7-4
診療所に戻った珊瑚と陽一は、今回の情報を陽一のメモに書き足した。
「黄瀬さんの魔石はキャッツアイでしたね」
「うん。珊瑚君は黄瀬さんに触れて、何か感じた?」
「柴村先生や藍島さんと同じく、感情が湧きそうになった途端プツリと途絶えました。多分、私がお茶をこぼしてしまった時、驚いたんだと思います」
「あれには僕も驚いたよ。しかも今までと違って、感情がどっと湧き出て来て」
「どういう事ですか?」
少し考えた後に陽一が答える。
「珊瑚君に会う前は、感情はほぼ湧き上がらなかった。感情を失う前以上に平坦だったんだよね」
珊瑚は以前涼介が、陽一はもっと平坦だったと言っていたのを思い出す。それは、感情を失ってからだと思っていたのだが、今までの陽一と涼介の言葉を思い返すと、どうやらそれ以前から笑顔で受け流す性格だった様だ。
「それが、珊瑚君と会ってからはたまに湧き上がるようになって。最初は気のせいかと思ったけど、最近は持続時間も長くなって波も大きくなってきた。珊瑚君がお茶を被った時は、子供の時以来の驚きで、それに自分自身で驚いちゃって……。だから手当が遅れたんだ。ごめんね」
その言葉に珊瑚は「いいえ」と首を横にふりつつも、光を思い出してまたもやもやする。まだお腹が空いているのだろうかと思ったが、先ほど食べ歩いたので満腹だ。
「先生は、昔からあまり感情を表に出さないんですか?」
唸りながら下を向き、少し考えこんだ陽一が答えた。
「小さい頃はそうでもなかったよ。ただ、母を亡くしたり、その後医者の道を反対されたりで、感情を押し殺そうとする事が多かったのかもね。無意識に続けてたらそれが自然になったのもあるし、涼介に会うまではあまり周りの人間も信用してなかったからかな。まあ、涼介に会った頃はもう表に出さないことに慣れてたね」
珊瑚は少し考えてから口を開く。
「先生は、黄瀬さんと似てますよね」
「そうかな?」
「先ほど、黄瀬さんの気持ちが分かるって言ってたので」
陽一は思い起こすように斜め上を見上げ、「ああ」と思い当たったように返事をする。
「あれは、言われたことを受け流す所が同じってだけの意味だよ」
「どういう意味ですか?」
珊瑚は、それを似ていると言わずしてなんというのか分からず首を傾げた。
「黄瀬さんの場合は、育ちと根っからの人のよさだよ。でも、僕は違う。元々は喜怒哀楽もあったし、人を憎んだり恨んだり、嫉妬する気持ちだって知ってるよ」
陽一はそう言って肩をすくめながら続ける。
「人の気持ちに影響されないって意味では似てるかもね。ただ、僕の場合は感情を抑えてたら癖になっただけだよ。ちょっと前珊瑚君に、僕だっていい感情を抱いてばっかりじゃないって言ったでしょ?」
珊瑚は人形師の藍島に会った時の事を思い出す。確かに陽一は、そんな事を言っていた。
「だから、黄瀬さんとそこまで似てる訳じゃないし、お互いに心から理解しあえるって意味でもないよ」
その言葉になぜだか珊瑚はホッとする。それがなぜなのかは分からないし、考えると何かが胸の奥につっかえる気がして気持ちが悪い。
考えることをやめた珊瑚は、陽一に一言「そうですか」と返した。
「それで、黄瀬さんなんですが」
「うん」
「お母さまが魔石を買った相手について、神殿に出入りしてる商会の人って言ってましたよね?」
「ああ、そうだね」
沈黙が流れ、どちらからともなく頷き合った。
「きっとその人が西野さんからマラカイトを盗んだんですよね?」
「断定は出来ないけど、僕もその線が濃いと思う」
「西野さんはこのこと、ご存じなんでしょうか」
「どうだろう。でも、知らせた方がいいかも知れない」
珊瑚は逡巡してから口を開いた。
「あの、その時、私の状態や父親についても話した方がいいのではないでしょうか」
最初に会った時は、まだ神殿が魔石について探っていることは知らなかった。だが、今は違う。もし珊瑚を拘束するつもりでも、西野と先に話しておけば少しはマシな扱いをされるかも知れない。それに、もし狙いが珊瑚でないのだとしたら、父親と母の行方に繋がる情報が手に入るかも知れない。
陽一はしばらく沈黙し、難しい顔で考え込んだ。
「今の時点でどっちに転ぶかは、賭けみたいなもんだよね」
陽一は珊瑚の目をまっすぐに見つめて口を開く。
「もし西野さんがある程度予測してるなら、話した事であちらも新しい情報をくれるかもしれない。今の時点で珊瑚君に何かしようって感じじゃないしね。でも、もし予測してない事だったら……」
珊瑚は少しの間黙りこみ、言葉を絞り出すようにして陽一に問いかけた。
「……先生は、西野さんを信用してるんですよね?」
陽一は頷き、答えた。
「あの時点で神殿に伝えないと言った事は信用してるよ。でも、珊瑚君の魔石について話した場合、どう考えるかは僕にも予測が付かない。だからあの時濁したんだ」
珊瑚は下を向いて黙り込んだ。陽一が西野を信用していると言っても、どこまで許容されるのか図りかねている様子だ。どちらの選択肢も珊瑚にとってはリスクを伴う。
しばらく考え込んだあと、決心を固めて顔を上げた。
「先生、西野さんに話しましょう」
陽一は眉を寄せて苦い顔をする。
「それはリスクが大きいと思うよ」
珊瑚は陽一にしっかりと目を合わせて答えた。
「でも、父親の情報が手に入るかも知れません。そうしたら、母や弘樹先生の行方も分かるかも知れませんから」
陽一は納得していないようで、苦い顔のまま口を開く。
「それでも僕は反対だ。涼介も情報を集めてくれてるし、珊瑚君の目については詳しく話す必要は無いよ」
「でもそれじゃ、何も前に進まないまま時間だけが過ぎてしまいます」
「涼介の情報を待つのじゃダメなの?」
「篠塚さんを信用してない訳じゃありません。でも、集められるものって限度がありますよね? その点神殿なら、もっと情報は多いはずです。何しろ魔石の管理が仕事なんですから」
まだ渋い顔のままの陽一は、珊瑚を見据えて答えた。
「もしそれで、珊瑚君を拘束するって話になったらどうするの?」
珊瑚はその言葉に、当然のことのように答えた。
「それは、先生が何とかしてくれるんじゃないんですか?」
陽一は目を丸くして「へ?」と間抜けな声を出す。珊瑚は得意気な顔で陽一を見つめた。
「前に言ったじゃないですか。そんな事にはさせないって。私は先生を信用してますよ」
そう言って不敵に笑う珊瑚を見て、陽一は頭を抱えた。
「まさか、自分で言った根拠のない自信をここで持ち出されるとは……」
「ふふふっ。先生が言ったんですから、前言撤回は無しですよ?」
「いや、あれはそういう意味じゃなくて、そんな事にならないよう上手く立ち回るって意味で……」
「考え込んで足を止めたら時間の無駄なんですよね? 当たって砕けろですっ」
「……珊瑚君は開き直ると強いタイプだね」
「先生を見習ったんです」
「そう言われると僕はもう何も言えない……」
大きくため息を吐いてしゃがみ込んだ陽一に、珊瑚は目を細めた。
「一つだけ条件を付けさせてもらうよ」
「なんですか?」
首を傾げて見下ろすと、しゃがみ込んだままの陽一が、恨みがましそうな目で珊瑚を見上げた。
「その話をするかどうかの判断や、タイミングは僕に決めさせて?」
珊瑚は上を向いて考える。確かに、慣れていない人との会話は珊瑚では戸惑う事も多い。まして、西野のことは陽一の方がよく知っている。珊瑚には会話の駆け引きなど一切出来ないので、陽一に任せた方がいいだろう。
「わかりました。お願いします」
その言葉にほっと胸を撫で下した陽一は、頭を乱暴にかき混ぜた。
「まさか自分の言った言葉を逆手に取られるとは。でも、あの時言ったとおり、珊瑚君を理不尽な目には遭わせないから」
「はい。きっと何とかなりますよ!」
「……僕は、今更ながらあの日頭を抱えてた珊瑚君の気持ちが分かったよ」
「それは何よりです!」
立ち上がった陽一はがっくりと肩を落とし、西野に連絡を取るべく電話へと手を伸ばした。
珊瑚は本当にどうにかなると楽観的に考えている訳でもなかった。もし珊瑚が拘束されそうになっても、陽一なら上手く西野から情報を引き出せるかも知れない。珊瑚が拘束されても、それを元に母と弘樹の行方を探し出せるのではないかと思う。もしそれが無理だったとしても、神殿はあの人を放っておくことはないだろう。だからきっと大丈夫。
どの道珊瑚は、陽一とずっと一緒にいられないと思っている。この目がある限り普通に暮らすことは出来ないし、何の目的でこんな目にされたのかも分からない。被害にあった人たちの事を思えば、自分だけ何事もなかったかのようにも振る舞えない。
本当は光のように自立して、ひっそり一人で暮らすのもいいと思った。でも、神殿に拘束されるならそれも受け入れるしかない。そうされても仕方のない存在なのだから。そう考えれば、リスクより得られる物の方が大きいはずだ。
陽一なら何とかしてくれるかもしれない。でも、それに甘えるつもりはない。
(結局私は心の底から誰かを信頼する事が出来ないのかも知れない。絶対なんて無いと思ってるし、拘束されても受け入れるしかないって考えは捨てられない)
そんな珊瑚の心中も知らず、西野との電話を終えた陽一は、振り返ると軽く頷いた。三日後の祝日に西野と会うことになった。
ジリジリとした二日を過ごし、とうとう西野と会う日を迎えた。今回は午後から個室の喫茶店で落ち合う事になっている。朝食を終えた珊瑚は、陽一と発明品置き場で向かい合って座っていた。
「先生、西野さんとお会いする前にお話ししておきたい事がります」
「なに?」
珊瑚は陽一の目をまっすぐ見ながら口を開いた。
「父親の話と、私の夢の話です」
「……夢?」
「はい」
首を傾げた陽一に、珊瑚は小さく頷いた。
「私の父親は、名前を藤原統司と言います」
「藤原?」
「はい。私が神崎を名乗っているのは、母の旧姓だからです」
「ああ、なるほど」
陽一は眉を顰めて頷いた。
「先生はもう想像が付いてるかも知れませんが、私たちはあの人を父親だと思っていません。だから、同じ姓を名乗る事に拒否感があるんです」
本当は他にも理由があるのだが、珊瑚は敢えてそれを口にしなかった。珊瑚は、『神崎珊瑚』であると思う事で、自分の存在を保っている。
「珊瑚君の子供の頃の話を聞いてれば、それはそうだろうと思うよ」
陽一の言葉に珊瑚は軽く息を吐く。
「親だと思わないなんて、酷いと思いませんか?」
「思わないよ」
陽一は肩を竦めて即答した。
「僕だって、父親が尊敬できる人間じゃないって思ってるしね。親が必ず子供を愛するとも限らないし、その逆もまた然りだよ」
「……そうですね」
珊瑚は深く頷き、続けた。
「さっき、私たちって言いましたけど、それは私の兄姉も同じです」
陽一は怪訝な表情を浮かべた。
「私には、双子の兄姉が居ます。いいえ、いました」
「過去形って事は……」
「私が生まれる前に亡くなっています。だから、会ったことはありません」
珊瑚は少し間を開けて、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締める。
「こんな事言ったら、おかしいと思われるかも知れませんけど。目に魔石を埋め込まれてから、度々夢に二人が出てくるんです。会ったことも無いし、記憶にあるはずもないのに、声も姿も鮮明なんです。年を追うごとに成長してて、まるでそこに居るみたいで」
陽一は顎に手を置き少しの間考え込んだ。
「それが、『いちごにい』と『にこねえ』かな?」
「どうしてそれを?」
「前に珊瑚君が寝込んでた時、寝言で呼んだのを聞いたんだ。黙っててごめんね」
気まずそうに首の後ろを掻く陽一に、珊瑚は目を瞬いた。そう言えば、熱を出したときに何か言ったようだが、珊瑚は全く覚えていない。気まずさを誤魔化すように眼鏡を直し、軽く咳払いをした。
「その、一悟にいと、二胡ねえは……私が会いたい時夢に出てきてるって、少し前までは思ってたんです」
「少し前までは? ってことは、違ったの?」
「違うみたいです。私はずっと自分に都合良く励ましてくれる存在を、自分自身で作ってると思ってたんですけど……」
「普通の夢だったらそうだよね」
「はい。でも少し前に、二人にそうじゃないって言われたんです。目で繋がってるような事を言われて……」
「なるほど」
陽一は腕を組んで唸り声を上げる。
「珊瑚君の魔石は、普通の魔石と違って特殊な力を秘めてる。もしかしたら、その魔石の効果で二人の魂が宿ってるって事なのかな?」
「そんな事ってあるんですか?」
「僕も聞いた事はないけど、目で繋がってるって言われたら、それくらいしか思いつかないな」
二人で少しの間黙り込みそれぞれ想像を巡らせるが、答えが出る訳でもなかった。
「取り合えず、これも保留かな。でも、古の魔石なら普通では考えられない効果があっても不思議じゃないと思う」
「そうですね。その辺も西野さんに聞ければいいなと思うんですが」
「うーん、話の成り行き次第だよね」
「そうですね。西野さんと話す前に、先生に知っておいて欲しかったことはお話出来ました」
陽一は一瞬目を見開いた後、表情を和らげた。
「もしかして前に、涼介と一緒に秘密を聞くのが嫌だって言ったから気を使ってくれた?」
「そ、それもありますけど。西野さんにもし話すとしても、私が先生には先に話しておきたかったんです」
「そう。ありがとう」
陽一はいつも以上に柔らかな笑みを浮かべた。珊瑚は、出会った頃より格段に感情表現が豊かになった陽一の笑顔に、しばらく見惚れていた。




