第十二章 第六話
レオ達S班がこのベルギーのドイツ語共同体地区の探索を始めて十日間が経過し、オイペンを含めた周辺地域の探索は順調に進んでいた。あれからドイツ軍残党に遭遇する事は無く、市長代理であるアンドレアス・ケスラーが語った通りで、その殆どが北ベルギーを目指して移動したのだろうと思われた。
足繁く通って物腰も丁寧なS班は徐々に住民達に受け入れられ、ドイツ軍兵の脅威が無くなった事で、オイペンの街の中心部に戻り始めた人々と笑顔で会話を交わすまでになっていた。
そして街では、若い女性の姿も徐々に見られるようになっていた。それまではドイツ兵達に見付からないように家の奥深くに匿われ、日差しの中を歩く事も出来なかった彼女達が外に出始めると、街が一層華やいで、明るい雰囲気に変わり始めたのを、レオも安堵して見守っていた。
『ねぇ、貴方独身なの?』
『ワッフルを作ったのよ。食べに来ない?』
夕刻の帰り間際に行政庁舎前の路上で捕まって、その女性たちに囲まれてにこやかに応対するビリーを、羨ましそうな顔で見ているジャスティンの肩を、壮年の男がポンと叩いて笑った。
『よう、にいちゃん。どうだ、旨いエールでも』
『たまには息抜きもしないとなぁ』
武骨な男達に囲まれて、やいのやいのと独語で話し掛けられてもその大半の意味が分からないジャスティンだったが、エールの言葉には反応して、一瞬キラリと瞳を輝かせたがブンブンと首を振り、『いえ結構です』と僅かに知ってる独語で返した。
だが、陽気で気さくな親父達はそんな事は介さずに、笑いながら独語で捲し立てて、その勢いにたじたじとしながらジャスティンは横目でビリーに助けを求めたが、若い女性に囲まれているビリーはチラッと視線を送りニヤリと笑っただけで、堪らずジャスティンは、庁舎入口でニヤニヤと笑って見ているだけのランスとニコラスに、「助けて下さいよ」と両手を上げて困り切った顔で助けを求めた。
「なんでお前は女で俺は男なんだよ」
職員住宅に戻り何時もの携行食を掻き込みながら、ジャスティンは恨めしそうにビリーを睨んだが、何処吹く風のビリーはシレッとして薄い塩味のビスケットにポークパテを塗り付けて齧り付いて、モグモグと飲み込んだ後にフフンと笑った。
「そういう分担なんだ。仕方が無い」
「誰が何時決めたんだよ!」
「お前は物欲しげな顔をしてるから女性には分かるんだ。俺みたいに来る者拒まず去る者追わずという顔をしてればいいだけだ」
ビリーの言葉にジャスティンはブスッとして剥れて、ニコラスがケラケラと笑いながら話し掛けた。
「まぁ諦めろ。大抵の女はビリーみたいな清潔感のある奴が好きだからな。逆にお前みたいに寝癖がピンピン撥ねてるようなワイルドなのが好きって娘も居るかもしれないぞ」
「フン。奴みたいに時間を掛けて念入りに身支度するぐらいなら、その分少しでも寝てたほうがいいっすよ。体力が一番ですから」
ジャスティンは投げ遣りに返したが、それまで黙って聞いていたネルソンがチラリと横目を向けポツリと言った。
「いい心掛けだ、ウォレス曹長。だが毎回誰かに叩き起されるのは直したほうがいいぞ」
その言葉にドッと明るい笑いが一同に起こると、ジャスティンは返す言葉も無く、ボサボサの銀髪をポリポリと掻いた。
『お食事中済みません。差し入れがあったものですから』
その和やかな食事の場に顔を出したアンドレアスが、にっこりと笑ってワインボトルを手に掲げてみせ、「おおっ」と一同から歓声が上がった。
『お気遣い頂きまして申し訳ありません。ですが我々は任務中ですし、貴重な物を頂けません』
それでも冷静なネルソンが丁寧にアンドレアスを諭すと、一度は沸き立った一同はがっくりと肩を落としたが、アンドレアスは首を振って穏やかな笑みを浮かべた。
『ボトル一本だけですから皆さんで分ければ泥酔するほどの量では無いでしょう。それに奴らの強奪ももう無くなった事で、少しずつですが、ワインも出回るようになるでしょうから。これからも手に入る物ですから気兼ねは不要ですよ』
ニコニコと微笑んでいるアンドレアスにネルソンは苦笑を浮かべ、『では、遠慮なく頂戴致します。ありがとうございます』と、差し出されたワインを受け取った。
『それにしても、ベルギーではワインは余り造られていないと聞いていますが』
『そうなんですが、南のトルニー村など、南部では僅かに造られています。東部や西部、北部は殆どビールなのですが、此処にも一軒だけワイナリーがあるんです』
アンドレアスの説明によると、オイペンの西北西約八kmにあるドマニヤールド・グルノーという森周辺に、そのワイナリーがあるのだと言う。
『恐らく其処も毎年強奪に遭っていたのでしょう。あの旧ホテル内には空き瓶が山と積まれていたそうですから。それを彼らに戻して詰め直させて、それを毎年奪っていたのだと』
嘆息をついたアンドレアスだったが、これからはその豊潤な味を皆がまた味わえるのだと明るく笑った。
澄んだ白ワインは十分に冷えていて、鼻梁を擽る爽やかな香りを堪能して、誰とも無く「旨いなぁ」と感嘆の声が漏れた。
「また皆の食卓に上る事になったのは喜ばしい事ですね」
一度は断ったネルソンだったが、少し酸味のあるすっきりとした味わいに頬を小さく緩ませてレオに語り掛けた。
「ああ。過酷な環境の中でも丹精を籠めて造られたものだ。此処の人達の心も潤してくれるだろう」
「という事は、葡萄だけを栽培していたんでしょうから、食糧とかどうしてるんでしょうか。近隣も搾取を受けていたので、分配する余裕は無かった筈ですが」
ふと疑問を洩らしたルドルフにレオは顔を向けた。
「その地域の探索は?」
「まだです。調査した方が良さそうですね」
真顔に戻ったネルソンにレオは黙って頷き、他の地域から穀物を得る術も無かったであろう其処の住民が、ドイツ兵達に要求されるがままに葡萄だけを作り続けていたのであろう事を思い浮かべて、沈鬱な表情でグラスの中で揺れるワインを見つめ返した。
翌日にはレオとニコラス、ジャスティンの三人が、ハイウェイを跨いで南北に広がる広大な森ドマニヤールド・グルノーに出向いた。
森の南側に広がる四ヘクタールほどの畑には、収穫を終えた葡萄の木々が散らし始めた葉が降り積もる中、今年の役目を終え此処の厳しい冬に備えて自らの褥を用意し始めていた。
だが葡萄園周辺の農地は荒れ果てていて、此処の南三kmほどにあるリンブルクの街で三百名程の住民がオイペン同様穀類を栽培しながら細々と暮らしているのは判っていたが、その場所もドイツ兵による毎年の強奪に遭っていたのも判明しており、この地の住民が十分な食糧を得ていたのかどうか、怪しくなってきた状況にレオはキュッと眉を寄せた。
「しかし、ワイナリーは何処ですかね」
助手席に居るニコラスが、それらしい建物が何処にも見当たらず顔を顰めたが、
「森の中らしいですよ。ケスラー市長がそう言ってました」
とジャスティンが運転しながら暢気に返し、ニコラスはブスッとした表情になった。
「それを早く言えよ。てか、お前どうやって市長に聞きだしたんだ」
「自分じゃないですよ。ビリー、いえ、ローグ曹長が」
「フン。ルドルフは、最近少しだが独語を話し始めたぞ。何時まで経っても無能なのはお前だけだな」
「きついなぁ、ティペット二等准尉殿は」
ブツブツと文句を溢しながら、ジャスティンはその森へと向かう一本道に車を向け、少し勾配のある坂道をゆっくりと登り始めた。
うっそうとした木々が太い枝を張り巡らせた森の中の道は、僅かな木漏れ日が零れチラチラと光を煌かせているだけで、薄暗い道は落葉樹が落とし始めた葉が片付けられる事も無く埋め尽くしていて、踏みつけられる度にカサカサと音を立てていた。
「あれですかね」
その木々の隙間から、ワイナリーらしき赤いレンガ造りの建物がチラチラと見え始めたところで、ジャスティンが前方に立っている人影に気付いた。
「伏せろ!」
身じろぎもせずに銃口を此方に真っ直ぐ向けているその姿を見て、ハンドルを固く握り締めたままジャスティンは叫んだ。




