アーゼンの真意
四方神の能力には、それぞれ特色がある。
東方神イースの能力が『風』を基本としたものであるように、アーゼンが操る西方神の能力は『土』を基本としたものだった。
大地に変動を齎し、地脈に干渉して地震を起こしたり大穴を空けたりすることができるのが西方神の力だ。
四方神の能力には、同じ四方神の能力で対抗するのが最良であると言えた。
しかし、アノンはその手段を取ることができない。
足の不自由な彼の移動を担っているのが、剣で部分的に召喚している竜の能力だ。此処で他の血眼者の魂を憑依させると、翼を失った彼は移動がままならなくなってしまうのである。
更にもうひとつ懸念がある。
今のアノンは──
「…………」
ぐ、と喉を鳴らし、アノンは僅かに表情を歪めた。
ゴーグルの下で、焦点の位置が曖昧にぶれる。
それを見逃すアーゼンではない。
彼女はすっと両の目を細めると、笑みこそ浮かべないものの不敵とも言える様子でアノンに言った。
「顔色が悪いな。体調を管理するのも狩人の大切な務めだということを忘れたのか?」
「……余計なお世話だ」
アノンは構えていた剣を振り下ろした。
剣先はアーゼンの顔に届く直前に、彼女が作った土の槍に当たって動きを止めた。四方神の姿を取っていても愛用する得物は槍なのかとそのようなことを思いつつ、彼は切り結んだ剣を持つ手に捻りを加えた。
するっと表面を撫でるように噛み合いから脱した剣先が、アーゼンの頬を僅かに掠める。
うっすらと赤く色付いた頬に掛かる髪を鬱陶しそうに首を振って払い、アーゼンは槍を持つ手を後方に引いた。
「少しは自分を大切にしろ」
手首を捻りながら槍を繰り出す。
槍の穂先はアノンの額を掠めて頭上を通り過ぎていった。
たらりと額から零れ落ちる血を舐め、アノンは槍を剣で払い除けた。
「あんたに心配されるほど──」
言葉を紡いだ次の瞬間。
ごぼっ、と彼の口から大量の血が溢れて落ちた。
至近距離だったアーゼンの手がそれを被り、赤黒く染まる。
アノンは背を丸めて口元を掌で押さえた。
指の間からぽたぽたと雫が零れて地面に点々を描き出す。
唐突の出来事に、それまで場を離れた位置で見守るだけだったロネたちは次々と腰を浮かせた。
アーゼンは血を被った手元に視線を落とし、今一度アノンに目を向けた。
「……侵蝕が進んでいるのか。お前の顔色が優れないのはそのためか」
「──だとしたら何だ」
顔を上げ、アノンはアーゼンを睨み付けた。
「俺が倒れて万々歳なんじゃないのか」
「……私はお前に死んでほしいわけじゃない」
アノンの噛み付くような視線を真っ向から受け止めて、アーゼンは言った。
「寿命を削るのは私1人だけで十分だ。お前は狩人を引退して少しでも長生きできるよう努めるべきなんだ」
「…………」
「うわあ!」
唐突に上がった悲鳴に、2人の視線がそちらを向く。
彼らが捉えたのは、牙を剥き出しにした狼が今にも飛び掛からんとロネたちを睨んでいる光景だった。
アノンは口元を拭おうともせず、その場を飛び出した。
渾身の力を込めた体当たりが、狼の体を吹き飛ばす。勢い余ってそのまま彼は狼と一緒に地面に転がり、仰向けにひっくり返った。
唸り声を上げてアノンを睨み付ける狼。本格的に相手を仕留めるべく剣を構えて上体を起こすアノン。
その両者の間に、土の錐が柵のように生えて立ち塞がる。
アーゼンは狼に向けて翳していた掌を下ろすと、槍を構えて地面を蹴った。
錐が地面の下へと引っ込み、戻っていく。アノンとの間を隔てるものがなくなり、狼はアノンに飛び掛かろうとその場を高く跳躍した。
その胴を、土の槍が深々と刺し貫く。
アーゼンが投げつけた槍が、狼に命中したのだ。
急所を貫かれた狼は、口から涎を垂らしながらアノンの上に落ちた。
狼の下敷きになったアノンはぶつけた後頭部を地面に擦り付けながら、懸命に狼を押し退けようともがいている。
「……あ、ありがとう」
ロネは傍まで歩いて来たアーゼンに素直に礼を述べた。
アーゼンは歩きながら元の姿へと戻り、ロネたちの横を通り過ぎて、ようやく狼を横にどけたアノンの枕元に立った。
「……私が言っても聞く耳を持たないのだろうな。だが敢えて言う。命を粗末にするような戦い方はやめろ」
起き上がるアノンを一瞥し、くるりと背を向ける。
場を静観していたブリスタの方を見て、声を張り上げた。
「帰るぞ」
「まーた武器を取らずに帰るのサ? もう少し真面目にやってほしいのサ」
「無理矢理奪うよりも、自ずから手放させた方がこいつのためだ」
「……全く、大甘なのサ」
ブリスタの傍まで移動したところで僅かにロネたちの方を振り向き、彼女は言った。
「お前たちも、状況が理解できているならその男を説得しろ。今のままでは死人が増えるだけだ」
──2人が帰った後、アノンは皆に囲まれた状況でぽつぽつと話し始めた。
剣の能力を使う代償として侵蝕という命を削る現象が起こるということ。その侵蝕の影響で、自分の寿命がもうあまり長くはないこと。
驚きを隠せずにいる一同の顔を順番に見つめて、彼は言った。
「……誰かがやらなければならないことだ。あんたたちが気に病む必要は全くない」
「──それでも、ぼくたちは」
ロネはその場に膝をつき、アノンと目線の高さを合わせて、相手の顔をじっと見つめた。
「アノンにも、元気でいてほしいって思ってるんだよ。それは、駄目なことかな?」
「…………」
アノンはロネから視線をそらして、僅かに俯いた。
静かに、呟く。
「……命を惜しまれたことなんて、初めてだ」
「え?」
「何でもない」
かぶりを振り、彼は顔を上げた。
「俺も死にたがりなわけじゃない。思われている間はせいぜい長生きできるように努めるさ」




