10-3
帰りも田島家の馬車で、行きに落ち合った場所まで送り届けられた。馬車の中では御者の存在も気になり、二人とも詳細を話す事は無かった。
珊瑚は自分の気持に戸惑いを覚えていた。亜真音と話してからずっと、なんだか胸がざわざわズキズキして、陽一と居るのが辛いような気持ちが続いている。これはいつかの誰かの気持ちと同じような気がするが、思い出せない。
当たり障りのない話題をぽつぽつと話しながら、ようやく診療所へ帰り着いた。
「珊瑚君、手首の具合はどう?」
「はい、大丈夫です」
「無理しちゃだめだよ。しばらく家事は出来ないからね」
「えっ? そ、そんな。これくらい大丈夫です! なんともありませんっ」
「ダメだよ。医者の言うことは聞きなさい」
陽一はいつになく厳しい口調だが、珊瑚は素直に頷けない。
「……でも」
「珊瑚君。頑張り過ぎずゆっくりやっていこうって約束したでしょう?」
「そ、そうですけど」
「助手の方は無理ない程度にお願いするから。料理は特に負担が大きいから、絶対禁止!」
「……わかりました。ご迷惑をお掛けして」
「珊瑚君、ストップ!」
その言葉を遮るように、陽一は両手を挙げて珊瑚に向けた。珊瑚は言いかけたまま、ぽかんと陽一を見上げた。
「迷惑を掛けられたのは珊瑚君だからね。やっぱり一人で残していくんじゃなかった。本当にごめん。こんな怪我を負わせるなんて、僕は自分が情けない」
「そんなっ、先生のせいじゃありません」
「僕が一緒に居たら、こんな事にはならなかった。……いや、あの時何と言われようが帰るべきだった」
「それなら、私がお話しするようにお願いしたんですから、私のせいです」
「いや、やっぱり僕が……」
珊瑚はがっくりと肩を落とした。
「……先生、私ちょっとだけ先生の気持ちが分かりました」
「どういう事?」
「頑なに自分のせいだって譲らない相手に、どうしたらそうじゃないって分かってもらえるのかって……難しいんですね」
陽一は目を瞬いてから、渋い顔で髪をくしゃりと掻き上げた。
「確かに。これじゃ僕が珊瑚君のせいじゃないって言っても、説得力ないね」
「どうでしょう。……でも、お互いの気持ちがちょっと分かった気がして、なんだか少し可笑しいです」
クスリと笑う珊瑚に、陽一は気の抜けた顔で「そうだね」と答えた。
「じゃあ、一旦この話は置いておこう」
「はい」
「でも、料理は禁止ね」
「……はい」
「よし、じゃあ、早速握る君でおにぎりを」
「外に食べにいきましょう!」
「え? 僕が握る君でおにぎ」
「食堂のおにぎり定食おいしいですよね!」
「……そうだね」
少し項垂れて寂しげな陽一の後ろ姿に、珊瑚はクスクスと声を立てて笑いながらついていく。歩いてすぐの食堂に着き、扉を潜る陽一の後に続いて珊瑚もすっかり慣れた店内へ入る。
「こんにちは」
「お邪魔します」
「あら、若先生と珊瑚ちゃん。いらっしゃいませ」
「っらっしゃい」
いつものように笑顔の女将と寡黙な主人が迎えてくれる。しかし、手首の包帯に気付いた女将が眉を顰めた。
「珊瑚ちゃん、その怪我は?」
「えっと、ちょっと失敗して捻ってしまって」
「そうなの、それは大変ね。それじゃあ、しばらくお料理は無理かしら?」
「……はい。先生に禁止されました」
ちらりと陽一を見上げると、当然とばかりに深く頷いている。頬に手を当ててしばらく考え込んでいた女将が、徐に口を開いた。
「お昼と夜は何とかなるだろうけど、朝が大変よね?」
「それは僕が簡単に何か用意しますよ。叔父さんが居なくなってからも何とかしてましたから」
「……若先生一人ならいいかも知れないけれど」
女将が主人を振り返り「ねえ、あなた」と声を掛ける。主人がちらりと珊瑚の包帯に目をやり、女将に頷いた。
「若先生と珊瑚ちゃんさえよかったら、簡単な物をお届けするけど、どうかしら?」
「そんな、申し訳ないです」
「え? いいんですか?」
珊瑚と陽一は真逆の返事をして、お互いに顔を見合わせる。
「先生、ダメですよ」
「いや、珊瑚君、何もタダでとは言ってないでしょう?」
「でも、開店前ですし、食堂は朝から仕込みで忙しいでしょうからご迷惑ですよ」
二人のやり取りを目を細めて見守っていた女将が口を開いた。
「大丈夫よ。何もこれから先何年もずっとって訳じゃないんだし。しばらくの間なら、ご近所さんのよしみで甘えて欲しいわ」
「よろしくお願いします」
珊瑚があたふたしている間に、陽一がちゃっかり頭を下げている。
「せ、先生っ!」
「珊瑚君。女将さんから言ってくれた事なんだから、ありがたく受け取ろうよ」
「そうよ、珊瑚ちゃん。困った時はお互い様よ」
「でも、私は女将さんにお世話になってばかりで……」
「この間、お洋服の試着を手伝ってくれたでしょう? その時のお礼だと思っておいてくれたらいいわよ」
「ほ、本当にいいのでしょうか?」
「主人もいいって言ってるんだから、遠慮しないで頂戴」
そう言って笑みを浮かべる女将の後ろで、主人も深く頷いている。
「では、お言葉に甘えて。よろしくお願いします」
頭を下げる珊瑚に、三人が顔を見合わせて笑みを零す。
次の客がきたところで、珊瑚と陽一はいつもの定位置へ足を進めた。
二人は予定どおりおにぎり定食を注文した。女将の持ってきてくれた盆には、珊瑚用に工夫がしてあった。食べやすいように小さめのおにぎりと、味噌汁にはスプーン付きだ。珊瑚は女将の気遣いに頬を緩め、はにかみながらお礼を言った。
その笑顔は初めて食堂を訪れた時とは比べ物にならない程柔らかい。女将と主人が目を瞠り、陽一は眩しそうに目を細めた。
食事を終えた二人が診療所へと戻ると、扉を開けた所で涼介が声を掛けてきた。
「おう、陽一に珊瑚ちゃん」
「ああ、涼介か。お疲れさん」
「篠塚さん、こんばんは」
「今日は行ってきたんだろ?」
「うん。これから詳しい話を珊瑚君に聞くところだよ」
「どういう事だ?」
「続きは中で」
「……ああ、そうだな」
診療所の扉に鍵をかけ、いつもの発明品置き場へ移動した。陽一が淹れた緑茶を飲みながら、珊瑚はほっと息を吐く。
「おい、珊瑚ちゃんは何で怪我してるんだ?」
「あ、これは……」
珊瑚が言い淀んだところで、陽一が苦虫をつぶしたような顔で呻いた。
「亜真音にやられた」
「亜真音に?」
「僕もまだ詳しく聞いてないんだ。そう急かすなよ」
「ああ、そうか。悪いな、珊瑚ちゃん。落ち着いてから話してくれ」
「はい、大丈夫です」
珊瑚は今日あったことを振り返った。亜真音に会い、始めは特に変化がなかった事。その後、陽一が田島夫妻と話している間に、珊瑚が亜真音の部屋に残った事。その時、亜真音が目覚めて珊瑚に言った内容について。
一通り聞き終えた二人は、大きな溜息を吐いた。陽一は顔を青くし、片手を額に当てて渋い顔をしている。
「つまり、亜真音は陽一の感情を自分の魂で縛ってるって事か?」
「そうおっしゃってました」
「……他の魔石も同じなのか?」
「あっ、篠塚さんにはお話ししてなかったですね」
一悟と二胡の話、感情を縛るために魔石へ魂が宿るのではないかという予測を説明すると、涼介は首を傾げて唸り声を上げた。
「珊瑚ちゃんの目の話を最初に聞いた時にも、すぐには信じられんと思ったが。今回の話も相当に信じがたい話だな。いや、今更信じないなんて選択肢は無いんだが」
少しの間考え込んでいた涼介が、再び口を開いた。
「って事は、亡くなった人たちはみんな、魔石に留まってそれぞれの感情を縛ってるって事か。だが陽一の場合は、亜真音に戻る身体があるから、完全に縛られてる訳じゃないって事だな?」
「おそらくそうなんだと思います」
「それで陽一の場合は、珊瑚ちゃんが近くに居るおかげで感情が湧き出るようになって来たって事だよな?」
「亜真音さんのおっしゃる邪魔というのは、そういう事だと思います。私の魔石が亜真音さんの邪魔をしてるのかも知れません」
涼介は頷いた後に、珊瑚の手首に巻かれた包帯に視線を落とした。
「……それで珊瑚ちゃんはとばっちりを受けた訳だな」
「とばっちりと言うか。……亜真音さんからすれば正当な怒りなんじゃないでしょうか」
「いや、全然正当じゃないだろ」
「そうでしょうか?」
珊瑚の言葉に涼介は訝し気に問いかけた。
「どうして正当だと思うんだ?」
「……それは、お互いが大切に想い合ってるのに、邪魔をする存在がいたら不愉快だと思いますから」
「はあ?」
「ええっ?」
涼介と陽一が同時に大きな声を上げた。珊瑚は二人の声にびくっと肩を跳ねさせ、軽く飛び上がった。
「珊瑚ちゃん、今何て言った?」
「……ですから、想い合ってる二人を邪魔する存在は不愉快だと」
「えっ、想い合ってるって誰と誰が?」
陽一が前のめりで珊瑚の声に被せた。
「……亜真音さんと、先生ですが?」
陽一はぽかんと口を開き、「え、なんで?」と呟いた後に絶句する。一方の涼介は、「いや、いやいやいや」と首を振った後に、はっと何かを思い出した様に頭を抱えた。
「す、すまん陽一」
「……またお前なのか」
「いや、あれはまだ初対面で珊瑚ちゃんがどんな子かも分からんし、お前の変化も知らなかったからで……」
「何を言ったんだよ」
「うーん、確か、陽一は何かに対して特別な感情なんて抱くはずがないって言ったな」
「……間違ってないし問題もないな」
「あと、カメオは陽一にとってはこの世で一番大切なものみたいなことも言った」
「くっ、それも間違ってはないな」
「……おい、もしかして俺のせいじゃなくてお前が何か言ったんじゃないか?」
二人が同時に珊瑚を見たので、首を傾げて見つめ返した。
「あ、あの、珊瑚君。どうして僕と亜真音が想い合ってるって結論に至ったのか聞いてもいい?」
「……はい。まず、篠塚さんに初めて会った時、先生にとって『幼馴染から貰ったカメオがこの世で一番大切だ』っておっしゃってました」
陽一は涼介を睨みながら、「やっぱりお前のせいか」と呟いた。涼介は誤魔化すように視線を彷徨わせている。
「それから――」
珊瑚は淡々と、しかし自信を持って続けた。
「先生が、カメオはとても大切な人のものだったんだっておっしゃってたので」
その言葉に今度は陽一が視線を逸らした。横では涼介が「俺だけのせいじゃない」と呟いた。
「それと、先生が西野さんにカメオを見せた時も、『唯一の大切なもの』っておっしゃってましたから。総合的に考えると、大切な幼馴染である亜真音さんに貰った、唯一無二のカメオだって意味であってますよね?」
頭を抱えた陽一と、額に手を当てた涼介が続けて口を開いた。
「一つ一つは間違ってないけど」
「見事に結果が間違ってるな」
自信に満ち溢れていたはずの珊瑚は、二人の反応が予想外で首を傾げた。
「あの、……私、何か間違えましたか?」
「何も間違えてないけど」
「思いっきり間違えてるな」
肩を落とした二人に、気まずい空気が流れる。
「あの、勘違いしていたのならすみませんでした」
「いや、珊瑚君は悪くない。僕は今、過去の自分の発言を深く反省しています」
「ああ、珊瑚ちゃんは悪くないな。俺も早く訂正しなかった事を今さらながらに悔やんでる」
「……そうなんですか?」
珊瑚は訳が解からず、怪訝な表情を浮かべた。
「しっかり説明してなくてごめんね、珊瑚君。ちゃんと話すよ」
「……はい」
「まず、カメオを最終的に僕に渡したのは亜真音であってる」
「はい」
「あと、カメオが唯一無二の大切なものだっていうのも、間違ってない」
「……そうですか」
「うん」
そう言って陽一はジャケットの内側からカメオを取り出した。切なげにカメオを見つめ、そっと撫でる。
「ただし、このカメオの本来の持ち主だったのは、僕の母だよ」
その言葉に珊瑚は目を見開き、陽一を見上げた。
「これは、母のたった一つの形見なんだ。他のものは父が処分してしまったから。だから、この世で唯一無二の大切なものだよ」
「そう……だったんですね」
「元々オパールの魔石は入ってなかった。それを、いつの間にか亜真音が勝手に持ち出して加工までして、あの日僕に渡してきたんだ。僕は大切な形見を傷つけられて、多分腹が立ってた。けど、湧き出てきそうになると気持ちが吸い取られて。見る度に自分でも分からないものが湧き出そうになっては消えて、なんとも言えない気分だった」
珊瑚は、陽一がカメオを手にしているのを初めて見た日の事を思い出した。感情が無いはずなのに酷く切ない目をして、思い詰めたような佇まいに声を掛ける事が出来なかった。あれは形見を見ても感情が湧かない事へのやるせなさと、大切な人への思いだろうか。
珊瑚は、感情を奪われた人たちを思い起こした。大切な人の思いの詰まったものを残されるのは、どんな気持ちなのだろう。
もし、珊瑚が陽一の前から姿を消すとき、陽一の手に何かを残したら。陽一は一体どんな顔でそれを手に取るだろうか。あるいは、必要ないと手放すのだろうか。




