前は、国の役人になるんだろうがっ。何をいまさらっ」

「もう決めたことです。何を言われても教師になります」


 そばで見守る母は、おろおろしているだけでなんの口出しもしない。昔からそうだ。母は智が何を言われようが、父が何をしようがただ見ているだけだ。


「口答えをするなっ! お前は黙って俺の言うとおりにしてればいいんだっ。大体どうして今さらそんな事を言い出したんだっ」

「……目が覚めたんですよ。友人に教えられました。僕の夢も、僕の将来も、全部僕自身のものです」

「何をっ、生意気なっ!」


 ガッという音が響き、殴られたことに気付いた智は、それでも無表情だ。


「下らない友人とやらのせいで、世迷言を言いやがって。そのろくでもない友人とやらを連れてこい。俺がそいつもぶん殴ってやるっ」


 その言葉に今まで押さえつけていた智の怒りが一気に噴き出した。よりによって才谷を――下らない、ろくでもない。そんな言葉を許せるはずも無かった。人生で初めて頭がカッとなり、立ち上がった智は父親に大声で言い返した。


「才谷は僕の恩人だっ。あいつを侮辱することは許さないっ」


 一歩前に踏み出した智に、恐れも迷いもない。


「才谷は、教えてくれたんだっ。遠回りしてもいい、自分の道を進めって」


 父が何か叫んでいるが、智の耳には入らない。


「僕は僕の選んだ道を進みます。あなたに何を言われても、教師になりますっ」


 何かを叫んでいた父はふらりとよろめき、尻もちをついた。そして、突然胸を押さえて蹲る。

 

 未だ怒りの収まらない智は、その様を怒気を含んだ視線で見下ろした。その時、胸元の万年筆が光ったように思え、突然怒りが消えてなくなった。

 

 何が起きたのか分からず、力が抜けてその場に膝を付くと、母が父に駆け寄ってきた。

 

 その後のことはよく覚えていないが、その時父が命を落としたことだけは理解していた。


 

 シンと静まり返った教室で、陽一と珊瑚は視線を落とした智の話にじっと耳を傾けていた。


「……当時は知りませんでしたが、父は心臓を患っていたんです。母にも薬を服用している事は黙っていたようで、何が起きたのか誰にも分りませんでした。……知っていたとしても、結果は変わらなかったかも知れませんが」


 ゆっくり顔を上げた智は、少し間を置いてから静かに口を開いた。


「その後、帝都にいるのが辛くなって、こちらに引っ越してきました。母も一緒でしたが、すぐに亡くなりました。ここへ越してすぐ、師範学校に通い直しました。本当は三年必要なんですが、帝都大学での実績が認められて二年で卒業出来ました。……今年やっと教師になれたんです」

「……親に逆らって自分の道を決める事は、簡単ではなかったでしょうね」


 そっと陽一が言う。智は淡く微笑むと、首を縦に振る。

 

「そうかも知れません。道を定められていた事に疑問すら持っていませんでしたから。才谷に会わなければ、何も考えずに役人になっていたと思います。いや、才谷の死が無ければ、ずっと違和感を抱えたまま役人になってたかも知れません。だからと言って、才谷には生きていて欲しかったですが」


 苦し気な笑顔を浮かべた智は、胸ポケットから万年筆をそっと取り出した。


「これが父から渡された万年筆です」


 差し出されたそれを陽一が受け取る。しばらく眺めて珊瑚の方へ差し出されたのを受け取り、慎重に確認した。蓋の部分が王冠のような形をしており、その中に魔石が嵌っていたのだろう。指先で、空っぽの空間をそっとなぞる。ぽっかりと空いたその穴は、冷たいだけで他には何も感じなかった。



 学校から駅へと向かう乗合馬車に揺られながら、珊瑚は考えごとをしていた。

 

 父親に縛られて、進む道を強要されたのは、陽一も珊瑚も、智も同じだ。陽一はそれを跳ね除け医師になる夢を叶えた。智は才谷によって気付かされ、回り道はしても最終的に教師になった。自分は一体どうなるのだろうか。二人のように、自分に進みたい道を選ぶ未来があるのだろうか。


 駅で預けた荷物を受け取り、そのまま上りの鈍行に乗る。ちょうど昼時なので、二人揃って駅に売っている名物の弁当を買った。


「珊瑚君、駅弁は初めて?」

「……いいえ、帝都に出るときに何度か」

「あ、そうか。じゃあ、今回はあまり珍しくないかな?」

「いいえ。目についた物を適当に買ってたので、あまり覚えてないんです」

「じゃあ、今日は味わって食べよう」

「はい」


 列車に乗り込み、二人席に隣り合って座る。座席に付いた台を倒して、それぞれの弁当を置いた。

 

 見た目も鮮やかなそれに舌鼓を打ち、満足したところで陽一が静かに口を開いた。


「僕も、もしかしたら黒田さんみたいになってたかも知れないな」

「そうでしょうか?」

「僕は運がよかったんだ。黒田さんにとっての才谷さんが、僕にとっての叔父さんかな。僕の場合は叔父さんが自立した医者だったから、力になってもらえた。経済的にもね」

「……確かに、同い年の学友では出来ないことですね」

「うん。住む場所も、心置きなく勉強出来る環境も、進学への道筋も。味方が涼介しか居なかったら僕は医者になれたかわからない」

「……そうかも知れません」

 

 陽一は珊瑚に視線を合わせて真剣な表情で続ける。


「珊瑚君も、遠回りでもいいから、自分の道を選んで欲しい」

「でも、私の場合は……」

「うん。すぐには難しいって分かってる」

「……」

「叔父さんが僕にしてくれたこと程多くの事が出来るとは思わないけど」


 陽一は膝の上で両手の拳を握りしめた。


「前に言ったでしょう? 魔石の効果を中和できるかもしれないって。珊瑚君の目にも何か解決策があるかもしれない。見つかるまで諦めずに一緒に探そう。珊瑚君がちゃんと自分の道を歩けるように、僕も力になるから」


 珊瑚は目を瞬き、一瞬後に顔を歪めながら淡く微笑んだ。掠れ声で「ありがとうございます」と返すのが精一杯だった。

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