想いが紡ぐもの
「アノンが……!」
ロネはその場から身を乗り出して、駆け出そうとした。
それを、イースは冷静に制した。
『行ったらあきまへんで。今のロネ君はただの子供や、行ったところで何もできひんよ』
「でも!」
ロネはかぶりを振った。
「ぼくだって何かできるはずなんだ! このまま逃げて終わりになんてしたくない!」
『…………』
しばしの沈黙の後。
ふ、とイースは笑って、静かに言った。
『ほんなら、何とかしてみるとええよ。君の望む通りに』
身体があったなら、優しく肩を叩いただろう。そんな雰囲気を湛えて、イースの言葉はそっとロネの背中を押した。
『力を貸したるさかい、思う通りにしい』
こくん、とロネは頷く。
水差しをきゅっと抱き締めて、彼は戦場に向かって駆け出していった。
ばき、と大きな音が鳴る。
今のは肋骨が砕けた音だろうか。胸に生じた痛みに思わず出そうになった声を、アノンは何とか飲み込んだ。
クレテラの指を押し返そうとする腕の力が、徐々に弱まっていく。
1度は開いた掌が、再び閉じられつつあった。
「せめてもの情けなんだな……一思いに殺してあげるんだな」
「アノン!」
アノンを救い出そうと地を蹴るアーゼン。
その動きは、上空から降ってきた炎の塊に阻まれた。
傷付いた翼でぎこちなく宙を舞いながら、ブリスタは口の端から炎の欠片を吐き出して言う。
「兄様の邪魔はさせないのサ。大人しくそこで、狩人君が潰れるところを見届けるのサ」
「邪魔だ!」
触れれば皮膚が焼け爛れるであろう火の海を、アーゼンは怒号を発しながら踏み越えた。
全身に煙を纏いながら、彼女は槍を振りかぶって地面を力強く蹴る。
狙っているのは──アノンを掴まえているクレテラの右手。
アノンに意識を集中させていたクレテラは、炎という死角から飛び出してきたアーゼンの動向に対応するのが一瞬遅れた。
アーゼンの槍が、クレテラの右手に突き刺さる。
クレテラが悲鳴を上げる。右手の力が緩み、掴まれていたアノンがずるりと中から零れ落ちた。
アーゼンはアノンの身体を掴まえ、抱き寄せて、着地した。
クレテラの怒りを秘めた眼差しがアーゼンに突き刺さる。
「人間の分際で……!」
その言葉は、半ばで飲み込まれて消えた。
不可視の衝撃波が、クレテラの横面を殴りつけたのだ。不意を突いた一撃にクレテラはのけぞり、その場でたたらを踏んだ。
今のは、アーゼンが仕掛けた攻撃ではない。
今のは──
アーゼンは攻撃が飛んできた方向に振り向き、そして見る。
東方神が、右手を翳してクレテラたちを牽制している姿を。
「──馬鹿な。東方神は私の武器に取り込まれているはず──」
クレテラは訝り、幾分もせずにその正体が何なのかを悟る。
東方神が大事そうに抱えているガラスの水差しが、その答えだった。
「まさか……ロネ!?」
「──人と血眼者は、分かり合おうと思えば分かり合えるんだ」
右手を下ろして、ロネはクレテラを見据えて言った。
「その想いを自分のために利用して、踏み躙ったお前たちを──ぼくは、許さない!」
「東方神が人間に同調して力を貸したというんだな……そんな馬鹿な!」
ロネの頭上に、次々と風の球が生まれ出る。
それは弾丸となり、クレテラと、上空を舞っているブリスタに降り注いだ。
ぼばばば、と風が弾け、破裂音が響く。
見た目よりも強い威力を持った風の一撃に、鱗を剥がされた竜たちはぎゃあっと声を上げた。
「……想いが生んだ力、か」
ロネを見つめて、アノンは呟いた。
「強いわけだ」
痛む胸を庇いながら身じろぎし、アーゼンが持っている槍に手を伸ばす。
アーゼンが何事かとそちらに目を向けるよりも早く──
アノンは、アーゼンの手から槍を取り上げた。
「アノン!?」
「このまま引き下がっていては狩人の名が廃る。悪いが少しばかり借りるぞ」
「何をする!」
アーゼンが掴まえようとした手は空を切った。
背に巨大な鳥の翼を生やしたアノンは、アーゼンの腕の中から脱して、クレテラへと向かっていった。
心臓めがけて、槍を一突きする。
それを手を払い、防御するクレテラ。
彼の背面に、水で象った刃がずらりと並ぶ。
それは、まるで処刑槍の如く。
煌めきの雨が、降り注ぐ。
飛沫を飛ばし、空を割り、
アノンの全身を切り裂き、胸を貫いた。
鮮やかな赤が散る。アーゼンの悲鳴にも似た声が響き渡る。
形を失い崩れていく水の刃。胸を穿った穴を掌で撫でながら、アノンは笑った。
「──狩人の意地と矜持を、受け取れ」
指先を穴の中に埋めて、何かを引っ張り出す。
それは、先の一撃を受けて潰れた彼の心臓だった。
未だ脈動を続けるそれを、抱え込むように握り締め、
彼は、生の証を消そうとするかのように力一杯握り潰した。




