4-1
珊瑚はガラクタ部屋ならぬ発明品置き場で一人、初詣に買って貰ったカップを使ってルイボスティーを飲んでいた。淹れてくれたのはいつもどおり陽一だ。珍妙な発明品『茶葉の守護神セーフティー君』なる物を使っていたので、正確には発明品が淹れたのだが。
紅茶ではないが茶葉なので、やっと本来の使い方だと言える。しかし、陽一が淹れてくれるものも味はいいので、意味があるのか分からない。陽一はお茶を淹れてすぐ、急な用事が出来たとかで今は外出中だ。
手に取ったカップは温かく、部屋の中も外の寒さが嘘のように暖かい。指先まで温まっているはずの珊瑚だが、心の中は酷く冷え切っていた。
(少しは変われたと思ってたのに、あの時私は何も出来なかった)
初詣の日の光景が頭を過る。
真っ青になっていつもとは違う陽一を前に、珊瑚はただ立ち尽くしていた。不安で胸がいっぱいになり、頭の中は真っ白だった。青い顔で立ち尽くす珊瑚と、膝をつき顔色悪く冷や汗を流す陽一の様子に人が集まり始めた。
陽一はその頃になってようやく目の焦点が合い、珊瑚の方へ弱々しい笑顔で「ごめんね、もう大丈夫」と声を掛けた。珊瑚はそれに何も答えられなかった。その間にも陽一は周囲の人々に声を掛け、それが終わると珊瑚の手を取りその場を後にした。
二人とも無言のまま診療所に帰り着くと、陽一が「心配かけてごめんね」と掠れた声で謝った。珊瑚は大丈夫だから、ゆっくり休んで欲しいとだけ伝えた。
あの時の不安は、単に頼れる人に何かあったらという自己本位な気持ちだったのかもしれない。そう思うと殊更気持ちが重くなる。
沈んだ気持ちでカップを見つめていると、コンコンというノックと共に扉が開く。いつもと違うそれに違和感を覚えるが、陽一が用事を終えて戻ってきたのだろうと思い振り返った。
「ふーん、君が新しく入ったって言う助手か」
扉から入ってきたのは見知らぬ男だ。一見すると軽そうな、目つきの鋭い青年だった。年の頃は陽一と変わらなく見える。あまりきっちりと整えられていない髪は、しっかりと計算された軽さが出ている。
紺のベストと同色のスラックスで、グレーのネクタイに宝石のはまったタイタック。上に羽織るワインレッドのジャケットはチェック柄で赤いチーフが馴染んでいる。
青年は不思議そうに見返す珊瑚を品定めするように、ジロジロと不躾な視線を寄越してきた。
「まあ、見た目は悪くないな」
そう言いながら近付いてくる青年に、珊瑚は警戒心を露わにカップを置いて椅子から立ち上がった。
「あ、あのっ。どちら様でしょうか。お目にかかるのは……多分初めてですよね?」
眼鏡をかちゃかちゃと触りながら答える珊瑚に、ふっと馬鹿にしたような笑みを浮かべ、青年が答える。
「初めまして、見た目だけは綺麗なお嬢さん」
悪意を感じる言葉に、珊瑚は戸惑いつつも、「は、初めまして」とぎこちなく返した。青年は意地悪そうな笑顔で、更に続けた。
「最近陽一にまとわりついてる助手もどきって君の事だろ?」
「えっ? は、はい。お、恐らく私の事だと思います」
まとわりついているつもりはないが、助手になったのは間違いない。
「ふーん。あのさ、陽一って見た目はいいし寄ってくる女も多いけど、はっきり言って無駄だから、勘違いするなよ」
珊瑚は、陽一はモテるんだなぁと思いつつ、今更ながらに恋人がいるのかも知れないという考えに思い至る。
(あれ? そう言えば先生に恋人が居るかどうか聞いてない。助手にって言われて普通に住み込んじゃったけど、これってまずいのかも)
そう思うと、さっきとは違った意味で不安が湧き上がる。顔を青くして悩み始めた珊瑚を見た青年は、ふんと鼻を鳴らした。
「やっぱり狙ってんのかよ。君、あいつが持ってるカメオを見た事あるか?」
最初のひと言は珊瑚の耳に入らず、カメオという言葉にはっと顔を上げた。
「か、カメオですか? 大切な方の持ち物だったと伺いましたが」
「そう、それ。あれはあいつの幼馴染が持ってたやつで、陽一にとってはこの世で一番大事な物なんだ」
「そ、そうですか」
珊瑚は感情の無いはずの陽一が、カメオを見つめる切な気な表情をふと思い出して胸がずきりと痛む。
幼馴染の恋人が居るなら、ここを出て行った方がいいだろう。やっと母以外に頼れる人が出来たと思っていた珊瑚は、苦しい胸元を片手で握りしめた。
「大体あいつは何かに対して特別な感情なんて抱くはずがないんだから」
その言葉に息を呑んで、青年を見上げる。
「あれ? その反応、まさか何か知ってるのか?」
訝しげに問い掛ける青年に、陽一の秘密を口にする事は躊躇われ、首をふるふると横に振る。
「ふーん……その反応、本当は何か知ってるよな?」
そう言いながら青年は、一歩ずつ近付いてくる。思わずじりじりと後ずさると、気付かぬうちに壁際へと追い詰められていた。
「知ってる事があるなら、今の内に吐いた方が身のためだぜ」
意地悪な笑みを浮かべて迫ってくる青年に、珊瑚は俯き首を横に振るばかりだ。
「ま、素直に吐かないなら、それもいいか。今からじっくり聞き出してやるよ」
そう言いながら青年は珊瑚のおでこに人差し指を当て、上向かせるように軽く押してきた。珊瑚の頭に疑問符が浮かんだ瞬間、バタンッと大きな音を立てて部屋の扉が開く。
「涼介っ! 今すぐ珊瑚君から離れろ」
焦りと怒りを滲ませた陽一が、青年の腕を掴んで珊瑚から引き離した。
「なんだよ陽一、戻ってくるの早すぎだろ」
「お前、こんな事の為に俺を呼び出したのかっ」
「まあまあ、そんなに怒るなって。まだ何もしてないだろ?」
「まだってお前、珊瑚君に何をするつもりだったんだ」
どうやら先ほどの急用とは、この涼介と呼ばれた青年の企みだったようだ。一人になった珊瑚と話そうと、邪魔な陽一を呼び出しのだろう。涼介の狙いに勘づいた陽一は、慌てて引き返して来たのだが時すでに遅しといったところか。涼介はすでに珊瑚に接触し、目的を果たそうとしていたのだ。
息を切らして激しく肩を上下させながら、陽一が珊瑚と涼介の間に立ちはだかっている。その後ろ姿に珊瑚が、「先生」と声を掛けながら、今にも動き出しそうに震える袖をちょんと引く。
「なんだい、珊瑚君」
「あの、そちらの方は先生のお知り合いですか?」
「……ああ。こいつは僕の学生時代からの同期で、まあ名前はどうでもいいから覚えなくていいよ」
「おい、陽一。お前それは親友に対してちょっと酷くないか?」
「うるさい、自業自得だ」
また言い合いが始まりそうな二人に、珊瑚は少し焦りながら声を掛けた。
「あ、あのっ、先生っ! そちらの方は、私に対して嫌な感情や邪な気持ちは、一切ないですよ」
口をへの字にして目を見開いた涼介を他所に、陽一は「そうなの?」と珊瑚を振り返る。
「はい。そもそも私なんかに邪な気持ちなんて、誰が持つんですか。それに、私に対する悪意なんてこれっぽっちも感じません」
「そう。前半はさておき、珊瑚君がそう言うなら悪意がないのは信じるよ」
二人の会話を聞いた涼介は「まずったか」などと呟いている。
「おい、涼介。珊瑚君に免じて今回は許してやるが、次はないから覚えておけよ」
「へいへい、俺が悪かったよ。一見大人しいから、意外だったけどな」
「意外とは失礼な。珊瑚君は奥ゆかしくて思慮深い素直ないい子だ」
「俺としては、お前の変わりようのほうが意外だな。だってお前…」
言い淀んだ涼介は、ちらりと窺う様な視線を寄越した。その様子に珊瑚は首を傾げる。
「珊瑚君には詳細を話そうと思ってた所だ。お前が邪魔しなければ今頃全部話し終えてただろうな」
「ああ、うん、そうか。……悪かったって」
頭をぽりぽりと搔きながら苦笑した涼介は、改めるようにして珊瑚の方へ向き直った。
「えーっと、珊瑚ちゃん? さっきは怖がらせて悪かったな。俺は陽一の学生時代からの親友で、篠塚涼介。今は大学病院で医者をやってる。陽一と同じく二十四歳独身の彼女募集中だ」
へらりと笑う顔に先ほどの迫力はなく、なんだか軽い。
「は、初めまして。神崎珊瑚と申します。今年成人を迎える十七歳です。助手としてお世話になりながら、母を探しています。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ、彼女募集中はさり気なく無視することにした。珊瑚は普通の人間関係すら危ういのに、恋人云々など全くもって未知の世界だ。
「珊瑚君のお母さんは、叔父さんと旧い友人だそうだ。それでわざわざ訪ねて来たんだ。取りあえず叔父さんが見つかるまで、助手兼僕の患者って事で滞在して貰ってる」
涼介は気まずそうな顔をした後、頭を掻いて苦い笑みを浮かべた。
「ああ、そうなのか。それは悪いことしたな。てっきり陽一目当てで押しかけて来たのかと。お前を言いくるめて居座るなんて、相当ヤバいのが来たのかと思ったんだが」
「そんな訳ないだろ。そういう事だから、これ以上珊瑚君に絡むなよ」
「わかったって」
そう言ってから、もう一度珊瑚に「ごめんな?」と謝ってくる様は、やはりちょっと軽い。
改めてルイボスティーを淹れ直した陽一は、仕方なさそうに涼介の前にもカップを置いた。全員が一息ついたところで、陽一が「さて」と口火を切った。
「珊瑚君、初詣の時は驚かせてしまってごめんね。突然の事でびっくりしたでしょう?」
「い、いえ、私は大丈夫です。それより先生の方はもう大丈夫なのですか?」
「うん、もう大丈夫。……これから話す事は、あの時の事と関係してるんだ」
「私が聞いてしまって、いいのでしょうか」
「うん。珊瑚君の話は医師として聞いた事だけど、僕だけ事情を知ってるのも何だか落ち着かないしね。今後の事も踏まえて、僕の事もちゃんと説明するよ」
その言葉に珊瑚は頷いて返した。涼介は口を挟む気はないらしく、大人しく二人の様子を見ている。
「じゃあ、今日は僕の話をするね」
そう言って大きく深呼吸をした陽一が、感情を失ったきっかけについて話し始めた。
陽一の生家は、帝都でも有数の大きな会社を経営している。父は仕事優先ではあるものの、家族を大切にする人だった。しかし母が病を患ってから、少しずつ何かが変わっていった。最初は、母の治療費のためにという思いだったのだろう。
一方の弘樹は母の弟で、病気の姉のために側にいて手を尽くした。仲の良い姉弟で、その姿を見ていた陽一は自然と自分も医学の道を目指そうと思うようになった。
結局母は亡くなり、父が大きく変わってしまったのはそこからかも知れない。
幸い陽一には兄がいて、家業を継ぐ必要はない。だからこのまま医師の道を目指すのだと思っていたのだが、父はそれに大反対だった。理由は、他国へのツテを持つ幼馴染の家との繋がりが欲しかったためだ。母が亡くなって以来、元々成功していた会社を益々大きくしようと、父は躍起になっていた。そうして母のことを忘れようとしているようにも見えた。
件の幼馴染は昔から陽一に懐いていて、兄とは馬が合わなかった。父は勝手に幼馴染の家と話をつけて、陽一との婚約を取り決めようとしていた。
実家を継ぐつもりはなく、医師なることを決めていた陽一は、度々それを断っていた。幼馴染にも同じように何度も話していたのだが、中々諦めてはくれない。どうしたものかと頭を悩ませているときに、あちらからこう言ってきたのだ。
『陽一が成人を向けたら、そのときもう一度気持ちを聞かせて。それまでよく考えて、お願い』
総懇願され、陽一も折れてしまった。きっとそのときはっきり断れば、それで最後になるだろう。
「そう思ってたんだけどね」
苦笑いを浮かべた陽一が、ため息を吐いて両手で顔を覆う。
「せ、先生。無理に話さなくても」
辛そうな様子に珊瑚が声を掛ける。しかし陽一は首を横に振って、「大丈夫」と薄い笑みを浮かべた。
「六年前のあの日、僕は幼馴染に話がしたいと呼び出されたんだ」
珊瑚は続きを聞くのは怖い気がして、膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめた。
その日、陽一は呼び出された公園へと向かっていた。人目に付くのは嫌だなと思っていたが、滅多に降らない雪のせいか人影はまばらだ。朝から降り始めた雪が踏みしめる地面にうっすら積もり始め、一歩進むごとに足取りと共に気分も重くなる。
(今日で終わりと思えば楽になるかと思ったけど、案外気が重くなるものだな)
区切りがついてすっきりすると思っていたが、相手を傷つけると思えば気は進まない。
重い足取りで踏みしめる地面が、最初のころのジャリジャリという感触からキュッキュと鳴るように変わった頃に、待ち合わせ場所の公園に着いた。
到着した場所には未だ幼馴染の姿は見えず、陽一は大きなため息を吐く。吐き出した白い息を見ながら、どう言葉を尽くしたら最小限の傷で済むだろうかと頭を悩ませていた。
「陽一」
音もなく近付いていた幼馴染の少女に声を掛けられ、陽一はびくりと肩を跳ねさせる。
「あ、ああ、亜真音」
「来てくれてありがとう」
心底嬉しそうに笑う亜真音の笑顔に、陽一はなぜか背筋が寒くなる。
「今日は、陽一の気持ちをちゃんと聞かせてくれるのよね」
「……そうだね」
「大丈夫よ。私ちゃあんと覚悟を決めてきたんだから」
そう言って笑う亜真音の笑顔は、やはりどこかおかしい。
「陽一、私と結婚してくれる?」
「ごめん。僕の答えは変わらない。亜真音の事は伴侶として考えられないし、実家の家業に関わる気持ちも一切ない」
「そう。やっぱり陽一の答えは変わらないのね」
「ああ」
いつもなら泣きながら縋ってくる亜真音は、今日はなぜか笑顔のままだ。恐ろしさが増して、早くこの場を立ち去りたいと思うも亜真音が話を続ける。
「陽一、私……陽一にちゃんと私の気持ちを知ってほしいの。私、ずっとずっと、一生……ううん、死んでも、生まれ変わっても、ずっとずっと陽一が好きよ」
ここまでの執着心を自分に向けられていた事に、今の今まで気付けなかった陽一は、自分の考えが甘かったのだと青ざめる。
「陽一、約束して。私があなたを想ってること、一生忘れないで欲しいの」
気味の悪さにすぐに言葉を発せず、青ざめたまま亜真音から目を離すことが出来ない。
「陽一、手を出して」
言われるままに手を出すと、掌にカメオが乗せられる。
「陽一、このカメオと一緒に私との思い出も、一生忘れず、大事にしてね」
にこりと微笑んだ亜真音は、おもむろに取り出した小刀で自らの腕の内側を切りつけた。血が噴き出し、真っ白だった足元が瞬く間に赤く染まっていく。その瞬間にカメオから眩しい光が一瞬あふれたように思うが、あまりの衝撃に幻覚を見たのかも知れない。
愕然としてその様を見ていた陽一は、亜真音が倒れ込むと同時に無意識に身体が動いていた。はっきりとした記憶はないが、大声で人を呼びながら止血をしたらしく、亜真音とともに病院に着いた時には血まみれになっていた。
あんなに恐ろしいと思っていた亜真音を見ても、そのときから何の感情も湧かなかった。
あの日の真っ白な雪と鮮やかな血の赤は、陽一の頭にこびりついたまま未だに忘れる事が出来ないでいる。




