第十二章 第十三話
兵舎の南側にある塀を越えて、兵舎本館の建物とその裏手に建つ第二館との間の通路の様子を窺ったレオ達だったが、案の定表通りから見えないこの場所には警戒の兵士の姿があった。
「どうしますか」
小声で訊ねてきたネルソンに、レオは十数名は居るであろう兵士達の動きを見ながら建物影で思案していた。
「その通路を出た場所に、俺が結界を張る。半径三m間だ。合図と共に其処へ飛び出せ」
「しかし、奴らが発砲してきたら」
事情を知らないフランソワ少尉は顔を強張らせたが、ルドルフはクスッと笑って言った。
「大丈夫ですよ、例え発砲してきても弾は自分達には当たらない」
フランス南部バイヨンヌに本部を置く第一海兵歩兵落下傘連隊に所属していたフランソワ少尉は、恐らくは結界の内外での戦闘とは無縁だったのだろうと察したレオは、軽く少尉の肩を叩き「行くぞ」と声を掛け、男達は僅かな明かりが灯る夜道に暗がりから躍り出た。
『誰だ!』
途端に仏語で飛んだ鋭い声に、レオは険しい顔を崩さないまま、ゆっくりと声を掛けた。
『我々は、国連援助隊UNAC先遣隊の者です。戦闘に来たのではありません。国王陛下に拝謁する許可を頂きたく参上仕りました。どうか上官にお取次ぎを』
不思議な蒼白い炎を纏って、銃を向けられてもたじろぎもせずに立ちはだかっている男達を見て、ベルギー兵達は混乱した表情で顔を見合わせていた。
前方からも背後からも、銃を構えた兵士達に囲まれたレオ達は、それでも銃を手にする事も無く、黙って立ち尽くしていた。
『陛下に拝謁を賜りたいというのは貴方か』
レオの眼前に立った男は、ベルギー陸軍の大佐の階級章を付けた、壮年の男性であった。濃い茶色の髪は混乱の続いた時期であっても丁寧に切り揃えられていたが、少し悲哀の浮かんだ深い蒼の瞳には、苦悩や憔悴が見て取れた。
『国連援助隊UNAC先遣隊S班班長、アレックス・ザイア、中尉であります』
丁寧に敬礼を返して名乗ったレオが纏っている蒼白い炎を見て、大佐は訝しむように目を細めたが、しわがれた声で答えた。
『折角おいで頂いたが陛下が接見される事は無い。お帰り願いたい』
『陛下のお身体が芳しく無い事は分かっております。だからこそ』
強い口調で言い放ったレオに、大佐は疲れの浮かんだ顔に僅かに驚愕を浮かべて、レオの顔を真顔で見返した。
半ば人質状態でS班員とフランソワ少尉を一階の控え室に残し、照明の消えた三階の廊下を、燭台の蝋燭の僅かな明かりだけで進むベルナール・アラン大佐に連れられて、レオは緊張した面持ちで、黙って付いて行った。
『陛下は元々ご病気をお持ちであった。それでも之までは、安静を保っておられれば日常生活にご不自由はされなかったのだが』
アラン大佐は寂しげに呟き、レオは察して囁き返した。
『国連軍の進駐があって、結界をお張りになったからですね』
『ああ。陛下のお体に莫大な負荷が掛かるのは我々も分かっていた。だからお止めしたんだが、陛下は国民を守るのが自分の使命であるとおっしゃって、無理に結界を張られた。始めは、R0エリアまで機能していた結界も陛下の体調の悪化と共に縮小し、現在はご存知の通りR20以内に辛うじて機能しているまでになったが、これももう時間の問題となってしまった』
大佐は立ち止まって、暗い瞳でレオを振り返った。
『昨日から陛下の意識がお戻りにならない。手は尽くしてはいるが』
レオの眼前の扉が大きく開かれ、此処だけは煌々と明かりが灯る部屋の隅に置かれた大きなベッドの上で、酸素吸入器を当てられて苦しげな早い呼吸を繰り返している、金色の髪を波打たせた少女の姿があった。
『我々の国王陛下、マリア・テレジア女王陛下であられる』
其処に居るのはてっきりその彼女の父であるアルベール四世国王陛下だと思っていたレオは、予想もしなかった事態に、顔を強張らせて固まった。
アラン大佐が言うには、アルベール四世国王陛下は世界の崩壊の起きた二千百一年に身罷られ、そして彼女が王位を継承したのだと、目覚めない少女に悲しげな視線を送ってレオに説明した。
広い室内には、彼女を乗せた大きなベッドの周りで、慌しく動き回っている医師団と、鋭い眼光を飛ばしている銀髪の軍服姿の男が居て、この少女を守るように取り囲んでいた。
――何かが違う。
レオは自分の中で繰り返し鳴る警報音に、顔を顰めて考え込んだ。
十五歳の年若い女王は透き通るような白い肌には血の気は窺えず、酸素吸入器の中の唇も青褪めて紫色に変わりつつあった。
そのオーラは煌く水のような透き通った水色であったが、それも僅かに彼女の周りに纏わり付いているだけで、正しく消えようとしていたが、そのオーラから感じる違和感にレオは戸惑った。
それはレオが知る他の【守護者】達とは違う波長で、レオの心を掻き乱した。頭の中に次々と浮かぶ脈絡もない情景から強調されて反響する言葉が、早鐘を打ち始めたレオの鼓動とリンクするように乱れ飛んだ。
――ドイツとベルギー共同の【核】、当時八歳、心臓病、まさかそんな事が……
自分の中に思い至った答えに、レオ自身で驚愕を隠せなかった。
『陛下は……陛下こそが、【核】であられたのか』
呆然と呟いたレオの言葉に目を見開いて、弾かれたようにレオを振り返ったアラン大佐と、怜悧な瞳でレオを検分していた銀髪の男が同時に顔を上げ、『何故、それを……』と驚愕の言葉を洩らしたアラン大佐に答える事も出来ず、レオは目の前の悲運の女王から、目を離す事が出来なかった。
ドイツの【核】が、事もあろうに、このベルギーの王太子であるマリア・テレジア殿下であると判明したのは、最後の【核】であるニナ・フェアフィールド、【核ファースト】が見出される直前の事であったとアラン大佐は苦悩を滲ませて語った。
『だが、恐れ多くも次代のベルギー国王になられるお方だ。その上陛下は先天的な心疾患をお持ちで、とても出産など望める状況では無かった。其処で我々は秘密裏にある手立てを行った』
部屋の隅に設けられたソファに腰を下ろし、項垂れて話す大佐を前にしてレオは暗い表情で唇を噛んでいた。
『身代わりを立てたのですね』
レオの指摘にビクッと体を震わせたアラン大佐は、尚も顔を俯けると力無く頷いた。
『仕方無い事だった。陛下に対して、連邦が行っていたような【核】の扱いをさせるわけにはいかなかった。だがその少女も優遇されるように、似たような心臓の病を抱える少女を選んで、無理な出産や懐妊をさせない事を連邦に約束させたのだ』
アラン大佐は項垂れたまま顔を覆ってしまった。
『アラン大佐殿、おっしゃる通り仕方の無い事だったのです』
此処で始めて銀髪の男が口を開いた。彼はドイツ兵で、KSKと呼ばれるドイツ特殊部隊第三コマンドー中隊の第一小隊隊長であるモーゼス・オットー中尉は、動じる事も無く淡々と言った。
『しかしその少女が死んで、ドイツは戦場になってしまった』
詫びるように呟いたアラン大佐にオットー中尉は視線を向けたが、それまで浮かべていた冷酷さが消え、寧ろ大佐を慈しむような光が浮かんでいるのに気付いて、レオは疑念と共に眉を寄せた。
『驚く事ではない。陛下が【核】である事に気付かれたのならば、当然その周りには【運命共同体】があるのを貴君はご存知であろう』
『では貴方がたは』
『左様。前世では我々は兄弟で、陛下の兄であった』
オットー中尉は、過去は自分の妹であったマリア・テレジア女王を慈しむように振り返った。
オットー中尉は、ドイツ崩壊前から事態に気付いていた。自分が【核】であるベルギー王太子の【運命共同体】の構成員である事を悟っていた彼は、【核】の死の報を聞いても、それがデマである事を知っていた。
『【核】が死ねば自分には分かると思っていた。だからまだ陛下はご無事だと分かっていたが、我がドイツも、同時に暴動が発生したベルギーも混乱の最中に陥り、我々は陛下をお守りするべく命令に反して戦線を離脱し、ベルギーへと向かったのだ』
西部デュッセルドルフ防衛を命じられていたオットー中尉率いる第一小隊であったが、混乱に乗じて国境を越えて、オランダを経てベルギーのブリュッセルに到達したのだという。
『自分には、アラン大佐殿が自分の兄であった事は直ぐに分かった。其処で一致協力して、このブリュッセルを、陛下をお守りする事と決めたのだ』
頼もしい弟に優しげな瞳を投げ掛け、アラン大佐は少し微笑んだ。
『此処にも、直ぐに敗走してきたドイツ兵が雪崩れ込んできたが、彼は全てを難なく退けた。KSKの中でも最強と謳われた第三中隊第一小隊は正しく最強であった』
兄からの賛辞にも、表情を全く変える事がないオットー中尉は、ネルソンに似ているなと話を聞きながらレオは思いを巡らせていた。
『だがそれも、此処までだ。陛下は昨日から危篤状態に陥られた。陛下が身罷られると同時に国連軍が雪崩れ込むだろう。兵力の差は歴然としている。我々は陛下と運命を共にする覚悟は出来ている』
淡々と語ったオットー中尉に、レオはそれでも揺るぎ無い決意を籠めて顔を上げた。
『陛下が結界を解いて下さりさえすれば、自分が直ぐに結界を張り直しましょう。誰も、一人の血も流す事無く、国連軍は結界の端に追いやられる事でしょう』
『だが、陛下はもう呼び掛けにも応じては下さらない。どうやって結界を解くと?』
染み付いた苦悩が消えないアラン大佐が、乾き切った唇で問うとレオは思案顔になったが、何かを思い出してキリッと顔を上げた。
『我々の班の副長を此処にお呼び下さい。彼は軍医の資格を持っています』
『医師なら此処には、国内最高の医師が揃っているが』
怪訝そうな顔のアラン大佐にも動じず、レオは真っ直ぐに大佐を見返した。
呼ばれたネルソンは全く臆する事無く、何時もの冷静な顔付きを崩さずに、丁寧にベッド上の陛下と、アラン大佐とオットー中尉に敬礼を返すとレオに向き直った。
『お呼びでしょうか、班長殿』
彼らに疑念を抱かせないために仏語で話し掛けてきたネルソンに、レオは女王を振り返って言った。
『朝、レッド二等准尉が貴君に話していた事を覚えているか』
『はっ。彼はこう言いました。『何時もの薬は持っていますか』と』
『此方に居られるのがマリア・テレジア女王陛下であらせられるが、陛下は先天性の心疾患を患っておられるそうだ』
その言葉だけで察したネルソンの冷静だった表情に、僅かに翳りが浮かんだ。
『で、その薬は所持しているのか』
『はっ。三日分ほどですが所持しております』
『ザイア中尉殿、それは一体どういう』
意図の読めない会話に、アラン大佐が訝しげに声を掛けてきたが、レオは大佐に向き直ると短く告げた。
『彼に陛下の治療をさせて下さい』
『しかし』
『お願いしてみましょう、アラン大佐殿』
この短い会話だけで意味を悟ったらしいオットー中尉の顔には、先程までは窺えなかった僅かな興奮が、彼の頬を少しだけ赤く染めていた。
早速女王のベッドに歩み寄ったネルソンは、主治医を捉まえると早口で訊ねた。
『陛下のご病名は』
『PDA(動脈管開存症)から来るアイゼンメンゲル症候群であられます』
『……やっぱり……ヘザーと同じ病気であられたのか』
『え?』
『私の妻が全く同じ病気なのです。この薬は近代医学によるものでは無く寛解させるものではありませんが、彼女の病状を安定させるのに役立っています。現在彼女はPS1を保っています。それに、この滋養強壮薬は、ひと匙で効能が得られます。それも経口よりは輸液のほうが有効です』
『おい! 輸液の準備だ!』
慌しく動き始めた医師団の動きを目で追いながら、レオは事態の打開に繋がる事を祈らずに居られなかった。
*1……PSとはパフォーマンス ステータスの事。病状における指標の一つで、0から4まであり、数が少ないほど病状がいい事を示す。因みにPS1は軽作業なら可というレベル。




