10-4
「はあ。誤解が解けてほっとしたぜ」
「なんで涼介がほっとしてるんだよ」
「いや、また俺がやらかしたせいだと思って冷や冷やしたからな」
「半分はお前のせいだからな」
「こ、今回は半分だからな」
二人のやりとりを、珊瑚はのんびりお茶を飲みながら眺めた。
「まあ、とにかく誤解は解けた。話も聞けた。俺は帰る!」
珊瑚はクスリと声を立てて笑った。陽一と一緒に涼介を見送るため、診療所の扉へと向かう。涼介が、「じゃあ、また」と手を振りながら帰っていくのを、珊瑚も小さく手を振って見送った。
涼介が帰ると、再び珊瑚と陽一は元の部屋へと戻った。
「それにしても……」
再び元の椅子へ座った珊瑚に向かって、陽一が眉を寄せた。珊瑚は首を傾げて続きを待った。
「ちょっと気になったんだけど」
「何でしょうか?」
「さっき、涼介にとばっちりって言われた時、正当だって答えたよね?」
「はい」
「珊瑚君の手首の痣は、どんな理由があっても正当なものじゃないから、そこも考えを改めて欲しい」
「へ?」
珊瑚は、なぜ陽一がそんな事を言い出すのかわからず目を瞬いた。珊瑚にとって怒りをぶつけられるのはいつもの事で、亜真音のように理由があるなら当たり前ではないかと思うのに。
「わかってないみたいだから、聞くけど。珊瑚君は自分が正当だと思う理由があったら、そんな風に人を傷つけるの?」
「い、いえ、しません」
「そうだよね。じゃあ、どうして自分にそれが向かう事は許すの?」
珊瑚は何も言えずに口を引き結んだ。
「珊瑚君はわざと人を傷つける様な事はしないし、傷ついてるであろう人には優しく出来るのに。どうして自分には優しくしないの?」
「昔からずっとそうだったから……」
「珊瑚君のお母さんは違ったでしょう?」
「……はい。母はいつでも優しくて……」
「それ以外の人には何をされても仕方ないって思ってる?」
「……そうかも知れません」
珊瑚は正直自分でもよく解っていない。何も考えずに不当な扱いを受け入れた方が楽なのだ。深く考えて傷つくのが怖くて、負の感情や理不尽な扱いにも目を瞑り耳を塞いできた。人を信じるのが怖いのと同じように、自分がなぜまともな扱いを受ける事が出来ないのか、その理由に向き合うのが怖かった。
それでも誰かを信じたくて、誰かに必要とされたくて、『神崎珊瑚』という人間を認めてくれる誰かが居てくれたらと願っていたのも事実だ。
(どうしよう、先生を怒らせた? それとも呆れられた?)
触れていない相手の気持ちは分からなくて、珊瑚は自分の不甲斐なさに思考が徐々に沈み始める。
「珊瑚君、ごめんね」
謝る陽一を不思議に思い、珊瑚は俯いていた顔をゆるゆると上げた。
「珊瑚君がこんな目にあったのは、僕のせいでもあるのに。僕は亜真音にも自分にも苛立ってる。そのせいで珊瑚君を落ち込ませるなんて」
「先生のせいじゃありません」
「また同じ話になっちゃうね」
「……そうですね」
「僕もすぐには変われないって事だよ。珊瑚君と同じだね」
「そうでしょうか」
「そうだよ。自分がすぐに変われないのに、珊瑚君に今すぐ考え方を改めろなんて言わないよ」
陽一は寂し気な笑みを浮かべて続けた。
「ただ、覚えておいて欲しいんだ。この間も言ったけど、僕にとっては珊瑚君も大切な人なんだよ。大切な人が傷ついたら、僕だって痛みを感じる。だから、少しずつでいいから、もっと自分を大事にしてほしい」
胸の奥がじんわりと温かくなり、心臓がトクトクと音を立てた。緊張とは違うその鼓動は、ざわついて落ち着かないのになぜか心地いい。珊瑚にとっては初めて感じる気持ちなのに、前に誰かから流れてきたものに似ている気がする。それが誰だったのか、やっと思い当たったが、珊瑚はそっと蓋をした。俯いて陽一の言葉を一つ一つ噛みしめながら、滲みそうになる涙を落ち着かせる。
軽く息を吐きだして、珊瑚は陽一を見つめた。
「先生、ありがとうございます。……きっと、忘れません」
「うん」
そう言って柔らかな笑みを浮かべた陽一のことも、忘れずにいよう。
珊瑚は自室のベッドで横になり、天井を見上げた。ここに来てから、色々な人の感情を受け取ってきた。新しい発見に楽しくなる事も、辛くなることもあった。
(今日馬車の中で感じたのと、さっき先生の言葉で感じたのは、同じ人の気持ちだった……。あれは……)
その人を思い浮かべながら、珊瑚は夢へと落ちていく。
『珊瑚っ。手を見せろ!』
『珊瑚ちゃん、痛かったわね。一悟、ここで見ても意味ないわよ』
『うぐっ。それはそうだけど、心配になるだろ』
『そこは先生に任せるしかないわ』
「……二人にも、心配かけてごめんなさい」
一悟と二胡は顔を見合わせて目を瞬いた。
『それって、俺たちも……』
『珊瑚ちゃんをとっても大切に思ってるって事に気づいてくれたってことかしら?』
「うん。前までずっと夢だと思ってたし、魂だって聞いてもあまり実感が沸かなくて。ごめんなさい」
『なんだよ、珊瑚。俺たちは兄妹なんだから当たり前だろ』
『珊瑚ちゃん、私たち姉妹なんだから、改めて考える人の方が少ないものよ』
「そうなの?」
『そうだな。案外家族が心配してても普通って思ってたりするからな』
『他人に言われて初めて気付くなんて、よくあることなのよ』
「……そうだね。他人がきっかけで気付く事って多いのかも知れないね」
一悟と二胡は、うんうんと揃って頷いた。
『珊瑚はやっと気付いたんだな』
『誰の気持ちだか思い当たったのね?』
「うん。目の前から消えちゃいたいような気持も、ざわざわして落ち着かないのに温かい気持ちも。どっちも、いち君の気持ちだった」
『一馬が女の子からのプレゼント落として慌ててた時のやつだな』
『気まずくなった後に、戻って来てくれて握手したわね』
「うん」
珊瑚は両手を胸に当てて目を閉じ、静かに口を開いた。
「いち君は、私の事を大切に思っててくれたんだよね。全然気付かなくて、傷つけちゃった」
『まあ、仕方ないさ』
『そうね、珊瑚ちゃんには分からない気持ちだったんだもの』
「……そうだね。それでもいち君は、私なんかに変わらずに接してくれる」
『こら、珊瑚』
『珊瑚ちゃん、私なんか、はダメでしょう?』
「……すぐには変われなくていいって言われたのに」
上目遣いで一悟と二胡を見上げた珊瑚は、ほほを膨らませて口を尖らせた。
『珊瑚、そういう甘えはダメだぞ』
『そうよ、珊瑚ちゃん。先生はそういう意味で言ったんじゃないってわかってるでしょう?』
「……うん」
『今日の珊瑚は子供みたいだな』
『ふふっ、そうね。やっと自分の気持ちもわかって、戸惑ってるんでしょう?』
「そうかも。いち君の気持が理解出来て、それでも私はやっぱり同じくらいには思えない」
『自分の気持ちには嘘つけないもんな』
『そうね。嘘をついて受け入れても、お互いに幸せになれないのよね?』
「……そうだね。先生がそう言ってたね」
珊瑚は深く息を吐き、浮かべた笑みが歪んでいく。
「でも、気付いたからって進む勇気も出ない」
『なんでだよっ』
『珊瑚ちゃん……』
「この先どうなるのか分からないし、失うのはやっぱり怖いよ。だから、知らなかったことにする」
『……』
『でも、その気持ちを捨てちゃうつもりは無いわよね?』
「そんなに簡単に捨てられそうにないよ。だから、今はまだ考えない」
『そうか』
『そうね。それもいいかもしれないわ』
「それより、前に進まなきゃ。次の症例の人に会って、話を聞いて。少しでも手掛かりを集めないと」
『そうだな』
『そうよね』
一悟は珊瑚に拳を突き出し、にっと笑う。
『俺たちは、いつでも珊瑚を応援してるからな』
『ふふっ。そうよ、珊瑚ちゃん。ずっと見守ってるわ』
「二人とも、ありがとう」
笑顔の珊瑚に笑って返した一悟と二胡は、いつものように『またな』『またね』と別れを告げ、淡い光に溶けて消えた。
目を覚ました珊瑚は、そっとネックレスを取り出していつもの様に握り締めた。気合を入れて身支度を整え、いつもどおり台所へと向かう。さて、今日の朝食は何を作ろうかと食材を漁り始めた所で、陽一が顔を覗かせた。
「……珊瑚君、おはよう」
陽一の声にぎくりと肩を揺らした珊瑚は、焦ったように振り返る。
「お、おはようございますっ!」
陽一は目を細めてじとりと珊瑚を見ながら言う。
「その様子だと、僕の言ったことをすっかり忘れてるね?」
「なんでしたっけ?」
珊瑚は思い返そうとするが、夢の中で一悟と二胡と話したことまでしか思い浮かばない。一向に気付く気配のない珊瑚に、陽一は大きく溜息を吐き、がっくりと肩を落とした。
「珊瑚君、手首の手当てをするからこっちに来て」
「あっ!」
ようやく料理禁止と、女将が朝食を配達してくれることを思い出す。珊瑚は肩を落とした陽一の後に続き、診察室へ向かった。
「そこに座って手首を見せて」
珊瑚は大人しく患者用の椅子に座って手首を差し出す。陽一は丁寧に包帯を解き、湿布を剥がして様子を窺った。
「昨日より少し腫れが酷くなったね。動かさないように気を付けてると思うけど、痛みは酷くなったりしてない?」
「はい。さっきも忘れて朝食を作ろうと思ってたくらいですから……」
「全く、珊瑚君は目を離すとすぐに無理するから油断ならないね」
肩を竦めて呆れ顔の陽一だが、触れた手から伝わってくるのは心配と罪悪感だろうか。以前より流れてくるとはいえすぐに消えてしまうので、混じりあった複雑な気持ちをはっきりとは捉えきれない。それでも、母以外の人にこうして心配されて大切に扱われる事に、珊瑚は胸の奥が温かくもあり、そわそわとした気持ちにもなる。
それと同時に、湧き出ては淡く消えて行く陽一の感情が、亜真音によって絡めとられているのかと思うと怒りも湧いてくる。他の魔石に宿る人達は分からない。しかし、亜真音だけは確信を持って陽一の感情を縛っている。
恐怖を失った瑞穂も、静人によって感情を縛られている。静人に瑞穂の感情を奪う意図があったかは分からない。けれど、結果的に瑞穂をずっと縛り付けるという意味では同じ事だ。目の前で自傷するという手段すらも亜真音と重なる。陽一と瑞穂は感情を取り戻せたとしても、きっとある意味ずっと相手に縛られるのだ。
珊瑚はその方法に納得できない。彼らは本当に相手を思っていると言えるのだろうか。珊瑚はそれを強く否定したくて、人生で初めて負の感情を向けてくる相手に言い返した。亜真音の怒りが正当だと思っていてさえ、どうしても伝えたかった。けれど、口に出せたのは「それでいいのか」という問いだけで、結局自分の気持ちを全て伝える事は出来なかった。
「これでよしと。まだ腫れが引かないだろうから、動かさないように気を付けてね」
「はい。ありがとうございます」
きっちり巻かれた包帯を見つめながら、珊瑚は自分の気持ちを人に伝えることの難しさに思い悩む。どうしたら亜真音にも伝える事が出来たのだろうか。
考えを巡らせていると、診療所の呼び鈴が鳴る。慌てて顔を上げ、立ち上がろうとするが、陽一に止められた。「僕が行くから」と出入り口に向かう陽一の後に、珊瑚は躊躇いがちに付いていく。診療所の扉を開くと、女将が風呂敷を抱えて立っていた。
「お早うございます、女将さん。早速ありがとうございます」
「お、お早うございます。早くからご迷惑をお掛けしてすみません」
珊瑚は小さくなって、深く頭を下げた。女将は陽一に風呂敷包みを渡して口を開いた。
「おはようございます、若先生、珊瑚ちゃん。……珊瑚ちゃん、ごめんなさいは無しよ」
そう言いながら軽やかに笑った女将は、陽一に視線を移して笑みを悪戯っぽく変える。
「お代はきっちり頂きますから」
「もちろんです」
間髪入れずに答えて笑う陽一の横で、珊瑚は目を瞬いた後に、微かにほほ笑んだ。
「あ、あの、女将さん。今日は……いつも、美味しい料理をありがとうございます。しばらくお世話になりますけど、よろしくお願いします」
「ふふ。珊瑚ちゃんらしいわね」
女将はいつもの柔和な笑顔を浮かべて頷いた。
「いつも美味しいって言ってたって、主人にも伝えておくわね」
そう言って軽やかな笑顔を残して女将は帰っていった。
陽一が弁当箱を並べ、それぞれの前に湯呑を置く。弁当箱の蓋まで既に開けられて、至れり尽くせりだ。
目の前に広がるお弁当は色鮮やかで、おかずはどれも小さめに作られている。その中の一つに楊枝が刺さっていて、片手でも食べやすいようにとの心遣いに笑みが浮かんだ。ご飯は全て小さめの俵型だ。
「珊瑚君、実は珊瑚君が食べやすくなるようにと思って、ある物を用意したんだけど」
「……発明品ですか?」
「うん」
「……」
「でも、このお弁当を見ると、残念ながら使う必要なさそうだね」
そう言って笑う陽一は、少しも残念そうには見えない。
「そうですね。でも、すぐに手が治る訳じゃないですから、使う機会があるかも知れませんよ?」
「あれっ。珊瑚君、実は使ってみたかった?」
「……機会があるかも、って言いましたからね?」
「相変わらず手厳しいねぇ」
肩を竦める陽一に、珊瑚は小さく笑いを漏らした。「いただきます」と二人声を揃えて、珊瑚はいつもと変わらない朝食の時間を、いつもと少し違う気持ちで迎えた。




