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3-3

 年の瀬の迫った診療所は、患者が増えていつも以上に混雑している。忙しさに疲れが溜まって体調を崩したり、慣れないことをして怪我をしたりといった具合で、急に駆け込んでくる者も珍しくはない。


 結局陽一の話は聞けずじまいで、そのうち忘れられてしまうのではないかとも思えた。けれど、休みなく患者を診察する陽一を見ていると、急かす気になるはずもなく。


 珊瑚の方も、慣れない日々に疲労が溜まっているように感じるが、とにかく毎日必死だった。それ以上に新鮮さのほうが大きくて、充実した生活を送っていた。


 とうとう今日で年内の診療も最後となった。少しだけ気が抜けたせいか、朝からどうにも身体が重い。最後の患者を見送ると、外の札を休診中に裏返す。手にした張り紙を扉の外側に貼って、明日から三ヶ日まで休診と書かれた文字を確認して頷いた。


 びゅうっと風が吹き、珊瑚はブルリと体を震わせた。少し前からぞくぞくとした寒気があったが、どんどん酷くなっているような気がする。もう一度身震いした珊瑚は、扉を閉めると診察室をふらふら歩き出した。


「珊瑚君、お疲れ様。お茶を淹れるから座って休んでて」


 発明品置き場の部屋から、陽一が顔を出して手招きをしている。珊瑚は頷きながらそちらへ向かうが、やはり震えが止まらない。部屋に入ると暖かいはずなのに、なぜだか寒くて再び身震いした。


 応接セットのソファに座りながら、珊瑚は何度も襲う寒気に、何かがおかしいと思い始めた。気を紛らわせようと部屋を見回して、珍妙な道具の数々に笑みを零す。


 陽一が発明をする理由を聞いてから、珊瑚はこの部屋がとても好きになった。一見役に立たない未完成の発明品たちは、いつか誰かを笑わせる日を待っている。未熟な自分も同じように、いつか誰かの気持ちをほんのちょっとでも軽くできたら。そんなことを想像すると、なんだか愛おしく見えてくる。


「どうぞ」と言う陽一の言葉と共に目の前に置かれたお茶を一口飲んで、もう一度発明品を見回した。今日はいつものようにワクワクするより、ゾクゾクとした寒気のほうが勝っている。思わず体を震わせて、再びお茶をごくごくと流し込んだ。


「珊瑚君、もしかして寒い?」

「大丈夫です。ちょっと前から寒いような気もしますが。お茶をいただいたので、すぐに温まりますよ」


 そう答えて更にお茶を飲んでみるが、一向に寒気が収まらない。流石にこれはまずいかも知れないと思うが、陽一に心配をかけるのも気が引ける。これを飲み終わったら部屋で休もうと決めたところで、目の前に何かを差し出された。


「なんですか、これ?」

「とりあえずすぐに使える体温計だよ」


 よく見れば、いつも陽一が子供の患者に使っている体温計だ。測り終わると何とも間抜けな音声が自動で流れる代物なのだが。


 子供用を渡されたことに軽く眉を顰めるが、それがなぜかと聞かれたら答えに困る。よくわからないもやもやを抱えたまま、珊瑚は小さく首を振った。


「先生、大丈夫ですよ。部屋で休めばよくなりますから」

「医者の言うことは聞くもんだよ」


 珊瑚は渋々それを受け取り、そっと脇に挟んだ。いまだにゾクゾクと込み上げてくる寒気は収まらず、いよいよ気分も悪くなってきた。ぼうっと湯呑を見つめていると、身体が何かに包みこまれた。ゆるりと顔を上げると、陽一が心配そうに覗き込んでいる。ふと自分の身体を見下ろすと、さっき自分に掛けられたであろう毛布が目に入った。


「すみません」

「いいから、気にせず楽にして」


 はあとため息を吐き、脇に挟んだ体温計が鳴るのを黙って待った。徐々に情けなさが込み上げて、瞼も熱を持っているような気がする。


「先生。熱を測り終えたら部屋に戻って休ませていただきます」

「何言ってるの、珊瑚君。部屋に籠もられたら僕が様子を見れないでしょう」

「え? でも」

「奥にベッドがあるから、そっちで休んでよ。それなら僕も安心だから」


 珊瑚はそわそわとした気分で、衝立の向こうに視線を向けた。あそこは初日に陽一が昼寝をしていた場所だ。そんなところを自分が使っていいのだろうか。いや、やはり部屋に戻ろう。でも陽一は案外言い出したら曲げない性分だ。どうやって説得したものか。


 そんなことを考えている内に、何だか目が回ってきた。頭の中をぐるぐると、でもとか、どうしたらといった言葉が駆け巡って視界も一緒に揺れている。


「珊瑚君?」


 陽一の怪訝そうな声が耳に届くが、珊瑚は既に視界が定まっていない。どうにか「先生、私はやっぱり部屋に」と言い掛けたところで、体温計の音が鳴る。


『お熱があるよっ! とっても高いよっ!』


 子供向けの何とも可愛らしい機械音に、珊瑚はへにゃりと笑みを浮かべた。そのまま視界が暗くなり、「珊瑚君っ!」と陽一の焦ったような声が聞こえたような気がした。それが夢なのか現実なのかもよく分からいまま、珊瑚の意識は遠のいた。




 ふと目を覚ますと、そこは見慣れない天井があった。頭がぼーっとしたままあたりを見回すと、珊瑚はベッドの中に寝そべっていた。足元の辺りには、着替えの浴衣が置いてある。布団の中をそっと覗くと、いつもの着物と袴姿のままだった。


 珊瑚はのろのろと起き上がり、どうにか浴衣に着替えて再び横たわった。まだ寒気も残っているが、とにかく頭がぼうっとする。ぶるりと身体を震わせて、布団の中で丸まった。再びゾクゾクし始めて、今度はカチカチと歯を鳴らす。


「珊瑚君、僕だけど。入ってもいいかな?」


 控えめなノックが少し離れた場所から響いて、珊瑚は「はい」と返事をした。扉が開いて少しすると、衝立の向こうから陽一が顔を覗かせた。


「まだ寒い?」

「はい、ちょっとだけ」


 本当はちょっとではないのだが、心配そうな陽一の顔に思わず控えめに答えてしまう。


「もしよかったら、これを使ってみて」


 そう言って陽一が取り出したのは、またしても珍妙な道具だ。珊瑚はぶるりと身体が震え、本当に寒いのか嫌な予感なのかが分からなくなった。


「せ、先生、それは一体……」

「湯たんぽんなんだけど」


 思いの外まともな答えに、珊瑚はほっと息を吐いた。しかし形が何かおかしい。陽一が手にしているのは、どうみてもタコだ。なぜそんな形をしているのか分からず、珊瑚は怪訝な表情を浮かべた。


「あったまるから使ってみてよ」


 珊瑚は何かを言う元気もなく、素直にそれを受け取った。布団の中でタコの頭を両手で抱えてみると、予想外の触り心地のよさに目を瞬く。タコの足は先の方まで温かく、身体に合わせてぐにゃりと曲がる。


「先生、この発明品は案外役に立ちますよ」

「あはは、案外とは手厳しいね。それでしばらくは暖かいと思うよ」


 今日はこれの名前を言わないのだなと思ったが、口を噤んでタコを撫でる。きっと珊瑚の具合が悪いから、気を使っていつものように説明もしないのだろう。そう思うとちょっとだけくすぐったくて、タコを抱える腕に力がこもった。


「寒気が収まったら熱が上がってくるからね。熱くなったら、タコは遠慮なく追い出すんだよ」

「はい、わかりました」


 真剣な顔で頷いた珊瑚に、陽一が思わずと言った風に笑った。その目が一瞬揺らいだような気がして、珊瑚は瞬きをしてじっと見つめる。会ったばかりの頃は、こんな風に揺れることなど無かったはずだ。なぜそう見えるのかは分からない。ただの珊瑚の願望なのかも知れないと思うと、胸がどうにもむず痒くなる。


「衝立はそのままにしてあるから、ゆっくり休んでね」

「ありがとうございます」


 陽一は珊瑚の枕元に近づき、直ぐ側のサイドテーブルに何かを置いた。なんだろうかと見ていると、水差しとコップだ。くるりと振り向くと、枕元に手を伸ばした。不思議に思って覗き込むと、それは呼び出し用のベルのようだ。


「何かあったら遠慮なくこれで呼んでね」


 そう言い残して静かに部屋を出ていく陽一の後ろ姿を、珊瑚はじっと見送った。


 手にした珍妙なタコを抱え直し、その温かさに目を細めた。まるで吸盤が吸い付くように身体を包むその心地よさに、自然と口元がほころぶ。ほうっと息を吐いた珊瑚は、そのまま眠りについた。




『珊瑚っ、お前無理しすぎだぞ』

『珊瑚ちゃん、頑張るのもいいけど、やりすぎは禁物よ』


 落ち込んだわけでも、嫌な感情で気分が悪いわけでもないのに、なぜか一悟と二胡が夢に出てきた。どうしてだろうと首を傾げると、二人が顔を見合わせた。


『俺たち別に珊瑚を慰めるために出てきてるわけじゃないぞ』

『そうよ、珊瑚ちゃん。私たち、心配だから会いに来てるのよ』


「そうなの? てっきり甘やかすためにきてるのかと思った」


 二人は目をぱちぱちと瞬いてから、何度か頷き口を開く。


『まあ、それも間違ってはないな』

『ふふっ、そうね』


「今は熱があるからきてくれたの?」


『半分あってて半分違うな』

『そうね、どちらかと言うとお説教かしら?』


 珊瑚はちょっと拗ねたように口を尖らせた。熱があるときくらい、お説教はなしにしてくれてもいいではないか。そんな珊瑚の考えも、当然二人にはお見通しだ。


『夢の中では元気だろ』

『そうね、だからちゃんと言うわよ』

『お前焦って頑張りすぎ』

『役に立ちたい気持ちは分かるけど、無理のし過ぎはいけないわ』


「でも、お給金だっていただいてるのにっ」


 言い返した珊瑚に、二人は呆れたような表情を浮かべる。


『だからってこれじゃあ、本末転倒だろ』

『そうよ、先生だって心配してるわ』


 珊瑚は何も言えずに俯いた。確かにそのとおりだ。空回って頑張りすぎて、結局役に立つどころかまた迷惑をかけてしまった。少しは誰かの役に立てるかも、なんて思い上がって、何度も失敗を繰り返す。

 

『なあ、珊瑚。先生はお前に役に立てって言ったのか?』

『そうよ、珊瑚ちゃん。急かすようなことでも言われたの?』


「そ、そんな事言われるようになったら、もうここにいられなくなっちゃうよ」


 一悟と二胡は顔を見合わせ、眉を下げて大きなため息を吐いた。


『珊瑚、目が覚めたら先生のことをよく見てみろ』

『珊瑚ちゃん、先生は珊瑚ちゃんのこと、どんな風に思ってるのかしらね』


 どんな風に——そんなことは珊瑚に分かる筈がない。陽一の感情は何も流れてこないのだから。そう思ったところで、窓から手を伸ばした陽一の顔が思い浮かんだ。まだ会ったばかりなのに、落ちていく珊瑚に向かって心配そうに手を伸ばしていたっけ。忠蔵さんに怒られたときも、珊瑚が時計屋の主人に抗議していたときも。そう言えば先生はいつも。

 

 今まで見てきた陽一の様々な顔が思い浮かんでは消えていく。感情がないはずなのに、なぜかどれも表情豊かだ。目だけがいつも静かで、けれど冷たいと思ったことは一度もない。そんなことを考えているうちに、一悟と二胡の『またな』『またね』の声が聞こえてきた。夢の終わりに見た二人の顔が、いつもより優しく見えた。


 目を覚まして部屋の中を見回すと、少し離れた椅子に陽一が座っていた。腕を組んで船を漕ぎ、微かな寝息を立てている。疲れていたのは珊瑚だけではない。そう思い至って、胸の奥がずきりと痛む。また迷惑を掛けてしまったと思うと、腹の中がもやもやと嫌な気分でいっぱいになった。


「あれ、珊瑚君。気分はどう?」

 

 目を覚ました陽一が珊瑚に気づき、椅子を持って近寄ってきた。


「す、すみません。もう大分楽になりました」

「それならよかった。食欲は? ちょっとは何か食べられそうかな?」

「あまりお腹は空いてなくて」


 これ以上迷惑を掛けるのがいたたまれなくなって、珊瑚は少しの空腹に気付かないふりで視線を逸らした。

 

「温めるだけだから気を使わずに、食べたくなったら教えてよ」


 珊瑚はぱっと顔を上げ、陽一をまじまじと眺めた。料理の出来ない陽一が、病人用の食事をどうやって作ったのだろうか。そこまで無理をさせてしまったのかと思うと、更に気分が沈んでいく。


「ああ、珊瑚君。そんなに不安そうな顔しないで。ちゃんと女将さんに作るところを見ててもらったから、味は保証するよ。何しろプロの監督は厳しかったからね」

 

 慌てた様子でそう言った陽一は、最後は気まずそうに頭をかいた。珊瑚は女将さんにまで手間を掛けてしまったのかと再び落ち込みそうになるが、陽一の顔を見てはっとする。


「あの、ちょっとお腹が空いてきた気がします」

「じゃあ、待ってて」


 いつもの笑みを浮かべた陽一は、軽い足取りで部屋を出ていった。すぐに戻ってくると、盆の上には小さな鍋と小鉢が載せられている。もぞもぞと珊瑚が身体を起こす間に、陽一は不器用な手つきで小鉢に半分よそう。「よし」と一言呟くと、得意気に珊瑚に差し出してきた。


「いただきます」


 手にした小鉢はほんのり温かく、珊瑚はほっと息を吐いた。一匙口に運べば、何とも優しい味の卵粥だ。腹の底からぽかぽかと暖かくなり、珊瑚は小さな笑みを浮かべた。そのままゆっくり食べ進めると、気分もましになってきた。小鉢に二杯目を貰ったところで、ふと陽一が暗い声を出した。


「珊瑚君、ごめんね」


 食べかけていた手を止めて、珊瑚は陽一を見上げた。陽一の顔は声と同じで酷く沈んで見えた。さっきまで温かかったはずの身体がすっと冷めて、嫌な予感に血の気が引く。役立たずの珊瑚は、ここから追い出されるのだろうか。そんな考えがふっと過ぎり、珊瑚はそっと視線を落とした。

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