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1-2

 石門の中を覗くと、煉瓦造りに白い漆喰の塗られた壁が目に飛び込んできた。赤い屋根は趣があるが、古すぎるということもない。カーブを描く庇の奥には、模様入りのガラスの入った窓が見えた。


 サンゴが建物をぽかんと見上げている間に、少年が石門をさっさと通り抜ける。軽々とトランクを運び歩く後ろ姿は、まるでいつも通りといった風だ。


 入口の扉には休診中の札が掛けられていた。横に設えられた呼び鈴が目に入るが、それすら無視して少年は扉を押し開く。今どき魔石を使わないレトロな扉が、ギイと音を立てて開いた。それと同時に、頭上からカラコロと軽やかなベルの音が降ってきた。


「若先生! 患者を連れてきたから診てくれよっ」


 静まり返った診療所の中に、少年の声が響き渡る。奥の部屋でガタンと物音がしたかと思うと、その扉がゆっくりと開いた。中から出てきたのは、何とも眠そうな様子の青年だ。寝癖のついた頭を掻きながら、大きな欠伸をしている。ベージュのベストに同色のスラックスで、ネクタイ姿だ。だが、ワイシャツの釦は二つ開いているし、首元のネクタイは緩められていた。何とも気楽な雰囲気に、サンゴは思わず目を瞬いた。


「なんだ、一馬(いちま)。診療時間でもないのに何があったんだ?」


 青年は少し癖のある焦げ茶の髪をかき上げ、のんびりとした口調で問いかけた。そのときようやくサンゴの姿に気付き、ぱちぱちと目を瞬いた。かと思うと、突然真面目な顔つきで近寄ってくる。


「君、顔色が悪いね。貧血かな? 立ちっぱなしも何だから、こっちに来て休みなさい」


 サンゴは思わず一歩後退り、眼鏡を直しながら身体を揺らした。一馬と呼ばれた少年は、「俺も寒いから、中であったまろうぜ」とこちらを振り返った。トランクを持ったまま青年の後に続く後ろ姿に、戸惑いながらもついていく。荷物を持っていかれたのだから、半ば強制的と言えるだろう。


 待合室らしき場所から、診察室と書かれた部屋へ一歩足を踏み入れる。ほんわりとした温かな空気に包まれて、サンゴはほっと息を吐いた。


「ベッドがあるから、そこで休むといいよ」


 そう言われても、初めての場所でいきなり横になるのも躊躇われた。立ちすくんで青ざめているサンゴに、青年が眉を下げた。


「いきなりそう言われても困るか。それじゃあ、こっちの椅子にどうぞ」


 よく見れば、診察室と書いてあった部屋は応接室も兼ねているようだ。医者の机と椅子、その直ぐ側に置かれた患者用の椅子の他にも、丸テーブルと座り心地のよさそうな椅子が置かれていた。青年が指し示したのは、その座り心地のよさそうな椅子の方だ。


「お姉さん、遠慮せずに座りなよ。狭くてボロい診療所だけど、掃除はちゃんとしてあるぜ?」


 一馬がニヤリと笑いながら、戯けたように首を傾げた。


「狭いってほどでもないし、ボロくもないだろう? それに病院が掃除してあるなんて当たり前じゃないか。一馬は僕のことをそんなにだらしないと思ってたの?」


 腕を組んで半眼になった青年は、どうやら一馬と気の置けない仲のようだ。


「だって若先生、さっきまで昼寝してたんだろ? 服もだらしないし、寝癖だってついてるぜ。どうせまたくだらない発明のせいで、寝不足なんだろ?」

「くだらないとは失礼なっ! 僕の発明はいつだって人を笑顔に導く尊いものだ。一馬にその高尚さは理解できないみたいだね」


 胸を張って言い返す姿は、なんだか見た目より幼く映る。そんな青年を呆れたように見つめた一馬が、「じゃあ、今回はどんな発明だったか教えてくれよ」と返した。その顔には、これからどうやってからかってやろうかと企むような笑みを浮かべている。


「聞いて驚け、今回の発明は理想の湯加減で紅茶を入れる自動ティーポットだ!」

「……笑えないし、やっぱりくだらない」

 

 全く同じ感想を持ったサンゴは、口に出すことは止めて黙って見守ることにした。


「くだらなくなんてない! それぞれの茶葉に合わせて温度を制御することが如何に難しいか、一馬にはわかるまい!」

「うん、俺そんなくだらないことで寝不足になるような人の苦労なんて、わからなくていいや」


 ため息を吐きながら首を横に振った一馬は、からかう価値すらないと言った表情だ。サンゴは青年に緊張していた自分がなんだかばかばかしく思えて、肩の力がすっと抜けた。


 駅で出会った一馬は、純粋にサンゴを心配してくれていた。そんな彼が気安く話しかける姿に、ほっとしたというのも本音だ。


 サンゴの様子に気付いた青年が、再び椅子を勧めてきた。今度はサンゴも遠慮せずに、その椅子に腰掛けた。満足気に笑った一馬が、頷きながら青年に向かって「後は頼んだぜ」と声を掛けた。


「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。お姉さん、またなっ!」


 その言葉を最後に、さっさと部屋の扉をくぐっていく。あっという間に閉まり始めて、サンゴは慌ててその後ろ姿に礼を言った。一馬はほんの少し振り返り、照れたようにふいっと視線を逸らした。軽く振ったのとは逆の手に、お茶の紙袋を持っている。サンゴの分もこれから返してくれるのだろう。それにも礼を言いたかったが、出入り口のベルがカラコロと鳴り、一馬が出ていったことを報せた。


「あいつは一馬って言って、ちょっとした悪ガキなんだ。でも、弟想いのいい子だよ」


 そんな風に一馬のことを話しながら、慣れた手つきで青年が紅茶を淹れ始めた。どうやらさっき話していた発明品ではないようだ。サンゴはほっとしたような、少し残念なような気持ちが入り混じる。とは言え、これからどうしたらいいのかわからない。目の前に置かれた紅茶の湯気が揺れ、それに目を落とすようにして俯いた。


「遠慮せずに、どうぞ」


 俯いて動かないサンゴに、青年が柔らかな声で話しかけた。サンゴは一瞬肩を揺らし、おずおずとカップに手を伸ばす。ごくりと喉を鳴らすが、持ち手に触れただけで口に運ぶことができない。すぐに手を離して眼鏡に触れて、落ち着きなく身体を揺らした。


 そわそわとした気持ちで、向かいに座った青年を盗み見ると、柔和な笑みを浮かべてカップを傾けていた。サンゴの挙動不審など、気にも留めていないようだ。思えばここは病院だ。様子のおかしな患者には慣れているのかも知れない。とは言え、サンゴのような特殊体質の患者は、さすがに初めてだろうが。


 しばらく見つめていると、カップを置いた青年とふと目が合った。驚いたサンゴは微かに身体を引いて、視線を左右に彷徨わせた。


「少しは気分が善くなったかな? 診察するからカルテを作ろうか」


 サンゴは慌てて断ろうとするが、青年は立ち上がって診察用と思われる机の方へ向かっていった。すぐ側に置いてあったキャスター付きのサイドテーブルに紙とペンを置き、さっきまで座っていたサンゴの向かい側に引っ張ってくる。そのまま椅子に腰掛けると、あっと小さく声を上げた。


「そう言えば、自己紹介がまだだった。僕の名前は、平良陽一。この診療所で助手兼医師をやってるんだけど……今は僕一人で留守を預かってるんだ」


(平良……陽一? 弘樹先生じゃない。留守を預かるってどういうことだろう?)


 頭の中が混乱したサンゴは、目を瞬きなら考える。


 そもそもサンゴが帝都に出てきたのは、母の言葉があったからだ。いつか『平良弘樹先生』を訪ねるように。そう言っていた母は、あの日突然いなくなった。きっと平良弘樹先生に会えば、何かわかると思ったのだが。目の前の青年がそうなのではという期待は、見事に打ち砕かれた。


「それで、君のカルテを作りたいんだけど。名前を教えてくれるかな?」


 サンゴはひゅっと息を呑み、次第に顔色を悪くする。カルテを作るということは、診察をするということだ。サンゴは眼鏡をかちゃかちゃと触り、じんわりと全身に冷や汗をかいた。なにせサンゴの左目は魔石なのだ。こんな人間きっと他にいない。診察と言うからには、この目も当然診るのだろう。

 

 生まれてから何度か、医者の診察を受けたことはある。けれどそれは母が多少の事情を話して、どこかから招いた人たちだ。それでも診察で触れられる度、目を覗き込んだ瞬間に彼らから不快な感情を受け取った。好奇心や恐怖、嫌悪や蔑み。感情が読み取れることは告げていなかったが、皆表情そのままに流れ込んできた。毎回文字通り気分が悪くなり、いつも診察の後は寝込んでしまった。


 それでも母が医者を呼んだのは、どうにか普通の暮らしができないかと思案してのことだったのだが。


 サンゴは目の前に座る、人のよさそうな青年——陽一を恐る恐る見上げた。柔和な笑みを湛えているが、何とも感情の読めない目をしている。一馬があまりにも気さくに接していたから、余計になんだか怖くなる。もしこの人からも負の感情が流れてきたら。


 その表情を見ている内に、ふと寝癖のついた髪が目に入った。そう言えば、今は休診中の札が掛かっていた。それなのに、陽一は構わずサンゴを気遣っている。横になれないならと椅子を勧め、わざわざ紅茶まで淹れてくれたのだった。なんだかこのまま黙っているのは、酷く失礼な気がしてきた。


 焦り始めたサンゴの様子を、陽一は変わらず柔和な笑みで見守っている。徐々にその笑顔が、名前を言うまで帰さないと言われているように見えてきて、思わず喉を鳴らした。


「か、神崎」

「ん? ああ、神崎さん」

「は、はいっ。神崎サンゴです。九月十六日生まれの十七歳です」


 頷きながらカルテに文字を書いた陽一が、サンゴに見えるように紙を回した。そこに書かれていたのは『神崎珊瑚』の文字だった。出生届を出した父親は、『珊瑚』の名前を書いていないだろう。けれど、母がくれた名前は『珊瑚』だ。それを誰かに認めて貰えたような気がして、珊瑚の気持ちがふっと軽くなる。


「これであってる?」

「はいっ」


 たった一言の返事が、診察室の温かな空気に明るく響く。陽一は一瞬目を瞠ったが、すぐに元の柔和な笑みを浮かべた。


「じゃあ、まずは貧血がないか確認させてもらおうかな」

「は……」


 はい、と言いかけて珊瑚の動きがピタリと止まる。そうだ、貧血の確認ということはつまり。


「じゃあ、目を見せてほしいから、眼鏡を外してもらおうか」


 石にでもなったかのように固まった珊瑚は、顔色を失くして唇を引き結んだ。眼鏡を外す。つまり、左目の魔石が見えてしまう。なにせこの眼鏡は、珊瑚自作の目の色が変わって見える魔石入りのものなのだ。眼鏡越しなら普通に見える左目も、裸眼になれば真っ赤なガーネットだと分かってしまう。


 首を傾げた陽一は、動かない珊瑚を眺めてから、ゆっくり手を伸ばした。その手が徐々に眼鏡に近づき、珊瑚の心臓が口から飛び出しそうなほどに暴れ出す。まるでスローモーションのように近づいてきた陽一の指先に、思わずぎゅっと目を閉じた。

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