第十二章 第十二話
フランソワ少尉を連れてオーデルゲムのビール工場に戻ってきた二人に、報告を待っていたレオ達は驚愕を隠せなかった。
「全く、あなた達って人は」
フッと鼻で笑ったフランソワ少尉に、レオは同じく苦笑を返して「貴方こそ」と笑った。
「R20は、軍用車で封鎖されています。警備兵が約五十mおきに警戒して、巡回は周辺地域を十五分毎に二、三名、特に宮殿近くのトローヌ広場前は警戒が厳しく、近づくのは容易では無いと思われます」
ニコラスとビリーから現状が報告されるとレオは顔を顰めた。
「宮殿へ……班長殿は国王に謁見されるお積りで?」
その意図を察したフランソワ少尉がレオを振り返り問うた。
「ええ。このR20から内側には、結界が張られています。なので国連軍も攻め込めないでいる。結界が張られているという事は即ち【守護者】が健在だという事です。ならば、状況を打開出来るのは【守護者】に於いて他なりません」
「それでしたら、宮殿へ赴いても無駄です」
フランソワ少尉は蒼い瞳をレオに向けて静かに言った。
フランソワ少尉は、自分は抗国連軍として組織された一般市民によるパルチザンとの繋がりを持っているとレオ達に語った。
「彼らによると、国王は現在宮殿では無く別の場所に移されているそうです。それが此処、プチシャトー兵舎です」
R20に囲まれた域内の、丁度宮殿と反対側に位置する川沿いの場所をフランソワ少尉は示し、S班に小さなどよめきが起こった。
「ですが流石にこの場所には厳重な警備体制が敷かれていて、例えベルギー国民であっても、迂闊には近づけません。あなた方が辿り着けるかどうか」
ため息をつきながら首を振ったフランソワ少尉だったが、レオは厳しい顔を上げた。
「なんとしても会わねばなりません」
「それは何故」
「此処の結界はとても微弱です。恐らく国王陛下は、かなり弱っておられる筈。もし身罷れる事でもあったら結界は消滅し、国連軍が一気に域内に雪崩れ込んで、ブリュッセルは血の海になるでしょう。なんとしても止めなければ」
決然と言い切ったレオを、フランソワ少尉は、目を見開いて黙り込んだまま見つめ返していた。
翌日、レオ達はビール工場に車を残して、そのプチシャトー兵舎近くのR20外周部にあるという彼らのアジトに向かい、二名ずつで目立たないように十三km程の距離をほぼ一日掛けて移動した。
夕闇の迫ったファウンドリー公園脇の通りからその裏側に回り、瀟洒な住宅が並ぶ通り沿いとは異なって、内側に隠されたバラック建てのような薄汚れた民家に辿り着いていた。
表通りに並ぶ家々はどれも美しく飾られ、上品な雰囲気が漂っていたが、一歩その裏側に入ると、人目に触れさせないかのように、煤けた土壁と打ちっ放しのコンクリートが剥き出しの壁が連なっている荒んだ様相に、レオは嘗て自分が住んでいたスラムを思い出し眉を寄せた。
――表向きは小奇麗でも裏はこういう事か。
戦争放棄を宣言し、国境を廃して一見平和が訪れたように見えた世界には、やはりこうしてまだ黒々とした闇が残っていたのだと、レオは小さく嘆息を洩らしたが、それに気付かずフランソワ少尉は「こっちです」と一軒のバラック小屋を顎で示した。
赤錆の浮かんだ鉄板に、ビスを打ち込んだだけの扉を二回ノックしたフランソワ少尉が、
「ビールを飲みすぎたんだ、早く出てくれ」
とまるでトイレに入りたいかのように中に英語で声を掛けると、不審げな声で「エールか?」と返ってきた。
「ランビックだ」
フランソワ少尉が短く答えると、やがて鍵を開ける音と共に扉が開き、金髪を無造作に束ねた三十代前後の男が「遅かったな」と、フランソワ少尉を笑顔で出迎えたが、その背後にいるレオ達に気付いて顔を強張らせた。
「彼らは敵では無い。前に話したろう。あのS班の人達だ」
それを聞いた男はレオ達を値踏みするように眺め渡して、じっと目を細めていた。
此処は反国連軍の一般市民の拠点の一つで、此処からゲリラ的な抗戦を仕掛けているのだと、先程の若者ルーク・ヤンセンは、まだ警戒を解かずにレオ達を腕を組んで眺め渡していた。
「話はまぁ分かった。だが俺達はまだアンタ達を信じちゃいない。シャルルは俺達の元に何度も通って、俺達は何度も議論を戦わせてきた。彼はフランス人だが俺達は信頼している。だが、アンタ達は違う。信用出来るまではあの中に入れる事は出来ない」
世界崩壊が起こる迄はブリュッセル大学の大学院生だったというルークは、流暢な英語で琥珀色の瞳に蔑を含めてレオ達を見下した。
気色ばんだ顔で口を開こうとしたランスを制して、レオは眼前の若者に向き直った。
「おっしゃる通りです。しかし我々には時間がありません。そして、それは恐らく、あなた方の国王陛下もです」
レオの言葉にルークがピクリと反応した。
「今はまだ結界が機能している。しかし、その力が徐々に弱まってきている。それは恐らく、国連軍側も掌握しているでしょう。この結界が消えれば、街は戦場になる」
黙りこんだままのルークに、ニコラスが顔を向けた。
「アンデルヒトのアストリッド公園内に大量の軍用車が来ていた。国連軍の補給部隊だ。だがその荷は食糧では無かった。銃器や銃弾類だ。それが何を意味しているか分かるか」
「……総攻撃が近いのか」
眉を寄せて呟いたルークにニコラスは無言で頷いて、黙り込んだルークに向かってレオは静かに言った。
「自分は結界を張る事が出来ます。だがその為には一度国王陛下に結界を解除して頂いて、総攻撃が始まる前に張り直さなければなりません。結界の張り直しは域外からでも可能ですが、重要なのは、その結界の消失が意味するのが」
「分かった。今夜半、巡回兵が午前0時に通過した後に、この先の橋梁下に隠してある小船で対岸へと向かう。兵舎に近いN9通りの橋は破壊してある。その真下に船を付け、上がった目の前が兵舎だ」
レオの言葉の最後を待たずにルークは手を挙げて制して、冷静に手筈を説明した。僅かな時間で作戦を導き出すその明晰な頭脳に、レオは内心で感服しながらも、穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。だが十分に警戒して欲しい。誰一人として、死んで欲しくはないんです」
そう言って右手を差し出したレオの大きな掌をじっと見返して、ルークは逡巡した後にその手を握った。
運河の対岸にある暗い夜道を、巡回兵を乗せた車が走り去って、赤いテールランプが北側の大きな橋の向こうに消えるのを確認し、闇の路上にレオ達は躍り出た。
明かりも映さない黒々とした運河の水を掻き分けて、音を立てず櫂だけで進んだ小船が、破壊され運河に崩れ落ちている橋の袂まで辿り着くと、S班員とフランソワ少尉は、身軽に運河脇の軌道上に飛び移り、橋の残骸の陰に身を隠して、僅かな明かりが灯る兵舎を見上げて表情を固くした。
この場所が重要な拠点であることを悟られたくないのか、運河に面した正面玄関前に警備兵は誰も居らず、赤いレンガ造りの建物はどの窓も固く閉じてひと気を感じさせなかった。
だが、蔦の這うコの字型の三階建ての本館中央部の、その三階の一室に微かに揺れるカーテンの向こうは明かりが灯っているらしく、時折影が過ぎるのを確認して、レオは背後の部下達に向かって口を開いた。
「之より兵舎側面の塀より建物内に侵入する。此処はベルギー軍とドイツ軍が必ず守っている筈だ。銃撃に備えろ。異常あらば直ちに報告せよ」
闇の中に身を潜めながら無言で頷いた部下達を引き連れて、再び巡回してきた警備の車をやり過ごすと、黒々とした闇の中に次々と身を躍らせていった。




