5-2
話を聞き終えた三人は、一旦診療所へ戻った。それぞれ考えを巡らせていたので、帰り道は誰も口を開かなかった。
診療所に着くと、発明品置き場の部屋へ落ち着く。陽一はそれぞれの前に紅茶を入れたティーカップを置いた。香ばしさと甘やかさの混じる落ち着いた香りは、ダージリンティーのようだ。コクのある芳醇な香りが口の中に広がり、ほっと肩の力が抜けた。
三人ともに同じような緊張感があったのか、同時に息を吐いて顔を見合わせた。
「珊瑚ちゃん、雅さんに触れてどう感じた?」
まずは涼介が口を開いた。
「そうですね、途中までは複雑に交じり合いながらも、決意とか覚悟とか、そういった感じの物が流れてきました」
珊瑚は顎に軽く握った手を当てて、その時流れ込んできた感情を思い起こした。
「それが、成功率の話や、手術やリハビリが上手く行かなかった時の話をした瞬間、急に遮断されて無になりました」
「無になるってどういう事?」
「スイッチが切れたみたいに、パッと消える感じです」
「それは僕が珊瑚君に触れた時と似てる?」
珊瑚は俯き、唸りながら考え込んだ。
「少し違う気がします。先生の時は、ふわっと軽くなるというか霧が晴れるみたいな感じなんです。紫村先生の時はパチンと遮断される感じです」
「雅さんは、ぽっかり穴が空いて不安が抜け落ちたみたいって言ってたよな。陽一の場合はむしろ少し湧き出る感じだし、二人の症例は違うって事か?」
涼介が首を捻りながら眉を寄せた。
「いや、最後に魔石が光ったって言ってただろ? 僕もカメオが光った気がした。あれは埋め込まれたオパールが光ったのかも知れない」
「何か条件が違って、結果が変わったって事なのか?」
「ほかの症例と比べないと分からないけど、そうかも知れない」
珊瑚は魔石の共通点について話さなければと思い、声を上げようとするが、その直前に陽一が口を開いた。
「紫村さんの魔石はアメジストだった。じゃあ、西野さんの持ってたマラカイトはどこから来たのか、そこが謎だよね」
「そうだな。雅さんは弘樹さんに会った時、既に魔石を持ってなかったんだとすると、どこから来た物なんだ?」
二人揃って唸り声をあげて考え込む。勇気を振り絞った珊瑚が「あ、あのっ」と声を上げた。しかしまたしても陽一がそれを遮る。
「次は西野さんに話を聞いてみようか」
「ん? ああ、そうだな。珊瑚ちゃんも何か話があるんじゃないのか?」
「あ、え、えっと……」
言いかけた珊瑚に、少し慌てるようにして陽一が言葉を被せた。
「珊瑚君の話は後でゆっくり聞くとして、取り合えず西野さんに連絡を入れてみるよ。今からなら夕飯でも食べながら話が聞けるかもしれない」
「そう……だな?」
涼介が不思議そうな顔で陽一と珊瑚を見比べた。珊瑚はなぜ陽一が自分の話を遮るのかよく分からないが、話す機会を失ってほっとする。その半面心苦しさもあり、複雑な気持ちで胸がざわついた。
「俺は一旦引き揚げるか」
「また何かわかったら連絡するよ」
「ああ、俺も何か分かればまた知らせる」
「じゃあ、珊瑚ちゃんもお疲れさん」とひらひらと手を振って、涼介は診療所を出ていった。
陽一が西野に電話を掛ける様子を眺めながら、珊瑚は残っているダージリンティーを飲み干した。
(紫村先生と先生、同じ種類の魔石で作用したはずなのに、なんで結果が変わったんだろう)
珊瑚が考えを巡らせているうちに、陽一は西野との約束を取り付けたようだ。
「珊瑚君、夕食は西野さんが予約を取ってくれるって。まだ少し時間があるから、ゆっくり休んでから向かおうか」
「はい」
珊瑚は、今度こそ魔石の話をした方がいいだろうと思うが、陽一の言う「後で」が今なのか、それともまだなのか分からなくて逡巡する。悩み始めた珊瑚の様子に、苦笑いを浮かべた陽一が小さく息を吐いた。
「さっきは話を遮ってごめんね。勇気を出して話そうとしてくれてたのに」
「い、いいえっ」
はっとして顔を上げると、陽一は気まずそうに頭を掻きながら続けた。
「正直言うと、珊瑚君が左目のことを涼介にあっさり話したのが意外だった。すごく怖がってたのに」
「えっ? そ、それは先生が信頼してる人だからですよ」
「うん。そうは言ってたけど、十四年間ずっと背負ってた重荷でしょ。会ってすぐの涼介に打ち明けたのを見て、あいつの方が医者に向いてるのかも……なんてちょっとした嫉妬かな」
視線を逸らした陽一が、何だかいつもより少しだけ子供っぽく見える。
「どうしてそうなるんですか?」
「あいつって軽いけどさ、人の懐に入り込むのが上手いでしょ? 僕は感情を失う前から、物腰は柔らかいけど壁を感じるって言われる事が多くて。やっぱり涼介みたいな医者の方がいいのかなって思ったんだ」
珊瑚は目をぱちくりさせて、口をへの字にした。
「ごめん、変なこと言って。要するに、これから珊瑚君が話そうとしてる大事な話を、涼介と一緒に聞くのがなんとなく面白くなかっただけなんだ」
珊瑚は少し考えてから、大真面目な顔をした。
「先生、篠塚さんは私から見ると大分軽くて胡散臭いです」
「ははっ、中々手厳しいね」
「それでも話しても大丈夫だと思えたのは、先生が私にとって安心出来る人になってたからですよ」
陽一は目を見開き瞳を揺らすが、一瞬で元の静かなものに戻る。
「私は先生を信用してて、その先生の親友で、篠塚さんも先生をすごく大切に思ってるんだって伝わりました。だから大丈夫って思えたんですよ。つまり、先生のお陰です」
陽一は頭を掻きながら、「まいったな」と呟いた。
「ふふっ。いつも私ばっかり頼ってて、色んな事を教えて貰ってますけど、たまにはこういうのもいいですねっ」
そう言ってちょっとだけ胸を張った珊瑚に、陽一が声を立てて笑う。
「涼介も言ってたけど、珊瑚君は有能な助手だからね」
珊瑚は、そう言えば涼介は雅に紹介するときにそんな事を言っていたなと思い出して、くすぐたったくなった。
(こんな風に過ごす事がこれから話すことのせいで、もし失われたとしても、……この先ずっと覚えていよう)
珊瑚は両手を胸に当てて心に誓う。
「先生。西野さんの持っていた魔石についてお話したい事があるんです」
「うん」
陽一は一転真剣な眼差しで珊瑚を見つめて頷いた。
「あの魔石を触った時に思い出したことがあります。あのマラカイトは恐らく、先生のオパールと同質の物です」
「同質って? どういうこと?」
大きく深呼吸をした珊瑚は、自分の生まれた邸で見つけた魔石の話をした。
幼い頃に鍵の掛かった地下室で見つけた魔石と、それを見た母が父親の魔石だと言っていたこと。すぐに二度と目に付かぬよう隠されたこと。陽一のカメオと西野の持っていたマラカイトに触れた時、同じような感覚に襲われた事。
震えそうになる手をぎゅっと握りしめて、珊瑚は陽一をまっすぐに見据えて言葉を絞り出す。
「私の考えでは、恐らく先生の感情が失われた事も、紫村先生の不安が失われた事も、私の父親が関係しているのだと思います」
陽一は息を呑み、一瞬瞳を揺らした。しかしすぐに、珊瑚と真っ直ぐ向き合った。
「そう」
答えた陽一の声が少し掠れた。
珊瑚は怖くてたまらないが、もう目を逸らすことは許されないのだと自分に言い聞かせる。下を向いて少しの間考えていた陽一が、一口紅茶を飲み下してから再び珊瑚の顔を見た。
「珊瑚君の目を変えたのも、君のお父さんだよね?」
「はい」
「じゃあ、珊瑚君の目も同質の魔石って事なの?」
珊瑚は少し考えてから答える。
「それは、私にもわかりませんが、可能性は高いと思います。私の目の魔石は、他人の感情を吸い寄せているのかも知れません」
「触れた人から感情を吸い取ってるの?」
「吸い取っている訳ではないようです。同じ人から何度でも同じ感情が、触れていればずっと流れ込んで来ますから」
「つまり、共通するのは感情を引き寄せるってこと?」
「私はそう考えています。そこに何か条件が加わって、状態が変わるのかもしれません」
「僕みたいに全部を失っても少し湧き出たり、紫村さんのように完全に失われたり?」
「そう思います」
陽一は低く唸り声を上げながら、腕組みした。珊瑚は陽一が何を言うのか不安になるが、目を逸らさず静かに待った。
「珊瑚君」
「はい」
「珊瑚君は、魔道具とか魔石の話になると饒舌になるよね」
「は?」
珊瑚は思いも寄らぬ陽一の言葉に目を瞬き、変な声が出る。
「いやあ、僕の発明品に対する突込みとか、たまに診察の合間にする魔道具の話とか、今日の魔石の話とか。そういう時は淀みなくしっかり話すから凄いなと思って」
そう言って陽一はへらりと気の抜けた笑顔を向ける。珊瑚は陽一の顔を見て、ふっと肩の力が抜けた。
「ふふっ。魔道具も魔石も私の興味が尽きない分野ですので」
珊瑚は答えながら涙が滲みそうになるのを堪える。
「珊瑚君、話してくれてありがとね」
陽一は珊瑚の覚悟も恐れていた事も、全部飲み込んで笑ってくれたのだ。またどうでもいい話で軽く笑い飛ばそうとして、今日は珊瑚に狙いが伝わってしまったけれど。いつもこうやって珊瑚の心を軽くしてくれる。これを失いたくないと思う事は当然のことだと珊瑚は思う。母以外に受け入れてくれる人なんて、この世に一人も居ないと思っていたのに。
「私の方こそ。ありがとう、先生」
陽一がその言葉に瞳を揺らして目を瞬いた。
「さ、珊瑚君、敬語が抜けてる」
はっとした珊瑚は手を口に当てて答えた。
「すみません、なんだかポロっと出てきてしまって」
「いや、そのままでいいのに何で戻るのっ?」
「えっ? そう言われても、母以外の人に話すときは丁寧にというのが常なので」
「せっかく気安くなったと思ったのに」
「すみません、もう出ません、無理です」
「はああ、そうかぁ、残念」
そう言って心底残念そうな陽一を見て、珊瑚はまたおかしくなって笑ってしまう。陽一の言葉で少しずつ心が軽くなるようで、先ほどまでの緊張が噓のようだ。そんな珊瑚を見る陽一の表情も柔らかい。
いつか終わりが来るまで、それがいつか分からないけれど、毎日を大切に過ごしたいと珊瑚は思った。
「じゃあ、そろそろ西野さんとの待ち合わせにちょうどいいから、支度して出かけようか」
「はい」
言い辛かった事を打ち明けることが出来た珊瑚は、身も心も軽くなったような気がして足取りも軽い。だからと言って、父親が関わっているであろう事も心に引っかかっている。考えると下を向きそうになる自分を叱咤して、前を向いて歩き出した。
「今日待ち合わせしたレストランは、結構いいところだから楽しみにしててね」
「でも、大事な話をしながらで味が分かるでしょうか?」
「うーん、僕もあんまり自信ないな。よし、まずは美味しい料理を堪能して、話は後でじっくり聞こう」
「ふふっ。それはそれで、話の内容が気になって食べられなくなりそうです」
「そう? 僕はもう結構お腹空いちゃって、先に食べないと落ち着かないかも」
そんな話をしながら街を歩いていると、珊瑚の目の変化に気付くきっかけになった、男にぶつかった場所へ差し掛かる。
「そういえば」
ふと思い出したように、陽一がその場所に視線を向けて口を開いた。
「この間ここでぶつかった人、前に叔父さんと往診に行った事がある患者さんかも知れない」
「そうなんですか?」
「うん。結構有名な人形師の人でね。作る人形は外国人がモデルなんだ」
「珍しいですね」
「そうだよね。それで何となく思い出したんだ。あの時は珊瑚君のケガが気になってすぐ思い出さなかったけど」
「ご迷惑をお掛けして……」
「あはは、ぶつかられて怪我したのは珊瑚君なんだから、迷惑かけられたのは君でしょう?」
確かにそうかとも思うが、手当てをしてもらったのも本当だ。
「それで、ふと思い出したんだけど、あの人の家で見た人形の目が全部印象的だったんだよね」
「変わったものだったのですか?」
「全部に魔石を使ってたと思う」
「ただの宝石ではなくですか?」
「うん。でもそれ以上に気になったのがあって」
「かなり変わった魔石だったんでしょうか?」
「ううん、その逆って言うか……。片目の無い人形が、すごく大切そうに置いてあったんだ」
「片目が無いという事は、未完成なのでしょうか?」
「いや、そういう訳でも無さそうだった」
陽一は腕を組んでその時を思い出しているようだ。
「あらかた診察が終わった時に、叔父さんに用事を言いつけられて僕だけ先に帰ったんだよ」
「そうなのですか」
「うん。だからその後どんな話をしたのかは分からない。僕は一度しか見てないけど、目の無い人形がなぜか引っかかってるんだ。関係ないかも知れないけど」
「魔石絡みだから気になるのでしょうか?」
「そうかも知れない。あとは、叔父さんが僕に内緒で色々調べてたみたいでしょう?」
「そうですね」
「あの資料の中に、人形師とは書かれてないけど似たような人の事があった気がして」
珊瑚は資料の内容を詳しく思い出そうとするが、個別の症例まで読み込まなかったのでわからない。それ以上に魔石の記述に目を奪われてしまったからだ。
「あの時僕は混乱してたから、細かく読んでないんだ」
「私も、魔石の事で頭が真っ白になって、同じような感じです」
「その後すぐに涼介が来たから読み直す暇も無かったしね。また後で読み返してみよう」
「そうですね」
二人頷きあって、待ち合わせ場所のレストランへと向かう。
そのレストランは、街の中心からは少し外れた静かな場所にあり、レンガ造りの二階建てだ。重厚感がありつつも暖かさを感じるのは、扉が木製だからだろう。取っ手は金色だが鈍く光り、上品さがある。一階の窓にはカーテンが引かれているが、真ん中を上に吊っているので少しだけ中の様子が窺えた。扉の上に見える二階にはアーチ窓があり、温かみのある光が漏れ出している。
陽一が扉に手をかざせば自動で開き、中は落ち着いた木製のテーブルと椅子が適度な距離を保って並べられていた。間には衝立や鉢植えの木が置かれているが、個室というほど区切られては居ない。
名前を告げると、店員が微笑みながら二階へ続く階段へと導く。
二階にはいくつかの扉が並んでおり、通路には絨毯が敷かれている為、足音は響かない。店員が一つの扉をノックし、中からの返事を待って扉を開いた。扉の先には既に到着していた西野が待っていた。




