8-4
すっかり髪も元通りに直した珊瑚は、櫛を置いて深呼吸をしてから部屋を出た。涼介はまだ部屋にいて、相変わらず話し声が響いていた。
さっきまでとは違う意味で緊張した珊瑚は、ごくりと喉を鳴らし、扉をノックする。ゆっくり開いて中に入ると、涼介が含み笑いを浮かべた。その様子を陽一がじろりと睨む。少し気まずい思いを抱えて、珊瑚は再び同じ椅子に腰を下ろした。
「はい、珊瑚君の分。さっきはいきなり涼介が本題に入るから、お茶を出す暇もなかったからね」
横目で涼介を見ながら、陽一は珊瑚の前に紅茶を置いた。今日の香りはダージリンだ。
「ありがとうございます」
珊瑚は気まずさを誤魔化すように、カップを手にして一口飲み下した。いつもどおり、柔らかな香りと少しの渋みが珊瑚の気持ちを落ち着かせる。
「あの……、中断してしまってすみません」
「まあ、半分俺のせいだから気にするな」
「全部涼介のせいだから、珊瑚君が気に病むことはないよ」
苦笑いの涼介に対して陽一は笑顔だが、なんとなく目は笑っていない様に見える。
「えっと、さっきの話なんですが。……どうして皆十二月なんでしょう?」
その言葉に陽一と涼介は黙って考え込んだ。
「藤原統司にとって十二月に何か意味があるのか?」
「そうかも知れないね。珊瑚君は十二月になると魔力に変化を感じるとか、何かある?」
珊瑚はしばらく今までの事を思い返してみた。
「……特に思い当たる事はありません」
それから少し考え込んで、さらに続ける。
「関係あるかわかりませんが……。亡くなった双子の兄姉も、私も、九月生まれなんです」
「十二月とは関係ないよな?」
「わかりませんが……」
「何か気になるの?」
「はい。母が、暮れが近付くとよく言ってたんです。”何年前のこの時期に珊瑚がお腹にいるって分かって……”って。兄姉も同じ時期だったって聞いてます」
「つまり、珊瑚ちゃんのお母さんが妊娠に気付いたのが十二月って事か?」
「多分そうなんだと思います」
珊瑚は少し間をおいてから続けた。
「すみません、なんの関係もない話かも知れません。十二月って聞いたら、なんとなく思い浮かんだだけなんです」
「ううん、どんな小さな事でも思い当ったら取り合えず教えて。それが何かに繋がるかもしれないからね」
「そうだな。今のところわからんが、藤原統司みたいなやつが何を考えてるのかなんて、そう簡単に理解出来んだろうしな」
珊瑚は神妙に頷いた。
統司に会ったのは、ほんの数える程度しかない。会ったというより見たと言った方が確かだろう。会ったと言えるのは、目を魔石に変えられたあの日と――。久しぶりにあの日を思い出し、珊瑚は思わず身震いした。
「ほかに何か気付いたことはあったか?」
「そうですね……」
一寸の間考え込んんだ珊瑚は、ふと気になったことを思い出した。
「桜井さんの話で、梓さんが会ってた男の人の話が気になりました。目の下に痣があったというのが妙に引っかかって」
「珊瑚ちゃんは心当たりがあるのか?」
珊瑚はもう一度考えてみるが、やはり何も思い当たることはない。しかしどうにも引っかかる。
「……わからないんですよね。どこかで見たような気がするんですが、思い出せません」
「そいつは、神殿に出入りする商会の人間だったのか?」
「それも分からないんだ。結局梓さんが誰からピンクトパーズを手に入れたかは、はっきりしない。魔石を時計にはめ込む細工をした店はわかったけど、至って普通の店だった」
「そうか」
涼介は難しい顔をして頷いた。
「西野さんには、神殿関係の商会が怪しいことは伝えてあるから、それはあっちに任せていいと思う」
「そうだな。こっちが探りを入れても怪しまれるだろうし、情報も集めにくいからな」
「こっちは、まだ話を聞いてない症例の人達から何か新しい情報があればってところだね」
「あと何人居るんだ?」
「叔父さんの資料によれば、あと一人だな」
「それで全部なのか?」
そこで考え込んでいた珊瑚が徐に口を開いた。
「恐らくあと二人です」
陽一と涼介は、二人同時に珊瑚に視線を送った。
「どうしてわかるんだ?」
「さっき、毎年十二月に起きてるって言いましたよね?」
「ああ」
「……私が激しい頭痛に見舞われたのは毎年十二月です。去年まで合計七回です」
「つまり、その回数が症例の数か?」
「多分、そうだと思います」
「って事は、僕と柴村さんを抜かすとあと五人か」
「今まで会ったのは、人形師の藍島さん、幼馴染に騙された黄瀬さん、お産で妻を亡くした桜井さんか」
「はい。ですから、残りはあとお二人だと思います」
珊瑚は躊躇いがちに続けた。
「……ただ、今年に入ってから既に酷い頭痛を二回経験してます。だから、今年被害者が二人増えている可能性はあります」
「それは、今までと違うのか?」
「はい。今まで以上に酷いです。それが何を意味するのかは分かりませんが……」
黙り込んでいた陽一が口を開いた。
「珊瑚君の虹彩は、受け取る感情によって色が変わるよね」
「突然なんだ、陽一。俺はもう珊瑚ちゃんの目がどんな色に変わっても驚かんぞ」
「いや、そうじゃなくてさ」
陽一は珊瑚に視線を合わせて、その目をじっとみつめながら口を開いた。
「珊瑚君は、強い感情に充てられると虹彩の色が変化する。今まで患者さんや街でぶつかってしまった人たちと触れた事で、僕はその変化を見てきた」
珊瑚は、はっとして目を見開いた。そうだった、陽一は珊瑚の目が魔石だから側に置いていたのだった。興味を持って観察していても不思議ではない。そう思うと胸が痛むのだが、珊瑚はそれに気付かない振りをした。
「珊瑚君の普段の目はガーネットの透き通る赤だ」
一旦言葉を切った陽一に、涼介が喉を鳴らした。
「それが、怒りに触れると黒が混じって暗く濁る。悲しみに触れると、深い藍紫の澄んだ瞳になる」
「ちょっ、ちょっと待て」
「不安に触れれば赤みの強いどんよりとした紫色に。驚きに触れれば明るい黄色の混じった赤金に」
「……」
「恐怖に触れれば暗く濁った緑に。そして、喜びに触れると淡い桜色のきらきらと透き通った瞳になる」
淀みなく一気に解説する陽一に、無視された涼介が顔を引きつらせて一歩下がった。
「……お前、随分細かく観察したもんだな。俺はそこにちょっとした恐怖を感じる」
「何が怖いんだ。それくらい分からないと、珊瑚君の不調が分からないからな。負の感情で色が変わってるなら、僕が散らさないと珊瑚君がしんどいだろ」
「……そうだな」
当たり前の様に答えた陽一に、珊瑚は目を輝かせた。珊瑚の具合が悪くなりそうなら、すぐに触れて散らしてくれるつもりなのだ。確かに、さり気なく何度もフォローしてもらっていたのだが、まさか色まで細かく観察されているとは思っていなかった。例え、魔石に関する興味だとしても、珊瑚にとってはありがたかった。
そんな珊瑚の様子をちらりと見た涼介は、「……まあいいか」と呆れたように呟いた。
「で、その観察結果がどうしたんだ?」
「ここに来てから珊瑚君の酷い頭痛と共に変化した虹彩の色は、暗く濁った緑と黒の混じった暗い色だ」
「つまり……何の色だ」
顔を顰めて首を傾げた涼介に、陽一が即答する。
「恐怖と怒りだ」
「じゃあ、恐怖と怒りを奪われた人間を探せばいいって事か?」
「まあ、手掛かりにはなるかも知れない。ただ……」
「なんだよ」
「恐怖は叔父さんの資料に載ってなかったが、もう一人会おうと思ってた人は怒りを失くした人だ」
三人は黙り込んでしばらくの間考え込んだ。
「同じ感情を違う何人もから奪ってるのでしょうか?」
「そうかも知れない。でも、叔父さんの資料を見ると、毎年一つずつ違う感情を対象にしてたみたいだよね」
「対象にしてるのは、数や種類からして基本感情か?」
「恐らくそうだろうね」
「……基本感情?」
珊瑚は何のことだか分からず首を傾げた。
「うん。さっき言った虹彩の変化にリンクする感情の事だよ」
「原始的な感情ってやつだな」
「そう。誰もが生まれつき持ってる」
珊瑚は「なるほど」と、わかったようなよくわからないような返事をした。
「僕の場合は、それだけじゃなくて、なぜか全部を失ったけどね」
「どんな違いがあるんですか?」
「うーん、珊瑚君もいろんな人に触れて感じたと思うけど、感情って結構複雑に混ざり合ってるでしょう?」
「……そうですね」
「例えば後悔とか、自己嫌悪とか、嫉妬とか。僕の場合は全部消えてしまうからね」
珊瑚は忠蔵の不安や恐怖の中に混ざる、娘への気持ちを思い起こした。それから一馬のよくわからない複雑な感情も。珊瑚は眉を寄せて唸り声を上げた。
「まあ、お前は昔から色んな感情押し殺して、笑顔ってのが普通だったな」
「そうだな。今でも笑う場面だと思えば勝手に笑顔が浮かぶ。感情と裏腹な顔も、その場面に適した表情も出来る特技のお陰で、全部なくなっても不自然に思われなくて済んだかもね」
感情を失う前から平坦だったと言っていた。その時から、心からの表情を浮かべることがあまりなかったのかと思うと、珊瑚は複雑だ。それならよかったとか、変化が無いなら同じだとも思えない。
「とにかく、同じ感情を対象にしてるなら、一巡してまた次を奪う意味が何かあるのかも知れないね」
「なるほどなぁ。しかし、毎年十二月だったのも分からんが、今年に入ってから回数が増えたってのも気になるな」
「……そうですね」
珊瑚は、今年二回経験した頭痛を再び思い出し、被害者を思うとズシリと胃が重くなる。
「まあ、取り合えず今のところ分かったことと、謎になってる部分はこんなもんか?」
「そうだね。あとは、今わかってる症例の人に話を聞いたらまたわかることが増えるかも知れない」
「俺の方でも引き続き情報を集めてみるか」
「ああ、頼むよ」
話がまとまったところで、涼介が傍らに置いていた袋をがさがさと漁り始めた。
「本当は話をする前に食おうと思ってたんだけど、出すタイミングが遅れてお預けになってたな」
そう言いながら前回のカフェと同じマークの袋から取り出されたのは、紙に包まれたパンのようだ。
「今日の飲み物は、珊瑚ちゃんにはアイスココアだ。俺と陽一はアイスコーヒー」
珊瑚は帝都にきてから初めてココアを飲んだが、冷たいココアは初めてだ。
「それから、ホットサンドを買ってきた」
「ほっとさんど、ですか?」
「ああ。こっちは初めてか?」
「はい」
珊瑚は首を縦に振りながら、興味津々で涼介の手元を覗き込んだ。
「珊瑚ちゃんのはちょっと軽めの具材で、チーズとトマトとバジルに生ハムだ」
そう言って涼介が目の前に置いたのは、表面がこんがりと焼けたパンだ。四角いパンを半分に切ったもので、断面が見える以外の縁はぴったり閉じている。表面は絶妙な焦げ目が付いていて、珊瑚の食欲をそそる。先ほどまで重いと思った胃が、今ではすっかり空腹を感じていた。
「で、陽一と俺は、こっちな」
陽一と涼介の前に置かれたのは、チーズとローストビーフの入ったボリューム満点のものだ。珊瑚は以前と同じく胸焼けしそうだと思った。涼介はいつも絶妙に珊瑚の好みをついてくる。
目を瞬かせてじっとホットサンドを観察する珊瑚に、「今日も餌付け成功だな」と涼介が一人満足気に呟いた。
「よし、せっかく保温剤のお陰でまだあったかいから、さっさと食っちまおうぜ」
その言葉に頷いた珊瑚は、陽一と視線を合わせて、いつも通りに「いただきます」と声を合わせた。涼介もそれにはもう慣れたようで、気にも留めずにホットサンドに齧り付いた。
恐る恐る一口齧った珊瑚は、焦げた表面のサクサクと、中のパンのふわふわな触感に頬を緩めた。一口が小さすぎて全ての具材に届かず、もう一口食べ進めたところで、目を丸くした。
「お、おいしいですっ! 中のチーズが溶けてます。トロットロです!」
チーズはまろやかでコクがあり、生ハムの塩気とトマトの酸味が口の中で絶妙に絡み合う。味わいながら食べ進め、途中でアイスココアに手を伸ばした。ホットの時はまろやかで香りが豊かだったが、アイスになると甘さや風味が少し軽くなり、すっきりとした爽やかさが広がった。どちらも捨てがたいと思いながら、珊瑚は満足気に飲み込んだ。
帝都に来るまでの間、鈍行を乗り継いで一人旅をして来た。それまで母と二人だった食事は一人になった。右も左もわからない中で、どうにか口に出来る物を買って過ごしてきた。
誰かにぶつかれば気分が悪くなり、不安で仕方なかった。周囲を窺いながら過ごす中での食事は、今思えば実に味気ないものだった。
ここに来てから、一人で食事を取ったことは無い。母以外の誰かと、こうして楽しく食事を味わう事など想像もしていなかった。
珊瑚はここに来て、陽一のお陰で一生縁の無いと思っていた生活を送れることに、改めて深く感謝した。




