8-3
眠気の中々訪れない珊瑚は、ベッドに入って寝返りを何度も繰り返した。昼間に聞いた直人の話が、頭の中でぐるぐると巡り続ける。
信じた相手を失う事が怖くて信じきれない珊瑚と、信じた相手を疑ったまま本当に失ってしまった直人。珊瑚は、信じて拒絶されたり、どうせ終わりが来るのなら、その時に傷付くのが怖いと思っていた。
『珊瑚ちゃん、終わりが来るとは限らないわ。信じる事を恐れすぎないでね』
二胡の言葉を思い出す。恐れた結果、失って傷つく事もある。二度と会えないという状況は、相手が必ず生きているとも限らないのだ。そんな風に考えたことのなかった珊瑚は、直人の言葉に頭を殴られたようなショックを受けた。
陽一に命の危険があると思いたくないが、何があるかは誰にも分からない。何も伝えないまま直人が梓を失ったように、自分も陽一を失う事が絶対ないとは言い切れない。その逆もまた然りだ。珊瑚自身に何かあって、命を失う可能性だってある。珊瑚の特殊な目を統司がどう使おうと考えているのか分からない。
珊瑚は胸元から引き出したネックレスを握り締め、そっと目を閉じて深呼吸をした。恐れすぎて踏み込まずに逃げて後悔するくらいなら、いっそ自分が傷付いてもいいから信じてみようか。本当は信じるのが怖い事も、それでも信じたいと思う気持ちも、伝えてみてもいいのだろうか。
他人に期待を抱いたことは今まで無かったが、陽一はいつも期待を超えて受け入れてくれた。そんな陽一なら大丈夫かも知れない。もしダメだったら。それでも、何もせずに後悔するよりいいかも知れない。
目を瞑って考え込んでいた珊瑚は、いつの間にか深い眠りへと落ちていった。
翌朝は連休三日目とあって、珊瑚も陽一も起きる時間はいつもより大分遅めだ。いつもよりのんびり支度をして、ゆっくり部屋を出た。いつもどおり台所へ向かおうとした所で、一階から話し声が響いてきた。声の主はどうやら涼介のようだ。
寝過ごしてしまったかと焦るが、今日涼介が来る事は聞いていたと思い出す。二人だけで話したい事があるのかも知れないと一瞬躊躇するが、挨拶だけでも顔を出そうと珊瑚はそっと階段を降りた。
やはり声の主は涼介で、発明品置き場の薄く開いた扉から二人の話し声が漏れ聞こえてきた。珊瑚は扉の前に立ち、ノックをしようとしたがその手が止まる。
「そもそもお前、なんで珊瑚ちゃんをあっさりここに置くことにしたんだ?」
珊瑚は自分の名前が会話に飛び出して、そのまま一歩扉から距離を取った。どうしていいか分からず戸惑っている間にも、二人の会話は進んでいく。
「なんでって、なんでそんな事聞くんだよ」
「だってお前、亜真音の事が無くても、あんまり他人を寄せ付けなかったよな?」
「……まあ、そうかもな。そもそも亜真音が居たから、特に異性とは距離を置いてたしね」
「それがまたなんで、いきなり訪ねてきた珊瑚ちゃんを側に置く気になったんだ?」
陽一は少し間を置いてから答えた。
「……まあ、魔石が気になったのもあるかな」
「お前の魔石と関係あるかもって?」
「そうだよ。感情が流れ込むってかなり特殊な状況だろ? 僕の場合とは違うけど、感情が絡むって点では共通してたしね」
「なんだよ、結構打算的な理由だったのか?」
「まあ、そうかな」
珊瑚は聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして、そっと扉から離れた。心臓がドクドクと鳴り、握りしめた手が震える。息が苦しくなり、そのままそっと自分の部屋へと引き返した。
(落ち着いて。少し時間を置いてから、何もなかった風にしなくちゃ)
眠る前の覚悟は頭の中からすっかり消え去った。茫然としたまま自室に戻った珊瑚は、さらに続く会話を聞くことはなかった。
「なあ、陽一。別にそんな風に自分を悪く見せるような言い訳並べなくてもいいんだぜ?」
「なんだよ涼介、どういう意味だよ」
「お前、本当は珊瑚ちゃんが心配になったんだろ? あの子、なんか危なっかしいよな」
「……まあ、そうかもね」
「ハードな幼少期過ごしてる割には素直で捻くれた所は無いし、人を怖がってる割には真っすぐ見てくるしな」
「……そうだね」
「でも、世間知らずでなんか頼りないよな」
「……まあ、そういう所もあるけど」
歯切れの悪い陽一に、涼介は口の端を上げた。
「危なっかしくて、目を離したらどっかで一人で泣いてそうだな」
「いや、そんな事ないよ。珊瑚君は頼りなさげに見えて、結構しっかりしてる。芯のある我慢強い子だよ」
涼介は更に面白そうな顔をして、身を乗り出した。
「ふうん。随分気に入ってるよな?」
「はあ? 何言ってるんだよ。そんなわけないだろう」
「お前自分でも気付いてないのか? 昔のお前だったら同情はしても、そこまでわかるほど興味も持たなかっただろ」
陽一は涼介の言葉の意味を測り兼ねたように、首を捻った。
「まあ、いいさ。最近やっと感情豊かになってきたばっかりだからな。ゆっくり考えろ」
そう言って陽一の肩を叩いた涼介は、随分楽しそうな顔で笑った。
一方珊瑚は、膝を抱えてベッドの上に座り込んでいた。袴に皺が付きそうだが、今は気にしていられない。
(やっぱり言わなくてよかった)
珊瑚は自分の勘違いに酷く恥ずかしくなる。陽一が珊瑚を置いてくれたのは、目の魔石に興味を持ったからだったのだ。珊瑚の駄目なところを受け入れてくれて、優しくフォローしてくれたのも、魔石の謎を解きたいだけなのだ。ただの親切心ではなかったというのは、珊瑚にとって納得のいく話だった。なんの得もないのに、自分のような人間を側に置く訳がないのだ。
それでも、一つだけわかる事がある。それは、今の陽一が本心から珊瑚を気遣っていることだ。きっかけは打算だったかも知れないが、今までの全てがその為だけだったとは思わない。一つ一つ思い返してみても、それだけで出来ることではないと珊瑚には思えた。
(それも私の勝手な願望なのかな? ……ううん、きっと違う)
それでも珊瑚は自分の気持ちを伝えるのは辞めようと心に決めた。
(先生を信じる気持ちは持って居よう。でも、先生にとってはきっと迷惑になる。だから、この気持ちは黙っていよう。勝手に思ってるだけならいいよね?)
それに、陽一は亜真音が居るから異性を近付けなかったと言っていた。それなら珊瑚はやはり、魔石を持っているから特別だったのだろう。
(勘違いしちゃいけない、私が特別なのはこの目があるから。それ以上でもそれ以下でも無い)
珊瑚はゆっくりと深呼吸をして自分の気持ちを落ち着けた。両手で頬を挟み込み、気分を入れ替えてから部屋を出た。
階段を降りて発明品置き場の部屋へ近付くと、二人の声が聞こえてきた。珊瑚の話は終わっているようで、ほっと胸を撫で下ろす。
珊瑚は今度こそ扉をノックして、いつもどおり部屋に入る。
「おはようございます。遅くなってすみません。篠塚さん、いらしてたんですね」
「おはよう、珊瑚君」
「珊瑚ちゃん、おはよ。昨日の話を聞きにきたんだ」
「そうですか。一緒に整理した方が新たな発見もあるかもしれませんからね」
珊瑚はいつもと変わらぬ表情を保ったつもりだったが、陽一が首を傾げた。
「珊瑚君、なんか元気ない? まだ疲れが残ってるのかな」
珊瑚は首を横に振り、眼鏡を触りながら少し上ずった声で答える。
「だ、大丈夫ですっ! しっかり休ませて頂きましたから」
「本当に?」
「はいっ」
腑に落ちない顔をした陽一だが、それ以上の追求はしてこなかった。それにほっと息を吐き、空いている椅子にいそいそと腰掛けた。
「お二人である程度のお話は済まされたんですか?」
「まあ、大体は聞いたか?」
「そうだね、大まかには話したよ」
「そうですか」
陽一は話を聞きに行った後に自分で書き足している用紙と、弘樹の考察などが書かれた紙束の両方を机の上に出している。
「今陽一から聞いた話で、ちょっとした共通点に思い当たったんだ」
「なんでしょうか?」
「……陽一と雅さんを含めて、今まで聞いて回った人たちは全員十二月にことが起きてる」
「……十二……月」
珊瑚はその言葉に心臓が軋み、一瞬呼吸が止まる。目の前が暗くなり、足元にぽっかりと空いた黒い穴に落ちて行くような感覚に襲われた。
珊瑚は初めて酷い頭痛が起きた日を思い返した。寒くて怖くて辛くて、廊下に転がって気を失った。あれは、六年前だ。陽一が感情を失ったのは……同じ六年程前だ。あの痛みは、陽一の感情が奪われた痛みだった。それ以降毎年十二月に起こる頭痛は、今まで話を聞いた人と、これから聞きに行く人達の痛みだ。
なぜ自分が痛みを感じるのかは分からないが、目の魔石が感情を奪う事に関わっているとしか思えない。この目のせいで、陽一や他の何の関わりの無い人たちが被害に遭っている。
いっそこの目を取って魔石を破壊してしまえば、少なくともこの先の犠牲者が増えないのではないだろうか。そんな風に考えると、もう自分の存在自体が恐ろしく思えて、珊瑚は顔を紙のように白くして俯いた。冷たい手には汗が滲み、ぎゅっと握りしめる手も白くなる。
「珊瑚君っ」
陽一の呼びかけすらも、遠い世界の出来事のように思えて、珊瑚はうつろな目で陽一をぼんやりと見上げた。
「珊瑚君、悪い方に考えちゃダメだよ。珊瑚君がなにかしたわけじゃないでしょう」
陽一は席を立ち、珊瑚の横に回り込むと、握りこんだ珊瑚の手にそっと触れる。
「こんなに強く握りこんだら痛いでしょ。ほら、力を抜いて」
そう言いながら優しく珊瑚の手を解いていく。心配そうな感情が珊瑚に流れ込み、少しの間留まってから消えていく。強張った珊瑚の心が握りしめた指と一緒に、ほんの少しだけ解ける。
「でも、私のせいかも知れません」
「どういう意味?」
「私、生まれつき魔力が多いんです。だからこの目を埋め込まれたんだと思います。それって、この目に私の魔力が作用するように仕組まれてるんじゃないかと思うんです」
「そうだとして、珊瑚君は悪くないでしょ?」
「いいえ、私の魔力が無ければ、きっと感情を奪うような大きな力は得られないんじゃないかと思います」
「それは、珊瑚君が望んだ事じゃないでしょ?」
「……それは、そうですけど」
そのやり取りを見ていた涼介が「うがああああ」と妙な声を出した後、自分の頭をガシガシと掻き回す。
「おい、陽一っ! 珊瑚ちゃんはしっかりした芯のある我慢強い子じゃねえなっ。これは、ただの意固地だっ!」
そう言うや否や、珊瑚の頭を両手でぐしゃぐしゃと掻き回す。
「うわあぁぁぁ、篠塚さん、またですかっ!」
掻き回す手から伝わるのは苛立ちだが、嫌な気分になるものではない。珊瑚を心配している様子も伝わってくる。
今までの話の流れで、どうして涼介が自分をこんな風に思ってくれるのか理解出来ない珊瑚は、呆然とした顔で涼介を見上げた。
「珊瑚ちゃん、やばいくらい髪がぐっちゃぐちゃだけど、気にもならないって顔だな」
「……」
珊瑚は何も言えずに、呆けた顔で涼介を眺めた。
「俺は陽一みたいに優しく諭してなんかやらんぞ。いいか、よく聞け。珊瑚ちゃんのそれは、思い上がりだ」
「涼介、お前何言いだすんだ」
鋭い視線で睨む陽一を無視して、涼介は続ける。
「なんでもかんでも一人で背負って、全部自分のせいだなんて思うな。やったことのケツは本人に拭かせろ。この場合、藤原統司だっ!」
珊瑚は驚きで何も答えられずに、目を丸くしたまま涼介を見つめて固まった。
「どうした? 分かったのか?」
珊瑚の頭を軽くぽんと叩いて、陽一が続いて口を開いた。
「まあ、そういう事だね。誰が見たって悪いのは藤原統司だ。珊瑚君が悪いなんて思う人は居ないよ」
珊瑚はゆるゆると陽一に視線を合わせる。いつもどおりに、否、それ以上に柔らかく笑う陽一の顔に、肩の力が抜けてくる。涙がせり上げてきそうになって、慌てて俯いた。
「し、篠塚さん」
「あん? なんか文句でもあるのか?」
「あります」
「なんだ、言ってみろ」
「か、髪が……」
「かみ?」
「髪が鳥の巣みたいになったのは、篠塚さんのせいですっ! 断固抗議しますっ!」
上目遣いに涼介を睨んだ珊瑚は、珊瑚にしては大きな声を張り上げて、勢いよく椅子から立ち上がる。涼介はその様子をぽかんとした顔で見ていた。
「直してきますっ!」
そう宣言して小走りで部屋を飛び出した。珊瑚の出てきた部屋からは、涼介の豪快な笑い声が響いていたが、無視して三階へと駆け戻った。
部屋の鏡を覗き込んだ珊瑚は、本当に鳥の巣状になった自分の頭を見て、思わず悲鳴を上げた。慌てて口を両手で塞ぎ、少しずつ櫛を通して直して行く。
(二人とも、私のせいじゃないって言ってくれた)
思い返して一度引っ込んだ涙がまたせり上がってくる。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、涙がこぼれないようにした。
(……でも)
それでも珊瑚は、この目がこのまま力を持った魔石のままなら、自分はこの世に存在してはいけないのだと思う。魔石の力だけを無効にする事が出来れば、道はあるかも知れないが。この目は完全に珊瑚のものと同化している。
もしなんとかする方法があるのなら、きっと西野は知っていたはずだろう。母だって魔石に詳しかったのに、どうにもできなかったのだ。
あの人がこの目をどう使っていて、何が目的なのかもまだわからない。わかる日がきて、自分がどうなるのかも。
考えれば考えるほど、先が不安になってくる。さっきの二人の顔を思い浮かべ、小さく笑みを浮かべた。いつか別れがくるとしても、その時までは。珊瑚は胸に手を当て、大きく息を吐いた。




