4-3
『おいっ、珊瑚!』
『ねえ、珊瑚ちゃん、大丈夫?』
呆然としたままその後どう過ごしたのか自分でもよく覚えていない。一悟と二胡が居るという事は、今は夢の中なのだろう。
『珊瑚、しっかりしろって』
『珊瑚ちゃん、大丈夫だから落ち着いて』
何が大丈夫なんだろう。あの魔石を思い出してから怖くて怖くてたまらない。一悟と二胡は、いつも珊瑚が何も言わなくても全てを理解している。それもそのはずだ。これは珊瑚の夢なのだから。
「一悟にい、二胡ねえ、あの魔石はやっぱりうちにあったのと同じだよね?」
『……』
二人は顔を見合わせて黙っている。その様子から、珊瑚はやはりそうなのだと確信する。
子供の頃、魔道具を作るために貰った魔石が失敗続きで足りなくなり、地下へ取りに行ったことがあった。
その部屋は、幼い頃に母が外出している間、使用人達から逃げるために入り込んだことのある部屋だった。
鍵がかかっていたが、古くなって外れかかっているのを見つけ、こっそり潜り込んだ。机の上にあるケースの中には、綺麗な石がいくつか並べてあった。当時まだ魔石の事もよくわからず、落ち着くまでその部屋に居ただけで、触れた事は無かった。
少し成長した珊瑚は、あの記憶の中の石は魔石に違いないと思うようになった。そして、地下室に置かれていた魔石が特別な物のように思えて、気になって仕方なかった。
ある日、誰にも見つからぬ様こっそり地下へ向かった珊瑚は、その部屋に忍び込み、以前と変わらぬままの魔石を見つけた。ケースに入った魔石を部屋に持ち帰り、魔力を込めようと手に取った。その瞬間、今まで感じた事の無い、ぞくぞくと背中を這うような寒気に襲われた。初めての悍ましい感覚に、思わず椅子から転げ落ちた。
『ガタン』と大きな音が響き、母が気付いて珊瑚の部屋に慌てた様子で駆け込んできた。珊瑚の机にある開いたケースと、落とした魔石を見比べて真っ青になり、慌てて拾い上げた。素早くケースにしまって蓋をした母の手は、細かく震えていた。そして、青い顔をしたまま珊瑚に言い含めた。
「この魔石は、お父さんの魔石だから絶対に触ってはダメよ。どんな事が起きるか解らない物だから」
怒ってはいないが、母は顔色を悪くし酷く動揺していて、すぐにその魔石を触れられない場所へ隠してしまった。だからそれ以来触った事はなく、その時の感覚はすっかり忘れてしまっていた。
西野の魔石に触れた瞬間、陽一のカメオに触れた時の感覚と、幼い頃に触れた魔石の寒気に繋がり、三つの魔石が珊瑚の中で一つに重なった。あまりの動揺に頭の中が真っ白で、何も考えられなくなってしまった。
「もしかして、先生の感情が無いのってあの魔石のせいなの?」
『……』
「あの人が関わってるって事?」
『珊瑚、まだあいつが関わってるかなんてわかんねえよっ』
『そうよ、珊瑚ちゃん。まだ何もわからないわ』
「でも、もしあの人が関わってるなら、私がここでお世話なるのって……」
三人とも『あの人』や『あいつ』としか呼ばないのは父親の事だ。非情な扱いしか受けていないので、三人とも父親と認めていない。
『とにかく、まだ何もわかってないんだからさ』
『そうよ、珊瑚ちゃん。それにここを訪ねるように言ったのはお母さんじゃない』
そうなのだ。母はなぜ平良弘樹を訪ねるように言ったのだろう。陽一の事は知っていたのだろうか。知っていたのだとしたらなぜ?
『母さんは、何も知らなかったのかも知れないしな』
『それとも、知っていて頼ろうと思ったのかも知れないわ』
「……うん」
『俺は、この事先生に話した方がいいと思うぜ』
『そうね、私もそう思うわ』
珊瑚は何も答えることが出来ない。この事を話せば、自分にとって初めて信頼出来そうだと思った人を失ってしまう気がする。母がどこに居るのか解らない今、誰にも側に居て貰えないのは恐ろしくてたまらない。諦めたはずの誰かとの繋がりを手放すのが怖くなっていた。
(何て自分勝手なんだろう。怖いからって先生にとって必要な話かもしれないのに、言いたくないなんて)
『珊瑚、俺は先生の事、信じてもいいと思うぜ』
『私もそう思うわ』
「でも……」
『不安なのは分かるけどさ、内緒にして後で知られた方がガッカリさせるぜ?』
『そうよね。信用してる人に大事な事を隠されたら、私なら悲しいし寂しいわ』
「それはっ、わかるけど……。でも、先生にとって私はそこまで親しい人間じゃないと思うし……」
二人は大きくため息を吐いて、珊瑚の顔を覗き込む。
『珊瑚、お前先生の話ちゃんと聞いてたか?』
『そうよ、珊瑚ちゃん。先生は篠塚さんや西野さんに、何て言ってたかしら?』
俯いた珊瑚はその時の事を思い返す。大人しそうで意外だと言った涼介にはなんと言っていたか。
『珊瑚君は、思慮深くて素直ないい子だ』
西野の時はどうだったろう。
『彼女は患者で僕の助手です。人柄も信用出来ます』
(そうだ、先生はちゃんと私を信用できる人間として他の人に話してくれてた。そんな先生の事を信用してないのは私の方?)
『珊瑚は他人から好意を受けた事がなかったからな』
『そうね。秘密を知ったのに普通に接してくれたのは先生が初めてだもの』
「でも、それは先生が感情を失ってるからなんじゃないかな」
『ある意味そうだよな』
『そうね、あっちも事情持ちだもの』
「先生がもし普通の人だったら、今みたいに親切にして貰えなかったかも知れない」
『それはどうかな?』
『私は案外篠塚さんも大丈夫だと思うわよ?』
珊瑚はモヤモヤとした気分で首を傾げる。
『実際のところは分かんないけどな』
『そうね。でも、隠したい秘密を知られたのに、先生はいつも親身になってくれるわよね』
『そうだな。わざわざ助手にしなくたって、叔父さんが帰ってきたら連絡するって放っておいてもよかったはずだ』
『居場所を提供して、珊瑚ちゃんの事気遣ってくれてるわね』
考えてみれば確かにそうだ。珊瑚の事情を知る前なら、弘樹は居ないと断ってもよかったはずだ。事情を聞いたからと言って珊瑚を雇う必要もなかった。生い立ちを聞いて同情したのだとしても、面倒な事情持ちの珊瑚を手元に置くメリットは皆無だ。しかも、陽一自身もやっかいな事情を持っているのに。
だからこそ、心配した涼介が陽一の様子を見にわざわざ診療所へ足を運んだのだろう。
珊瑚が唸って考え込んでいると、無情にも夢から覚める時間が近付いて来る。『珊瑚、時間切れ』『珊瑚ちゃん、頑張って』と、小さくなって行く一悟と二胡の声に、珊瑚は手を伸ばして引き留めようとする。
「待って! 私まだどうしたらいいか分からないよっ!」
『またな』
『またね』
必死で手を伸ばすが、その手は二人に届かない。珊瑚は真っすぐ天井に腕を伸ばした状態で目を覚ます。その手を自分のおでこに当てて、大きく溜息を吐いた。
(話した方がいいのは頭では分かってる。けど、やっぱり怖い)
珊瑚はこんな自分が情けなくて嫌だと思うが、どうすればいいのか分からない。診療所の休みも今日までだ。今日中に覚悟を決めて、陽一に話さなければ。首元のネックレスを引き出し、ぎゅっと握り締めた。
(朝食を終えたら話そう。先生ならきっと大丈夫)
そう覚悟を決めて朝食を終えた珊瑚は、気分を入れ替えるようにして首を振った。
朝食を終え、陽一に話そうと決めていた珊瑚だが。なぜかきっちりと防寒具を着せられて、連れ出されていた。
「せ、先生。一体どちらへ?」
「まあ、着いてからのお楽しみ」
そう言って笑う陽一は、良く見れば以前と違って、目に一瞬楽し気な色が浮かんでいるように見える。すぐ消えていつもの静かなものに戻るが、いつからこんな風だったか珊瑚も正確には分からない。
「珊瑚――! 若せんせ――い!」
聞こえてきた声に振り向くと、案の定一馬だ。
「いっ、いち君?」
珊瑚は呼び慣れず、少しぎこちなく一馬を呼ぶ。
「やあ、一馬。ちゃんと準備はしてきたか?」
「もちろん! 早く行こうぜっ!」
そう言って躊躇う事なく珊瑚の手を取った一馬は、一直線にどこかへ走り出す。
「一馬っ! 珊瑚君が転んだらどうするんだ」
「俺が支えるから大丈夫っ」
案外足の速い珊瑚は、しっかり付いて行くので転ぶ気配はない。苦笑しながら付いてくる陽一は、まだどこへ行くのか教えてくれるつもりはない様だ。
街とは違う方角へ向かっていて、どこへ行くのかさっぱり見当が付かない。丘を登り切った所で息が切れて、一旦立ち止まった。その下に広がる光景に珊瑚は息を呑む。
少し下った先に見えるのは、凍りついた広大な川だった。光を浴びて銀色の帯のように延びている。歩きながら近付いて見ると、所々に大きな石が不自然に落ちていた。風が吹くと刺すような冷たさだが、珊瑚は初めての凍った川に目を奪われた。
「珊瑚君、スケートしたことある?」
「い、いいえ、ありません」
「そう。じゃあ、今日は初めてのスケートを楽しもう!」
「えっ? は、はい」
「珊瑚っ! あそこの石からあっちの石までは大丈夫だからな!」
珊瑚は首を傾げた。石が一体なんなのだろう。
「一馬、それじゃ珊瑚君に分からないだろ」
そう言って苦笑した陽一が珊瑚にわかりやすく説明し始めた。
「氷が薄いと危ないからね。人が乗っても大丈夫か一馬が先に来て、石を落として確かめてくれたんだ」
「毎年あの石のある辺りが凍ってれば、見える場所はほとんど安全だからなっ。今日はわかりやすいように、目印つけといたぜ」
一馬は早速スケート靴に履き替えて、氷の上へと滑り出す。まだ誰も来ていないこの川は、毎年人が集まってスケートを楽しんでいるらしい。今年は異例の寒さで早めに凍り、年始と重なったこともあって、まだ誰も滑りに来ていないそうだ。
「珊瑚君のスケート靴、用意してあるから履いてみて?」
「は、はい」
珊瑚は陽一が準備した簡易式の椅子に腰かけ、渡されたスケート靴に足を通す。編み上げブーツと変わらない紐靴で、難なく履くことが出来た。しかし、靴底が細くて立ち上がるのも怖い。
「サイズは大丈夫かな?」
「は、はい。大丈夫です。ですが、立ち上がれそうにありません」
困り顔の珊瑚に、陽一は楽し気に両手を差し出す。
「はい、捕まって。ゆっくりでいいから、まずは地面を歩いてみよう」
「は、はい」
恐る恐る立ち上がると、最初はバランスを崩して転びそうになる。陽一の手を頼りに歩き出すと、案外早く慣れてきた。
「よし、じゃあ次は氷の上に立ってみようか」
「は、はい」
陽一は後ろ向きのまま、珊瑚が氷に足を付けて慎重に歩き出すのを支える。「爪先をハの字に開いて、ゆっくりね」と言われて、意識して歩く。徐々に慣れてくると、陽一は手を放して横に付く。一人で歩く事に慣れてくると、滑り方を教わった。
「体重を片足に乗せて、もう片方の足で氷を後ろに蹴ってみて」
言われた通りにすると、スーっと氷の上を滑り出す。交互に繰り返すと、徐々にコツが掴めてきた。
「珊瑚君、案外運動神経がいいんだね」
「そ、そうでしょうか」
案外という言葉を聞き漏らした珊瑚は、照れながらも得意そうに笑みを浮かべた。
「あはは、あまりスピード出すと止まれなくなるから気を付けて」
「は、はいっ」
止まり方も教わり何度か試すが、まだぎこちない。ゆっくり練習を繰り返していると、遠くから一馬の声が聞こえてきた。
「おーい、珊瑚――!」
大きく手を振って楽しそうに笑って滑っていた一馬が、突然助走を付けてジャンプした。珊瑚は驚いてびくりと身体が震え、足元がおぼつかなくなる。
「あわわわわ」
妙な声と共に、左右の足を交互に前へ滑らせ、今にも転びそうだ。
「珊瑚君っ!」
気付いた陽一が手を伸ばすも間に合わず、二人揃って思い切り氷に打ち付けられた。
「珊瑚っ! 若先生っ!」
慌てて猛スピードでこちらに向かってきた一馬は、二人の手前で急停止する。刃が氷に食い込み、小さな飛沫が宙を舞った。光が反射してきらきらと舞い散る粒に、珊瑚は大きく目を見開く。
「綺麗……」
思わずつぶやいた言葉に、陽一と一馬は目を丸くした。
「珊瑚君、怪我はない?」
「珊瑚っ、驚かせてごめんな」
二人ほぼ同時に聞いてくるが、珊瑚は大丈夫だと頷き笑う。すると陽一が、頷きながら珊瑚を立たせ、川岸に上がった。
「こんな事もあろうかと、いい物を持ってきたんだ」
珊瑚は既視感を覚え、気が遠くなりそうだ。一馬も何かを察知したようで「まさか、出るのか?」と呟いている。案の定、陽一は持っていた荷物の中から小ぶりな袋を取り出した。
「こんな所で転んで、もし氷が割れてもこれがあれば大丈夫」
「先生、大丈夫です。間に合ってます」
「まあ、そう言わずに」
「若先生、俺、ちゃんと氷の厚みは確かめたから落ちないって」
「うん、でも転ぶと痛いし寒いだろ?」
二人は半ば諦めた無表情になり陽一を眺める。
「これは、寒さを凌ぐだけじゃなく、暑さからも身を守る。防火防寒防水対策ばっちりの、その名も『鉄壁防御シェルター君』だっ!」
ばさばさっと音を立てて広げたのは、宇宙服のような何とも不格好なものだ。珊瑚と一馬は青ざめたまま続く言葉を待った。
「しかもっ! 浸水したり火事になっても安心な魔石フィルター付きで、水の中でも煙に巻かれても息が出来るっ!」
「……」
「ほら、珊瑚君、一馬も。万が一があるから着てみなさい」
「先生。私、今日はもう滑りませんので結構です」
「若先生、俺さっきジャンプしてるの見てただろ? そんなの着たら動けなくて余計あぶねーよ」
「まあ、そう言わずに」
一馬はさっさと無視して川のスケートリンクへと逃げて行った。
「あ、いち君ずるいです!」
「何だよ珊瑚君まで、平常運転で酷いな」
「だって先生、それを着た自分を想像すると間抜けすぎて無理です」
「ずんぐりむっくりでかわいいと思わない?」
「思いませんっ!」
言い切った珊瑚は、おかしくなって思わず声を立てて笑う。
(ああ、楽しいな。こういうのを幸せって言うのかな。私はこれを失くすのがどうしようもなく怖い)
そう思う珊瑚の頭に陽一がぽんと手を置いて軽く払う。
「あははっ。さっきの一馬の氷しぶきが、溶けて水になってるよ」
触れた陽一の手から流れ込んでくるのは、なんだか優しくて暖かい気持ちで、一瞬で消えていく。
「珊瑚君。言いたく無いことを無理に言わなくてもいいんだよ」
珊瑚は、はっとして陽一を見上げた。柔らかく笑う陽一が続ける。
「楽しそうに笑ってくれたらそれで十分。もし話したい時が来たら、その時にね」
珊瑚は固く口を引き結んで、泣きたくなるのを堪えた。
遠くの方で一馬が二人を呼びながら、さっきより高くジャンプしてはくるくると楽しそうに回っていた。




