7-1
『珊瑚、お前また落ち込んでるな』
『珊瑚ちゃん、辛いわね』
(ああ、また一悟にいと二胡ねえが心配してくれてる)
『お前、自分だけが悪いみたいに思ってるけど俺たちだって同じだからな』
『そうよ。珊瑚ちゃんに罪があるなら、私たちだって同罪よ』
(どうして? だって二人は何もしてないのに)
『珊瑚、俺たちはお前の目で繋がってんだ』
『……一悟、その話はしたくないわ』
珊瑚を見つめる一悟に、二胡が眉を顰めた。
「どういう事?」
『そのまんまの意味だ。お前がその目を持ってる限り、俺たち三人は繋がってる』
『……そうね。だから、珊瑚ちゃんが何を悩んでいるのかも全部わかるのよ』
「これって夢でしょう?」
『夢であって夢じゃない』
『私たちは珊瑚ちゃんの思う通りに動いてる訳じゃないわ』
珊瑚はよく分からずに首を傾げた。
『まあ、珊瑚。細かいことは置いといて、そういう訳だからお前が悪いなら俺たちも悪い』
『……一悟は大雑把過ぎよ。でも、そういう事よ。私たちは三人一緒』
珊瑚は何も言えずに黙り込んだ。
『いいか、珊瑚。自分を責めてしんどくなるのは俺たちにだって分かる。でも、一人で背負いこむなよ』
『そうよ、珊瑚ちゃん。あの人の罪はあの人の物よ。自分のせいだって気持ちがあっても、珊瑚ちゃんが望んだことじゃないわ』
「でも私の目が影響してるなら、やっぱり私のせいでもあると思う」
一悟と二胡は眉を寄せて少しの間考え込んだ。
『でも、お前一人で解決できる事じゃないぞ』
『そうね。それに、人の心はままならないものよね』
一悟の言う、一人で解決出来ないというのはよく分かっている。でも、完全に頼ってしまえる程心を預けるのも怖い。その先に拒絶が待っていたらと思うと、怖くてたまらないのだ。二胡の言うままならないとは何だろう?
そんな事を考えているうちに、また夢から覚める時間が訪れた。いつもの通り、別れの言葉が耳に残って名残惜しい。
目を覚ました珊瑚は起き上がり、重い頭を軽く左右に振る。人形師に会ってから、既に二十日ほどが過ぎた。いつもどおりの日々だが、心が重くて落ち着かない。
そんな気持ちを抱えたまま眠りにつくと、数日おきに一悟と二胡が現れる。掛けられる言葉は大体いつも同じなのだが、どうしても珊瑚は罪悪感が拭えない。またいつものように胸元からネックレスを引き出し、鍵をそっと握り締めた。
ベッドからゆっくり足を滑り下ろすが、頭だけでなく身体が重い。気分が沈んでぐっすり眠れないせいだ。今日は休日で、起きる時間はいつもよりも大分遅い。とはいえ、これ以上部屋に籠もっていては、陽一に心配をかけそうだ。
重い足取りで部屋を出て、朝食の支度をしようとしたところで陽一が台所に顔を出した。
「おはよう、珊瑚君」
「先生、おはようございます」
いつも通り挨拶を交わし、支度をしようとした珊瑚を陽一が引き止めた。
「涼介が最近できたカフェで、モーニングを買ってきてくれるって。来るまで待てそうなら、一緒に食べない?」
「篠塚さんがこんな時間から来るんですか?」
「うん。宿直明けで、ついでに話があるんだって」
「そうですか。では、お言葉に甘えてご一緒させて頂きます」
珊瑚が返事をすると、診療所の呼び鈴が鳴る。「もう来たっ!」と慌てた陽一が涼介を出迎えに出入り口へと急ぎ足で向かう。扉が開くや否や、涼介の声が響いてきた。
「なんだ、陽一かよ。珊瑚ちゃんが来てくれると思ったのに、残念だな」
「帰れ」
「いや、冗談だって! せっかく三人分買ってきたんだから、一緒に食おうぜ」
「持って帰って一人で食え」
ゆっくりと階段を降りた珊瑚は、相変わらずの二人に視線を向け、クスクスと笑い出す。
「よう、珊瑚ちゃん」
「おはようございます、篠塚さん。お土産ありがとうございます」
そう言って軽く会釈する珊瑚に、篠塚は得意気に笑みを浮かべた。
「ほら、陽一。珊瑚ちゃんが楽しみにしてるんだから、一緒に食うぞ」
わざとらしく大きなため息を吐いた陽一は、いつもどおり発明品置き場の部屋へと案内する。
涼介が買ってきた物をそれぞれの前へ並べて行く。最後に紙袋から出てきたカップの蓋を開けると、コーヒーの香りが部屋に漂った。珊瑚は帝都に来るまでコーヒーを飲んだ事がなく、未だに砂糖とミルクをたっぷり入れなければ美味しく飲むことが出来ない。
ふと自分の前に置かれたカップの中を覗き見ると、薄茶色で二人のコーヒーとは違うようだった。
「珊瑚ちゃんの分は、カフェオレだ。苦みの少ないコーヒーとミルクが同じだけ入ってる。砂糖入りだから甘くて旨いぞ」
そう言って屈託なく笑う涼介は、コーヒーを飲めない珊瑚を馬鹿にすることもない。軽そうなだけあって、気遣いも完璧だ。
「ありがとうございます」
苦手なコーヒーも、こんな飲み方があるのかと珊瑚は期待に胸を膨らませた。
横に置かれた箱を開けると、中からサンドイッチが顔を出す。珊瑚の分は、チキンやトマト、レタス等が挟まれたものと、細かく砕かれた卵とマヨネーズを和えた物が挟まれたものだ。どちらも白くてふわふわのパンで挟まれており、これも帝都に来て初めて食べたものだった。陽一とトーストを食べたことはあったが、サンドイッチは初めてだ。カフェオレと共にこちらも楽しみになる。
一方陽一と涼介は、珊瑚と同じものにプラスしてホットドッグがついている。朝からそこまで食べる気にはなれないので、見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだ。
「よし、食おうぜ」
涼介の言葉を合図に、陽一と珊瑚は「いただきます」といつもどおり声を合わせる。その様子に涼介がぽかんと口を開いて二人の顔を交互に見るが、陽一と珊瑚は気付かず朝食に手を伸ばした。
珊瑚は初めてのカフェオレを口にして、コーヒーの苦みとミルクのまろやかさが合わさり、コクがあるのに苦すぎない味に頬を緩める。その様子を伺うように眺めていた涼介は、珊瑚の様子に頷き、自分のコーヒーを一口啜ってからサンドイッチに齧り付いた。
三人それぞれがモーニングを味わって、一息ついたところで陽一が口を開いた。
「ところで涼介、今日はこの為だけに来た訳じゃないんだろ?」
残りのコーヒーを一気に口に入れた涼介が、頷きながら返事をする。
「ああ。二人は人形師に会ってきたんだったよな?」
「そうだね」
「次に行くあてはあるのか?」
「いいや、カルテに書かれてる住所には既に住んでない人が多くて、探しあぐねてるよ」
「そうか、ならちょうど良かった。俺の方で一人見つけたんだ」
その言葉に珊瑚はぎくりと肩を揺らす。会わなければならないが、次の人に会うのが少し怖くもある。
「どの症例の人なんだ?」
「母親を亡くすと同時に、驚くって感情を喪失した人だ」
「どうして涼介に居場所が分かったんだ?」
尋ねた陽一に、涼介はなんてことないように答えた。
「その人の母親が、うちの大学病院にしばらく来てたんだ。その時の住所を尋ねてみた。近所の人に母親が通ってた病院の者で、娘さんがどうしてるか気になってと言ったら、職場を教えてもらえた」
「……お前、よく教えてもらえたな」
「どういう意味だ?」
「涼介の見た目と雰囲気からして、僕なら教えないな。怪しすぎる」
眉を顰めた涼介は、心底不服そうに言った。
「おい、俺のどこが怪しいんだ!」
「だって、誰にでもいい顔して騙してそうじゃないか」
「はあ? 俺のどこがそんな風に見えるって? なあ、珊瑚ちゃん。俺はそんなに軽くないよな?」
珊瑚は目を瞬いた後、そっと視線を下げた。
「え、その反応はどういう意味だ?」
「正直な反応だと思うよ」
「くそう、初対面の印象が悪過ぎたな」
ぽりぽりと頭を掻きながら、決まり悪そうな涼介を見て、珊瑚は思わずくすりと笑う。
「まあ、兎に角、その人の連絡先が分かった。で、お前のことも少しだけ話しといたから、後は予定さえ合えば会ってもらえるぜ」
「そこまで根回し済みとは、流石手慣れてるな。助かるよ」
「陽一、お前一言多いぞ」
「あはは。ちゃんと感謝してるよ。ありがとう」
そう言って連絡先の書かれた紙を涼介から受け取る。目的を果たした涼介は、気が抜けたように一つ大きな欠伸をした。
「さすがに宿直明けは疲れたな。そろそろ帰ってひと眠りするか」
「お疲れ様です。朝食ご馳走様でした」
ペコリと頭を下げる珊瑚に、涼介は「どういたしまして」と軽く笑って返した。
全員が席を立ち、涼介を見送るために待合室へと差し掛かった時。突然の激しい頭痛に襲われる。
ガンガンと頭が割れそうに痛み、前回の頭痛からふた月ほどしか経ってないのにと疑問が浮かぶ。しかし、それ以上の思考が続かない程の痛みに、珊瑚は頭を抱えて蹲った。
一番先を歩いていた陽一が異変に気付いて振り返ると、涼介も一歩遅れてそれに気付いた。
先を歩いていた陽一より、近くに居た涼介の方が先に珊瑚の元へと辿り着く。
「珊瑚ちゃん、大丈夫か?」
心配そうに手を伸ばした涼介は、しかし珊瑚が顔を上げた瞬間びくりと手が止まった。頭が痛くてたまらなく辛いが、涼介の手が自分の直前で止まった意味に思い至った珊瑚は、諦めと深い悲しみの気持ちが心を占めて行く。
(ああ、やっぱり篠塚さんも駄目だった。でも、これが普通で当たり前なんだ。きっと先生も……)
激しい頭痛のせいで、猶更思考が深く暗く沈んで行く。目を瞑り、このまま思考の沼に沈んで消えてしまいたいと思った。その瞬間、珊瑚の背中がふっと温かくなる。ゆるゆると顔を上げると、珊瑚の背に手を当てた陽一が居た。
「珊瑚君、この間と同じように辛い? 落ち着いて、ゆっくり息を吐いて。しっかり呼吸して」
以前と違って陽一からの感情が流れてくる。酷く心配しているが、暖かな気持ちだ。前回同様、毎年感じて来た以上の辛さだが、深呼吸を繰り返す内に徐々に治まり始めた。珊瑚が落ち着いてくると、陽一は珊瑚を支えて待合室の椅子へと誘導する。
「珊瑚君、少し落ち着いた?」
「はい」
さっにまで噴き出していた冷や汗も、どうにか引いてきた。珊瑚はまだ鳴り響く心臓を落ち着かせようと、大きく息を吐く。
その様子を見つめる涼介の顔は、珊瑚と同じくらいに蒼白で、両手の拳を握りしめていた。
「涼介、お前さっきは何で戸惑ったんだ? 前に珊瑚君の目の変化は見てるし、そんな事で避けるような奴じゃないだろう?」
その言葉に珊瑚は思わず陽一の顔を見上げる。そう言えば、前回の酷い頭痛も涼介が居る時だった。珊瑚の目を見た涼介は、一瞬息を呑んだがそれだけだった。直後に秘密を明かしても、嘘みたいに普通に接してくれていたのだ。それなのに、先ほどはなぜ手を止めたのだろう。
「いや、今更言い訳してもな」
涼介の顔を見た珊瑚は、なんだか痛そうな顔だなと思った。
「言い訳は格好悪いとか思ってるのかも知れないけどさ。誤解させたままってことは、珊瑚くんはずっと傷ついたままになるよ?」
その言葉に一瞬固まった涼介は、気まずそうに口を開いた。
「珊瑚ちゃん……済まん。俺はさっき、珊瑚ちゃんの目の変化を……怖いと思った」
あまりにも率直な言葉に、珊瑚は目を丸くする。
「前に見た時、珊瑚ちゃんの目は緑がかって不思議な色合いだった。それで、今回も同じ変化なんだと勝手に思ってて。……今日は黒みがかって、また違う色になってた。前回と違った事に驚いて、一瞬怖いと思っちまった。それと、今回は目が魔石で、そのせいで影響が出てるってもう分かってたからな。……可哀そうだと思った」
「それだけですか?」
珊瑚は意外に思って口を開いた。
「それだけってな……。俺だったら怖いと思われたら嫌だし、ましてや可哀そうだなんて同情の目で見られたら。それってどうなんだってあの時一瞬考えた。そしたら手が止まっててだな」
「気味が悪いとか、触れたら呪われそうで恐ろしいとか、そういうのじゃなくてですか?」
「は? なんだそれ」
珊瑚は即答する涼介を呆然と見つめた。
「なんだ。そんな事ですか」
「はあ? そんな事じゃないだろ?」
「いいえ、私にとってはそんな事ですよ」
涼介は納得いかない様子で、腕を組んで珊瑚を見下ろした。
「篠塚さんが私に触れるのを躊躇ったのは、私が嫌な思いをするんじゃないかって考えてくれたからですよね?」
「……まあ、そうだな」
その言葉に珊瑚は思わず声を漏らして笑う。
「そうなんですね。そういう理由で触れるのが怖いって事もあるんですね」
珊瑚はふと田舎の町の人たちの事を思う。パン屋のおばさんや花屋のおじさんは、本当に珊瑚が気持ち悪くて、触れるのが嫌で避けたのだろうか。涼介と同じように、珊瑚を傷つけるのではないかと恐れた人が居なかったのだろうか。
すぐに絶望して諦めて、距離を置いた珊瑚には分からない。まさか、自分を想って触れる事を躊躇う人が居るなんて、今の今まで想像したことすら無かったのだ。もし、田舎の町に帰る機会があったなら、あの優しかった人たちにもう一度会ってみたい。邸の使用人の様に、本当に厭っていた人も居るのだろう。でも、涼介の様な人だって中にはいるかも知れない。
「篠塚さん、ありがとうございます」
「は? 俺は感謝される事なんて何もしてないぞ?」
「いいえ。私、今まで負の感情は全部自分に痛い物だと思ってました。でも、怖いって異質な物を見たらそう思うのは当たり前で。……だからってそれが嫌いと同じでは無いって事ですよね。可哀そうって気持ちも、見下してるわけじゃなくて、心配から来るものでもあるんですね。そういう気持ちを私は今まで、自分に向けられると思ったことがなかったんです」
涼介は何とも言えない顔をして黙り込んだ。
「篠塚さんのお陰で、そういう風に思ってくれる人が居るんだって事に気付けました。だから、ありがとうございます」
そう言ってほほ笑む珊瑚に、涼介は「くそう、なんか負けた気分だ」と呟いている。
「まったく涼介は、変なところで格好つけようとしていつも拗れるからね。僕のおかげで誤解が解けてよかったな」
そう言って意地悪く笑う陽一に、涼介は「くっ」と声を漏らすのみでそれ以上何も言わなかった。
珊瑚は夢の中で二胡の言った『人の気持ちはままならない』の一端を感じる事となった。




