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10-1

 あの電話から三週間が経過した。亜真音(あまね)が目を覚ましたのは、一時的なものだったようだ。目を開いて微かに唇を動かしたのを見た母親が、慌てて陽一に連絡してきたのだ。しかし、その電話の途中で駆け付けた使用人曰く、再び深い眠りについたという。

 

 それならすぐに行く必要もないだろうという事で、お互い落ち着いて日程を組み今日の見舞いとなった。

 

 珊瑚はどうにも落ち着かずに、先ほどから待合室をうろうろと歩き回っている。


「珊瑚君、大丈夫?」

「せ、先生。あの、私……本当にご一緒していいのでしょうか?」

「もちろん。あちらもいいって言ってるし、気にしなくて大丈夫。それに、珊瑚君が一緒の方が、何かわかるかもしれないからね」

「……そうでしょうか」


 亜真音の事は気になるが、果たして珊瑚は自分が会うべきなのか頭を悩ませる。会うべきかというより、会いたくないような気がする。陽一にカメオを渡して、命を懸けて思いを伝えた亜真音という人は、一体どんな人なのだろう。亜真音の激しい思いは珊瑚には理解及ばず、むしろ恐怖を感じるほどだ。


「それに、珊瑚君を一人でここに残して行くのも心配だからね」

「私、そんなに子供じゃないですよ?」

「わかってるよ。そうじゃなくて、神殿の動きも気になるから……。僕が居ない間に何かあって、何も出来ないなんて事態は僕が嫌だからね」


 亜真音の話で頭がいっぱいになり、神殿の事が頭からすっかり抜け落ちていた珊瑚は、陽一の言葉に納得する。


「確かに……。私一人で何かあっても対処出来ないし、先生にもご迷惑をお掛けすることになり兼ねませんね」

「いや、迷惑とかそういう意味じゃないけど……。まあ、納得してくれたならいいか」


 そう言って眉を下げて笑いかける陽一に、珊瑚は疑問を口にした。


「あの、篠塚さんは一緒に行かないんですか?」

「涼介? どうして?」

「篠塚さんも亜真音さんとお知り合いだと思っていたので」

「ああ……、確かに知り合いなんだけど」


 陽一は決まり悪そうに口ごもる。

 

「けど?」

「……正直言って、二人は仲が悪い」

「えっ。篠塚さんでも仲の悪い人なんて居るんですか? しかも女性なのに」

「あはは。それ、涼介に言ったらすごく嫌な顔をするだろうね。あいつは、僕が思うように生きられない責任の一端は、亜真音にあると思ってるんだ」

「どういう事ですか?」

「……そろそろ時間だから、続きは馬車の中で話そうか」


 そう言って懐中時計をポケットにしまい込んだ陽一は、診療所の出入り口に手を伸ばした。


 今日の移動は馬車だ。と言っても、乗合馬車ではない。亜真音の家は裕福で、迎えに家専属の馬車を寄越すと言う。診療所の前に停めてもらうには道幅が狭く、少し歩いた所で待ち合わせをしていた。

 

 いつも街へ向かう道を二人で歩き、しばらく行った広い道に目当ての馬車を見つけた。


「珊瑚君、あの馬車だよ」

「……はい」


 珊瑚はゴクリ喉を鳴らし、馬車の方へ視線を向ける。豪華な装飾こそないが、屋根のついた箱型の馬車だ。外から覗ける乗合馬車とは違い、きちんと囲いのある車室になっている。

 

 陽一が声を掛けると、御者の男が頭を下げて扉を開いた。乗合馬車の時は先に乗り込んで引き上げてくれた陽一が、今回はステップの横に立って手を差し伸べる。捕まって乗るのだと思うが、思いの他高い位置にあるステップに、珊瑚は足を上げるのを躊躇った。それに気付いた陽一が御者に何かを話しかけるが、御者は首を横に振る。


「ごめんね、珊瑚君。踏み台があればいいんだけど、無いみたい。僕が先に乗り込んで、引き上げてもいいかな?」

「はい。すみませんが、お願いします」

「じゃあ、お先に」


 そう言って乗り込んだ陽一は、すぐに手を差し出す。躊躇いがちに伸ばした珊瑚の腕をしっかり取った。ステップに足を掛け勢いをつけて飛び上がった珊瑚は、陽一に支えられて馬車に引き上げられた。

 

 どうにか馬車に乗り込んだ珊瑚は、ドキドキと鳴る心臓の音を聞きながら、落ち着かない様子で進行方向に向かってゆっくり座る。それと同時に、御者が馬車の扉を閉めた。

 

 珊瑚の向かいに腰を落ち着けた陽一が、御者の居る壁をコンコンと叩く。それを合図に馬車は走り出した。


 診療所での話の続きを、どう切り出せばいいのか分からない珊瑚は、窓の外を眺めていつも歩いている街並みを見るともなしに眺めた。


「馬車から見ると、少し違った景色に見えるね」

「そうですね。なんだか不思議な感じがします」

「たまには馬車もいいけど、僕は珊瑚君と街を歩くのも結構好きだよ」

「確かに、歩いた方が色んなお店がゆっくり見れますしね」

「そうだね」


 珊瑚と同じように窓の外に視線を移した陽一は、更に続けた。


「涼介は、亜真音のせいで僕が色んな物を我慢してきたと思ってる」

「亜真音さんのせいで?」

「うん。亜真音は、誰か……特に異性が僕に近付くと、ものすごく面倒なんだ」

「どう面倒なんですか?」


 陽一は顔を顰めて、心底困ったような顔をした。

 

「嫌がらせをしたり、僕にも文句を言ってきたり。だから僕も面倒になって、なるべく人と距離を置くようにしてた」

「同性もですか?」

「うん。本当に面倒臭かったし、僕自身そこまで他人に興味も持てなかったからどうでもよくなってて。そんな事より、医者になる為にどうすればいいのかとか、父親をどう諦めさせようとか、そっちの方が大事だったからね」

「そうなのですか」

「うん。で、涼介と知り合った時も、僕は別に親しくするつもりもなかったんだけどさ」


 陽一は目を細め、遠い日を思い起こしているかのようだ。


「あいつは、ああいう奴だから。こっちの事情なんかお構いなしに絡んできて、いつの間にか仲良くなってた」

「ふふっ。篠塚さんらしいですね」

「そうでしょ? それで、それまで他人を寄せ付けなかった僕が、涼介とは仲良くなったからさ。亜真音はそれも気に入らなかったみたいで」

「まさか、篠塚さんに嫌がらせを?」


 珊瑚は目を瞬いた。あの涼介に嫌がらせとは、いろいろな意味ですごいかもしれない。

 

「そう。でも、涼介がそんな事気にする訳もなくて」

「それもまた篠塚さんらしいですね」

「そうだよね。最初は、無理して友達になんてなる必要ないのにって思ったけど、結局いつの間にか僕も涼介が好きになってた」

「なんだか、……羨ましいですね」

「何言ってるの? 僕にとっては、珊瑚君も大切な人の一人だよ」

「え?」

「西野さんに言ったでしょ。僕にとって大切なものだから神殿には渡さないって」


『持ち帰って管理されるのなら断ります』

『西野さんは、さっき僕(・)ら(・)の魔石は大切なものだろうし、ほかに害が無いなら神殿では管理しないって言いましたよね?』


 珊瑚は西野と会った時の事を思い起こし首を傾げた。


「あれは、先生にとって大切なカメオと、私にとって大切な身体の一部って意味じゃないんですか?」

「半分はそうだけど。半分は、僕にとってどちらも大切だって意味だよ。カメオも、珊瑚君も」


 肩をすくめた陽一は、なんでもないことのように言う。

 

 珊瑚にとってそれがどれほど心を揺さぶられる言葉なのか、泣きたくなる程誰かに思われたかった事なのか、陽一には分からないだろうなと珊瑚は思う。それほどに、今の陽一には普通に大切なものが周りに存在していて、珊瑚はその内の小さな一片に過ぎない。

 

 それでも、誰かの、陽一の大切なものの一欠けらに自分が成れたのだと思うと、それだけで珊瑚の胸の内が震える。小さな掠れ声で「ありがとうございます」と返した珊瑚は、俯き加減で続きを紡ぐ。


「私も……」


 珊瑚は顔を上げ、陽一をまっすぐ見つめて言葉を続けた。


「私にとっても、先生は大切な人です。……いち君も、篠塚さんも、女将さんも、ご主人も。診療所で出会った患者さんたちだって……」

「そっか。……よかった」


 目を細めて柔らかく笑う陽一は、更に続けた。


「怖いって言ってたのに、そうやって色んな人との縁を繋いで。成長していける珊瑚君は凄いって思うよ」

「そんな事……」

「僕は、そういうの全部どうでもいいって思ってたから。だから涼介は、その原因の一つだった亜真音の事がどうしても好きになれないって」

「そういう事なんですね」

「うん。でも、一番の原因は僕自身なんだけどね。僕も珊瑚君みたいに、勇気を出して人と関われたらよかったと思うよ。そしたら、涼介に変な嫉妬をするような小さい奴にならなくて済んだかもね」


 少しだけ子供っぽく言う陽一に、珊瑚は真面目な顔で返す。

 

「そんな事ないですよ。先生は私に色んなことを教えてくれる、本当の意味での先生ですから」

「あはは。僕なんて大した人間じゃないんだけどな」

「私にとってはあるんです」

「そう言ってもらえるなら、まあ、いい……のかな?」

「ふふふっ。結局篠塚さんだって、今の先生が好きだから親友だって公言するし、変な人間が近付いたら警戒して見にくるじゃないですか」

「あはは。珊瑚君を探りに来た時は、本当に腹立たしかったね」

「最初は軽い人かと思いましたけど、触れたら全然違って私は驚きました」


 二人で顔を見合わせて、あの日の涼介の焦り具合を思い出し、声を立てて笑い合う。


 ふと窓の外に視線を移した陽一が、少し顔を曇らせて口を開いた。


「そろそろ亜真音の家に着きそうだよ」

「……そうですか」

「多分、何もないと思うけど。気になる事とか、少しでも嫌な思いをしたらすぐに言って」

「大丈夫です」

「珊瑚君は我慢強いからなぁ。ああ、違った意固地だから!」

「ええっ、それ、まだ言いますか?」

「だって、当たってるでしょう?」


 むすっとした顔で陽一を睨む珊瑚に、陽一はくすくすと笑いながら続けた。


「そう言われたくなかったら、素直に口に出す事だね」

「……わかりました」


 渋々頷く珊瑚に、陽一は満足気に頷いた。


 ガラガラと響いていた馬車の音と、馬の蹄の音が徐々にスピードを緩めていく。どうやら目的地に着くようだ。

 

 激しい感情を持つ亜真音との対面に、珊瑚の鼓動は徐々に速くなる。一体どのような女性なのだろうか。面会の間に目を覚ます事はあるのだろうか。亜真音の魂とカメオはどうなっているのだろうか。

 

 考えている内に馬車が停まり、外から御者が声を掛ける。


「珊瑚君、今度は僕が先に降りて手を貸すから、慌てずゆっくり降りてね」


 陽一が微笑みかけて、開いた扉から外へと降り立つ。珊瑚は陽一の手を頼りに、少しよろけながらも無事に降りた。


「ありがとうございます」


 珊瑚は、陽一と御者にそれぞれ礼を告げると、御者は頭を下げて馬車を移動させる。ゆっくりと走り去る馬車を見送り、屋敷の方へ振り向くと、珊瑚が住んでいた田舎の邸と同じような大きさの建物が目に入る。

 

 田舎の珊瑚の家と同じ大きさの家を、中心から外れているとはいえ、帝都で所有するのは余程裕福な証拠だ。そういったことも、帝都に来てから陽一に教えられた。知らなかった外の世界の色々な事を陽一から学び、珊瑚はやっと少しは帝都に馴染めたような気がしている。


 陽一がノッカーを鳴らすと、内側から静かに扉が開く。


「いらっしゃいませ、陽一様、お連れ様。旦那様と奥様が中でお待ちです。どうぞお入りください」


 頭を下げた使用人が、陽一と珊瑚を奥へと誘う。珊瑚は緊張の面持ちで陽一を見上げると、陽一も幾分緊張した表情を浮かべていた。


 二人は広いロビーから続く廊下を歩き、奥へ奥へと足を進める。途中には絵画や壺など、派手な装飾のものが飾られていた。珊瑚にこういった物の良し悪しは分からないが、どうにも落ち着かない。きらびやかな壺は目がチカチカして、すぐに視線を逸らしてしまう。

 

 使用人が一つの扉の前で立ち止まりノックをすると、中から男性の返事が返ってきた。静かに扉を押し開けて、陽一と珊瑚を中へと促した。


「失礼します」


 陽一がいつになく畏まった調子で挨拶するのを見た珊瑚は、意外に思って目を瞬かせた。あれだけ大切にしているカメオをくれた人の両親なのだから、もっと気安い関係なのかと思っていたのだが。


「まあ、陽一さん。来てくれて嬉しいわ」

「陽一君、亜真音に会いに来てくれて礼を言う」

「いえ、医師として気になる所でもありますから。こちらは、助手の神崎珊瑚です」

「お、お邪魔致します。神崎珊瑚と申します」

「あら、女性を連れてくるなんて聞いてなかったわ」

「お前、助手の方が一緒だと先に言っておいただろう」

「……そうだったかしら?」


 珊瑚は自分が招かれざる客なのだと感じ、居たたまれない気持ちが湧き起こった。


「先に話しましたが、そういうことでしたら僕は今すぐ帰ります」


 珊瑚は陽一を見上げて目を瞬かせた。


「まあっ、そんなっ……」

「お前は黙りなさい。……陽一君、すまないね。妻には席を外させるので、一度亜真音の様子を見て欲しい」


 肩を竦めた陽一は、珊瑚を見下ろして「どうする?」と尋ねてきた。


「え、ええ? 私ですか?」

「うん。さっき言ったでしょう? 嫌な事があったらすぐ言ってって。珊瑚君が嫌な思いをするなら、すぐに帰るよ」


 驚きに口をはくはくとさせた珊瑚は、必死で言葉を絞り出す。


「だ、大丈夫です。これくらいの事で、帰りたくなるほど嫌な気分にはなりません」

「そう?」

 

 陽一はなぜか少し残念そうな顔をしている。まさかもう帰りたいのだろうか。


「珊瑚君がそう言うなら、まだ帰らなくてもいいかな」


 二人の様子を見ていた亜真音の両親は、目を皿のようにして固まった。先に正気を取り戻した亜真音の父親は、妻を使用人に任せて退室させた。


「陽一君が、そんな風に誰かを優先する日が来るとはね」

「……亜真音を気にして色々切り捨てるのは止めましたから」

「そうか……。妻が色々済まなかったね」

「いいえ、僕の父も婚約には乗り気でしたから、仕方ありません」


 どうやら、陽一と亜真音の婚約を推し進めていたのは、亜真音の母と陽一の父だったようだ。詳しいことを知らない珊瑚は、口を挟まず静かに二人の様子を窺った。


「今日、陽一君に来てもらったのは、亜真音が目を覚ました時に陽一君の名前を呼んだからなんだ」

「……そのようですね」

「亜真音のせいで陽一君には迷惑を掛けたし、本当は放っておかれても仕方ないと思ってるんだが……。それでも、もしかしたら陽一君に会えば目覚めるのかも知れないと思うと、一縷の望みに縋りたくる」


 亜真音の父は、心底娘を心配しているようだが、陽一の冷静さが腑に落ちない。珊瑚は黙って二人の様子を見ることにした。


「僕に会っても何も変わらないと思いますが。珊瑚君にも何か気付くことがないか見てもらうつもりです」

「すまないな。神崎さん、あなたにも礼を言います。足を運んでくれてありがとう。それから、先ほどは妻が失礼なことを言ってすまなかった」

「い、いいえ」

「自己紹介も遅れてすまない。私は田島朗(あきら)で、先ほどのが妻の月音(つきね)だ」


 立ち上がった朗が、深く息を吐いた。


「では、早速亜真音のところに案内しよう。二人とも、よろしく頼みます」


 朗に続いて珊瑚と陽一が立ち上がると、使用人が扉を開き、三人を先導して歩き出した。

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