1-1
初日5話更新です(20時から10分おきに投稿されます)
順番にご注意ください。
よろしくお願い致します。
ドンッと後ろから押されたサンゴは、「うわぁ」と声を上げながら冷たい駅のホームに両手をついた。肩で切り揃えられた濃茶の髪がはらりと揺れて、袴姿の膝をしたたかに打ち付ける。
「ちっ。そんなところでボサッと突っ立ってるほうが悪いんだ。すまんが俺は急いでるんだ。じゃあな」
男とぶつかった場所から一気に苛立ちの感情が流れ込み、サンゴは思わず頭を抱えた。
先ほど到着したばかりの漆黒の汽車は、その扉からひっきりなしに人を吐き出している。サンゴも同じように降りてきて、あまりの人の多さに立ち竦んでいた。そこへ、あの壮年の男がぶつかってきたのだ。
和装洋装入り乱れるこの大和帝国は、身分制度が廃止されると共に元号が『黎光』と改められた。それからちょうど四十年。人々は多かれ少なかれ魔力を持っており、道具に魔石を埋め込んで便利に使っている。サンゴの乗ってきた汽車は、魔石と石炭を使った旧式だ。
(どうしよう、帝都ってこんなに歩きづらかったんだ。人が多いとは思ってたけど、ここまでだなんて……)
頭を抱えたサンゴはとうとう蹲り、十二月の冷たい風に身体をぶるりと震わせた。
(お母さんに言われたとおり、帝都までどうにか来てみたけど……ちゃんと辿り着けるのかな)
ほんの少しだけズレた眼鏡を無意識に触り、しっかり元の位置に戻した。その間にも幾人もがぶつかってきて、負の感情が次から次へと流れ込み気分がどんどん悪くなる。
子供の頃に左目を魔石に変えられてから、サンゴは人に触れると感情を受け取るようになってしまった。そのため普段から他人と文字通り距離を取って暮らしてきたのだが、ここまで人が多くてはそれもできない。呆然と立ち尽くしていたのは、沢山の人の苛立ちや怒りなどの感情にあてられて、頭の中が真っ白になっていたのだ。
唸り声を上げながら蹲っていると、ポンと後ろから肩を叩かれた。びくりと身体を揺らし、再びズレた眼鏡を押さえる。今度はどんな感情が流れ込んでくるのかと身構えたところで、意外な言葉が降ってきた。
「お姉さん、大丈夫? 具合でも悪いのか?」
恐る恐る声の方に顔を向けると、サンゴよりいくつか年下に見える少年がこちらを見下ろしていた。前かがみになって開いたジャケットの下には白い綿のシャツ、首元から垂れ下がるくたびれたマフラーがふわりと揺れる。更にサンゴの顔を覗き込んできた拍子に、緩めのズボンを吊ったサスペンダーがチラチラと見え隠れした。
サンゴは思わず俯き、少年の履き古されたブーツの爪先に視線を落とした。また嫌な感情が流れてくるかも知れない。そう思っていたのだが、一向にその気配はない。気付けば純粋に心配をしているような、驚くほどに澄んだ気持ちが流れ込んできていることに気が付いた。
ぱくぱくと口を開け閉めしながら、なんと答えるべきか考える。こんなときに自然な会話ができるほど、サンゴは誰かと関わったことなどない。なにせ特殊な体質だ。こんな風に気兼ねなく触れてくるのも、母以外にはいなかった。
「お姉さん……そんなに具合が悪いのか? なら、俺がおぶって運んでやるよ」
華奢な身体つきの少年が、少しだけ背伸びをするように口の端を上げた。サンゴは思わず目を瞬き、ズレてもいない眼鏡を再び直した。
「あっ、ありがとうございます。でもっ、大丈夫です。少し休んだらよくなるので。声を掛けて貰って、落ち着いてきました」
人前で笑うことに慣れないサンゴは、寒さに強張る頬を引きつらせて無理矢理笑みを浮かべた。サンゴを見下ろす少年は、納得いかないように腕を組み、しばらくの間悩むような素振りを見せる。
「顔色悪いし、医者に見てもらったほうがいいと思うけど。寒くて震えてるってわけでもないだろう? 俺の知ってる医者がいるから、案内してやるよ」
(どっ、どうしよう……こんなの初めてで、なんて答えたらいいのかわからないっ)
少年の感情に影響されて、気分は少し和らいできた。しかし、今度は接し方がわからない。落ち着かない気持ちで眼鏡を何度もかちゃかちゃと触り、口をもぞもぞ動かすばかりだ。そんな様子に痺れを切らした少年が、サンゴの横に置かれていたトランクをひょいと持ち上げた。
「そんなに辛いなら、お姉さんもおぶってやるけどどうする? それとも自分で歩けそう?」
華奢な少年が、サンゴにとっては重いトランクを軽々と持ち上げ首を傾げた。サンゴは一瞬目を瞠り、少年を見上げて口をぽかんと開いた。すぐに意識を取り戻し、眼鏡を触りながら慌てて返事をする。
「あ、あのっ、歩けますっ! 大丈夫です、ありがとうございます……じゃなくて、あのっ!」
サンゴが答えている間に、少年は笑みを浮かべてさっさと踵を返す。サンゴに構わずスタスタと歩いていく後ろ姿を、しばらくの間呆然と眺めた。その手に持ったトランクに目を留めて、あっと声を上げて急いで立ち上がる。自分の荷物を持っていかれてしまった。サンゴは袴の汚れを払うのも忘れ、羽織を翻しながら足早に少年の後を追いかけた。
改札を抜けて駅の外に出ると、振り向いた少年が「ちょっと待ってて」と言いながらどこかへ小走りで去っていった。サンゴの荷物を持ったままだ。帰ってこないのではないかと一瞬頭を過るが、慌てて首を横に振る。肩に触れられたときに流れてきた感情は、純粋に心配しているものだった。きっと大丈夫、そう思い直したサンゴは、大人しくその場で待つことにした。
ぼうっと辺りを眺めると、あまりの人の多さに圧倒される。帝都はこんなに人が多いのか。想像はしていたが、ここまでとは思いも寄らず、ただ立っているだけでも不安になってくる。また誰かとぶつかって、嫌な思いをするのではないか。せっかく少年のお陰で落ち着いてきていたのに、再び湧いてきた弱気な気持ちに、情けなさが込み上げた。
落とした視線の先に汚れた袴が映り込み、沈む気持ちを少しでも消したくてそれを強く払う。そうして顔を上げたところで、少年が何かを手に戻ってきた。持っている紙袋を顔の高さに上げると、少年はにっと口の端を上げた。
「これでも飲んで、少し落ち着いてからいこうぜ。ちょっとは気分がマシになると思うよ」
トランクを足元に置いた少年は、紙袋の中から二つのカップを取り出した。露店で売っている、保温の魔石が組み込まれた定番のお茶だ。短時間なら冷えることはないので、ゆっくり飲んでも快適な温度が保たれる。
いまだ顔の青ざめたままのサンゴのために、急いで買ってきてくれたのだろう。一瞬でも疑ってしまった自分を恥じるように、サンゴは再び眼鏡を触る。
「あ、お金っ」
「ははっ、いいって。俺が勝手に買ってきたんだから」
少年はカップをサンゴにそっと手渡し、隣に並んで行き交う人を眺めながらお茶を煽った。
掌の中に包まれたカップの温かさが、じんわり身体を包み込む。沢山の人が通っていくが、先程のような不安が込み上げてこないことに気が付いた。一口お茶を飲み下すと、ほうっと息を吐く。少年は急かすでもなく、話しかけるでもなく、ただ隣に並んで道行く人々を黙って見ていた。
「じゃあ、いこうか」
空になったカップを受け取った少年が、紙袋とトランクを持って歩き出した。後に続いて足を踏み出すと、心なしか身体が軽くなったように感じる。身も心もほんのり温かさを取り戻したサンゴは、気持ちがいくらか浮上した。しかし、そんなサンゴを気遣った少年が、歩調を緩めていることには気付いていない。
「お姉さん、帝都は初めて?」
振り向きながら問いかける少年の白い息が、冷たい空気に溶けていく。サンゴはそれを見ながら、「はい」と小さく頷いた。
「そう。俺は帝都生まれの帝都育ちだから知らないけど。余所の地方からきた人たちは、帝都は賑やかで退屈しないって言うよ」
「そ、そうなのですか。私の生まれ育ったところは田舎なので、人も少なくて。だから、帝都は少し……」
言い淀んだサンゴに、少年が眉を下げた。
「怖い?」
「そう、かも知れません。い、色んな人の感情が流れ込んできて……戸惑ってしまいます」
俯きがちに答えたサンゴに、少年が首を傾げた。しまったと思い慌てて眼鏡を触るが、余計に動きが怪しくなる。
(感情が流れ込むなんて、普通の人にはわからないことなのに……。変なことを口走って、おかしな人だと思われたかな。どうしよう、なんて言い訳したら……)
焦るサンゴに、少年はまるで何も聞いていなかった風に口を開いた。
「帝都って、面白いものが沢山あるよ。医者に行って具合がよくなったら、俺が案内してやるよっ」
振り向いて楽しそうに笑う少年の顔が、酷く眩しくて目を細めた。曖昧に笑ったサンゴを横目に、少年は再び前を向いて歩き続けた。
賑やかな帝都の様子を、おっかなびっくり眺めていたサンゴは、やがて人の数が少なくなっていることに気が付いた。そうなれば周囲をゆっくり観察する余裕も出てくる。これだけ数が減っていれば、さすがにうっかりぶつかることもないだろう。多少キョロキョロしていても、ただの田舎者と思われるだけで済むはずだ。そうして辺りを見回すサンゴの様子を、少年はちらりと盗み見てから笑みを浮かべた。
しばらく歩いていると、ふと楽しそうな声の響く食堂が目に留まった。沢山の人が集まって、賑わっていることを羨ましく感じる。寒くて冷たい外の世界はサンゴの居場所そのもので、温かな食堂はまるで別世界だ。サンゴはあんな風に誰かと過ごしたことはないし、過ごすことも難しい。サンゴの世界はずっと、母だけだった。
少年の背中に視線を戻し、胸の奥がずきりと痛む。いつか帝都を案内すると言ってくれたが、本当にそんな日が訪れるのだろうか。ほんの少しの期待と、願ってはいけないような気分が交錯する。少し背伸びした、だけど親切なこの少年も、サンゴのことを知ったら。触れたら感情を知られるのだと分かったら、こんな風には接してくれないだろうから。
唇を噛み締め、俯きそうになったところで、少年がピタリと足を止めた。突然くるりと向きを変え、サンゴの方を振り返る。
「ここがさっき話した医者だよ。大先生は今いないけど、若先生が診てくれる。腕は確かだから安心してよ」
楽しげに言った少年が案内してくれた先には、石造りの門柱が立っていた。そこには大きな看板が掲げられており、サンゴはそれを見て大きく目を見開いた。書かれていた文字は、『平良診療所』だ。サンゴはこの中にいるはずの人物を想像して、ごくりと喉を鳴らした。




