7-5
西野が指定してきた喫茶店は、帝都の中心からすこし逸れた隠れ家的な店だった。一見ただの民家だが、扉を開くと中は静まり返っていた。店内の空気はどこか重く、外の世界と隔絶された雰囲気を醸し出している。正面にあるカウンターに受付が一人居るだけで、周囲に人影も見当たらない。
陽一はカウンターへ近付き、受付に声を掛けた。西野の名前を伝えると、奥から別の店員が現れた。陽一と珊瑚に丁寧に御辞儀をした店員は、カウンターから左につながる廊下へと歩き始める。
途中いくつかの扉が廊下を挟んで左右に並んでいた。この喫茶店には個室しかないようで、どの扉も固く閉ざされている。珊瑚たちはカウンターから左の廊下へ案内されたが、恐らく右も同じ作りになっているのだろう。途中階段も目に入ったので、二階にも同じような部屋が並んでいるのかも知れない。
廊下の突き当りまで歩いた所で、一番奥の部屋を店員が音も立てずに開けた。今回は西野を待たせずに済んだようで、珊瑚は内心ほっとする。
「お連れ様がおいでになりましたら、またお声がけ致します。先にお飲み物をお持ちしますか?」
並んで席に着いた珊瑚と陽一は、顔を見合わせる。陽一が軽く頷き「揃ってからにします」と答えた。店員は「かしこまりました」と頭を下げ、音もなく退室した。それを見送り、ほうと息を吐いた。
「珊瑚君、大丈夫? 緊張してるよね」
陽一に顔を覗き込まれ、珊瑚は小さく首を振る。
「大丈夫です。なんだか雰囲気が重くて少し戸惑っただけですから」
小さく笑うと、陽一が表情を和らげた。
「今の内に飲み物を何にするか考えておこうか」
そう言ってメニューを見ながら、珊瑚のわからない飲み物を陽一が一つずつ説明する。
一通りどんなものか分かったが、すぐに忘れてしまいそうだ。頭の中はこれからどうなるのか、そればっかりが占めていた。
結局飲み慣れた紅茶を頼むことにした所で、ノックの音が響いた。珊瑚は思わず身を固くして、扉の向こうをじっと見つめた。
店員の開けた扉から入ってきたのは、もちろん西野だ。今日の西野は柔和な笑顔で、前回別れた時より疲れた様子だ。
それぞれの前に紅茶が置かれ、三人ともに口を付ける。珊瑚はこれからどんな話の流れになるのか不安が過り、紅茶からゆらゆらと立ち上る湯気を見つめて気をそらした。
部屋の中に少しの沈黙が流れ、西野がため息を漏らす。
「お疲れの様子ですが、何かあったんですか?」
陽一は軽い調子で西野に尋ねた。
「ああ。色々あって大忙しだ」
そう答える西野は、本当に疲れているようだ。
「何か進展があったんですか?」
「そうだな」
腕を組んだ西野は、少しの間逡巡する。
「君たちは、弘樹が調べていた魔石について何をどこまで知ってるんだ?」
珊瑚はどう答えればいいのか分からず、陽一を見上げる。陽一は少し考えこんでから、西野に視線を合わせて口を開いた。
「まず、叔父さんが魔石について調べていた理由を話します」
珊瑚は陽一の言葉に目を見開いた。珊瑚の魔石の話はするつもりだったが、陽一が自分のことを話すとは思ってもみなかった。藍島の時にも驚いたが、今度の相手は西野だ。魔石に関してはどう動くか分からないと言っていたのに、話して大丈夫なのだろうか。不安が過り、珊瑚の心臓が煩く鳴り響く。
「叔父さんが魔石について調べてたのは、僕の為です」
「どういう事だ?」
「僕は成人を迎えた年に、ある魔石を渡されて感情を失いました」
西野が目を見開き絶句する。
「西野さんに推薦人をお願いした時は、既にその状態でした」
西野は青ざめた顔でしばらく沈黙した。少し震える手を額に当てて、ため息を吐いた。
「そうだったのか。それで弘樹は独自に魔石の調査をしていたって事か」
「そのようですね。ずっと僕にも隠してました」
「そうか」
納得したように頷く西野を見ながら、陽一は話を続ける。
「僕の魔石もきっと、マラカイトと同質の物だと思います。そして、それは僕の手元にあります」
「……陽一君は盗まれなかったのか?」
「ええ。なぜかはわかりませんが」
「その魔石を見せてもらうことは?」
「見せるのは構いませんが、これは僕にとって唯一の大切な物なので、預けることは出来ませんよ」
そう言いながら上着の内ポケットからカメオを取り出し西野に見せた。
「触れても構わないかな?」
陽一は西野をじっと見つめて、念を押す。
「今触れるだけなら。そのまま持ち帰って管理されるのなら断ります」
西野はしっかり頷いてから答えた。
「陽一君から引き離す事で、何が起きるか分からんしな。今の時点で他に影響を与えてる訳でもないのなら、見なかったことにする。現時点で神殿が安全とも言えんからな」
陽一は「言質は取りましたよ」と言いながらカメオを渡した。
しばらくカメオに嵌め込まれたオパールを角度を変えながら見ていた西野は、唸り声をあげて考え込んだ。何度も角度を変えて光を当ててながら、時折眉を顰める。しばらく沈黙した後、陽一にカメオを返しながら口を開いた。
「鑑定でもしない限り、どんな物なのか詳しくは分からんが、確かにただの魔石では無いな。しかし、今はそれを鑑定するより、盗まれた魔石の行方の方が優先だ」
カメオを受け取った陽一は、珊瑚に視線を向けて含み笑いを浮かべた。
「西野さんは、他に影響を与えないなら、僕らの魔石を神殿で管理するつもりは無いって事ですか?」
「うん? ああ。そうだな」
「前言撤回はなしですよ?」
念押ししてくる陽一に、西野は不思議そうに頷いた。
「ああ。陽一君にとってそれは大切なものなんだろう? 後で鑑定やらお願いする場合はあるかも知れんが、他に害が出ないなら持ってて構わんよ。今までずっとそうだったわけだしな」
「そうですか」
陽一は頷くと、言葉を続けた。
「では、お話ししますが、珊瑚君の左目に埋め込まれた魔石は、僕の魔石やマラカイトと同質のもののようです」
西野は、はっとして珊瑚を見つめた。
「珊瑚君の目に魔石を埋め込んだのは、彼女の父親です」
西野は「やはりそうか」と呟いた。ポケットからハンカチを取り出し、額の汗を拭ってから大きくため息を吐く。紅茶を一口飲み下し、うめき声を上げた。
「神崎さんの父親は、藤原統司か」
珊瑚はその言葉に目を見開いた。膝の上で握りしめた拳が微かに震え、体が緊張に固まる。心臓が強く打ち、喉の奥が詰まった様になり、ようやく絞り出した声は掠れていた。
「そ、そうです。なぜ、それを……?」
深く頷いた西野が答えた。
「前に会った時、君を見て……神崎澪に似ていると思った。神崎澪と藤原統司は、大学で私の後輩だった」
珊瑚は母と藤原統司の昔を知る人との思いがけない繋がりに衝撃が走った。想像した事もなかった二人の昔に、恐ろしさを感じる。決して母は幸せな出会いをした訳ではないからだ。
「私は昔の二人を知っている。だから、神崎さん……珊瑚さんの目は、きっとあいつの仕業なのだろうと、前会った時に予測はついていた」
西野が珊瑚を見つめる目は厳しさを増す。しかしそれは、珊瑚を嫌悪しているような物には感じられなかった。それでも珊瑚は不安に襲われ、心臓がドクドクと嫌な音を響かせる。体中が心臓になったのではないかと思うほど、その音しか耳に入らない。
動揺する珊瑚の肩に、ポンと陽一が手を置いた。
「珊瑚君、落ち着いて。西野さんは珊瑚君の聞きたくない話をするつもりは無いと思うよ」
肩に置かれた陽一の手の温もりと、落ち着いた声に珊瑚のざわめく心臓が静まっていく。
「珊瑚さん、驚かせて済まんな。私は正直言って藤原統司は好かん。だが、神崎澪は君と似た、素直で無邪気で勤勉な、可愛い後輩だった」
その言葉に珊瑚は顔を上げて西野に視線を合わせた。
「何となく、君の身に起きた事は予測していたが、君の口からきちんと教えてくれるか?」
「はい」
珊瑚はしっかりと頷いて答えた。
幼い頃、統司に目を魔石に替えられた事、それ以来触れると人の感情が流れてくる事。決まった時期に酷い頭痛に襲われるが、今年に入ってからその間隔が短くなった事。去年の十二月に母が行方不明になり、おそらく統司に連れ去れたであろう事。それから、夢に現れる兄姉の事。
統司の話では眉を顰め厳しい顔で聞いていた西野だが、夢の話では考え込むようにして唸り声をあげた。
「魔石に魂が宿ったりすることは、あるのでしょうか?」
珊瑚の問いかけに、西野は少し考えこんでから視線をあげ、思い起こすように答えた。
「昔藤原が国から依頼を受けてしていた研究で、そういう発見があったのかも知れない」
珊瑚と陽一は顔を見合わせて、目を見開いた。
「あ、あの人は、国の研究に携わるような人だったのですか?」
「ああ。あいつは、人格に問題はあるが魔石の研究に関しては右に出るものが居ない。神殿の魔石を使って研究をしていた。まだ神崎と結婚する前の話だな」
「そんなに若い頃からですか?」
「そうだ。あいつは他に類を見ないほどの天才だ。卒業後も数年はその研究を続けていたが、最終的に問題が起きて研究は中止になった」
「ど、どのような問題があったのですか?」
珊瑚の問いに西野は少し間を開けてから答える。
「古の魔石は、人の感情に作用することが途中で分かった。人の感情を操ることは禁忌とされている。だから国はそれが分かった時点で研究を中止した。その後は別の研究に携わっていたはずだ」
珊瑚は、統司が研究者であったことも、国から認められるほどの天才であったことも何も知らなかった。今まで知りたいとも思わなかったが、もっと早くに母から何かを聞いておけば、手がかりも掴みやすかったのではないかと後悔する。
「藤原統司は、その研究で使っていた魔石を流用してるって事ですか?」
「……それは不可能なはずだったが」
「はずだった?」
西野は深く溜息を吐き、首を横に振って俯いた。紅茶を一口飲んでから、ようやく口を開く。
「今の神殿長に変わったのが八年ほど前なのは知ってるな?」
陽一は頷くが、世情に疎い珊瑚は知らなかったので首を傾げた。
「以前の神殿長はよく言えば大楊で、悪く言えばいい加減だった。私もまだ中堅どころで詳細は知らなかったが、神殿長が変わってから色々と出てきてな。不正だらけで後始末に苦労した」
その当時を思い出したのか、西野はうんざりと言った表情を浮かべる。
「それが、弘樹が持ってきたマラカイトがきっかけで、また新たな問題が浮上した。今まで神殿で厳密に数の管理も行われていた古の魔石が、一部レプリカにすり替えられていた事が分かった」
陽一と珊瑚は言葉を失う。珊瑚は予想以上の大掛かりな話に、かえって実感が湧かずに呆然とした。まさかそこまでの事をして魔石を手に入れていたとは思ってもみなかった。魔石の入手は、どこかで採れたものを横流ししたとか密輸したとか、そういう類の物だと思っていた。
「あのマラカイトは特殊な魔石だった。当然出所を洗おうという事になり、神殿長がまずは神殿の魔石を確認させたらしい。それで判明した」
「マラカイトを見るまで誰も気づかなかったんですか?」
「そうだ。私の所にレプリカの話が来たのは、君たちと食事をする少し前だがな」
「僕たちと食事をした時には、既にその事はわかってたんですか?」
「ああ。だが、あの時はまだ話すべきではないと思った」
西野は眉間を抑えながら、「まったく頭の痛い話だ」と愚痴を零す。
「あ、あの、私の目もその盗まれた魔石の一つだと思うのですが……」
「……ああ。恐らくそうだろうな」
「では、神殿にお返ししなければなりませんよね?」
「珊瑚君」
珊瑚の言葉に陽一が間髪入れずに声を上げた。珊瑚が視線を合わせると、陽一は強い眼差しを向けた後、西野に向かって口を開いた。
「西野さんは、さっき僕らの魔石は大切なものだろうし、ほかに害が無いなら神殿では管理しないって言いましたよね?」
「ああ、言ったな」
「それなら、珊瑚君も神殿に出向く必要はありませんね?」
その言葉に一瞬動きを止めた西野は、珊瑚と陽一を見比べてから思わずといった風に笑い声を立てた。
「はははっ。なるほど、その為の言質か。私は最初から珊瑚さんを神殿に連れていく気はないから安心しなさい」
珊瑚はその言葉にほっとするが、本当に大丈夫なのだろうかと不安も過る。その様子に気付いた西野が、ふと考え込んだ後、徐に珊瑚に向かって手を差し出した。
「えっ?」
驚き固まる珊瑚に向かって、西野は人好きのする笑顔を浮かべた。
「信用を得るための握手だ。君なら私がどう思ってるのか、わかるんだろう?」
その言葉と笑顔に珊瑚はあっけに取られた。おずおずと手を差し出して、そっと西野の手を握る。
「私は君を拘束するつもりはない。神崎の娘なら、私にとっては親戚の娘みたいなもんだ。神殿がもし君を拘束するような動きをした場合も、私は今度こそできる限りのことをすると約束する」
西野の手から珊瑚に伝わるのは温かな気持ちと、それに混じる後悔だ。西野の後悔は、珊瑚の母が幸せな結末を迎えられなかった事や、珊瑚が今の状態でここに存在している事に対してだろうか。しかし、それらの複雑に交じり合う感情は、珊瑚の胸に温かな余韻を残した。
そっと手を離した珊瑚は、ふわりと自然な笑顔を西野に向けた。
「ありがとうございます」
その一言に、西野は一瞬顔を歪め、苦い笑みを浮かべて頷いた。
西野と珊瑚を眺めていた陽一が、空気を変えるように声を上げた。
「ところで、神殿に出入りしている商会の人間ってどれくらい居るんですか?」
西野は顎に手をやり上を見て、少し考えてから答える。
「そうだな、今は三か所だな。全部昔から出入りしてる商会だが、なぜだ?」
「先日、魔石絡みの症例の女性に会ってきたんです。彼女が持ってたのはキャッツアイなんですが、入手先が神殿に出入りする商会の人間だったそうです」
「なんだと? それは本当か?」
陽一と珊瑚は同時に深く頷く。
「その人が西野さんからマラカイトを盗んだんじゃないかって、私たちは考えてます」
「どの商会の人間かは分からないのか?」
「野村蔦子という人物が知っているようですが、症例の女性はそこまで詳しく聞いていないみたいです」
「その、野村蔦子という人は今どこに?」
「そこまでは。服役してたみたいですけどね」
「……なるほど。となると、その記録も当たらにゃならんな」
西野は難しい顔をして唸り声を上げた。珊瑚は光の話を思い起こす。野村蔦子という人が見つかっても、素直に話してくれるだろうかと、西野の疲れた顔を見ながら苦い笑みを浮かべた。




