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その日一件の依頼が入り、藍島は作業部屋で人形を作りながら依頼人を待っていた。偏屈な自分に依頼してくる人間は、そう多くはない。もっと依頼を受ければ金は入るが、自分の人形を理解しない人間には売りたくなかった。
今は自分の拘りを詰め込んだ作品に取り掛かっていたので、本当は仕事を受けるつもりはなかった。しかし、電話口の相手が、どうしても話を聞いて欲しいと必死な様子だったため、取り合えず話を聞いてやろうと思った。
人形造りに没頭していると、けたたましいベルの音が鳴り響く。作業中にも聞こえるようにとわざわざ大きくしているのだが、どうにも煩わしい。忌々しい気分で思い顔を上げると、依頼人との約束の時間だった。今になってやはり面倒だと思うが、約束したものは仕方がない。造りかけの人形に後ろ髪惹かれながら、客を迎えに行った。
扉の向こうに居たのは、自分の親とそう変わらない年齢の紳士だった。身なりは整っており、金回りは良さそうだ。これなら自分の人形にも文句を言わず代金を払ってくれそうだと考える。藍島の人形は拘りが強く、依頼人が高すぎると支払いを渋ることもあるのだ。そんな心配をしなくて済みそうな、高そうな三つ揃えを着た紳士に、藍島は少しだけほっとする。
「中へどうぞ」
声をかけると、紳士は帽子を脱いで軽く会釈した。
「ありがとうございます」
答えた紳士は、今よりまだ陰気臭い雰囲気では無かった屋内へと足を踏み入れた。
藍島は取り合えず話を聞いてみようと、人形を造っていた部屋へ案内する。当時はまだ今ほど沢山の人形を並べてはいなかったが、ある程度の数は置いてあった。
その部屋へと足を踏み入れた紳士は、人形を見回し目を細めた。
「どれも素晴らしい出来ですね」
藍島は満足気に頷き、椅子を勧めた。
「……では、早速依頼について話して下さい」
藍島の言葉に頷いた紳士は、名刺を渡しながら話し始める。
「私は柳田潔と申します。輸入業を営んでいます。今回お願いしたいのは、私の妻をモデルにした人形制作です」
そこで一旦言葉を区切った柳田は、少し間を置いてから話し始める。
「私には娘が二人おります。この度、下の娘が外国に嫁ぐ事になりました。それで、母親をモデルにした人形が欲しいというのです」
「……なるほど。娘さんは年若いのですね」
「いいえ、もういい年です。妻は娘たちが幼い頃に亡くなっており、娘たちにはあまり記憶がないのです。それで、嫁げば家族とも次いつ会えるか分からないから、代わりに人形が欲しいのだと」
「……なるほど。しかし、俺の人形は国の人間を作るのには適してないですよ」
「ええ、存じております。だからこそなのです」
「と言うと?」
そこで少し間を置いてから、柳田が答えた。
「私の妻は、外国人なのです」
藍島は一瞬言葉を失う。この国での国際結婚はまだ珍しく、あまり歓迎されていない。輸入業を営む柳田なら偏見は無いだろうが、娘二人は周囲の目に苦労したのではないだろうか。
「……だから、遠い土地へ嫁ぐのですか?」
「ええ、それもあります」
そこで少し微笑んだ柳田は、父親らしい顔つきで続ける。
「それ以上に、互いに信頼出来る相手を見つけられたという事です」
藍島に、その気持ちを理解する事は出来ない。なぜなら、自分の仕事を理解し、支えてくれるような相手に出会ったことなど無いからだ。見た目は整っているが、陰気な空気で人形のことだけ饒舌に語る姿は、世の女性たちからは気味悪がられる。そもそも今まで、人形以上に興味を持てる相手に出会ったことすらないのだが。
「それで、人形についてなのですが」
思考を巡らせていた藍島は、柳田の言葉に意識を戻した。
「同じものを二体作ってほしいのです」
「……同じものを……二体、ですか?」
「ええ」
「……全く同じものは作れませんよ」
「ええ。一分の隙もなく同じものをとは申しません」
少し考え込んでから藍島が問いかけた。
「なぜ二体同じものを?」
「妹の方が言い出した事なのですが、離れて暮らす姉に、同じ物を持っていて欲しいのだと。互いに母に見守ってもらってると感じたいのだと言うのです」
「……なるほど」
「このような事情なのですが、是非受けて頂けないでしょうか」
腕を組んで考え込んだ藍島は、少し面白いとも思う。全く同じものは作れないと承知の上で、同じモデルで二体、対になるように作れと言うのだ。
同じには出来ないと言ったが、自分の技量でどこまで出来るのかやってみたい気持ちが湧き上がる。並べて比べても分からない程、わずかな差も感じさせないような仕上がりの物が出来たら、一種の芸術品だ。人形師としての技量を問われる依頼に挑戦してみたいとの気持ちが大きくなる。
藍島は二つ返事で受けてしまおうと思うが、条件を詰めてからだと冷静さを取り戻した。
「作成時間や費用など、細かい内容を詰めて条件が合えば受けましょう」
内心受けたくてウズウズするが、足元を見られてはたまらない。慎重に事を運ばなければと自分に言い聞かせた。
「では、こちらの提示額と要望などをまとめた書類をお持ちしましたので、ご確認ください」
そう言って渡された書類の内容に、藍島は満足そうに頷き、依頼を受けることにした。
それから数日後、藍島は帝都から三日ほど掛かる柳田の邸宅へ出向く事となった。モデルとなる柳田の妻は既に他界しており、写真はモノクロの物しかない。姉の方が母親に良く似ているので、モデルにして欲しいという。しかし姉は身体が弱く、空気の悪い帝都に滞在するのは難しい。
三日ほど離れた距離にあるその場所は、自然が多く空気も澄んでいる。書類に書かれた条件に、田舎に出向いて人形を作るというものがあった。
藍島は最初にその項目を読んだ時、断る事も考えた。田舎では帝都でしか手に入らない材料を仕入れる事が出来ず、満足いく人形を作ることが不可能だ。しかも、藍島の家には人形を焼く窯もあるし、乾燥を防ぐための部屋もある。しかし、田舎の邸宅ではそれを望めまい。
ところが、柳田の出した条件を最後まで読み進めると、目を疑うような記述があった。柳田の邸宅に、湿度調整出来る作業部屋を用意する事と、藍島が人形を作成している間に窯を設置するというのだ。材料に関しても、依頼すれば可能な限りの短期間で入手するという。
この破格の条件に、藍島は騙されているのではないかと考えたが、自分のような人形師を騙した所で柳田には何の得もない。滅多にない幸運が訪れたのだと思う事にして、自前の持ち運べる道具のみを手に柳田の邸宅へと向かう事にした。
そこは、周囲を森に囲まれた、自然豊かな丘の上に建つ立派な邸宅だった。森から邸に向けて道を進むと、門へと進むアプローチがある。門を潜ると広い庭園が広がり、屋敷への道のりもまだ遠い。柳田が迎えに寄越したのは所有する馬車で、操るのは品の良い御者だ。邸の入り口まで乗せられた馬車から降りると、遠くから見るより一層立派な建物を見上げた。
御者は頭を下げて馬車で去って行き、残された藍島は立派な邸宅に尻込みして、深くため息を吐いた。これほどの豪邸で落ち着いて作業を進められるのか不安になり、迷いが生まれる。しかし、それも一瞬の事で、覚悟を決めて扉のノッカーを鳴らした。
音もなく開いた扉の中には、使用人と思われる老齢の男が立っていた。
「藍島様でいらっしゃいますか」
「……はい」
「ようこそ、お待ちしておりました。当家の執事をしております、城崎と申します」
「…………ああ、どうも」
「すぐに主人も参りますので、お部屋でお待ちください」
不相応だと思えるほど丁寧な応対を受け、藍島は案内されるがままに城崎の後ろに着いて行く。
廊下には土足でいいのか躊躇われるような厚みのある絨毯が敷かれ、足音は一切立たない。壁には輸入品と思われる絵画が飾られ、廊下のあちこちにはアンティーク調の装飾品などが置かれていた。
目にしたことのない珍しいものばかりが並んでおり、藍島はきょろきょろと物珍し気に辺りを見回しながら歩いた。
城崎がいくつもある扉のうちの一つの前で立ち止まり、静かに開いて藍島を中へと誘う。
「藍島様、こちらでお掛けになってお待ちください。ただいまお茶をご用意いたします」
「……どうも」
自分には縁遠いと思える客間の様子に、藍島は落ち着かずに辺りを見回した。客間のテーブルやソファも、壁に飾られた絵や調度品も、何もかもが珍しいものばかりだ。
それ程待つ事もなく、部屋の扉がノックされた。ビクリと肩を揺らして返事をすると、城崎が開けた扉の向こうから柳田が姿を見せた。
「藍島さん、お待たせしました」
「い、いえ。……今来たばかりですよ」
柳田が向かいのソファに腰を下ろすと、すぐに城崎とは別の使用人がカートを押しながら部屋に入ってきた。カートにはティーセットと茶菓子が乗せられている。注がれる紅茶は、薫り高く今まで藍島が感じたことのないものだった。紅茶も茶菓子も珍しいもので、手を付けるのに躊躇した。
「藍島さん、こちらは仕事で仕入れた珍しい海外産の物なんですよ。よろしければ、召し上がってください」
「…………どうも」
勧められるがままにカップに手を伸ばすが、緊張で少し震えてしまう。そもそも社交性が皆無と言っていいほどの藍島は、不相応な環境に余計に緊張してしまっていた。それでも一口飲みこんだ紅茶は、細かな味の違いはよくわからないが、とても旨かった。並べられた菓子にも期待が膨らみ、一つ手に取って口に入れる。見た目は何の変哲もないチョコレートだったが、口にした瞬間すっと溶けて、アッというまに無くなってしまった。なんとも不思議な食感と、なんと表現したらいいのか分からない美味さがあった。
これは、住み込みでしばらく働くにはいい場所だと、徐々に気分が浮き立ってくる。どうせ今回の仕事でしか縁の無い生活なのだから、じっくり味わってやろうと心に決めた。
紅茶と茶菓子を夢中で味わっていると、柳田が話を切り出した。
「まずは作業部屋と客室、どちらを先にご覧になりますか?」
「……作業部屋で」
「わかりました。では、その後客室にご案内しますね。その後、お疲れでなければ、モデルとなる娘とお会いになりますか?」
「……そうですね、娘さんの都合がよければ、早めに会ってイメージを作りたい」
「わかりました、ではそのように」
打ち合わせは既にほとんど終えているため、ここでの話はただの確認作業のみだ。すぐに作業場と客室に案内され、どちらも藍島にとって十分満足のいくものだった。客室に少ない荷物を置いて待っていると、城崎と共に柳田が顔を見せる。
「では、娘にお会い頂きますのでこちらへどうぞ」
そうして城崎の先導で、柳田と共に娘の部屋へと向かった。
城崎が扉をノックすると、中から誰何の声がする。凛とした響きで、病弱と聞いていた割にはしっかりと芯のある声だ。なんとも聞き心地よく、藍島は娘にも興味を惹かれた。
「私だ。人形師の藍島さんを紹介するよ」
柳田が声を掛けると、城崎がゆっくり扉を開く。
開かれた先の部屋は、窓から差し込む光が明るく照らし、ふわりと優しい風が吹き込んでくる。窓辺に立った部屋の主は、逆光になっていてよく見えない。暗い部屋ばかりで過ごしている藍島は、部屋の明るさに目を細めながら、娘の顔を見ようと視線を向けた。
明るい窓を背にしたまま、仕立てのいいワンピースを着た女がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。一歩一歩踏み出すごとに、徐々に窓の明かりから遠ざかり、顔の輪郭がはっきりしてきた。
女が俯きがちの顔を上げて藍島に視線を合わせた瞬間、藍島は雷が落ちたかのような衝撃を受ける。
柔らかく微笑みながら会釈する女は、藍島が今まで見たどの女より、どの人形より美しかった。
髪の色は淡い金色で、瞳は濃い青と薄茶色のオッドアイだ。整った顔立ちはともするときつく見えるが、柔らかな笑みがその雰囲気を優しく見せる。線は細いが背筋のすっと伸びた姿勢は、とても病弱な人間には見えない。
「初めてお目にかかります。私は柳田茉莉と申します。よろしくお願いいたします」
上品にほほ笑む茉莉を前に、藍島は言葉を失い立ち尽くした。その様子に首を傾げた茉莉は、困ったように柳田に視線を移す。
「藍島さん、どうされました?」
柳田に声を掛けられて、藍島は意識を取り戻し、一気に顔に熱が集まる。
「……す、すみません。あまりにも美しいお嬢さんで……魂を抜かれるかと思いました」
驚いた様に目を見開いた茉莉は、一瞬の間を置いて笑いながら答えた。
「ふふっ。藍島さんは楽しい方ですね。そのようなお世辞を言われたのは初めてです」
藍島は世辞のつもりはないのだが、動揺して言ってしまった本音を再度本気だと言い募ることは出来ずに、苦笑いを浮かべる。その様子を見た柳田は、寂し気に微笑みながら口を開いた。
「藍島さん、そう言っていただけてよかったです。この見た目ですからね。この国では中々受け入れられず、娘たちは誉め言葉に慣れていないんですよ。ですが私もあなた同様、妻を一目見た時、あまりの美しさに目を奪われました。私の愛する家族を美しいと言ってくださって感謝します」
藍島は、元々外国人に対する偏見もない。そんなものがあったら、外国人をモデルにした人形など作らないのだから。モデルが外国人なのも、藍島から見て美しいと思えるからだ。藍島の価値観は、周囲に合わせようと思うものは何一つなく、自分がいいと思うものだけがいいのだ。その価値観からすると、茉莉は凛とした声も立ち姿も、容姿や柔らかな雰囲気も、全てが美しかった。
しかし、この人をモデルにして人形を作るのは、とても困難だろうとも思う。なぜなら、彼女の美しさを人形で表現するのは、今の自分の技量では難しいのではないかと思えるからだ。それほどに茉莉は美しく見えた。
「藍島さん、茉莉は妻によく似ているのですが、瞳の色や雰囲気など違う部分もあります。写真以外に肖像画ならありますから、そちらも見ながら人形を作って頂きたい」
その言葉に藍島は愕然とする。そうだ、作るのは彼女ではなく彼女の母親だ。目の前に立つ茉莉をモデルに人形を造る気になっていた藍島は、本来の目的を告げられて肩を落としそうになる。
「……ええ。わかりました。お嬢さんとの違いをよく確認しながら制作させてもらいます」
茉莉をモデルにした人形ではないが、それでも彼女を参考にしながら造るのだ。まずは依頼の品を完璧に仕上げようと決意する。なんにせよ、美しいモデルを見ながら自分の愛する人形を制作できるのだから、願ったり叶ったりだと思う事にした。




