ブリスタ、再び
眉間に剣の一撃を受けて、巨大な牡山羊の姿をした血眼者が金切り声のような悲鳴を上げる。
最後の力を振り絞って角の先端をアノンへと向けるが、アノンはそれには取り合わず、冷静に突き入れた剣を引き抜いた。
ばっと散る血の花が彼の頬を濡らす。
牡山羊の目がくるりと白目を剥く。嘶く口から泡立った唾液を垂らして、牡山羊はどうと横に倒れた。
突っ張った足がびくんびくんと痙攣を繰り返している。流石は血眼者、生命力の強さは並ではない。
アノンは相手の心臓めがけて剣を突き落とした。
胸に刃を受けてびくっと四肢を突っ張らせ、それきり牡山羊は動かなくなった。
牡山羊が絶命したことを察し、臨戦態勢を取っていたネフェロたちは大きく息を吐いて構えを解いた。
「お疲れ様ー」
手の甲で頬の血を拭うアノンの元に歩み寄り、ネフェロは笑う。
「ありがとねェ」
アノンは顔を上げてネフェロの方を見て、
どうっ!
突如として降って沸いたそれに吹き飛ばされ、地面に全身を叩き付けられた。
唐突の出来事だったため、受身を取る間もなく背中を強打したアノンは咳き込んだ。
具現化していた翼が、左手の力の緩みと共に消え失せる。
上体を起こし、何が起きたのかを確認しようとする彼の鳩尾を、見覚えのある靴が踏み付けた。
見た目よりも強い力で踏み込まれ、ぐっと潰れた声が彼の口から漏れ出た。
「油断大敵だ」
槍の穂先をアノンの鼻先に突きつけて、アーゼンは淡々と言った。
「お邪魔するのサ」
上空からすたんと降りてきたブリスタが、アーゼンに踏み付けられたアノンを見下ろしてにやにやと笑う。
「狩人君の武器、頂戴しに来たのサ」
「何か久しぶりだねェ。君たち」
ネフェロは血眼者相手にぶら下げていた剣の先端をゆるりと2人の方へと向けて、1歩前に出た。
血眼者相手には全く役に立たない武器も、人間である彼女たちにとっては立派な脅威になる。
僅かに身構えるアーゼンと、全く動じる気配のないブリスタ。2人に対して、小首をことりと傾けながら問いかける。
「もう諦めてくれたんじゃないかって思ってたよォ」
「こっちにも都合があるのサ」
ブリスタは肩を竦めた。
「アーゼン、遠慮はいらないのサ。さくっと武器を取り上げて此処からおさらばするのサ」
「……だそうだ」
アーゼンはアノンを踏む足に力を込めて、槍の狙いをアノンの顔から左手へと移した。
左手──アノンが未だ手離さずに持っている剣へと向けて。
「無意味な怪我は負わせたくない。剣を離せ、アノン」
「……断る」
右手でアーゼンの足首を掴み、アノンは反論する。
アーゼンの足先が、更に深く鳩尾へと食い込んだ。
みし、と骨が軋む。生じた痛みに、初めてアノンの表情が苦悶に歪んだ。
「……ぐ……っ!」
「それとも、あばらの1本でも折らないと素直になれないか?」
アーゼンは槍の穂先をアノンの剣に打ち付けた。
がいん、と派手な音がして、剣先が大きくぶれる。
しかし、意地故か、アノンは手首を大きく捻る体勢にされても剣を手離しはしなかった。
「──折りたければ折れ。俺は、理不尽な要求には屈服しない……!」
アーゼンを睨みつけるアノン。
「……そうか」
アーゼンは溜め息をつくと、渾身の力を込めて、足先を押し込んだ。
めきっと破砕の音が鳴る。アノンは目を見開いて、歯を食いしばり、ぶるぶると震える右手を握り拳の形に作った。
拳を振りかぶり、アーゼンの足首を横から殴りつける。
アノンの反撃に、アーゼンの足の力が緩んだ。
その一瞬の隙をついて、アノンは全身を捻って地面を転がり、アーゼンの足の下から脱出した。
ぜいぜいと息を荒げながら、彼はうつ伏せの状態から身体を起こす。
黒い翼が、ばさりと音を立てて彼の背中に広がった。
「……俺が武器を置くのは、俺が死んだ時だけだ」
口元を右の手の甲で乱暴に擦り、彼は言う。
「来るなら来い。全力で抗わせてもらう……!」




