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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第十二章 国際連合援助隊~UNAC~先遣隊 Headwaters(源流)編
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第十二章 第五話

 それでもレオ達には打ち拉がれている暇は無かった。

 このオイペンを拠点に更に周辺地域にまで探索地域を拡大して、残留住民の実態調査や、必要な援助を割り出すための綿密な調査は続けられていて、この日もペアを組んで域内の探索に出掛けていたS班員が行政庁舎に戻って来たのは夕刻の事だった。



 行政庁舎内S班用作戦本部に戻るなり、ニコラスは背負っていたバックパックをドサッと床に下ろして「腹減ったぁ」と言いながら椅子に座り込み、頭を下げて机の引き出しの資料を取り出していたレオが苦笑しながら顔を上げると、途端にバッと立ち上がって、

「ニコラス・ティペット二等准尉、オイペン南、エル地区の探索を終え帰隊致しました」

 と、敬礼を返して、何事も無かったようにシレッと報告した。

 苦笑いが止まらないレオが笑いながら敬礼を返すと、ニコラスは平然とした顔でバックパックから資料を取り出し、

「お前も早く報告書纏めろよ。で、飯な。お前、今日の当番だろ」

 と、ポカーンとしている相棒のルドルフをジロリと睨み返した。


 S班用の寝所として、行政庁舎の向かいの職員用住宅を提供して貰ったレオ達は、寝る場所は確保出来たが、前年までドイツ兵達による搾取を受けていたオイペンの住民達から食糧の供給を受ける訳にはいかずに、先日来た機動隊が、追加して置いていった携行食( レーション)が日々の糧となっていた。調理不要の携行食なので当番など無くてもよかったが、湯を沸かし、温める物を温める当番が、自然発生的に生まれていた。


 各所に出向いていた班員達が、このニコラスとルドルフを筆頭に其々庁舎に戻り、簡易な報告を終えて、同じく業務を終えて庁舎を閉めようとしていたアンドレアスに軽く挨拶をして出ようとした時、正面玄関のドアを叩きつける勢いで開け、そのまま飛び込んで来た壮年の婦人とぶつかりそうになり、ジャスティンは慌てて体を引き「おっと」とその婦人を避けた。

 だがその五十代位の婦人は、自分の目の前に居るジャスティンに気付くと軍服の胸元を掴んで捻り上げ、血走った目で見上げて唾を飛ばしながら怒鳴り散らした。

『なんでアイツらを銃殺刑にしないのよ! いえ、なんでその場で射殺しなかったのよ!』

 婦人の剣幕にたじろいだジャスティンであったが、独語が解らず捻り上げられたままで、ビリーに助けを求める困惑の視線を投げた。

 


 その婦人の薄く茶掛かった金髪は艶も無く乱雑に後ろで結わえてあり、深い緑色の瞳は虚ろに開かれて、化粧っ気の無い肌に一面に縮緬皺が寄って、着崩れた白いシャツも所々黄ばみが浮かんでいて、突っかけたサンダルの足元は、この時期には有り得ない裸足だった。


『済みません。庁舎の担当者は私どもです。ご用件は――』

 見かねたアンドレアスが、背後から駈け寄ろうとしたが、婦人は見向きもせず尚もジャスティンに食って掛かった。

『アタシのあの()は帰って来なかったのよ! アイツらに銃を突き付けられて、泣きながら連れていかれて。まだ十八歳だったのよ! どうしてアイツらが生きていられるのよ!』

 開き切った赤い口の中で少し黄色味を帯びた歯が忙しなく動いているのを呆然と見下ろしながら、ジャスティンは婦人にガクガクと揺すぶられていても、ただなす術無く返す言葉も無かった。


 きっと、この女性の娘は戻っては来なかったんだろうと察して、ジャスティンはどうすればと、戸惑いと悲哀の浮かんだ瞳でレオを振り返ったが、レオもこの女性になんて声を掛ければいいのか逡巡していた。


 ――あのドイツ兵達も、俺と同じ側に居た。

 嘗ては暴走する側に居たレオは、また彼らの罪科を自分の罪科のように受け止めていた。


 ――だったら、俺がその罪科を償ってやるべきなんじゃないのか。


 自分が過去に犯した罪は、何処までいっても、何時まで経っても、決して自分から消える事はないのだと、レオが思案を巡らせている時だった。

 誰もが困惑を浮かべている中で、一人だけ恐ろしいほどに冷静な、静かな表情をしていたニコラスが、徐にその婦人に向かって言った。

『それは、アンタの娘がアイツらを殺す事など望んでないからだ』



 その言葉の意味が解らずに、婦人は怒鳴りかけた口を開けたまま訝しげにニコラスを目を細めて見ていたが、ジャスティンの胸元を掴んでいた手を離し彼を突き飛ばすと、ニコラスに向かって突進してきた。

 だが、背後から駆け込んできた壮年の男性に取り押さえられて、悔しそうに顔を歪めながら『離しなさいよ!』と夫と思しき男性を噛み付く勢いで怒鳴りつけた。

『なんでアンタなんかに分かるのよ! アンタなんか』

『俺の妻も暴徒に殺された。産まれてくる筈だった子供と一緒に』

 ニコラスの表情には、憤りも憎しみも浮かんでいなかった。

 

 誰もが言葉を失ったロビーには、開け放たれた正面玄関ドアから吹き込む風の音だけが微かな音を立てているだけで、その場に居た全ての人間の視線がニコラスに注がれていたが、そんな事を気にする風でもなく、両手をポケットに突っ込んで真っ直ぐに立っているニコラスは、口を開けたまま凍りついている目の前の婦人を静かに見返していた。



『アイツはきっと、最初は我慢していた筈だ。裸にひん剥かれて、薄汚い笑いを浮かべた男達に嬲られて犯されていても、俺のために、腹の中の子供のために、必死に生きようとしていた筈だ。だが腹を割かれて子供が引き摺り出されて地面に放り出された時、アイツは諦めた。そして子供を守れなかった事を俺に懺悔したんだ』

 余りに壮絶過ぎるメアリーの最後を初めて聞いたランスとビリーは顔を青褪めさせてワナワナと震えていた。

『けどな。それでもアイツは、その男達を殺してくれとは望んではいないだろうと俺は思ったんだ』

『どうして……どうして、そんな目に遭って』

 今はもう力の抜けた体を夫に預けて呆然としている婦人の呟きに、ニコラスは彼女の戸惑いの浮かんだ瞳に小さく目を細めて言った。

『あの連中を殺しても俺の中の悲しみは生涯消える事が無いからだ。あのドイツ兵達を殺して、アンタの悲しみは消えるのか』


 問い質すように声を掛けたニコラスに、婦人は目を見開いたまま答えられず、レオも凍りついたように立ち尽くしたまま、指先一本動かす事が出来なかった。


 ――ニコラスは、今、俺にも語り掛けているんだ。



 レオがスラムで殺した男と同じように父を殺されたワイアットに、あの日討たれてもいいと思ったレオが居たように、此処でも、この婦人に討たれても構わないと思い始めていたレオをも諭すように、ニコラスは淡々と話し続けた。


『俺はな、俺の悲しみの一部を肩代わりして貰った』

『肩代わり?』

 呆然と呟いた婦人は、戸惑いを隠せない目を泳がせていた。

『ああ。同じ様に罪を背負い、誰かの悲しみや苦しみを取り除いてやる事でしか償えない人に、俺の悲しみの一部を、一緒に背負って貰った』

 ネルソンの視線を感じたレオだったが、顔をそちらへ向ける事も出来ず、ただ(まなこ)に驚愕を浮かべたまま、ニコラスを見ている事しか出来なかった。

『だからアンタも背負って貰うといい。あのドイツ兵達も、これからはそうやって生きていく。誰かを助け誰かを守り、その悲しみや苦しみを背負う事により、その分相手の負った悲しみが減っていく』

 まだ拒絶するかのように、首を振り続けている婦人であったが、徐々に力が抜けていく体が沈み込みそうなまで足を震わせていて、さっきまで胸元を掴まれていたジャスティンが、必死で支えていた夫を手助けして一緒に婦人の体を支えた。


『アンタの娘が泣きながらでもドイツ兵に従ったのは、アンタ達を守りたかったからだ。アンタ達や、この街を守りたかったからだ。アンタが叶えてやるべきなのは、その命を、娘が守りたいと願ったその命を、大切に生きる事なんじゃないか』

 堪えきれない嗚咽が漏れ出した婦人は、背後の夫に縋りつく様に抱き付いて、そのままズルズルと座り込むと、悲鳴のような嗚咽を上げて全身を震わせて泣き崩れた。


 誰も言葉を発しない静かな時間が過ぎて、やがてまだ啜り泣いている女性を抱えて、レオ達に黙礼を返して男性は静かに庁舎を出て行った。


 湧き上がるレオの悔恨に対してさえ許しの証を見せたニコラスは、去っていく夫婦の、まだ悲しみが消えない丸まった背中を、黙って目で追っていたが、自分が泣き出しそうな顔をしているルドルフをやおら振り返り、

「おい、腹減ったぞ、当番。さっさと仕度してこい」

 と、何時もの暢気な顔でカラカラと笑った。

「イ、了解しました(  イエスサー)

 浮かんだ涙を誤魔化すように鼻を啜りながらルドルフは駆け出していき、ネルソンとランスはそのニコラスの肩をポンと軽く叩いて通り過ぎながらも、口元には小さく笑みを浮かべて頷いた。


「……うおっ、胸ボタン一個弾け飛んでるぞ!」

 その場の重い空気を払う様に、自分の胸元を見たジャスティンが騒ぎ立てると、呆れたビリーはフッと笑い、ジャスティンを促してその背を叩いた。

「予備がある。付けてやるから来い」

「って、お前裁縫も出来んのかよ!」

「当たり前だろ。下っ端の必須作業だぞ? よし、教えてやるから指先を血塗れにすんなよ」

「お前、俺の事誤解してるだろ?」


 ブツブツと文句を言いながら若い二人が出て行き、後に残されたレオは悲嘆と万謝とが複雑に絡み合った感情を抱えて、ニコラスに何と言えばいいのか言葉が見つからず戸惑っていて、初めて自分が学んで来なかった事を後悔した。


「班長殿。飯の時間です。がっつり食って、明日も頑張りましょう」

 そんなレオの内心を悟ってか、変わらずにニコニコと笑っているニコラスは、無為に生きたこの七年間の自分の罪科を、あの婦人の悲しみを共に背負った事で昇華させたのだとレオにはそう思えた。


 その眩しく見える笑顔が有り難くもあり、同時に、自分にはこの程度では終わらない、まだ消せない罪科があるのだと、ニコラスに黙って頷き返しながらも、心の内に広がるこの想いを忘れないよう何度も繰り返し繰り返し、反芻し続けていた。

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