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9-1

 しとしとと雨が降り続くある日の午後、診療時間が終わった頃に涼介が訪ねてきた。


「陽一、珊瑚ちゃんっ!」


 呼び鈴の音に陽一が出入口へ向かい、扉を開くとともに涼介が飛び込んできた。


「涼介、そんなに慌ててどうしたんだ?」


 挨拶もそこそこに顔を出した涼介に、陽一も不思議そうな表情を浮かべた。片付けをしていた珊瑚も診察室から顔を覗かせ、涼介の様子に目を瞬いた。


「お、落ち着いて聞けよ」

「いや、落ち着くのは涼介の方だろ」

「そ、そうだな。まあ、とにかく、これを見ろ」


 手にしていたのは一通の手紙だ。訝しげに受け取った陽一は、その封筒を裏返して一瞬動きを止めた。


「なんでこれが涼介のところに?」


 何があったのかと緊張の面持ちで近寄る珊瑚に、陽一が封筒の差出人の欄を示した。


「え? 平良……弘樹先生?」


 何がどうして弘樹から涼介宛に手紙が来たのか、陽一も珊瑚も訳が分からず封筒と涼介を見比べた。


「つまりあれだ、陽一の事を調べてるって話は秘密にしてただろ?」

「ああ、そうだな」

「だから、そういう内容の事は俺宛に出したってことだ」

「中身は、魔石の話なのか?」

「そうだ。とにかく読んでみろ」


 頷いた陽一は、珊瑚を手招きした。珊瑚にもわかるように声に出して読み上げた。



『涼介君

 時間がないので、前置きは省く。僕は、先ほど例の魔石による症例が発現する場面に出くわした。その女性からマラカイトの魔石を預かった。これを西野さんに預けて鑑定を頼む事にする。

 

 これを手にした事で、僕がどうなるか分からない。陽一には、魔石の事を話していいと西野さんには伝えておく。もし僕が帰らなかった場合、陽一に調べていたことをすべて話しても構わない。だが、魔石を調べる事には危険が付きまとうかも知れない。くれぐれも気を付けて』


 その女性がどこの誰で、どんな状況で出会ったのかなど、詳細は何も書かれていなかった。


「これは、マラカイトを手にしてすぐの手紙だよな?」

「そうだろうな」

「なんで今頃涼介の手元に? もう半年も過ぎてるじゃないか」

「ああ。急いで問い合わせたんだが、どうやら郵便事故に巻き込まれてたらしい。大分遠くまで運ばれて、今になってようやく俺のところに辿り着いたそうだ」

「よりによってこんな手紙が巻き込まれるとはね」

「この、マラカイトの女性は一体どこの誰なんでしょうか?」


 珊瑚が問いかけると、涼介が気まずそうにうなり声をあげた。少し間を置いて、頭を掻きながら答えた。


「すまん」

「……また何か心当たりがあるのか?」


 両手で頭を抱えた涼介は、しばらく下を向いて項垂れた。


「……実は、二ヶ月ほど前から、大学病院に俺を訪ねてくる女性が居たんだ」

「なるほど」

「それで、心当たりがなかったもんだから無視してた」

「……本当になかったのか?」

「ないっ! 退院した人が訪ねてきたのかと思ってだな……」

「ああ、つまり、涼介に気のある元入院患者が押しかけてきたと思ったんだな?」

「ぐぅ。そ、そのとおりだ」


 珊瑚は無表情で涼介を眺めた。


「珊瑚ちゃんの視線が痛い。が、断じて俺は軽いわけじゃないからなっ」

「でも、そういう女性が押し掛けてくるって心当たりがあるのか」

「いや、それは前にそういう事があってだな!」

「涼介の自慢話はいいよ。で、その訪ねてきた女性がどうしたって?」


 涼介は「うっ」と呻き声を上げた後に、続きを話した。


「病院に寄って、受付の子に改めて詳しく話を聞いたんだ。そしたら、平良弘樹先生に預けたものがどうなったか知らないか、俺に聞くように言われたって話でだな」

「……つまり、叔父さんは魔石を自分が返しにいかなかったら、涼介を訪ねるように言ってたって事か?」

「どうやらそうらしい……」


 しんとした空気が流れた直後、涼介が「すまんっ!」と両手をおでこの前で合わせて頭を下げた。大きく溜息を吐いた陽一が、珊瑚を振り返る。


「珊瑚君。この失態は何で返してもらえばいいと思う?」


 顎に手を当ててしばらく考え込んだ珊瑚は、顔を上げて至極真面目な顔で答えた。


「この間新しく出来た中心街のレストランでのディナーはいかがでしょうか」

「うん、いいね、そうしよう」

「いや、待て。あの店はさすがに高級過ぎじゃ……」

「涼介、お前案外ケチだな。二ヶ月分のツケにしては安いと思うけど?」

「く、くそう。餌付けが裏目に出たか」


 財布を覗き込んで冷や汗を浮かべる涼介の様子に、珊瑚は思わずクスリと声が漏れる。


「篠塚さん、冗談ですよ。近所の食堂で美味しい定食でも食べましょう」

「珊瑚君がそう言うなら仕方ないね。食堂の定食が美味しいのも確かだし」


 肩を竦めながら同意する陽一に、涼介は財布を仕舞って気が変わらぬ内にと二人を食堂へ促した。



 その翌日、涼介から陽一へ連絡が入る。マラカイトの女性が病院を訪ねてきたので、話を聞くための約束を取り付けたそうだ。少し特殊な職業らしく、週末といえど昼間は忙しい。空いているのが夜の時間だと言うので、平良診療所で話すことになった。相手の女性も早く事情を知りたいと思っているらしく、早速今夜訪ねてくるという。日勤を終えた涼介が、大学病院から案内して来るとのことだ。


 珊瑚は診察室で腕を組んで唸り声を上げた。


「珊瑚君、どうしたの?」

「先生、このテーブルの大きさと椅子の位置だと、大人四人では狭いですよね?」

「そうだね。でも三人なら大丈夫だよね? いつも患者さんと付き添いの人は座れるから」

「そうですね」

「なら大丈夫だよ」


 珊瑚はその言葉に首を傾げた。


「涼介は、その辺に座らせとけばいいよ」


 そう言って陽一が指さしたのは、丸テーブルから少し離れた場所だ。


「それなら、私がそちらに……」

「いや、男二人に囲まれたんじゃ、女性が話しにくいでしょう? 珊瑚君はこっちで一緒に座っててよ」


 なるほど、陽一は涼介にちょっと意地悪しようとかそういう考えではなかったようだ。納得した珊瑚は頷きながら、それぞれの椅子を準備した。飲み物は二人が到着したら、いつも通り陽一が準備してくれることになっている。

 

 そわそわと落ち着かずに歩き回っていると、診療所の呼び鈴が鳴った。びくりと肩を揺らして陽一を見ると、視線を合わせて互いに頷いた。入口へ向い、涼介の声を確かめてから扉を開ける。


「こんばんは。お邪魔します」


 その声は、なんとも美しく透明感があり、人を惹きつける響きだ。目立たない色の地味なワンピースを着ているが、姿勢がいいせいか華やかな雰囲気は隠せていない。扉を潜った瞬間、ふわりと彼女に似合う華やかな香りが辺りに漂った。

 

 扉を閉め鍵を掛けた涼介が、「おう」と陽一と珊瑚に手を挙げた。扉が閉まったことを確認した陽一が口を開いた。


「初めまして。こちらの診療所を預かっています、平良陽一です」

「は、初めまして。助手の神崎珊瑚と申します。よろしくお願いします」

「初めまして。緑丘(みどりおか)瑞穂(みずほ)です。よろしく」


 そう答えた瑞穂の容姿に、珊瑚は釘付けになった。薄化粧でありながら、ぱっちりとした目元とすっと通った鼻筋。程よく厚みのある唇は艶があり、雰囲気だけでなく容姿も華やかだ。人目を引きにくい地味な色合いのワンピースを着ているが、自然と目で追いたくなる。

 

 ニコリと微笑む瑞穂に、珊瑚はまたしても見惚れる。瑞穂が「かわいらしい」と笑みを深めると、珊瑚は頬を染めて視線を彷徨わせた。

 

 光と会った時も感じたが、珊瑚は自分の子供っぽさが近頃やけに気になる。陽一と涼介は珊瑚より七つも年上で、当然大人なのだが。普段珊瑚と接するときに、気安くしてくれるせいかあまり壁を感じない。だが、光と瑞穂は同性であることもあってか、どうにも自分と比較してしまう。和装の光も洋装の瑞穂も、どちらも大人の落ち着きがあり、陽一や涼介と並ぶと自然に見える。一方自分は二人と居る時、周囲からどう見えるのだろうか。

 

 そんな事を考えながら下を向いていたが、陽一の言葉が耳に入り我に返った。


「では、こちらへどうぞ」


 いつも通り柔和な笑顔を浮かべた陽一が先導して、四人は診察室へ移動した。


 予定どおりの椅子に瑞穂が、その向かいに陽一と珊瑚が座り、離れた場所に涼介が座った。少し不服そうな涼介だが、客人の手前文句は飲み込んだようだ。

 

 陽一が人数分の紅茶を配り、落ち着いたところでそれぞれが喉を潤す。


「急に時間を作って貰って、ごめんなさい」

「いいえ、こちらこそ連絡出来ずに申し訳ありません。大分お待たせしてしまったみたいで……」


 そう言って陽一は涼介にちらりと視線を向けた。涼介は気まずそうに頭を掻き「俺のせいで、すみませんでした」と瑞穂に頭を下げた。やはりこの席位置は、陽一のちょっとした嫌がらせかもしれない。


「いいんです、私も名乗りませんでしたから。名前も言わない時点でどう思われるか想像がつきます」

「何か名乗れない理由が?」

「実は私、舞台女優なんです。まだ脇役ばかりですけど、十二月の公演では少し大きな役を控えていて……」

「なるほど、目立つことを避けたい訳ですね」

「はい。……それに少し前、恐ろしい目に遭ったので」


 そう言う瑞穂の声は、どこか他人事のような響きを含む。


「その時に、叔父と会ったと聞いていますが」

「はい、そうなんです。偶然そこに平良先生が居合わせて。警察を呼んだり色々してくれたんですけど、……ブローチを預けたまま連絡が取れなくて」

「叔父は、ここの連絡先を教えなかったんですか?」

「はい。診療所ではなく、大学病院の篠塚先生を訪ねるように言われました。私は職場と稽古場の連絡先だけ伝えたのですが」


 ちらりと涼介に視線を向けると、まだ決まり悪そうな顔をしている。

 

「他に何か聞いていませんか?」

「……そうですね、あの時は私も気が動転しててよく覚えていないんですけど」


 下を向きしばらく考え込んだ瑞穂は、当時を思い起こすようにして続けた。


「もし誰かにマラカイトの事を聞かれたら、平良先生に渡したとすぐに答えるようにって。あとは、入手先が分かったら自分か篠塚先生に教えて欲しいとも」

「そうですか。その後、マラカイトの事を誰かが聞きに来ましたか?」

「ええ。事情を聴かれてから、警察の方に自宅まで送って貰ったんです。そのすぐ後に、呼び鈴が鳴って」


 瑞穂はどこか他人ごとのように、淡々と続けた。


「警察の方かと思ってドアを開けたら、知らない男の人の声がして。マラカイトはどこだと聞かれたので、先生に言われたとおりに答えました」

「その男の顔を見ましたか?」

「いいえ。ドアを開けようとしたら途中で押さえられて。少しの隙間から声だけ聞こえてきて。多分……見ない方がいいのかなと思って、会話が終わってすぐに閉めました」

「そうですか。その後誰かが訪ねてきたりは?」

「いいえ、あの時だけです」


 瑞穂は躊躇いがちに言葉を継ぐ。


「あの……平良先生はどうしてますか?」

「……今は、まだどこにいるか分かっていません」

「あの日以来、行方不明ってことですか?」

「そうです」

「それは、私のせいなんでしょうか」

「緑丘さんのせいではないですよ」


 珊瑚はその言葉に両手を強く握りしめて俯いた。本来責任を感じるべきは、瑞穂ではなく自分のはずなのに。そう思うと瑞穂に申し訳なくて、胸がギュッと苦しくなる。

 

 そんな珊瑚の拳を、陽一が指先で軽く二度叩いた。驚いた珊瑚が見上げると、物言いたげな陽一の視線とぶつかった。

 

 少し離れた所から涼介の「意固地……」という声が微かに耳に届いた。


『これは、ただの意固地だっ!』

 

『こんなに強く握りこんだら痛いでしょ。ほら、力を抜いて』

『珊瑚君を加害者だなんて思う人は居ないよ』

 

 昨日の涼介と陽一の言葉が蘇る。思わず髪に手を伸ばして撫でつけると、涼介の「ぶっ」と噴き出す声が聞こえた。隣では陽一が、咳払いで笑いを誤魔化しているのが目に入る。

 

 珊瑚は涼介と陽一を順にきっと睨み付けると、頬を染めて口を引き結んだ。


 その様子を黙って見ていた瑞穂が、小さく声を立てて笑う。


「皆さん仲がいいんですね。今日、お会いできてよかった。平良先生の事も、マラカイトの事も、どうしたらいいのか分からなくてモヤモヤしてたから」

「す、すみません」


 深刻な話の途中で場を崩してしまったように思う珊瑚は、慌てて瑞穂に謝った。


「いいえ、謝ることじゃないです。一人で深刻に悩んでるより、皆さんに話せて……肩の荷が下りたって言うのかな。問題は解決してないけど、皆さん前向きなんだなって思えたら、少しほっとしたんです」

 

 瑞穂は少し間を置いてから、「それに」と続ける。


「こんな話他の誰にも出来なくて、……どうしようかと思ってたけど。でも、打ち明ける事が出来る人が居るって、とっても気持ちが楽になります」

 

 そう言った瑞穂は、確かに診療所を訪れてすぐより表情が解れているように見えた。珊瑚はその様子に少しだけホッとする。

 

 深く息を吐きだした瑞穂が、気を取り直すように口を開いた。


「それじゃあ、今日の本題に入りましょうか。私がどうやって平良先生に会って、マラカイトを渡す事になったのか」


 その言葉に珊瑚は背筋を正す。三人の視線が瑞穂に集まり、診察室の空気が先ほどまでの和やかさから一転、静かな緊張感に包まれた。

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