番外編 井上音羽の場合③
文化祭が数日後に迫ったある日、笹村くんに声をかけられた。素早く周りを確認して、廊下の隅に連れていかれるので聞かれたくない話かな。
笹村くんは、顔のわりにゴツゴツした両手を合わせて頼んできた。
「文化祭当日、俺とシフトを変わってもらえないかな」
「…だめ」
文化祭当日のシフトは、クラスの子の意見も聞きながらかなんちゃんが決めた。なるべくカップルや仲良し同士で文化祭を見て回れるように配慮してくれたのだ。
かなんちゃんの休憩時間には私も休憩時間。一緒にあちこち回ろうと約束してる。もちろん、抜かりなく笹村くんの休憩時間とは離してある。ニアミスも起こらないほど。
かなんちゃんは、笹村くんと絶対に文化祭を回りたくないと思っている。
文化祭を回ったりしたら、もう逃げられない。本人たちが否定したって、緑が丘第一高校では、異性が文化祭を一緒にまわる=特別な間柄、なのだ。
笹村くんはこれを機に外堀を埋めようと必死なんだろうけど、かなんちゃんも埋められまいと必死だ。
「…俺の休憩時間は富田と一緒なんだ」
「……」
思わず睨みつけてしまう。なんでそんなことを知ってるのかな。
「富田だって、まんざらでもなさそうだし。一緒に回ろうって誘えば絶対イケるって」
「……でも。かなんちゃんを売るようなことしたくない」
私はかなんちゃんの味方でいるって決めたんだ。
みんなが笹村くんを応援したって、私はかなんちゃんの気持ちを大切にしたい。
富田くんのことはいいなって思ってるけど、かなんちゃんと比べるまでもない。
「頼むよ、井上。もうこれで最後にするから」
すがるように言う笹村くんの表情はすごく苦しそうだった。
好きな人に避けられまくって、最大のチャンスである文化祭でも逃げられる。
私にはそこまで好きな人はいないから、よくわからないけど、つらいんだろうな。
結局、すごく迷った上、笹村くんと私はシフトをこっそり入れ替えることにした。
文化祭当日、いつもの登校時間よりだいぶ早く女の子のたちは教室に集まった。
カレーの準備はもちろんのこと、サリーの着付けやメイクのためだ。
普段あまりメイクをしない子も濃いめにアイラインやアイシャドウを入れて、エキゾチック。
私も他の子にメイクしてもらって、いつもと違う雰囲気にうきうきした。
ところが!
かなんちゃんはいつもの髪型とメイクでいいと、さっさとキッチンへ行こうとする。
「ちょ、ちょっと!かなんちゃん!ダメだよ、いつも通りじゃ!」
慌てて引き留めたが、かなんちゃんは不満そうだ。
「やだ。目立ちたくない。これでいい。ホントはクルターパジャマがいい」
うん、そうですよね。かなんちゃんならそう言うと思った。
でもでも、もったいなさすぎるよ!
「シモー!それじゃ客寄せにならんでしょ!祭りなんだから、今日くらい割り切りなさいよ」
私があうあう言ってたら、後ろから思わぬ援護射撃が入った。
何人かの子が、わいわい口を出してくれる。
目立つのも嫌いなかなんちゃんだけど、和も結構重んじる。
これ以上意地を張ればみんなの気持ちを下げちゃう、って判断したんだろう。
渋々、髪とメイクをいじらせてくれることになった。
髪は私の担当。かなんちゃんはさらさらの髪だから、下ろしてるだけでかなりかわいいけど、サリーだともう少しボリュームがあってもかわいいよね?
家からヘアアイロンを持ってきてた子に借りて、ミックスで巻く。
これだけでかなり印象が変わる。さすが隠れ美少女!飲食店なのでハーフアップにして、清潔感を出す。
メイクは、山内さんというやや派手目の子がやってくれた。
「シモ、濃い目のメイクも似合うじゃん!」
元々二重のかなんちゃんは、アイラインを入れたらものすごい目力!アイシャドウはサリーの色に合わせてピンク系。
入れたことないというハイライトとチークも入れたら、メイクをした山内さんが唖然とするほどの出来映えだった。
「これは…。勝ったな」
「勝ったって何が?」
妖艶な美女に出来上がったかなんちゃんが、山内さんのことばに首を傾げる。
知らないのは、かなんちゃんだけ。
今日の文化祭で、笹村くんがかなんちゃんを落とせるかどうか、E組のたくさんの人が打ち上げのジュースを賭けてるんだ。
山内さんは、落とせる、に賭けてたはず。
確かにこんなにかわいくなっちゃったら、笹村くんもいつも以上に頑張るかも。
私は、かなんちゃんがこの賭けを知ったら嫌な気持ちになると思ったので、参加してない。
カレーの支度やテーブルのセッティングをしている頃、男の子たちが登校してきた。
「あ!笹村くんおはよう」
扉のところに笹村くんは立ったまま、なぜか固まっていた。
ん?どうかしたのかな。
じっと見てると、みるみる眉間にシワが寄っていく。
…なんか怒ってる?
そのまま、ふい、と顔を背けて、笹村くんは外装の最終確認に行ってしまう。
「火がついたかなー。面白くなりそうだね!」
山内さんはニヤニヤしていた。
何に火がついたんだろう。
本来の美少女ぶりを最大限に発揮したかなんちゃんは、大人気だった。
カフェに来たお客さんに、一緒に写真を撮りたい、なんて声をかけられることも何回もあった。大人っぽい雰囲気だからか、先輩から声をかけられることが多いみたい。
ホールにいるときは断ってたけど、客引きの時は断りきれずに何枚か撮るはめになってた。
みんな今さらかなんちゃんのかわいさに気づくなんてね!と私としては誇らしいやら悔しいやら。
そんな中、笹村くんの機嫌はなぜか悪いままだった。
親衛隊の子やファンの子が一緒に写真を撮りたいと言っても全部断り、笑顔も固い。
お皿を下げに行ったとき、たまたまキッチンで二人になったので、訊いてみた。
「笹村くん、何怒ってるの?かなんちゃん、あんなにかわいいのに」
「……だからだよ」
カレーを器によそいながら、ボソッと笹村くんが言う。
「誰があんな風にしろって言った。シモの良さは俺が知ってればいいんだ」
ええええーーー!なんて独占欲!
付き合ってもないのに、俺のものってことー?!
「俺は逃がす気はないから。…井上は賭けてないの?」
ぶるぶると首を振ると、笹村くんはニヤリと悪い顔をした。
「シモに賭けなくて良かったな。損してたとこだ」
今になって、かなんちゃんが笹村くんからあんなに逃げたがってたのが、ちょっとわかった。
笹村くん、怖い。
時計を見ると、もうすぐかなんちゃんの休憩時間だった。
笹村くんはいそいそと財布を持ち、私と持ち場を交代。
「恩に着る、井上。今度何か奢るよ」
「奢らなくていい。でも、かなんちゃんを泣かせたら許さないから」
精一杯睨んで、笹村くんを脅した。
私は、結局かなんちゃんが笹村くんと付き合おうが付き合うまいが、どっちでもいいんだ。
かなんちゃんが泣いたり、嫌な思いしたりするのが嫌なんだ。
だから、笹村くんがそんなにかなんちゃんを好きなら、ちゃんと幸せにしてくれればそれでいい。
もちろん、かなんちゃんがそれでも笹村くんを拒否すれば話は別だけど。
「ちょいちょい!笹村が下山さん連れてったけど!」
冨田くんが目を輝かせながら耳打ちしてきた。耳に息が当たってくすぐったい。
顔が赤くなってないことを祈りながら、私も耳打ちを返した。
「笹村くんに頼まれて、私と休憩時間を代わったの。冨田くんが良ければ、一緒に文化祭を見て回らない?」
そっと顔を離すと、冨田くんは呆然としている。
あ、嫌だったかな?笹村くんと見てまわる予定が何でお前とってことかな?噂になっちゃうかもしれないもんね。
あー。言うんじゃなかったかも。
冨田くんの顔が見られない。
「……それって、期待してもいいってこと?」
「え?」
聞こえた声に顔を上げると、冨田くんは真剣な顔で私を見てた。
よく見ると耳が真っ赤だ。
冨田くんは照れると耳だけ赤くなるんだよね。かわいい。
「…うん。期待してほしいな?」
かなんちゃんが、かわいいって誉めてくれる笑い方で言うと、冨田くんは首まで真っ赤になってしまった。
休憩時間が終わると、笹村くんだけが、すごくご機嫌で帰ってきた。かなんちゃんはいない。
「笹村くん、かなんちゃんはどうしたの」
「ちょっと具合が悪いらしくて。俺の妹と一緒に、保健室に置いてきた」
言いながら、ムダにきらきらした笑顔だ。
今朝まで元気だったのに、具合が悪い?
「…笹村くんが具合悪くなるようなことをしたの?」
じっと睨みながら言うと、笹村くんはニヤリと笑った。
「井上、冴えてるな。大したことはしてないし、すぐ回復するよ」
大したことって、何。
怖くてそれ以上訊けなかった。
かなんちゃんはそれから30分もしないうちに戻ってきた。
チークを入れてるのに、顔色は真っ白だ。
「かなんちゃん、大丈夫?」
「……あんまり……。ちょっとそっとしておいて……」
力なく言って、かなんちゃんは持ち場に戻っていった。
その後のインドカフェは大忙しだった。
機嫌を回復させた笹村くんが、びっくりするくらいの外面の良さを発揮して、どんどんお客さんを連れてきたから。
ぽわーっと顔を赤くした三人組のお姉さんが、また連れ込まれた。
ホストクラブの客引きも、ここまで打率は良くないんじゃないかな。まるで、なんとかホイホイみたいだ。
笹村くん、刺されないように気を付けて。
かなんちゃんは魂が抜けてしまったかのように、でもしっかり手は動かしている。
笹村くんになるべく近寄らないようにしてるけど、わかってて笹村くんはすれ違うたびにかなんちゃんに何か耳打ちしてた。
笹村くんに耳打ちされるたび、かなんちゃんは赤くなったり青くなったり、忙しい。
…休憩を代わったの、間違いだったかな。
ごめんね、かなんちゃん。
あとで、誠心誠意、謝ろう。




