最終章 未来への道編 第一話
六月も終わりになると、花で溢れた春の香りから新緑の香り漂う初夏の風へと変わったが、陽だまりの窓際で机に肘を付いて呆けた顔で座り込んでいたジョージ・バレル二等准尉は、大きく息を吸い込んでから「ハァ」と長いため息をついた。
「短い春だった」
そう言って机に突っ伏したジョージの頭を丸めた書類でバコンと叩いたランス・ウィルソン中尉は、眉を寄せた険しい顔で「阿呆か」と呟いた。
「何寝言を言ってんだ。いい加減目を覚ませ」
叩かれた頭を擦りながらしょぼくれ顔を上げたジョージを、隣の席に腰を下ろしたルドルフ・レッド中尉もクスクス笑っていた。
「だってですよ。俺の能力が消えた途端に、女子達はもう用済みと言わんばかりに冷たい視線で」
グチグチと口を尖らせて愚痴を溢し続けるジョージの前にどっかと腰を下ろして、ランスは「あのなぁ」とぼやいた。
「もっと自分を磨けば済む事だろが。折角S班に舞い戻れたのに、お前、先週の障害長距離で順位落としてたろが」
図星を突かれて決まり悪そうに視線を逸らしたジョージの横顔に向かって、ランスはフンと鼻で笑った。
「そういや、エリーもおめでただってな」
妻が第二子妊娠中のランスが、全員分のお茶を入れに席を立ったルドルフの背に声を明るく掛けると、パアッと明るい表情になったルドルフはうんうんと頷いた。
「ウチも女の子らしいですからね。エリーが喜んでます」
明るい話題に顔の綻ぶ二人を見上げ、ジョージは益々不機嫌そうに口を尖らせた。
「はぁあ、独り身にはキツい話っすね」
「お前も早く『絆』の相手を見つけろよ」
豪快に笑ったランスにバンバンと肩を叩かれて、ジョージは体を揺らしながら益々剥れた顔になった。
賑やかさを取り戻したS班作戦会議室の扉を開けて、休暇中の筈なのにまたしても顔を揃えている班員達を眺め渡して、呆れた男は思わず声を掛けた。
「お前達、休暇中なのに何をやっているんだ」
「班長殿!」
立ち上がった三人の男は、入ってきたネルソン・アトキンズ大尉に一斉に敬礼を返した。
「休暇中に此処へは来るなと言ってあっただろう」
平服の三人とは違い、自分はしっかりと軍服を着込んだネルソンは書類を片手に班長席へと向かったが、首を竦めたランスが意地悪そうに突っ込んだ。
「班長殿は以前から毎回休暇の度に来られてましたよね」
図星を突かれて少しムッとした顔になったネルソンであったが、「そう言えば」と顔を上げてルドルフを見た。
「奥方殿が懐妊されたそうだな。おめでとう」
「そうそう。今その話をしてたんですよ」
ジョージが明るく笑った。
「でも班長殿も奥方様の手術が無事に終われば、第二子でも第三子でも」
そう言ってケラケラと笑ったジョージを横目で睨みながら、この秋に決まった妻ヘザーの手術を一番気にしているのはネルソン自身であった。
「大丈夫ですよ、班長殿。最近の奥方様は以前からは考えられないほどお元気になられましたから」
ルドルフの明るい笑顔に絆されて、ネルソンは苦笑を浮かべた。
ロシアの派遣から戻った後のヘザーは、確かにネルソンが驚く程に回復していた。家事をこなしても寝込む事も無くなったヘザーは、己の内に力を蓄えているようで、僅かな不安を胸の中に飲み込んだネルソンは「ああ」と頷いた。
スコットランド軍第九十九AAS大隊第二中隊S班は、それまでの役割『斥候』から『戦略統括』部隊へと変貌を遂げていた。
その班長の座に座る事になったネルソンは、長い休暇を楽しんでいる筈の部下達がこうしてこの場所に集まってくるのも、一応叱責はしてみたが、今まで通りで変わらない事を寧ろ喜んでいた。
「班長殿。当班の補充要員の選定についてですが、陸海空各軍よりの推薦状が届いております」
副長となったランスが居住まいを正し、班長席に座ったネルソンの前に立ち声を掛けると、「ああ」とネルソンは応じた。
規模を拡大しての十数名の補充となる今回は、各軍からの希望者が殺到して収拾がつかず、やむなく推薦制に切り替えたが、各軍が厳選した兵士の数がそれでも数百に及び、積み上げられた山の様な推薦状を目の前にして、ネルソンは穏やかに微笑んだ。
「戦略統括と言っても、国連援助隊への出動任務も継続中だ。知力体力に優れた有能な兵士を招聘しないとな」
「はっ」
頷いたランスはチラリとジョージを振り返った。
「という事だ。お前、手抜いてるとさっさとS班から放り出すぞ」
「ご冗談を! 自分だってS班の端くれですからね。端っこの座は誰にも渡しません」
冗談めかして言ったジョージであったが、その言葉の裏でかつて自分に端っこと言ったニコラス・ティペットを思い出しているのか僅かに寂しそうな顔になり、同じ事を思っているのであろう他の男達も、遠い目をして一輪挿しの花が置かれているニコラスの定席を振り返った。
寂しさを決然と振り切って顔を上げたランスが、またネルソンに向き直った。
「班長殿。そして次回の会議予定なんですが」
「ああ。次回は今度国連援助隊に参加する事となったイングランド軍SASとの合同会議になる。予定では――」
「じゃあ、班長殿に会えるんですね!」
突拍子も無い声を上げたのはジョージだったが、他の二人も瞳を輝かせてネルソンに期待の篭った視線を投げ掛けているのを見て、苦笑を洩らしたネルソンはフッと笑った。
「それはまだ分からない。班長殿、いや、SASに戻られたザイア少佐殿はA部隊の部隊長であられる。部隊を束ねる指揮官となられた少佐殿が援助隊に参加されるのかどうかは、聞いてないからな」
「えええ」
途端に不満の声を漏らしたジョージの剥れた表情を横目で見て、ネルソンは視線を南に向けた。
今はイングランドに戻ってSASに復帰したレオの面影を追って迷わず同じ道を進もうとしているネルソンの瞳には、今でも見紛う事無くレオの頼れる後姿が見えていて、その背を自分はこれからも追い続けるのだと決意を籠めたネルソンの瞳にも、失われない深い緑のオーラの炎が燃え続けていた。




