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5-5

 珊瑚と陽一は、当たり障りのない話題で時間を潰しながら診療所への帰路に着く。西野との話は、外を歩きながら軽々しく話せる内容ではなく、話題にすることは憚られた。

 

 食事中は身も心も暖かかったのに。真冬の帝都は珊瑚の田舎ほどではないが、身を切るような寒さだ。先ほどまでの話を思い起こせば猶更寒さが突き刺さる。


「珊瑚君」


 陽一の呼びかけに、珊瑚は慌てて顔を上げた。


「さっきのディナー、美味しかったね」

「はいっ。とっても美味しかったですし、初めてのものばかりで感動しました」


 寒かったはずの心が、ぽっと温まる。


「今はまだ色々あるから落ち着かないけど、全部解決したら、また一緒に行こうね」


 珊瑚は足を止めて陽一を見上げた。行けるものなら行きたいと思う。でも、さっきの話を聞いた珊瑚は、全てが終わった後の事を考えると今まで以上に怖くなる。解決がどんな形になるのか、その時自分はどうなっているのか。全てが明らかになった時、陽一は珊瑚の事をどう思うのか。色々な事を考えると、素直にまた行きたいとは口に出来ない。

 

 何も言えずに俯いて、冷たい石畳の上に佇む自分のブーツの先を見つめた。


「ディナー、気に入ったんじゃないの? ああ、そうか。さては僕の懐事情を気にしてくれてるんだ。こう見えても、特別な日に奢れるくらいの稼ぎはあるよ」


 おどけた様に陽一が言う。それに答えようと顔を上げ、珊瑚は無理に笑みを浮かべた。

 

「私、その時には先生が後悔するくらい、高いものばっかり沢山食べちゃうかもしれませんよ?」


 陽一は頬を緩めて柔らかな声で答える。


「あははっ。じゃあ、それまでにしっかり貯めておこう。でも患者さんが増えるのはよくないな。どうしよう?」

「ふふっ。そうですね。じゃあ、その時はちゃんと加減します」


 珊瑚は一緒に行こうと、はっきりと約束する事は出来なかった。それでも、仮定の話くらいなら許されるのではないかと思った。実現すれば、とても暖かくて楽しくて、笑いに溢れるのだろうなと思う。それを想像すると泣きたくなって、上を向いて誤魔化した。陽一と冗談を言い合いながら、シクシクと胸が痛む事には気付かない振りを続けた。


 診療所に着くと、陽一の発明品置き場へと向かう。陽一が淹れてくれたのは、緑茶だ。

 

 外の寒さから一転、診療所の中は暖かく、お茶のお陰で身体の芯が温まる。しかし、心の中は冷え切っていて、その温もりが届くことはない。


「西野さんから聞いた話と、こっちの情報を合わせて整理してみようか」

「はい」


 陽一は弘樹の資料を取り出し、新たな紙とペンを用意した。書きながら状況を整理するようだ。


「まず、叔父さんの足取りで分かってる事から。柴村さんに会いに行って、そのあとマラカイトの持ち主に会ったんだろうね」

「それからそのマラカイトを西野さんに届けた」

「うん。その後足取りが途絶えた」

「西野さんの方は、マラカイトの話を神殿長様と補佐の方に話して、その後鑑定に出したんですよね」

「そうだね。そして持ち帰る時に一度目の盗難に会い、僕たちと遭遇した」

「はい」


 陽一は少し考えてから、紙にまとめて書き込んでいく。


「あの時西野さんは、魔石を持った珊瑚君の反応で何か感じたのかもしれないね」

「どういう事ですか?」

「今日、突然珊瑚君の目の話をしてきたでしょう? マラカイトを持った時の珊瑚君は動揺してたから。何度か眼鏡を触ってて、その時少しズレたのかも知れない」

「そ、そうだったんですか? 自分では眼鏡を触った意識はなかったんですが」

「うん。落ち着かない様子だったし、きっと無意識なんだろうなとは思ってた」


 以前ならそんな失敗はしなかったのに、と思ったが、そもそも珊瑚はあまり他人と接してこなかった事を思い出す。ここに来てから患者さんたちとも接する事で、それまで他人と接していなかった記憶を遠く感じていた。


 他人と接する機会が少ないせいで、不測の事態に陥る事もほとんどなかった。田舎の町には行かなくなってしまったし、邸の使用人とはなるべく顔を合わせないように暮らしていた。陽一が隣にいて安心感があることも関係しているが、それ以上に他人との接触に関しては圧倒的に経験不足だ。


「まあ、あまり気にしないで。西野さんは一見気のいいおじさんだけど、神殿で重役やってるだけあって観察眼が鋭いからね。涼介みたいに観察することに慣れてる人間ですら気付かない事にまで、目端が利くんだから」

「すごい方なんですね」

「そうだね。迂闊なことは言えないけど、でもいい人だよ。神殿のお役目があるからちょっと厳しい目をする事もあるけど」

「そうなのですね」


 珊瑚は少しの間考え込んでから問いかける。


「あの、私の目について知られたことで、先生が困ることってありませんか? 後からこの事が分かって、罪に問われるような事とか」

「大丈夫だと思うよ。珊瑚君がとんでもない事件でも起こさない限りはね」

「わ、私はそんな事しませんからっ」

「あはは、わかってるよ。まあ、神殿にとって珊瑚君の目が管理しなきゃならない魔石だって思われる前に、解決しちゃえばいいんだよ」

「そ、そんな簡単に!」


 陽一は珊瑚を見ながら得意そうに胸を張る。


「大丈夫だって。僕がそう言うんだから何とかなるよ」

「こ、根拠はなんですか?」

「うーん、ない」

「な、な、無いんですか?」


 珊瑚はぽかんとして開いた口が塞がらない。

 

「あはは。まあ、大丈夫だって。というか、珊瑚君が神殿に拘束されるなんて僕は嫌だね。だから、絶対に解決するよ」


 珊瑚は言葉に詰まって黙り込んだ。陽一は自分が罪に問われる事より、珊瑚が拘束される事を避けようとしているようだ。嬉しさと同時に巻き込んではいけないという気持ちも湧き上がる。珊瑚は複雑な気分で俯いた。


 眉を下げた陽一が口を開きかけた所で、診療所の呼び鈴が鳴る。同時に、慌てたように扉を叩く音が響き、普段とは違う重さに珊瑚は恐怖で背筋がぞくりとした。


「こんな時間に誰だろう?」


 陽一が訝し気に眉を顰める。一緒に部屋を出ようとした珊瑚に、危ないから部屋から出ないようにと言い含めて一人入口の扉へと向かった。

 

 珊瑚は、何かよくない事が起きるのではないかと不安になる。さっきから心臓の音が煩く耳を打つ。

 

 扉の開く音がして、陽一とは別の男性の声がする。珊瑚がこの声は、と思い当たった所で部屋の扉が開いた。


「やあ、珊瑚ちゃん。こんな時間に驚かせて悪いな」


 そう言って顔を出したのは、やはり涼介だ。


「こんな時間にどうされたんですか?」


 珊瑚は緊張気味に尋ねた。


「ああ。二人にはなるべく早く耳に入れた方がいいと思う情報があってな」

「大した話じゃなかったら容赦なく追い出すから」

「そう言うなって。話を聞いたらそれどころじゃなくなるかも知れないぜ?」


 陽一が軽口を叩くが、涼介はそれに乗る余裕もなさそうだ。珊瑚は再び不安が過り、真剣な眼差しで涼介を見上げた。


「何かよくない知らせですか?」

「そうかもしれないし、違うかもしれない」

「まあ、涼介も座って落ち着いて話してくれよ」

「ああ」


 そう言って座った涼介と、合わせて三人分の新たな緑茶を陽一が淹れ直す。それぞれが一口飲み下した所で、涼介が息を吐いてから話し始めた。


「実はさっき、雅さんから話があるって言われてな。どんな話かと思ったら、神殿から調査の人間が来て、魔石のことについて聞かれたって言うんだ」


 珊瑚は心臓がドクリと嫌な音を立てて、冷や汗が噴き出す。


「どいう事だ? 詳しく話してくれ」


 陽一は鋭い眼差しを涼介に向けて続きを促した。


「ああ。口外するなと言われたが、雅さんは何か関係がある話かも知れないと話してくれたんだ。だから二人もこれは口外無用で頼む」


 陽一と珊瑚は重々しく頷いた。それを確認した涼介も一つ頷き続きを話す。


「紛失した魔石は、どんな効果があったか、誰が手に入れたのか。持っている間や今も、変わっとことがないか。紛失した経緯や、入手方法で何か分かる事はないか。そういった事を何度も細かに聞かれたらしい」

「それで柴村さんはなんて?」

「恋人が病院に来た男から手に入れたと話したそうだ。男については、恋人に何も聞かなかったから分からないらしい。紛失した経緯も、分からないと答えたそうだ。それから、恋人を亡くして何も変わらないはずないと答えたってさ」


 陽一は考え込むようにして、頷いた。

 

「それで、雅さんもそれとなく話を聞いていくうちに、どうやら魔石に関連した人物を当たっているようだと感じたそうだ」

「なるほどね」

「もしかしたら弘樹さんの事もわかるかも知れないと思って、調査の人間が帰るときにそっと後をつけたらしくてな」


 陽一と珊瑚は驚きに目を瞠る。もし気付かれたらと思うと恐ろしい。


「もし気付かれても院内なら誤魔化しが効くと思ったらしいぜ。中々大胆だよな」


 涼介は急いできたせいか喉が渇く様で、一気に緑茶を飲み干した。陽一がお代わりを注ぐのに「悪いな」と言って、さらに二口飲み込んだ。


「病院の裏手にある人目につかない場所で、ちょうど関係者の休憩所の裏なんだが。休憩所の換気口から外の音が入ってくるんだ。だから急いで部屋に駆け込んで、こっそり話を聞いたそうだ」


 珊瑚は雅の行動力に驚くとともに、神殿関係者の話を聞くのが怖くもなる。不安でざわつく胸元を片手でぎゅっと握る。


「そこで途切れ途切れに会話が聞こえたと言ってた」


 涼介は少し間を置いて、雅の言葉を思い出しながら続きを話す。


『あの魔石に違いない』

『彼女の魔石が……』

『証拠がまだ揃っていない。時期尚早だ』

『特定を進めるべきだ』

『……を拘束するには慎重に事を進めなければ』


 涼介はしばし黙り込み、眉間にしわを寄せて珊瑚と陽一へ交互に視線を寄越す。


「こんな内容だったらしいが、全てが聞こえた訳じゃないから正確にはわからん」


 珊瑚は黙り込んで膝の上で握り締めた拳を見つめる。微かに震える手は、しっとりと汗で湿っている。ゆっくり顔を上げた珊瑚は、陽一を見つめながら口を開いた。


「西野さんはああ言ってましたけど、やっぱり私は拘束されるのでしょうか」


 その言葉に眉間にしわを寄せたままの涼介は、黙り込んだまま珊瑚を見つめた。反応からして、涼介もその可能性を考えて急いで知らせに来たのだろう。陽一は考え込むようにしばらく黙り込み、しばらくしてから口を開いた。


「西野さんが嘘を吐くとは思えないんだよね。僕が思うに、西野さんとは関係なく神殿が何かを掴んで調べ始めてるのかも」

「そ、それなら私は自分から神殿に行った方が」


 その言葉を遮るように、陽一が言葉を被せる。


「いや、それはダメだよ。珊瑚君の場合、魔石を渡して終わりじゃない。身体の一部なんだから、拘束された後にどうなるのか予測がつかない」

「俺も自分から行く必要はないと思うぜ。前の神殿長は割と大らかな人だったけど、今は結構頭が固いって話だしな」


 珊瑚は俯き黙り込む。拘束された後にどうなるのだろうか。目だけ封印する事が可能なのかもわからないし、危険だと思われれば幽閉されるのだろうか。もしかしたら、存在を消される可能性もあるかも知れない。

 

「で、でも、私を匿っていたとなれば先生や篠塚さんにも迷惑が掛かるのでは?」

「それを言うなら西野さんだって責任問題になるんじゃないかな?」


 陽一は、やはり西野が情報を上げた訳ではないと思っている様子だ。


「西野さんは、わざと見逃して私の動向を探っているという可能性はないのでしょうか?」


 陽一は少し間を置いて答えた。


「もしそうなら、わざわざ今日珊瑚君の目の事を聞いてこなかったと思うよ。無駄に警戒させるだけだからね」


 珊瑚も確かにそうかもしれないと思い、頭を悩ませる。


「という事は、神殿はやっぱり西野さんの情報とは別に何か探っているってことでしょうか?」

「そうだと思う」

「それならやっぱり、私がここに居るのは迷惑になります」

「だから、大丈夫だって言ってるでしょう?」

「何の根拠があってそう言えるんですか?」


 陽一は不敵に笑って答える。


「だから、無いってば!」

「ねえのかよっ!」


 涼介が思わず声を張り上げる。珊瑚は先ほどの会話を思い出して頭を抱えた。なぜ根拠もなしにこう言い切れるのだろう。


「こういう事は考え込んで足を止めてたら、その分時間を無駄にするだけだよ。だから、やると決めて進むしかない。僕は絶対に珊瑚君が拘束されるなんて事態にはしない。神殿が珊瑚君を拘束すべきだと決定するまでに、全てを解決する。ただそれだけだ」


 その言葉になんとも言えずに珊瑚は茫然とした。一方涼介は肩を竦めた後に、大きく息を吐いて肩を落とす。


「ああー。陽一って昔からそういう所あるよな。能天気っていうか頑固っていうか。言い出したらいつもその通りにしちまうんだよな」

「お医者様としては慎重なのに、どうなってるんですかっ」


『ごめんね、珊瑚君。僕はきっと大丈夫なんて、いい加減なことは言えないんだ』


 珊瑚の目を見たときに、陽一はそう言ったのだ。それがなぜ今はこんなことを言い出すのか。珊瑚は眉を寄せて陽一を見上げた。


「それは、医者としての僕でしょう? 今は個人的な話だからね。言霊ってあるじゃない。できると言えば何とかなるもんだよ」


 涼介はもう一度大きく息を吐くと珊瑚の肩をポンと叩く。


「珊瑚ちゃん、諦めな。陽一が一度やるって言ったことは絶対にやりきるから。もう最後まで付き合うしかないぜ?」


 肩に置かれた手からは、陽一に対する信頼や珊瑚に対する暖かい気持ちが流れ込んでくる。珊瑚に伝わることが分かっていながら肩に手を置いた涼介に、珊瑚は思わず笑みがこぼれた。


「ふっ、ふふふ。先生も篠塚さんも滅茶苦茶ですよ。二人とも巻き込まれて大変な事になるかも知れないのに。そこまで言われたら、私も一緒に信じるしかないじゃないですか」


 三人顔を見合わせて笑い合えば、不思議と本当になんとかなってしまいそうな気がした。

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