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2-5

「珊瑚君て真っ直ぐだよね」


 二杯目のお茶を淹れながら、陽一がぽつりと呟いた。珊瑚は目を瞬いて、湯気の立ち上るカップを持つ陽一を眺めた。


「珊瑚君と同じ立場だったら、僕ならもっと捻くれてたと思うな」

「そうでしょうか。でも、私の場合単に諦めていただけというか」

「本当にそうかな? もしそうだったとしても、帝都まで出てきて、慣れないことも頑張って。それってやっぱり凄いと思うけどね」

「でも、先生だって」


 言い掛けた珊瑚は、はっとして口を噤んだ。先生だって感情がないのに——、そう続けようとしていたのだ。さすがの珊瑚もしまったと思った。けれど、途中まで出てしまった言葉は取り消せず、胸の奥がずしりと重くなる。忠蔵のことで失敗したばかりなのに、また余計なことを口にしてしまった。


「あはは。珊瑚君て結構わかりやすいよね。最初の頃はしかめっ面だったのに、今じゃ毎日百面相だ」

「えっ。そ、そうでしょうか」


 暗くなりかけた珊瑚の気分を、陽一がいつものように軽く流す。人に触れれば負の感情ばかり受け取っていた珊瑚は、こんなやりとりだって初めてだ。


「そうだよ。見てたら何を考えてるのかすぐに分かる」


 いつも顔を顰めていたつもりもないが、人から見ればそうだったのかも知れない。思い返せば子供の頃から使用人に、可愛くないと言われていた。笑おうとしても顔は引きつるし、そもそも笑いかける相手も母しかいなかった。母の前では自然に笑えていたと思うが、今となってはそれも怪しく思えてきた。


「最近は患者さんにも自然に笑えるようになったね」

「だといいのですが」

「そんなに自信なさげにしなくても、僕が保証するから大丈夫」


 そう言って笑った陽一は、いつもどおり静かな目をしている。まるでさっき珊瑚の言い掛けたことなど、何もなかったかのように。


「さあ、珊瑚君。今日は目の診察をする約束だったね」

「はい、お願いします」


 もやもやとした気持ちを抱えたまま、珊瑚は眼鏡を外して陽一に向き直った。


「じゃあ、まずは話を聞かせて貰えるかな」

「はい」

「見え方に何か不都合はない? 色が違うとか、時々霞むとか。何か少しでも気になることがあったら教えて」

「左右の見え方に特に違いはないと思います」

「頭痛があるのは、嫌な感情を受け取ったとき?」

「はい。でも、大抵は少し休めばなんとかなります。でも、年に一度だけ、どうにも耐えられないほどの頭痛と気分の悪さがあって。その時だけは寝込んでしまうほどです」


 珊瑚は帝都に辿り着く前にも一度あった不調を思い出し、全身にじっとりと汗をかいた。


「酷い頭痛のときは、なにか前触れがあるの?」

「前触れは特にないと思います。最初は負の感情を受け取った後だったりしたので、それでかなと思ってましたけど。そうじゃない年もあったので、多分関係ないのかと」

「時期は今頃だったよね? 確か帝都に着く前にもあったんだっけ」

「はい」


 陽一は眉を下げて、珊瑚のカルテをじっと見つめた。サラサラとペンを動かしてから、再び顔を上げる。


「そういうときは、どうしてるの?」

「痛み止めを使ったこともありましたが、効果がなくて。いつもは母が背中を擦ってくれてました。普段の気分の悪さより酷いので、中々善くはなりませんでしたけど。それでも少しずつ母の気持ちのほうが大きくなって、どうにかやり過ごしてました」

「じゃあ、今回は一人で心細かったよね」


 渋い顔をした陽一に、珊瑚はふっと笑みを零した。


「そう……ですね。でも、なんとかなりましたから」

「駅に着いたときも、気分が悪くなったんだっけ」

「はい。あれはあれで辛いものですが。でも、あのときは一馬君が肩を叩いてくれて。そのときに流れてきた気持ちがとっても温かかったんです。それで大分楽になりました」

「それはよかった」


 陽一は少し複雑そうな笑みを浮かべた後に、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。相変わらず目は静かだ。


「僕が触れると、流れ込んでたものが消えるって言ってたけど。一馬やお母さんの感情が流れても、同じようってことかな」


 珊瑚は首を捻りながら思い返してみるが、どこか違うような気がする。けれど、それがどう違うのかを上手く言葉にできずに、そのまま黙り込んだ。


「それじゃあ、実際に検査をしてみよう。特に問題なければすぐに終わるから、気分を楽にして」

「はい」


 席を立った陽一は、手際よく道具を集めて珊瑚の前に戻ってきた。珊瑚はその様子を興味深く見守る。今まで邸にきた医者たちも、様々な検査をしたものだが。陽一の検査は一体どんなものだろうか。


「ちょっと風が当たるけど、びっくりしないでね」


 シュッと風の音がして、珊瑚は軽く肩を揺らした。動かないようにと息を詰めて、陽一が離れると静かに吐き出した。


「次は目薬をさすよ。瞳孔が開くから視界がぼんやりするけど、大丈夫そう?」

「はい、お願いします」


 珊瑚はいちいち丁寧に説明する陽一を、不思議な気分で見上げた。これから何をして自分がどうなるのか。そんなことは、邸にきた医者たちから聞いたことなどなかったからだ。いつも嫌な気持ちとともに伸びてくる手が、怖くてたまらなかった。まるで実験動物にでもなったかのような気分で、只管終わるのを待ったものだ。


 陽一がこうして患者に話しかけながら診察するのは、何も珊瑚に限ったことではない。いつも来る患者たちにも同じようなのだから、これがこの診療所の当たり前なのだろう。


 珊瑚は徐々に視界がぼやけてきても、何の不安も浮かばなかった。ぱちぱちと瞬きしていると、「大丈夫?」と陽一の声がする。声のしたほうに視線を向けるが、その表情はぼんやりとしていた。陽一が首を傾げたような気がして、慌てて「はい」と答えて頷く。すると陽一が何か器具を取り出して、よく見えていない珊瑚の目の前に差し出した。


「今度はこれで目の奥を診るね。光があたるから眩しいかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してて」

「はい」


 答えたはいいが、目の中に飛び込んできた光に一瞬目を細めた。慌てて開き直すと、陽一が「ごめんね、もう少し頑張って」と声を掛ける。珊瑚は膝の上で拳を握り、そのままじっと動かずにいた。


 検査を終えると、陽一がしばらくその場で考え込んだ。いったんそこを離れると、どこかの引き出しからまた違う器具を持ってくる。


「これは叔父さんが作った魔道具なんだ。ちょっと特殊で、魔石に光を当てて解析するものなんだけど。左目をこれで診せて貰ってもいいかな?」

「はい」


 珊瑚はごくりと喉を鳴らし、よく見えない陽一をじっと見つめた。陽一は慎重に珊瑚の左目に向かって、器具の光を当てた。カチカチとダイヤルを変えながら、何かを測っているようだ。しばらくするとふうっと息を吐き、陽一が検査の終わりを告げた。


「ありがとうございました」


 珊瑚はペコリと頭を下げて、ぼやける視界のまま眼鏡を掛け直した。


 考え込むようにしてカルテにペンを走らせていた陽一は、それを終えると珊瑚に視線を向けた。


「まず、僕が分かる範囲の診察結果を伝えるよ」


 姿勢を正した珊瑚は、緊張に肩を揺らしながら「はい」と答えた。


「右目は何の問題もない。気になる左目だけど……随分特殊な方法で魔石が埋め込まれてるみたいだ」

「特殊な……。あの、この左目は、一体どうなってるんでしょうか」


 珊瑚は緊張に喉を鳴らすが、口の中が乾いて飲み込むものは何もない。膝に乗せた拳が微かに震え、心臓が不自然に音を立てた。陽一は少し考えてから、言葉を選ぶようにして答えた。


「虹彩の……普通なら濃茶になってる目の部分が、魔石に置き換わってるのは間違いない。それが完全に癒着して、普通の目と変わらない状態になってるみたいだ。視神経が正常に脳へ信号を送ってるから、珊瑚君にとっては普通と変わらない景色が見えるってことかな」


 陽一は弘樹が作った魔道具を珊瑚に見せながら、言葉を続けた。


「これはどこの病院でも置いてない、すごく特殊なものなんだ。叔父さんは十四、五年くらい前から目について詳しい研究を始めて。少し前にこれを作ったばかりなんだ。普通じゃわからないことまで分析できる代物だけど、実は僕も完璧に使いこなせるわけじゃない。だから、わかるのはさっき話したところまでで」


 言葉を切った陽一は、申し訳なさそうに肩を落とした。それでも珊瑚にとっては、初めて聞く話だった。今までの診察では、どうなってるのかわからないと言いながら、興味本位で調べようとする医者ばかりだったのだから。


「あの……では、私の本来の左目は、一体どうなってしまったんでしょうか」


 珊瑚の問いかけに、陽一は難しい顔をして黙り込んだ。腕を組んでしばらく考え込んでから、唸り声を上げる。


「詳しくはわからないけど、きっと本来の目と溶け合ってるんじゃないかと思う。瞳孔は珊瑚君が生まれ持ったものだし、視神経に異常もない」

「そう……ですか。じゃあ、この目を本来の状態に戻すことって……」

「目そのものをどうにかしようとするのは、危険かもしれない」


 珊瑚は青ざめたまま肩を落とした。一生このやっかいな状態が続くのかと思うと、胃が重くなったように感じてため息を吐いた。


「ごめんね、珊瑚君。僕はきっと大丈夫なんて、いい加減なことは言えないんだ」

「そう……ですよね」

「ただ、これはまだ絶対にとは言えないんだけど」


 口ごもった陽一の言葉に、珊瑚は俯きかけていた顔を上げた。陽一は少しの間逡巡するが、言葉を選ぶようにして続けた。


「魔石の効果を中和することはできるかもしれない」

「そんなことができるんですかっ」


 前のめりになった珊瑚に、陽一が両掌を見せて落ち着くように促した。


「まだ確実じゃないんだ。だから、あまり期待しないで欲しいんだけど。……叔父さんが言ってたんだ。そういう作用のある魔石があるらしいって。だけどこれは魔石同士の話だから、珊瑚君の目の場合はどうなるのかまだわからない」

「……そうですか」


 申し訳なさそうに肩を落とした陽一に、珊瑚は深く頷いた。そう簡単に分かるなら、きっと今頃どうにかなっていたはずだ。けれど、いつか勝手に取れてしまうかもしれないなんて想像もしていたのだから、それと比べればきっと少しは前に進んだはずだ。


 それにもし、そんな方法があったなら。目の色はどうにもならないかも知れないが、そこは眼鏡で誤魔化すだけでどうにかなる。もしかしたら普通の生活が送れるかも知れない。そんな期待が胸を過ぎった。


「ひとつ気になったことがあるんだけど、いいかな」


 考え込んでいた珊瑚は、陽一の言葉で我に返った。「なんでしょう」と首を傾げると、陽一が難しい表情を浮かべた。


「今まで虹彩の色が変化したなんてこと、ある?」

「色の変化、ですか?」


 珊瑚はしばらく考えてみるが、母からもなにか言われた覚えはない。「わかりません」と一言答えると、陽一が話し出すのを待った。


「実は昨日、忠蔵さんのことがあったとき。僕が肩を叩いたでしょう? あのとき虹彩の色が暗くなってた気がしたんだ」

「眼鏡をしててもわかる程度にですかっ?」


 焦ったように聞いた珊瑚に、陽一が慌てて首を振る。


「僕は上から顔を見たから、眼鏡の隙間からちらっと見えたんだ。ちょっとだけズレてたからね」

「そう……ですか」

「眼鏡越しならほとんど変わらなかったから、余程近くで見ない限り誰も気付かないと思う」


 ほっと息を吐いた珊瑚に、「今後も気をつけて見ておくよ」と陽一が返した。


「あとは叔父さんが帰ってきたら、もっと詳しく分かると思うけど」

「ありがとうございます。先生に診ていただけて、少し気が楽になりました」

「そう言ってもらえるとホッとするね」

「先生のお陰で、お医者様が怖くなくなりました。それも私にとっては前進です」

「それはよかったとは言い難いね」


 気まずそうに頭を掻いた陽一に、珊瑚は笑みを浮かべた。いつの間にか目薬の作用が切れて、陽一の顔がはっきり見えるようになった。気持ちも少しだけ晴れたように思えて、珊瑚はほっと息を吐いた。


 珊瑚が湯呑を片付けている間に、陽一が器具を元の場所へしまう。大きく伸びをしてから珊瑚に向き直り、思いついたように口を開いた。


「ひと仕事終えて珊瑚君も疲れただろうから、外に食べに行こう。いつもの食堂もいいけど、まだ時間も早いし。そのへんの店でも見ながら、夕食までの時間を潰そうか」

「はいっ、是非っ」


 帝都に着いてから、まだゆっくり街を見たことはなかった。人の多さに歩くことはできないと思っていたが、陽一がいればきっと大丈夫だ。


 ふと子供の頃に、母と手を繋いで田舎の町を歩いたことを思い出す。苦い思い出もあるが、二人で歩くのはとても楽しかった。今度は先生と……と考えたところで、珊瑚ははっとして首を左右に振った。


(今、先生と手を繋いで歩くことを想像したっ? こ、子供じゃないのになんてバカみたいなこと考えてるんだろう)


 顔を赤くして首を振る珊瑚を、不思議そうな顔で陽一が見下ろした。それに気付いた珊瑚が、顔を上げて一歩飛び退いた。


「せっ、先生っ! 支度して参りますっ」

「楽しみにしてくれるのは嬉しいけど、慌てて階段を踏み外さないでね」

「い、一馬君に言うみたいなことを、私にまで言わないでくださいよっ」

「ははっ。だって今の珊瑚君て、いつもの一馬みたいにはしゃいでるからさ」


 一馬と同じ子供扱いかと思えば、胸の奥がなぜかチクチクとした。むっとした様な表情で見上げると、陽一が小さく吹き出した。珊瑚は顔を赤くしながら急いで階段を駆け上がる。顔が熱いのは走ったからに違いない。そわそわしながら羽織りを纏い、浮き立つ足取りで階段を駆け下りた。

 

 はしゃぎすぎだと思われないように、扉の前で深呼吸をする。そっと扉を開けて、声をかけようと覗き込むと、陽一の横顔が見えた。何の感情も読めない目をして、掌の中をじっと見つめている。


 目はとても静かで、表情も平坦なのに。なぜか手の中のものが、酷く大切なものなのではないかと思えた。それは鎖の通されたカメオで、珊瑚は初めて見るものだった。思い詰めているような雰囲気に、珊瑚は声を掛けることができずにその場で立ち尽くした。そのとき。


 カラコロと出入り口のベルが軽快な音を立てた。張り詰めていた空気が一瞬にして消えて、陽一が驚いたようにこちらを振り向いた。立っていた珊瑚に気付き、口を開きかけたところで大きな声が響いてきた。


「若せんせーい、珊瑚ー! おーいっ」


 一馬の声に、陽一が目を瞬いた。珊瑚に視線で合図を送りながら、待合室へと歩いていく。


「なんだよ一馬。前より頻繁にくるようになったな」

「う、うるさいなっ」


 いつもどおりのやりとりが始まり、珊瑚は黙って二人を見つめた。何事も無かったかのように振る舞う陽一を見ながら、珊瑚の胸の奥にはもやもやとしたものが再び湧き上がった。

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