第十二章 第九話
実態調査も終盤に入った翌日、静まり返った室内に小気味の良いタイピングの音だけが響いていて、集めた膨大な資料を纏め始めたルドルフとネルソンの二人が黙々と作業に打ち込んでいる傍らで、レオはその日の定時連絡の為、パリの国連本部内にある国連援助隊指令本部に居るブノア中佐を呼び出したが、レオの懸念が杞憂では無かった事がそのブノア中佐から齎された。
「何ですって?」
「国連援助隊は反乱を起こしたベルギー軍と、彼らに従属しているドイツ軍の掃討を始めたと言ったんだ。彼らは共闘しブリュッセルを制圧して軍政を敷いていた。その数凡そ二千名弱、域内の住民は推定二十万人ほどのようだ。ロッシュ中尉は、彼らと接触を図って説得を試みていたが、本部で制圧妥当と判断して部隊を派遣した。幸いワロン地域は敗走ドイツ軍による進駐も無くて、少子化による人口減だけで特に大きな暴動も無かったようで、カナダ班は早々と引き上げたからな。その分フランデレン地域に注力出来る」
「何故です? まだ時間を掛けても良かったのでは?」
あくまでも強気な態度のブノア中佐の声に、レオは顔を顰めた。
「ドイツ復興が始まったんだ。さっさと片付けて本国に送り返してやるのが優しさというものだろう」
自国の軍がベルギー・ドイツ合同軍を掃討し始めたのを見ているしかないクロード・ロッシュ中尉がどんな気持ちでいるだろうかと、握り締めた電話を持つ手が震えているのをレオは感じていた。
「それで、そっちはどうなんだ」
「はっ。実態調査はほぼ完了しました。域内には、最初に捕らえたドイツ兵以外の残留兵は居らず、物資供与の手筈も整っております」
悔しさを噛み殺してレオが淡々と話すと、ブノア中佐は「そうか」と言った。
「ならさっさと戻って来い。こっちは人手不足な上に、ヴァチカンの奴らが送迎はS班にと指名してきたからな」
最後には、フンという鼻息が聞こえそうなブノア中佐との通話を終えると、レオは「クソッ」と拳を握り締めて机に叩き付けた。
「……班長殿?」
その剣幕にルドルフは怯えて顔を上げ、レオはまだ怒りが収まらない拳を震わせて、また闇色が戻りつつある黒い瞳を向けた。
「フランス班の奴ら、ブリュッセルを戦場にしやがった」
「何ですって!」
驚愕の声を出したルドルフは、纏めに入っていた資料作成の手も止まって、全身から黒々としたオーラを発しているレオを、呆然と見返していたが、
「班長殿、仔細のご説明を」
ネルソンは冷静な表情のまま、静かにレオの瞳から目を逸らさず淡々と言った。
ドイツ兵に捕らわれていた女性の一人で、身篭っていた女性の元に検診に出掛けたジャスティンとビリーの二人と、そして地区毎に纏めた人口統計を一階の事務所職員とつき合わせてチェックをしていたランスとニコラスが、軽口を叩き合いながら、S班作戦本部に戻って来たが、音の無い室内の冷え切った空気が肺に入った瞬間、自分の身体が地面にめり込むような重さを感じて、険しい顔で立ち尽くしている三人の姿にどう声を掛ければいいのか、言葉を探して互いに顔を見合わせた。
もう早々と食事に出掛けたというブノア中佐ではなく、カナダ軍のパトリック・アランデル中佐を捉まえたネルソンが、更に仔細の確認をした後の事、S班作戦本部で密やかな会議が行われた。
「フランス軍からは第一海兵歩兵落下傘連隊の第二中隊、総数凡そ二百名、並びに第十三竜騎兵落下傘連隊の第一から第四までの中隊凡そ八百名、カナダ海外派遣軍より機動中隊四隊此方は凡そ千名が、第一海兵歩兵落下傘連隊本部副本部長代理のアバロ中佐の指揮にて展開しているとのことだ。現在部隊はブリュッセルの中心部を囲むR20の外周迄は制圧したが、そこで膠着状態に陥っているらしい。しかも、制圧した筈の地区から一般市民がパルチザンとして攻撃に加わったり、籠城地域に立て篭もり交戦したりという状況で一概に反乱と呼べない状況になっている。尚、現時点での死傷者は微弱ではあるが、今後の展開によっては激増する可能性を孕んでいるとのことだ」
ネルソンの説明の後、長い嘆息をついて顔を上げたレオだったが、班員達は真剣な顔で既に顔を上げていた。
「つまり、一般市民が軍政から解放された筈なのに、我々に抵抗を見せているという事は、特に市民を脅かす圧政では無いという事ですか」
「そうなんだろう。戦闘能力の無い婦女子は、郊外に避難しているらしいが、仏軍やカナダ軍に抵抗を見せて、物資の提供などに協力しないそうだ」
真っ先に口を開いたビリーにネルソンは小さく頷いた。
「それでは籠城戦が長引けば、此方も疲弊は免れないですね」
ルドルフが眉を寄せたまま手元にある地図を睨むと、ニコラスも「ああ」と同意した。
「ブリュッセルまでの物資補給は距離があるからな。途中に妨害が無ければいいんだが。長引けば長引くほど兵糧も必要だが仏軍とて其処まで余裕があるわけじゃない。カナダ軍には恐らく余裕はあるだろうが、態々北米からなんて補給など望めないだろう」
「ドイツ・ベルギー共同軍はそれを狙ってるんですかね」
ジャスティンの言葉にネルソンは顔を顰めた。
「彼らは徹底抗戦する構えなんだろう。だが物資不足は此方も把握している。この状態が続けば恐らく強行突入が行われ、一斉攻撃で鎮圧するつもりなんだろう」
「一番大事なのは」
難しい顔で話し込んでいた班員達を眺め渡してレオはゆっくりと言った。
「ブリュッセルを戦場にはしない事だ。誰の血も、これ以上一滴の血も流してはならない」
「しかし既に命令は下されています。双方の間に入って和解を勧告出来る機関はありません」
そもそも地域間抗争が起きているのなら、それを和解させるのも国連援助隊の任務だったが、その国連援助隊が銃を向けてしまった以上、確かに無血の着地点を見出すのは困難であった。
「それに我々には帰還命令が既に下されています。本部に戻らねばなりません」
ネルソンのあくまでも淡々とした説明に、ランスは、少し怒気を含んだ声で抗議した。
「ブリュッセルを見捨ててですか?」
「命令は命令だ。我々は命令に従うのが任務だ」
「それが理不尽な命令であってもですか!」
頬を紅潮させて、立ち上がって机をバンと叩いたランスを、隣のジャスティンは少し驚いた顔をして繁々と眺めていた。
「例え我々が命令違反を犯してブリュッセルに向かったとしても、それは直ぐに本部の知る事となる。となれば我々には強制帰還命令が出て、その先にあるのは国連援助隊からの除名だ」
「そんなの!」
言い掛けたランスをネルソンは目で制した。
「そうなれば、我々はもう誰も救う事が出来ない」
その一言で黙り込んだランスは、唇を震わせたまま立ち尽くしていて、今にも泣きそうな顔になったルドルフは、震える声でレオに向かって言った。
「班長殿、どうすれば」
「お前、こんな時こそ予知だろ。何か思い浮かばねぇのかよ」
ニコラスの悪態に、ルドルフは申し訳なさそうに頭を下げたが、激昂する班員達を黙って見ていたレオは、その間じっと考え込んでいた。
やがて椅子を蹴立てて立ち上がったレオは、班員達が一斉に向けた強張った顔を眺め渡して、最後に真っ直ぐに前を向いた。
「これより本班は」
決然とした黒い瞳には、チラチラと蒼い炎が燃えていた。
『ご協力ありがとうございます』
脱帽をして深々と頭を下げたレオに、オイペンからワロン地域の大都市リエージュまで車を走らせてきたアンドレアス・ケスラーは穏やかな笑顔を見せた。
『いえ。ヴァチカンの司教様をお送り出来るなんて光栄ですからね。それに例えフランデレンであっても、皆さんは我らの国民を助けに行って下さるのですから』
アンドレアスは穏やかに微笑んでいるヴァチカンの国務省外務局所属の司教に笑顔で頷いて、司教は慈愛の満ちた表情を崩さずに、レオ達S班に祝福を授けた。
「神のご加護あらん事を」
流暢な英語で囁き掛けた司教に、レオ達S班は一斉に敬礼を返し礼を尽くした。
レオが取った作戦は、ブノア中佐を欺くものだった。
一旦は指令本部に戻り、命令通りヴァチカンからのケルン大聖堂修復に関しての視察団をケルンまで護衛するという任に付いたが、オイペン市長アンドレアス・ケスラーに事前要請し、途中で送迎を入れ替ってもらう手筈になっていた。
事情を話したヴァチカン視察団の団長である外務局副局長である司教は、レオの話を聞き終えるとにっこりと笑った。
「途中、リエージュという場所で休憩を取り、その後運転手が交代するのですね。ご苦労様です」
「司教様、実は――」
「何事にも安全が第一です。疲労の少ない方に代わって頂けるのは我々にとっても良い結果を生むでしょう」
訥々と話す司教に、レオがまだ何か言おうと口を開き掛けたが、司教は悪戯そうに小さく笑って「シッ」と口に指を当てた。
「仔細は伺わないほうが良いのでしょう。ですが、神は正しき事をせよとおっしゃっておられます。私は神の教えに従うのみです」
そう言って微笑んだ司教の顔には、また穏やかな慈愛の光が満ちていた。
リエージュ市内の聖マリア小教区でアンドレアスにヴァチカンの一行を託して、遠ざかってゆく車を見送るとレオは後ろの班員達を振り返った。
「司教様達が帰路に着かれるのは三日後だ。それまでに片付けるぞ」
「了解しました!」
戦場に向かうというのに誰もが明るい笑顔で笑っている班員達に、レオも笑みを返して頷いた。




