6-2
人の気持ちは何と複雑で難しいものなのだろう。珊瑚は一馬のことを思い出しながら、これから向かう先に居る人の事を考える。
あれから二十日程が過ぎ、祝日の今日は休診日だ。
人形師を訪ねてみようと話してすぐ、陽一が連絡を取り、決まった訪問日が今日だ。
診療所は週末が半休と翌日一日の休みに加えて、祝日も休診となる。人形師も祝日なら仕入先が休みで屋敷に居る為、話をするくらいなら時間を取れると返事がきたそうだ。
三月も半ばを過ぎ、身を切るような寒さは無いが、朝夕はまだ冷え込む。今日の訪問は午後なので、日差しもあるし暖かい内に往復出来るだろう。
珊瑚は陽一に連れられて、帝都中心の馬車乗り場へと向かう。乗合馬車は初めてだ。数こそ少ないが、近頃は車も走っている。とは言え魔石を使った車は料金が高すぎて、金持ちの道楽と化している。人力車も乗合馬車より料金が高い上、移動に時間がかかるので、今は専ら観光用になっていた。
今までの珊瑚なら、人と触れ合う乗合馬車は怖くて乗ろうと思わなかった。しかし、今は陽一が横を塞いでくれるから安心だ。
いざ馬車に乗り込むと、右側の陽一から感情が流れ込んでくる。「おや?」と思い陽一を見ると、不思議そうな顔をした。
流れ込んできたのは緊張だ。以前ならすぐに消えたのだが、最近流れ込んでくる時間が長くなったように感じる。出会った頃は、すぐに感情を消した静かな目も、最近は前よりちょっと騒がしい。涼介がもっと平坦だったと言っていたが、確かに表情も更に豊かになった気がする。
珊瑚がそんな事を考えながらじっと見つめていると、今度はそわそわと落ち着かない気持ちが流れ込んできた。それに気付いてはっとして、「すみません」と呟き俯いた。
馬車の中で詳しく話す事も出来ず、二人とも黙り込んだまま目的地へ向かう馬車に揺られていた。
帝都中央の馬車乗り場から、十五分程走った所で馬車を降りる。診療所を出る前に陽一から聞いた道順では、ここから歩いて五分程で着く予定だ。
「珊瑚君」
馬車での事を思い起こしていた珊瑚に、陽一が話しかけた。
「はい」
珊瑚は慌てて顔を上げ、陽一に視線を向ける。
「もしかして、結構感情が流れるようになっちゃった?」
珊瑚は少し迷いながら、「はい」と返事をした。以前より感情が分かるようになってしまった事で、陽一がどう思うのか少し不安が過り、俯き加減になる。
「それじゃあ、横に座ったり手を引いたりしたら、珊瑚君が落ち着かなくなっちゃう?」
その言葉に驚いて珊瑚は顔を上げる。
「えっ、どうしてですか? 落ち着かないのは先生の方じゃ……」
陽一は少しの間考えてから口を開いた。
「うーん、今までは感情が遮断されるのが落ち着く理由だったでしょう? それが流れてくるようになっちゃったら、他の人に触れるのと変わらないかと思って」
「そんな事ありません。先生から流れてくる感情は心地いいですし、他の人から受ける感情を消してくれるのも変わりませんし」
「僕だって、いい感情を抱いてばっかりじゃないよ?」
珊瑚はその言葉に、今までのことを思い返しながら答えた。
「確かにそうかもしれませんけど、それは私も同じです」
少し迷いながら答えた珊瑚は、心の中では別の考えを巡らせていた。
(それに、もし先生がいつか私に強い負の感情を抱いても、仕方ないことだし)
今の陽一は珊瑚の父親のことを、別だと考えてくれているだろう。でも、最終的にどう転ぶかはわからない。今は元凶を目にしていないし、どんな目的で感情を奪われたのかも分からないのだ。理由を知って、珊瑚の役割が明らかになって、それでも今と同じように思ってくれるだろうか。その時を想像すると珊瑚は怖くてたまらない。
今の陽一のことは信用しているが、未来に信頼関係を維持できるかは分からない。母親以外の人間と信頼関係を築いたことのない珊瑚にとって、誰かを信頼するのは思いのほか難しい。最後の一線を超えるには、高く聳え立つ壁が立ちはだかっている。
「でも、私は大丈夫でも、先生はやっぱり気持ち悪いですよね」
珊瑚は陽一を心の底から信頼できない癖に、まだ負の感情を向けられたくないのだと、自分の身勝手さを自嘲する。
「珊瑚君、そんな風に思わないよ。僕って今まで珊瑚君が接して来た嫌な人たちと同類だと思われてる?」
ほんの少し怒ったような声に、珊瑚ははっとした。未来の不安に囚われすぎて、今の陽一を傷つけてしまった。
「す、すみません。違うんです」
最近すっかりいじらなくなった眼鏡を不自然に直しながら、顔を青くした。
珊瑚の頭を軽くぽんと叩いた陽一は、少し寂しそうに笑った。
「ごめん、ちょっときつく言い過ぎたね。珊瑚君がそんな風に思ってないのは、ちゃんとわかってるよ。信用されてないのかなってちょっと寂しくなっただけだから」
そう言った陽一の手から流れてくる感情は、やるせない気持ちだ。
「私の方こそ、すみませんでした」
「いいや、いいよ。刷り込まれたものが簡単に溶けるわけじゃないからね。最近珊瑚君が嬉しい事言ってくれたから、もう少し信用されてるんじゃないかと思ったんだけどな」
そう言って陽一は少し意地悪そうに笑う。だが、ふと何かを思い出したように上を見上げた。
「なんだか僕、この間珊瑚君が一馬に言ってたのと同じようなこと言ってない?」
「え? それって先生も私のことを妹みたいに思ってるってことでしょうか?」
「妹? 妹……。なんか違う」
そう言った陽一は、「涼介はやっとなついた猫って」などと独り言をブツブツと呟いている。
「猫?」
珊瑚は漏れ聞こえた言葉にますます訳が分からず首を傾げた。
腑に落ちない様子の陽一の横を、猫とは何の事かと考えながら歩いているうちに、いつの間にか目的地に辿り着いていた。
そこは住宅街から少し離れた場所にある、古びた洋館だ。日当たりはいいはずなのに、なんとなく陰気な雰囲気が漂うのは、壁を這う蔦のせいだろうか。よく見れば窓枠にも腐食が目立ち、手入れの行き届いていない様子が見て取れる。
陽一は一度来たことがあるせいか、躊躇いも見せずに呼び鈴を押した。ビーっと大きな音が屋内に響き、屋敷の奥からゴトゴト音がする。しばらく待つと、中から誰何の声がする。
「こんにちは。今日お約束させて頂いた、平良診療所の者です」
陽一が答えると、木の扉がギイと音を立ててゆっくり開いた。
扉から顔を出したのは、以前ぶつかった男に間違いなかった。しかし、別人のように覇気がなく、屋敷同様陰気な雰囲気だ。そのせいか前より老けて見えるが、年の頃は三十代後半に思われた。
「……入ってくれ」
陽一が「失礼します」と躊躇わずに中へ入る横で、珊瑚は「お邪魔します」と小さく呟き恐る恐る中を見回す。
ロビーは一人暮らしにしては広く、家族で暮らすには手狭な印象だ。一歩足を踏み入れると、薄暗くて陰気さが漂う。
話を聞くため部屋へと案内される道すがら、ぽつりぽつりと暗い照明しかなく、不気味な気配が漂っている。一番奥まった部屋へ案内され、扉が開かれると、珊瑚は思わず「ひっ」と声を上げそうになり慌てて口を塞いだ。
扉の奥には作業用の古い木の机があり、様々な道具が並べられている。珊瑚が驚いたのは、その周辺の棚にびっしりと並べられた人形だ。
以前陽一に聞いていた通り、確かに目が魔石になっているようだ。普通の宝石とは異なる不思議な光を放っている。魔石は普通の宝石より光が強く、魔力の強いものは特に普通の宝石との違いを感じる。とは言え、問題となるほど特殊な魔石はない様だ。陽一の言っていた、片目の無い人形もこの部屋には見当たらない。
人形師は作業台にあった椅子を反対に回し、斜めに腰かける。この部屋は依頼人も来るようで、小さなテーブルに二脚の椅子が人形師の作業台に向かって並べられていた。その二脚に陽一と珊瑚が腰かける。陽一は予め用意していた手土産を渡すが、人形師は興味なさそうにちらりと視線を寄越してそのまま作業台へ置いてしまった。
「僕は平良陽一です。こちらは、僕の助手をしている神崎珊瑚君です」
珊瑚は小さく頭を下げる。人形師の男はちらりと珊瑚に視線を寄越し、不愛想に答えた。
「……藍島徹だ。で……聞きたい事とは?」
「以前、叔父もこちらを訪ねたことがあったと思うのですが」
「……覚えてないね。俺は人間に興味はないから」
拒絶するように答える人形師に、陽一は続ける。
「藍島さんは以前叔父の診察で、魔石の事を話されませんでしたか?」
「魔石の話? 医者に?」
「はい」
「……魔石のことを相談するなら神殿だろう」
「そうですね。でも、叔父のカルテには藍島さんの大切にしていた魔石のことが書かれています」
その言葉に藍島は、目を見開き顔を紅潮させた。
「……あんた、あの時の医者と一緒にいた若造か」
「そうです」
ぴりっとした空気の中で、陽一は至って冷静に見えた。しかし珊瑚は、馬車の中で緊張していた陽一を知っている。そのときふと、雅の言っていた患者に不安を感じさせてはいけないという言葉を思い出した。
藍島はしばらく無言で陽一を見つめ、考え込んでいる様子だ。やがて大きくため息を吐くと、陽一を見つめたまま口を開いた。
「あの時先に帰されたって事は、あんたに話を聞かせる必要は無いって意味じゃないのか」
その言葉に、視線を逸らさず落ち着いた様子で陽一が答えた。
「あの時の僕はそうだったのでしょう。でも、今は違います」
「へえ……どう違うと?」
鋭くなる空気に、珊瑚は思わずごくりと喉を鳴らす。
「あの時の僕は、叔父が何を調べているのかも知らない、ただの助手でした。ですが、今は叔父の留守を預かる診療所の医師です」
「留守?」
「はい。叔父は、魔石に関することを調べている最中に、行方が分からなくなりました」
「……どういう事だ?」
「まだ僕等にもわかりません。ただ、魔石に関することを調べていた理由は、僕にあるんです」
「……あんたも、魔石に関連した何かがあるって事なのか?」
陽一は藍島を見据えて、静かに言葉を紡ぐ。
「はい。僕も藍島さんと同じように、感情をなくしました」
その言葉に藍島は息を呑む。
同様に珊瑚もその話を藍島に明かしたことに驚きを隠せず、陽一を見上げた。どう話を聞き出すのかと思っていたが、ここまで率直に打ち明けるとは想像もしなかった。
「診察を頼んだ訳でもないのに、突然押し掛けて来て。話を聞かせてくれと言われても、無理な話でしょう。叔父が以前何と言って藍島さんから話を聞いたのかは分かりません。ですが、僕が原因であることは間違いありません」
藍島の斜めを向いていた身体が、陽一の方へと向き直る。
「あの先生は、身内が同じような症状で苦しんでると言ってた。それは、あんたのことか」
陽一は深く頷き、「そうです」とはっきり答えた。
「……そっちのお嬢ちゃんは、助手だと言ったな」
珊瑚はびくりと肩を揺らし、「はい」と答えた。藍島は陽一に視線を戻し、腕を組んで慎重に問いかける。
「以前のあんたは、助手だから先に帰された。それが、今回ここに助手を連れて来たのはなぜだ」
陽一は藍島の視線を正面から受け止めた後、珊瑚の方へと視線を向けた。緊張に表情を硬くする珊瑚に柔らかな表情で頷き、藍島に向き直る。
「彼女は、ただの助手ではありません。患者でもあります。僕たちと同じく、魔石絡みで問題を抱えています」
藍島は意外そうな顔をして、珊瑚に視線を移す。
「……どんな問題だ?」
珊瑚は陽一が何を答えるのか予測がつかないが、先ほどの表情を見てから落ち着きを取り戻していた。陽一は、しっかりと藍島に視線を向けたまま澱みなく答える。
「彼女もまた、魔石によって感情が絡む問題を抱えています。つまり、藍島さんや僕と共通点があるという事です。彼女の視点も取り入れる事で、何か新しいことが分るかもしれません。だから、彼女にも話を聞いてもらう必要があると判断しました」
藍島はしばらく珊瑚を見据えた後に、納得したように頷いた。
珊瑚は今回も陽一の言い回しに舌を巻く。珊瑚の共通点は、魔石の質だ。感情を失っているのではなく、流れ込んでくるのでその点は共通していない。一つも嘘は吐いていないが、正直に全てを話した訳でもない。自然と藍島が納得するように、そして珊瑚も話が聞けるように仕向けてくれた。
「いいだろう。そっちのお嬢ちゃんも一緒に話を聞くといい。その代わり、いつかこの問題の解決策が見つかったら教えて欲しい」
「もちろんです」
陽一が答え、珊瑚は隣でしっかりと頷いた。
「まず、俺が人形師で、モデルは外国人だってのは知ってるか?」
「はい」
陽一と珊瑚は同時に返事をした。
「そもそもこの国で作ってる木や紙の人形は、俺には合わない。だから、粘土を捏ねて一つ一つ形を作ってから焼き上げてる。昔はこの方法じゃ、国の連中には受けが悪かった。まあ、着物の人形なら木や紙の方が見栄えはいいから」
そう言って、部屋の中に置かれた人形をぐるっと見まわしてから続けた。
「見ての通り、こいつらの目に使ってるのは魔石だ。命を感じる目にしたくて、魔石を使ってる。普通の宝石じゃ、焼き上げで色が変わったり割れたりするし、何より輝きが違う。だから、俺の作る人形の目は、全部魔石が入ってるんだ」
そう言われて沢山の人形に視線を移した珊瑚は、最初この部屋に入った時のような不気味さを感じなくなっていた。
最初は目が魔石であることに、自分の忌まわしい目のようで恐ろしく感じたのだ。しかし、藍島が人形に魔石を使う理由が「命を感じる目」の為だと聞いた今、人形たちの目の輝きが命を宿したように、力強く美しく見える。人形のことを語る藍島が、先ほどまでと打って変って、饒舌になったというのもあるかも知れない。
珊瑚が人形に向ける表情を確認した藍島は、満足そうに頷いてから続ける。
「俺が人形を売るのも、依頼を受けるのも、こういう俺の拘りを理解してくれる人にだけだ。もしお嬢ちゃんが客だったら、売ってもいいな」
人形に見入っていた珊瑚は、驚いて藍島に視線を戻した。先ほどまで陰気に感じた藍島は、やはりうっすらと不気味な笑みを浮かべている。饒舌になっても、陰気さが抜ける訳ではない。
「まあ、こんな感じだから、俺に依頼を持って来ようと思う人間もそう居ない。それが、八年前のあの日、俺にとっては転機になる依頼が舞い込んだ」
藍島はその日を思い出すかのように、遠くを見つめるように目を細めた。




