8-5
今日は連休最終日だ。珊瑚は朝から浮かれていた。昨日涼介が帰った後の話が原因だ。その時の事を思い返すと、珊瑚は髪を梳かしながら自然と頬が緩む。
涼介が帰った後、陽一が珊瑚に向かってあることを提案した。
「珊瑚君。明日は連休最終日だし、買い出しがてら町の散策でもしてみない? いつもは人が多くて見づらいところも、今日ならゆっくりできると思うよ」
珊瑚は目を瞬き、思わず前のめりになって答えた。
「い、いいんですか?」
「うん。いつも買い出しばっかりで、ほかの店はほとんど見れなかったよね。人出が少ない内に気になるお店を見てこよう。まだ休みの店が多いから、ウィンドウショッピングになっちゃうけど」
「嬉しいです! 田舎の町には無かったようなお店が沢山あるので、見るだけでも楽しみです!」
珊瑚は以前から小物や装飾品を扱っている店が気になっていた。帝都を歩く人達は、和装、洋装どちらも皆おしゃれで、ついつい見惚れてしまう。自分が同じ様になれるとは思わないが、人並みにおしゃれに興味を惹かれる年頃だ。
手を繋いで貰えば歩けるが、人混みの中を長時間店を探して歩く気にはなれなかった。どんな店があるかも分からないのに、陽一を付き合わせるのも悪いと思うし、食料を下げて見にいくわけにもいかないからだ。
連休で帝都が空いている時期は年に二回あり、今回の連休と秋の連休だと聞いた。滅多にないチャンスに、珊瑚は浮足立っていた。
いつもより念入りに支度をした珊瑚は、階段を下りて一階へと足を進める。先に準備を整えていた陽一が待合室の椅子から立ち上がり、珊瑚に微笑んだ。
「お昼はいつもみたいなレストランは開けてないところが多いけど、手軽に食べられる店ならあるからあっちで食べよう」
「はい、楽しみです!」
中心街までの道のりを、軽い足取りで陽一と並んで歩く。年末と違い中心地へと向かう道すがら、診療所の患者さんや陽一の顔見知りとすれ違う事もない。どんな店があるのか、どこから見て回ろうか、そんな事を話しながら緩やかに時間が流れて行く。
昼食は、通りがかりにあったカフェに寄り、普段は躊躇するテラス席に座った。暖かな日差しの元で、いつもの忙しなさもなく、のんびりとした時間の流れる中心街を眺めながらの昼食はとても贅沢だ。
珊瑚が食べたのは、生クリームやフルーツが乗ったホットケーキだ。帝都にきて初めて食べた物の中で、ホットケーキも珊瑚のお気に入りの一つだ。この店はいつも混んでいるので、並ぶこともなく、しかもテラス席でゆっくり出来るのは連休中だけだろう。
昼食を終えた二人は、再び中心街をぶらぶらと歩いた。今まで見れなかった装飾品や、化粧品の並ぶ店が集まる区画も遠慮なく見て回る。ほとんどの店が閉まっているので、ガラス越しにどんなものがあるのか見るだけだ。
ピカピカに磨かれたガラス越しに商品を見ていた珊瑚は、ふとそこに並ぶ自分と陽一の姿に気付いた。揃ってガラス窓の中を覗く様は、なんとも言えずむず痒い。
少しぎこちなく歩き出した珊瑚は、ガラスに映る自分たちの姿に気恥ずかしくなった。なぜか胸の奥がじんわりと温かく、緊張とは少し違う風に胸が高鳴る。ざわざわと落ち着かないのに、なぜか嫌ではない。この感情は前に感じた覚えがあった。心地よくて浸っていたいような、恥ずかしくて逃げだしたいような、不思議な気持ちだ。
その考えがまとまらない内に、珊瑚は一つのショーウィンドウに目を留めた。中には繊細なレースのリボンが巻かれて並べられていた。
「綺麗だね、気に入ったの?」
陽一に問われた珊瑚は、慌てて振り返り「はい」と返事を返す。一瞬周りの事を忘れるほどに目を奪われていた。
「今度お店が開いてるときにきて、ゆっくり見ようか」
その言葉に、珊瑚は慌てて首を横に振った。
「いいえ、私にはきっと似合いませんから」
陽一はまじまじと珊瑚を眺めた後に、不思議そうに首を傾げた。
「どうして? よく似合うと思うけど」
「でも、私、いつも和装ですから」
「和装だとダメなの?」
「このレースだと洋装の方が映えると思うんです」
「……そうかな。僕はいいと思うけど」
「ありがとうございます。そう言って貰えるだけで嬉しいです」
珊瑚は本心から嬉しく思った。今までこんな繊細なレースの装飾品など付けたことは一度もない。着飾る機会もなかったから、当然と言えば当然なのだが。
「そういえば、珊瑚君は洋装をしたことってないの?」
「そうですね、一度もありません」
「そう。着てみたいとは?」
「考えたこともありませんでした。……ちょっと想像がつきませんね」
首を捻って微妙な顔をした珊瑚を見ながら、陽一はしばらく考え込んだ。
「成人のお祝いは、和装の予定なの?」
珊瑚は思い掛けない質問に瞠目する。
「ああ、突然ごめんね。きっと珊瑚君のお母さんなら用意してるんじゃないかと思ったから」
「……そうかも知れません」
「ごめんね、変なこと聞いちゃって」
「いいえ。でもきっと母なら、振袖を準備してくれてると思います」
「そう。きっと珊瑚君に良く似合う素敵な振袖なんだろうね」
「そうだと嬉しいです」
珊瑚が成人する日のことを楽しそうに語っていた母を思い出す。確かにあの様子なら、振袖の準備はしてくれていたのだろう。その日に間に合わないかも知れないが、いつかその振袖姿を母に見せられる日が来るだろうか。
「珊瑚君、こういう洋装はどう思う?」
陽一が指さす先には、余所行き用のワンピースが飾られている。
「こういうのも素敵ですね。私に合うかはわかりませんけど」
「こっちのはどう?」
また別のタイプのワンピースを指さす。
「そうですね、見る分にはこういった華やかなものも素敵ですけど、私にはちょっと派手すぎるような……」
「そうかな? こういうのも似合いそうだけどね。じゃあ、こっちは?」
そうしてまた別の色味のワンピースを指さす。珊瑚はなんだかよくわからないまま、同じやり取りを繰り返した。だが、今まで考えたこともなかった洋装の話は、思いのほか想像を掻き立てられて楽しくなってくる。
最後は珊瑚自ら、こっちもいいけどこういう意匠の方がもっと素敵だとか、色味はもっとこんな感じが好きだとか、夢中になって話した。
中心街の散策に満足した二人は、店で食料の買い出しをして診療所へ戻った。
荷物を片付け終えた珊瑚は、昨日話しそびれた事があったことを思い出し、発明品置き場の部屋で陽一と話すことにした。
今日はお昼に甘いものを食べたためか、飲み物はさっぱりした緑茶だ。陽一の淹れるお茶はどれも味も香りもよくて、落ち着く味わいだ。
「それで、昨日話してなかった事って?」
「えっと、一悟にいと二胡ねえと話してて思った事なのですが」
「うん」
珊瑚はしばらく逡巡する。言葉に詰まりそうになるが、この話題を避けるわけにはいかない。小さく息を吐き出してから口を開いた。
「……先生の幼馴染の方は、ご存命ですよね?」
「うん。まあ、寝たきりで目を覚まさないみたいだから元気ではないけどね」
どことなくあっさりしているのは、深く考えないようにしているせいだろうか。珊瑚はちょっとした引っ掛かりを覚えるが、本題はそこではない。
「弘樹先生の資料に、そこが先生と他の症例の方たちの違いだって書かれてましたよね」
「ああ、そうだったね」
「先生の場合感情がプツリと切れる事はないですよね」
「そうだね。他の人たちの言うぽっかり穴が開くっていうのは僕にはわからない感覚かな」
「先生の場合はどう感じてるんですか?」
陽一は少し考える素振りをしてから答えた。
「湧きあがりそうになると、何かに吸い取られるように消えるかな」
珊瑚は頷いてから、少し間を開けて口を開く。
「一悟にいと二胡ねえの魂が、私の目の魔石に宿っているって考えは間違ってないそうです」
「二人に聞いたの?」
「はい。詳しいことは教えてくれないんですけど。でも、他の人も命を落とした時に、その魂が魔石に宿ったのだと思います」
「……なるほど」
「先生の場合は、幼馴染の方の魂が完全に宿っていないんじゃないでしょうか」
陽一は少しの間考え込んでから、「そういう事か」と納得したように呟いた。
「つまり、完全に感情を奪うには、亡くなった人の魂が必要って事かな?」
「そうだと思います。多分、魂が魔石に感情を封じてる感じなんじゃないかと思います」
「だから僕だけ状況が違うのか」
「魂の縛りが強固でなければ、完全に失われる事はないのかも知れません」
二人そろってしばらく考え込み、珊瑚が躊躇いがちに陽一に尋ねた。
「あの……先生の幼馴染の方に何か変わったことは?」
「亜真音に? どうだろう。特に何も言ってこないし変化は無いんじゃないかな」
どことなく突き放したような言い方に、珊瑚はやはり意外に思う。カメオは陽一にとって唯一の大切なものだと言っていた。そのカメオをくれたのは亜真音だった。それ程大切な人のはずなのに、なぜだろうと思うが直ぐに考えを改めた。きっと大切だからこそ、回復するまでは目を逸らしたいのだろう。
また余計な事を聞いてしまったと、珊瑚は俯き加減で落ち込んだ。
「それより、珊瑚君の影響かも知れないと思うけどね」
珊瑚はその言葉に顔を上げて、目を瞬かせた。
「私の……ですか?」
「うん。前に涼介が言ってたでしょう? 僕が前より表情が出るようになったのは珊瑚君がきっかけじゃないかって」
珊瑚は初対面の日、涼介が言っていた事を思い返す。
『前より良く笑うし怒るし、表情が大分豊かになったよ。今日は久々に顔見て本当に驚いた』
『珊瑚ちゃんがきっかけかもな』
『陽一の変化は、弘樹さんの外出と君の登場以外にきっかけが思い当たらん』
確かにそんな事を言っていたが、あの時は冗談だと思っていた。
「先生は、篠塚さんの言葉を本気にしたんですか?」
「え? 珊瑚君は冗談だと思ってた?」
「はい。篠塚さんはあの調子ですから、軽い冗談かと……」
「あはは。確かにあいつの言う事だからね。でも、僕は本当にきっかけが珊瑚君だと思ってるよ」
「……どうしてそう思うんですか?」
目を瞬いた陽一は、ふっと小さく笑みを浮かべた。
「感情を押し殺すようになってから、あんまり感情の波がなかったって言ったでしょ?」
「はい」
「それが、珊瑚君と過ごすようになってから、失われたはずのものが、前より大きな波を感じるようになった。珊瑚君以外に誰の影響だと思ってるの?」
そう言って笑う陽一の表情は、以前と違い心からのものに見える。
「……それは、私の目が影響してるって事ですよね?」
「そうなのかな」
そこで少しの間考え込んだ陽一は、唸り声をあげる。
「いきなり窓から落ちそうになったり……一馬の為に必死になって声を張り上げたり。お茶を零して火傷したり。目が魔石じゃなかったとしても、珊瑚君はそういうことするでしょ?」
「……私、いつもとんだご迷惑を」
「あはは、そういう意味じゃないよ。思わず僕の感情が揺れ動くような面白い毎日を過ごせるのは、珊瑚君だからであって、魔石のおかげじゃないよねってこと」
珊瑚は黙って陽一を見上げた。
「お互いにやっかいな魔石を持ってるから、それが全く無関係かって言われると分からないけど。でも、それだけじゃないと思うよ」
「先生は、そんな風に思っててくれたんですね」
それは、珊瑚の目が魔石であっても、そうでなくも、変わらないということだろうか。特殊な魔石のせいで面倒を見てくれたはずなのに、なぜそんなことを言うのだろう。
少し期待をしそうになるが、そんなわけはないと思い直す。きっかけはこの魔石の目なのだろう。陽一本人がそう言っていたのだから間違いない。
ただ、一緒に過ごす内、それだけでは無くなったのかもしれない。それでもきっかけは魔石だと言う事実は、忘れてはならないと珊瑚は思う。
「ありがとうございます。私も先生の面白い発明品のお陰で、毎日退屈しません」
「そう? ならよかった」
そう言って笑い合うが、珊瑚の心はほんの少し寂しさが募る。
陽一にとって自分は、きっと未完成の発明品と同じなのだろう。あれば楽しいけれど、無くても困らない。珊瑚が陽一の発明品に惹かれるのは、自分の存在と似ているからだろうか。
それでも、一緒に過ごす間くらいは、楽しいひとときになったらそれでいいのかも知れない。
診療所への帰り道、ピカピカのウィンドウに映る自分たちの姿を見ながら歩いた。少し前に見た時はむず痒くて気恥ずかしかったのに、今は全く違う気持ちが湧き上がる。どこか遠い世界のように思えて、まるで夢の中の様だ。ガラスに映る光景は、その内終わりを迎える幻のようだった。




